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さすがに昨日はR  
…ダウンした。学生から見れば教師の体調がどう映っているのかわからないし、じっさい教壇では疲弊したさまは見せないようにふるまっているつもりではあるが、入試や定期試験の採点や文部科学省関係やのもろもろの公務は残っているとはいえ少なくとも授業負担からは解放されるその日の夜に身体は、2本の箸ももちあげるのがたいへんなくらいに弱々しく崩れ落ちた。
 一夜明けて今日は――朝はそのまま眠っていたかったが仕方がないので保育所への送りもちゃんとこなして、午後はスイミングのアッシーもいつもどおりにこなして、とカラダをわずかに動かしたほかは、何か有益に過ごした(たとえばCDを買うとかといったことも含めて)という実感がまったくない。にもかかわらず子の機嫌もわるくて35歳離れた父子でまじめにケンカみたいな状態になって、しかも母のほうが父(もちろんぼくだ)に「自分のカラダの調子がよくないからそれでガミガミいいすぎる」のだなどというのでアホらしくなって「じゃあ母子でベタベタ慣れあって機嫌を直しなさい」とクルマで家を出て喫茶店にいって、こんな日に読みたい本もないのでパチパチと日記を打った(いまも打っている)。馬鹿げた一日だ。
モダニスト 2002/01/12土23:48 [86]


続・ヤラセについてR  
 そのキアロスタミの「クローズアップ」のなかに同じイラン出身の映画監督マフマルバフが二度、登場する。すなわち一度は、詐欺男が自身がそれであると騙るところの者として、また一度はラストの、釈放された同じ男が原告宅に謝罪におとずれるさいの同行者として。
 すでにしてじゅうぶんに自己言及的にしつらえられている作品は、こうしてまごうことなきメタ映画となるのだ、といってしまってもかまわないが、いずれにしてもこのラストシーンに登場するのが、バス車中で詐欺男が「これは私の作品です」といった「サイクリスト」という映画を撮った、マフマルバフそのひと自身であること(つまり友情出演というところやね)は、すべてがヤラセなのではないかと疑わしくなった全編を貫くなかにあってしかし、これだけは疑い得ない真実点として直観されるのである(地元で絶大な大衆的人気を誇る監督であるわけだからイラン人にはすぐに認知されるだろうがその相貌を知らないわれわれもその真実らしさを疑わないのはどうしたわけだろう;あるいはそうしてすぐに認知されるはずの人間を登場させるからそこはフィクションではないだろうと思い込んでいるのか)。
 それはさておき「サイクリスト」は、監督本人がいうところではアフガニスタンを舞台としたほとんど唯一の映画といわねばならないのだが(例外はあの「ランボー3――怒りのアフガン」だがしかしそれはほとんどがハリウッド近郊で撮影されている!)、白紙に近いリストのなかにこのたび、同監督の製作となる「カンダハール」が加わることになった。
 製作はとっくの昔に完了していた作品が、ときあたかも9.11テロとその後の米英軍事行動の文脈のなかで公開されることになり、朝のワイドショーなんかでも紹介されていた。テレビの画面には、空から投下される義足に向けて、地雷で片足を失った者たちがわれ先にと争って走る光景(たしかスローモーションだった)が映し出された。
 本人(の談話が紹介されていた)も認めるヤラセ場面だ。それが絶大な象徴的効果を有することはもちろんわかるが、作品全体の質の点でははたしてどうなのだろうか。いや、それよりもぼくには、彼の娘のハナ(だっけ?)・マフマルバフが10代で撮った「りんご」という映画の、閉ざされた世界に生きる盲目女が外部世界に触れることの象徴として街路脇民家の2階から(糸付きだがそれこそ)「投下」され、女の手がそれを掴む、1個のりんごと同じもののように思われた。さすが親子だ(別にいい意味でいっているのではない)と思わざるをえない。[まだ続く、だろう]
モダニスト 2002/01/12土21:27 [85]


ヤラセについて――本編のためのメモR  
 イランの映画監督キアロスタミが撮るのは、もっぱらヤラセ映画である。
 ――と書くとネガティヴな印象を与えかねまいが、眼前に展開するいかにもドキュメンタリィ風の時空間のなかに確信犯的にしのびこまされた綻びの数かずは、ありていにいえば(つまりそのようなものを無反省に信じる者も数少なかろうからだ)ドキュメンタリィとフィクションのあいだの二分法を、きわめて効果的に無効化するだろう(もちろんわざと自己撞着的な表現を選んでいる)。
 その意図された綻びは、たとえば19XX年に製作された「クローズアップ」のような作品のなかでは、詐欺を働いた男が罪を犯すきっかけとなるバス車中を再現する――これだけでじゅうぶん反ドキュメンタリィ的である――だけならまだしも、騙された女までもがその再現シーンで自己自身を演じ始めるようなかたちで、われわれを襲うことになるだろう。作品もすでになかばに達した局面でのこうした演出が、そこまでのドキュメンタリィ的性格を一気に退落させるばかりか(「じゃあ、あの2人が被告席と傍聴席にともにある迫真の裁判場面は何なのだ?」と)、彼が監督する作品すべての信憑性(ドキュメンタリィとしての)にたいする疑いをも引き起こさずにはおかない(「子どもたちに宿題を忘れた言い訳を語らせる感動的な「ホームワーク」だってヤラセではないのか?」)。
 だが、われわれ観客はすぐさま、そうした疑念が彼の作品ではなく〈映画〉にたいするそれであるに気づかずにはおれない。[つづく]
モダニスト 2002/01/12土20:41 [84]


最終回R  
 本編のほうはせめて3日に一度は更新したい、と思っていた(最初は2日を目標にしていた)。きょうはその3日目だが――東京出張の翌日に2コマ(講義&ゼミ)をこなしてさすがに疲弊している(前者の「表象批判II」最終回はキアロスタミ監督の映画「クローズアップ」からそこに友情出演(?)している同業者マフマルバフの本『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』に話題を進める、なかなか気の利いた演出であったはずだ)。
 その講義も明日の「西洋美術史II」ですべて幕が下ろされる。もちろんこれから定期試験(ぼくの担当分は25日[金]以降)があって、その採点も済むのは1ヶ月後となる、その事実があったとしても、これでしばらく授業負担から解放される喜びはひとしおである。
 だが、うれしいけれども同時に、いくばくかの悲しみも湧いてくるのであることを、今夜は隠そうとは思わない。すでに何度か明示的に書いたが、美術や音楽や映画や文学や、といったこととは本質的に関係のない公務で忙殺される日々にあって、講義は救いでもあるからである。
モダニスト 2002/01/10木22:59 [83]


帰路R  
――と呼ばねばならないのだろう、やはりこの、新幹線にゆられながら明日の2コマの授業進行を夢想する、この道のりは。
 それにしても、公務は思ったよりも早く(つまり予定時間をほんのすこしオーヴァーしただけで)終わり、京都ではなかなか短時間で回ることのできない種類の数店のショップでCDや本やPCサプライといった物品をまとめ買いし、そうして残された時間(場所は新宿で)が1時間半となったときに、やはり足を運ぼうと決心したのは、あいもかわらず板橋の「いなば」(寿司)なのであった。
 そう、東京駅まで行く時間をいれると正味40分ほどの余裕しかなかったが、東京家政大学に非常勤でおとずれるようになった30歳のころからもう10年は通っている(もちろん京都に引っ越してからは年に5、6度にすぎない)その店のカウンタに座らずに帰洛することは、ほとんど考えられないことだった。
 満足である。たくさん買ったわりには誇るべき釣果に乏しかった物品類のことを思うと、今回はこの胃袋の満足のための上京だったのでは、とすら思えてくる。アレ、文部科学省のことはどうした(笑)?
[以上、浜松〜名古屋間において、PHSはダメなのでdocomoの携帯経由で]
モダニスト 2002/01/09水21:28 [82]


東京よりR  
 期待した雪(笑)は残念ながら大したことはなく、ほんの数分の遅れで東京に着いてしまった。まあ、しかし現実的には仕事に穴をあけるわけにはいかないので、減速した車中から窓越しに雪景色をながめみて、はるか昔(でもないかな)、東京〜山形間の「つばさ」にしょっちゅう閉じ込められたことをなつかしく思い出せただけでも、よしとしなければならない。
 実際、米沢あたりで2時間ほども立ち往生した日には、どれほど仕事(公私に渡るいろんな次元の)が進んだことか。いっそ、ここで一晩過ごさせてくれないかと、それは思ったほどだ。
 ――と書いてはみたが、オット、これから虎の門に直行しなければならない(いまは内幸町の洋食屋)。やや遅れて始まった「相談」がその遅れた分よりはいくぶん長くうしろのほうにズレ込んで、おそらくはそのあと、われらが同胞でちょっとした整理をおこない…、で、あとは帰りのひかり(241号)まで、どれくらいの余裕ができるかである(それによって時間のつぶし方がちがってくる)。
モダニスト 2002/01/09水12:27 [81]


もう一発R  
●明日は午前中、琵琶湖南岸あたりから東海地方にかけて雪のようだ。まるでわが上京を阻むようではないか。ならば文部科学省相談が終わる時刻(15:00)にゆっくりと新幹線が東京に着いて(ぼくがいなくともエライ事務局長ほかがいるさ;ぼくは車中でゆっくりと本でも読んでるさ)、そのまま帰る足が断たれるというのはどうだろう。1月は細君の仕事の都合(7:00前に山科に向けて発つ)で朝の保育所への送りはこっちの役目となっているが、幸い10日(木)は通常の8:00出勤モードでいいらしい。泊まれ、っていう神の配慮ではないかいな(笑)。いや、ダメだ、2&4限に授業がある。予備校講師時代に培われた(?)職業意識のゆえに、這ってでも帰らねばならない、と思う。だが、這っては帰られない距離だ。
●大嫌いなニュース23に瀬戸内寂聴氏が出演していた。日本人には危機感がなくなった、ということだが、あのテロ+米英軍事行動に際して2日ほど(だっけ?)の断食をすることが危機感の表明というのだろうか。ご本人は、世界の宗教人とちがって何もしない坊主(仏教の)たちに嫌気がさして、断食のあいだ祈り続けていたらしいが、祈り以外の行動が、そこでは起こされねばならなかった。テロ以後の米英の軍事行動を批判することは簡単だが、具体的な対抗措置を講じないでテロの切っ先をつねに突きつけられてある状況にあることがいまある状態(軍事行動の細部にももちろん問題がないわけではない)よりも望ましいとは、どう頭を捻っても思い至らない。反軍事行動の論理は、そこに軍事行動が現にあることによって逆に救われる、死ぬる決意のない断食に似た空論である。
●――と、こんなふうにいつも悪口を書いている/語っているのだけどね(苦笑)。
モダニスト 2002/01/08火23:57 [80]


雑記R  
●朝の授業のあと夜まで、ほんとうに会議が続いた。苦痛だった。愚痴ではない。事実について語っている。何か報いがほしい(笑)。
●その合間(夕刻)。さる学生から「第1室」への下品な(?)書き込みの話を告げられた。「表象批判II」という授業の、旧年内最後の回でのわが発言をめぐる、よくいえば問題提起を内容とするが、通信はもっぱらsigmarion2(いま叩いているのもこのマシンの小さなキーだ)に移行し、そこの「お気に入り」フォルダには自分のHPについても日記と「第2室」しか入っていないので、すっかり見過ごしていた(この点は反省しなければならない)。管理者の代わりにさる読者が応接してくれていたが(イデオロギー的に近いという意味ではない)、そんなにスゴまなくても、と思いつつも、自分で叩き始めた文章も最後はずいぶん下品になっていた。ま、いきおいで書いたものには、それなりの内容がある、と思って、ここは削除すまい(でも、いくつか表現は直したいな)。
●明日。上の「第1室」にも一昨日のこの欄にも書いたが、明日は久しぶりに文部科学省に出向く。ありがたい話を聞きに行く、といった風情がそもそも体質に合わないのだが(実際ありがたい話ならまだ救われるのだが)、それでも、東京に行くこと、それだけでうれしい。明日のような、トンボ帰りしなければならない場合でも、同様だ。もしかしたら「行く」というよりも、いまだ「帰る」という感覚で、受けとめているところがあるからかもしれない。先日はこの京都が故郷になりつつあるように書いたのに[73]、裏腹といわねばならない。
モダニスト 2002/01/08火22:24 [79]


夜の嘆息と夢想R  
 昨夜のような日記がいちばんつまらない。いそがしい、いそがしいと、その予定まで書き募る。その日々のなかにかいまみえる美点をこそ記さねばならない。はずだ。
 が、そう決意してみると、書くべき内容など、こんやは浮かばない。
 ならば「第2室」に向かってはどうだ? そこには積み残している課題が残っているはずだ。
 だが、そこに書き込むためにメモっていた相当量の文章をさっき、このsigmarion2と母艦PC(こいつもじゅうぶんにモバイルなCassiopeia FIVAだ)の同期をとるさい、競合する(ともに別個に更新されていて新しさの序列化がコンピュータ側で自動的にはなされえない)2ファイルの処理を誤って(つまりほとんどいじっていない母艦側データで同期してしまって)、すっかり消えてしまった。
 思い返すとたいした内容のメモでもなかった、ような気もする。が、途中にぼく自身の判断によるタッピング(ペンがタッチパッド替わりなので)が介在しているだけに、みょうにくやしい。
 くやしいが、これまでに実生活で経験し、気をつけないとこんごも繰り返してしまいかねないミスだと、嘆息しつつ、なかばこの過酷なる日々をそうしているように、楽しんでいる。あるいは、こういう判断をミス無しで実行できるコンピュータこそ、HAL9000みたいなヤツなんだろう、なんて夢想、している。
モダニスト 2002/01/08火02:32 [78]


大学始業前夜R  
●明日から大学が始まる。レポートを抱えている学生のなかには今夜は徹夜という者もあるだろうが、休み中にサボった教員も似たようなものである。まずは12月中に事務に提出していなければならなかった定期試験の問題3科目分がまだ完成していない。適当にこしらえることは簡単だが(同語反復だ)、そうしたものは採点に苦労する(なにしろ500人超の分を10日ほどで上げなければならない)。良問で、しかもシロクロがつきやすいものを、と考えると、まだしばらく悩みそうである(とはいえ朝には届けねばならない)。その他、時間割希望の届け出も、どうせさまざまな事情で変更を余儀なくされるものだと思うと、面倒くさいこと限りない。明後日に3つ控える会議関係の準備もある。あっ、次の水曜日(9日)は文部科学省相談であった(ただし翌朝の保育所への送りがあるので日帰りである)。卒論の試問もあることだし、入試が終わるころまで、また首が回らない日々が続く。
●――なんて書きながら何だが、さっきからNHK教育で朝比奈隆氏の追悼番組を放送していて、ブルックナー[第9番、オケはN響]なんかはまだいいけど、ベートーベン[第7番、オケは大フィル]は「それはないだろう」という遅さで、さすがに閉口した。もっと若い時期の、イキのいい映像をもって追悼しようという発想はないのか。(どうやら仕事は進みそうもない。)
モダニスト 2002/01/07月00:12 [77]


ヤーノシュ・シュタルケル、1999年9月14日R  
 劇作家の堤春恵さんからビデオ・テープが届いた。中味は、わが愛するチェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルの生誕75年を祝ってブルーミントン(インディアナ州)で開かれたコンサートのライヴ映像(1999年9月14日;元は地元のテレビ局で放送されたもの)[→こちら]。
 堤さんのご主人は有名なチェリスト堤剛さんで、シュタルケルに学んだあと、いまは師の同僚として母校インディアナ大学で後進の指導に当たっておられる。上のコンサートでもドヴォルザークの《森の静けさ》を朗々と弾いておられたほか、170余名のシュタルケル門下生が集ってポッパーを演奏したアンサンブルの一角にもその姿が認められた。
 ちなみにシュタルケル本人は、娘婿のプレウシル(クリーヴランド四重奏団の1stヴァイオリンを永らく務めたあと請われてクリーヴランド交響楽団のコンマスに就任した)とともに、ブラームスの二重協奏曲のソロを見事に弾き切った(この直後に彼は来日を果たして、その演奏にはぼくも京都と岡山で接することができた)。というよりも、ここでの見せ場はロストロポーヴィチとの共演で、つまりこの指揮もよくする3歳年下の音楽家が棒を振って、ライヴァルの演奏をサポートしたのだからである。これは稀代のチェリスト2人が出会った最初の、そしておそらくは最後の、機会である。
 堤春恵さんとは、昨年6月のさるシンポジウム(ぼくは裏方として関わっていたにすぎないが)のパネラーとして大学にお招きしたさいにお会いした切りの間柄で、まあしかし確かにそのあとの懇親会で、ご主人やシュタルケル師の剛毅なチェロの系譜にふれながらひとしきり音楽談義に花を咲かせたさい、そうしたビデオ・テープがあって、という話になっていたのではある。どのようにお礼の手紙を書こう、と考えるとじつは少し気が重くなるくらい、いまは感謝にたえない。
モダニスト 2002/01/06日02:23 [76]


保育所が休みだと…R  
…何をしたって時間がもたない。仕方なくゴジラの最新作を観にいった(ほんとうはもっと他の映画が観たい)。
 ところが今日(いつものセリフだがすっかり「昨日」だ)の京都は、街中がひどい混雑で、いつもはガラ空きの御池の駐車場がまずは一杯だった。時間もないので母子を六角河原町で降ろして(映画館は少し北へ上がった三条手前の京都宝塚劇場)、父はぐるぐると空いている駐車場を探し回った。2周目で三条パーキングにようやくクルマを入れることができた。
 もはやゴジラを遅れて観ようともせず、ひとりJEUGIAへ入った。CD数枚とDVD1枚(「スターウォーズ――エピソード1」)を購入して、いつものように向かいの「本家田毎」に入った。正月用メニュー(おろしソバと天丼[小])があったのでそれをたのんだ。目をむくほどのものではないが、とりあえずここ数日食べたうちではいちばん美味であった。
 映画はゴジラだけでなくハム太郎との2本立て(要3時間)で、さすがに待たされることになった。落ち合うと、子は、先着順でもらえるはずだったゴジラのマスコット人形(か何か)が数人手前で切れたので、荒れていた。無理をいうなと叱って抱き上げたら、肩のところにツッ伏すようにして、震えながら泣きはじめた。人前で大泣きするのは、さすがに恥ずかしくなってきているのである。
 ほんの半年前であればこういうとき役に立ったであろうDVDは、そうして成長してきたおかげで、悲しみの絶頂にあっては何の慰めにもならないのだった(オトナと同じやね、そういうのは)。ま、もともと映画を3時間も観た同じ日に開封するつもりはなかったので、「エピソード1」は明日の時間稼ぎの素材となる(くりかえすが父は、今週のうちにできれば「みなみ会館」の無料チケット[see 68]をもう1枚使ってしまいたいが)。
モダニスト 2002/01/05土03:40 [75]


帰省からの帰郷R  
 ぼくは大阪生まれだ。だから、いまたまたま奈良にある実父母の家(そこに定住したことはない)に「帰った」ところで、「帰」省の思いははなはだ希薄だ。帰省というなら、むしろ子どものころ「行った」、わが父母の生まれた和歌山だ第一に思い浮かぶ(その地にももう10年近く足を踏み入れていないが)。いや、その意味では、いま物心がつき始めたわが子にとっては、欲しいおもちゃを買ってくれる祖父母のいる奈良行が帰省先であることは、否定できない。
 帰省先は、したがって故郷の謂れではないが、かつてそこで育った大阪の生家がいまや他人の住まう場所となっているとなれば、ぼくにはその意味のかぎりで、故郷もまた、ない。
 京都が、その故郷(と)な(るほかない)のかもしれない。
 だから、というのではいささかもないが(むしろあと1年でいまの住まいを明け渡さねばならないもののネコ3匹の飼育が許される賃貸住宅などこの京都にはどこにもないという現実に促されて)、暮れに、この地に小さな、ほんの小さな土地を買った。京都パストラルを買い取って庭園にするらしい金閣寺のようなブルジョワではないから、そこを遊ばせておくわけにもいかない。とうぜんそのうえに箱も作る。男は本やCDを買いまくり、女は着物と舞台に湯水のごとくお金をつかった(本人が読めば「そんなにヒドくない」というだろうが)、そんな夫婦のことである、つい最近まで貯金など、ほとんどなかった。なのに、ここ数年ですこし溜まった分を吐き出して、さらにその数倍の借金をして、はたして、やって行けるのかね(笑)?
 いずれにしても、借金をしてまで自分たちが住まう箱をつくるからには、いま研究室でどうにもならない状態にある、かつて稼いだお金の大半をそれにつぎ込んだ書物のいくばくかを、そして書物の購入量が減ってからの投資先となったCDの大半を、収納できる壁(もちろん土地が狭いからタカは知れている)をこしらえねばならない(と願いを語ったらわが設計士はとんでもないデザインを提案してきた)。そうして建築基準法+風致地区ゆえの建ぺい率規制のために設けざるをえない畳2帖ほどの小さき庭には、1本の樹を植えてその根もとに、行き場がなくていまもリビングの一隅にある、故タマの骨を埋めてやろう。するとそのときその、いまは買ったばかりで何の愛着もない大地は、ほかでもないわが故郷となり、やがて子がそこに帰省するべき場所となる。
 そう思うと、今夜(もうじゅうぶんに「昨夜」だ[笑])の帰省先からの帰還は、どこかしら帰郷の趣きがなかった、ともいえない。初めての感覚である。
モダニスト 2002/01/04金05:39 [73]


反省 などR  
 昨夜の鑑賞期ならぬ速記メモは、一日飲み続けたアルコールのせいもあって(?)すこし悪ふざけが過ぎて、本編用にリライトするのもおぞましい(苦笑)。いや、ほんとうは「だからこそ」リライトしたいのだけれど(削除は投稿直後のミス発見に限定しているので)、ちょっと時間が足りない。朝(もう間もなくだ)には帰省(とはいえ奈良で1、2日だけだ)のために発つからである。だとしたら、それにしてもずいぶん俗っぽい正月を過ごしていないか? うん、休み明けに襲ってくるいくつかの「課題」のことを、いまは先送りにして逃げている。
モダニスト 2002/01/02水05:17 [72]


「世界のOZAWA」から「日本の小澤」へ――速記メモR  
●たったいま[19:00]、BS2でウィーンフィルのニューイヤーコンサートの生放送が始まった。指揮棒を振るのは小澤征爾。基本的にワルツは苦手だからじっと聴いているのもキツいだろう(笑)。ということで、思いついたことがあったらメモろう(そうしてなるべく早くに「本編」に)と…。
●が、20:00からの教育TVでの放送よりせっかく1時間多くBS枠がとられているのに、なかなか「本編」(演奏会の)が始まらないので、まずは今日元旦の産経新聞に載ったある談話の引用から(と書いたものの途中[19:15]から映像が楽友協会に切り替わったので約めて)。「日本の芸術、文化がすでに世界水準を超えたことを感じさせる。[…]小沢さんは指揮者としてのレベルはもちろん、しんの部分に日本的な繊細な感性や深い精神性を持ち続けたことで世界に評価された。『日本の小沢』から『世界の小沢』になれた。日本的なものを捨てた国際化では、世界で評価されない[…]」(中西輝政・京都大学教授)。政策にかんする見解はおおいに耳を傾けるべきひとだが、上に引いた内容はいかにも浅薄だ。が、なかばのリップサーヴィスがあるとしても(浅薄という以上に)誤謬といわねばならないのは、小澤がいまようやく世界的に評価されたかに書く点だ。どんなに遅く見積もっても1980年代には彼は「世界のOZAWA」になっている[あっ、いま第2部との間の休憩に入った]。それに比べてむしろ評価が低かったのは国内のほうではなかったか。じっさい一部では常套句のように「小澤の棒から西洋音楽の真髄が聴かれるはずはない」式の評価がまかり通ってきたのである。だが、いっとき彼に異常に辛かった宇野巧芳氏なども最近のマーラー(オケはSKO;これを聴くとバーンスタインもトロくきこえることがある)などは手ばなしの誉めようである(ベートーベン評は相変わらず厳しいが)。「世界のOZAWA」としてだけでなく、これから「日本の小澤」としても生きる、資格と義務が、彼にはある。
●第2部[20:15〜]がすでに始まっている。指揮は好調とみえるが、それにしても小澤の何がそれほど世界でウケるのか。過去の日記でも書いたことがあるかもしれないが、一時期出した暫定的解答は、要はセクシーなのだ、というものだった。元は「そんなにエラいかヨーヨー・マ」のタイトルで某掲示板に書き込みをしたときのレスにあった句を、流用したのである。
●それにしても、きょうのライブのCDがもう今月半ばには発売されることになっている。何年か前から、おかかえアーティストがこの栄誉に浴したレコード会社は、ほとんどビョーキとも思える編集・プレス・出荷体制をとってきたのだが(マスターのDATも数日後には航空便で届けられるんやろね)、これがショップの棚に並ぶのが1ヶ月遅れたところで、何の不具合があるのだろう。ちなみに、演奏中の事故(ミス)への対処のためにゲネプロも録音されているはずだが(最近のライブなんてみんなそうだ)、緊張感に満ち(過ぎ)たライブよりも(観客席の雑音がないこともあって)パッチワーク用のほうが落ち着いていていい、という話もあることだし、いっそ「正真正銘のゲネプロ!」のコピーが帯に踊るCDが出てもいいんじゃないか。あまのじゃくはきっと買うだろうと思う。
●いま21:00。《エリーゼ・ポルカ》で大拍手が起きた。つぎの(曲名は何だ?)に合わせて騎馬が踊りだした(毎年あるホール外の映像とのシンクロの演出だ)。そうしたら細君が「今年が午〔うま〕歳やから?」と訊いてきた。あんまりくだらない問いなので、すごく疲れた。
●聴きながらキィを打つのもしんどい(笑)。キュッヒル(コンマス)氏の美しいソロで眠気も襲ってきた(年が明けて2時間ほどしか寝ていない)。最後までもつだろうか、と思いつつ、この馬鹿げた作業を(一時?)終えたい(終えたらそれこそ眠ってしまうんでは?)。
●と書いているうちに正規のプログラムは終わった。これから何曲かアンコールを弾いて、最後はおきまりのラデツキー行進曲となる。最後はじっくり観て楽しもう[21:20]。
モダニスト 2002/01/01火21:21 [71]


2002年最初のため息R  
 「第2室」にも書いたのだが(だから日記のほうは休もうと思っていたのだが)、カウントダウンとかニューミレニアム、新世紀といった感興が何もない、そんな年頭だ。
 いや、そもそも年賀状というものをここ十年近く出していないし(一部の親戚には細君が書いているみたいだ)、ふだんこなせない仕事にいそしみうる数少ない機会に大掃除をという感覚も無駄と思うタイプだ。何らの節目でもないダラダラと連続した時間、それがぼくにとっての正月にほかならない。
 いや、そうしたらほんとうにいつものように「睡眠障害」な夜を過ごしてしまった(少し「仮眠」をとったが)。
 これから寝ようと思っても(もうひと息ねむくなるまでのあいだの時間つぶしのこの投稿だ)、9:00ごろには起こされて「おとそ」をいただいて、その足で北野天満宮に初詣にいく段取りが、決められている。
 あれ、ずいぶん平凡な正月じゃあないか。年末も第九は聴くし、年越しソバも食うし。
モダニスト 2002/01/01火06:46 [70]


誤記、誤解、それとも誤報?――本編[013]への注記と訂正R  
 本編のほうも投稿時刻が明記されるほうがふさわしいかな。いや、そちらはそもそもそういう時分単位のこだわりとは無縁でありたいと考えていたのだが(じゃあ日付も放棄したら?)、朝起きて新聞を読むと、朝比奈氏逝去にかかる情報にまちがいが確認された(正月前で夕刊がお休みしているのでその報を紙媒体が伝えるのに接するのは初めてなのだがその(20011231)の表記だけだとそうした正しい情報を得たのちの誤記と誤解されかねない)から。[以上がこちらへの注記;で、今後もそうするかどうかはさておき今回は本編の日付情報に続けて投稿時刻も注記した]
 さて誤りは、一昨日と昨日(29‐30日)の「第九」の指揮代役が、井上道義氏ではなく若杉弘氏であった点。ぼくとしては同じ関西に関係が深い前者のほうがふさわしかったと思うし、テレビのCMでもその代役情報が記されていたと記憶するが――ならば代役の代役?――、いずれにしても事実誤認であることは確かなので。いや、新聞のが誤報だったりして[笑]。
モダニスト 2001/12/31月10:52 [69]


速記――朝比奈隆、「2001年宇宙の旅」、ソバ、ソフトクリーム、…R  
●93歳の爺さんが近々死ぬだろうといった予言(本編[004]でそれを記したのはこの12月4日のことだった;そっちも10本を越えたので間もなくアーカイヴが稼動し始める)が当たってもエラくもなんともないが、いずれにしても朝比奈隆がやはり帰らぬひととなった(12月29日夜)。夕食をとった直後にネットのニュースで知って今このときそうしているように日記2に書き込もうかとも思ったのだが、今夜は久びさに映画館で映画を観ることにしていたので、ちょっと複雑な心境でもあったが――とくに昨日と今日の大フィル年末恒例の「第九」を振る予定だったのが井上道義氏に交替されたというニュースが上の[004]執筆のきっかけだったのだがさすがに当初予定指揮者にして自団の音楽監督の死の翌日に「歓喜の歌」を奏することができているのだろうかなどと――すぐにヴィッツを走らせた。朝比奈翁の件は近々にまた別稿をアップしたい。
●さて今夜観た映画は「2001年宇宙の旅」。みなみ会館に足を運ぶのは忙しかったこの秋以降、初めてだったが(チケットは1000円だったので「会員の無料チケットは他の高料金のときに利用される手もありますよ」と親切にも入口で助言もされたがあと4枚残っている「無料チケット」を年度内に使い切れるかどうかも定かではないので今夜も使用することにした)、いままでに見たこともない混雑ぶりで(学生と職員と卒業生[受付の館員]の計3名の立命関係者とも会った)、パンフも、3日間計3回の上映スケジュールの初日である昨夜(明日までの各日とも20:00からの最終回のみの上映)に売り切れてしまったというのだから、劇場側でも予想外も入りであったのかもしれぬ。で、映画の中味についての感想は? そもそも映画館でと思い立ったきっかけが「第2室」でのMORO.S.@岡山氏の熱い書き込みだったので、これもそちらのほうで近々に。
●昼の話題。朽木の永昌庵のソバはあいかわらずの美味だったが、そこから5kmほど北に走ったところにある温泉(「てんくう」)は、いかにも補助金で建設された田舎にありがちな厚生施設だったが、したがって当然、建物はキレイで、しかも湯が良かった。だが何よりも感動したのは、近くの牧場のしぼったばかりの牛乳でつくったソフトクリームで、これには、加工品がこれだけ美味いのだから本物の牛乳のほうはさぞや、と思って、ふだんは飲みもしない牛乳(1l)を買ってしまったほどだった。家の冷蔵庫には今朝開けたばかりのパックがあったので実際に飲むのは明日になるが、ただの牛乳を口にするのはたぶん30年ぶりくらいである。ちょっと不安でもある。[以上、FIVAからオン書きでした。]
モダニスト 2001/12/30日23:58 [68]


雑記R  
●「エアフォース・ワン」はどうみても無理の多い映画だが、それでも最後までみて、けっこうジーンとしてしまった。はずかしい。
●きょうは昼間にも映画をみた。「となりのトトロ」を先日購入したDVDで。宮崎アニメはどっちかというと苦手だが、この映画だけは何度みても子が転げ回るほどに笑う。子どもが笑うツボが、見事に押さえられている。これなら保育所の休み中に退屈しても(そのとき親につきあう元気がなくても)なんとかゴマかせる。
●BS2では、J・シュトラウスIIの「こうもり」が放送されている。以前、東京文化会館の1階、35000円の席(もちろん自分じゃ買わない、もらいもののチケットだ)で観たときにけっこう面白かったのでテープを回したが、こんやはなんともつまらない。ので、3倍モードで次のカラヤン(第九を振る)まで続けて録る設定にしていたのだが急遽それを解除して、カラヤンだけを標準モードで録画することにした。カラヤンのも、つまらなかったりして。
●明日。1日早く年越しそばを食べにいく。その栄えある店は朽木の「永昌庵」。ソバも旨いが、ほんの10キロほど足をのばすと温泉がある。細君が大掃除で疲れたとブチブチいうので連れていくことにした(もちろん子も)。この年末年始の、最初で最後の家族サーヴィスとして。
モダニスト 2001/12/30日02:25 [67]


CEマシンにハマる理由(メモ)R  
 そのむかしWindowsCEというOSが誕生したとき、本邦初の同OS搭載機であったモバイルギアII(MC/R500)を買った。だが、それは先代のDOSマシンである同I(MC/R1だったっけ?、その型番は)ですべてを済ませていた(それをテキスト入力マシンとして利用して、印字の必要がある場合はMacにデータを移植するなりして対応していた)、その流れで後継機を購入した、というに過ぎなかった。
 だがその後、通常のWindowsマシンを利用するようになって、モバイルギアは見向きもされなくなった。VAIOなどの、それなりに小型機と呼ぶにふさわしいマシンを愛用し、最近はその種のものとしては出色の出来といいたい(ただしデザイン他いくつかの点で問題はある)カシオのCassiopeiaFIVAという900g台の、文字どおりモバイルの形容を冠したいノートPCを購入した。それはいまや授業で大活躍だが、だとしたら、なぜ、いままたCE機(ヴァージョンもいまや3.0である)にハマっているのか。
 まず早い。何が? 起動が。いや、起動という発想は基本的に、ない。プログラム等はRAMにインストールされていて(いま使っているsigmarion2だと主要ソフトはROM化されている)、つまりハードディスクというものがないので、「終了」せずつねに「サスペンド」で作業を終え、そこからまた作業に戻ることができる(実際、「0.5秒」というのは大げさでも何でもない)。
 だが、そんな特徴ならver. 1の時点から変わりないではないか。
 ハマっている、いまでははっきり自覚できる理由は、その不自由さにある。つまり早いが、多くのことはできない。ワープロにしてもフォント等の制限はむろん、レイアウトのままの表示もされないし、とにかく考えようによっては不便きわまる。だが、レイアウトに凝る必要のない人間にとっては最低限必要な機能だけが残されていて(だって記憶用と合わせてもマシン本体全体で32MBしかないデータ領域[もちろん記憶用にストレージカードを使うことはできる]のうちこのプログラム実行用には十分の一も使用されない)、その意味では不自由しない。あるいは、Windows母艦マシンで作成したファイルの書式をいじらないで内容を更新するにあたっては障害がほとんど発生しない、そのような成熟は、ソフトとOSの、いずれのヴァージョンアップによるところが大きいのか。
 いずれにしても、こうした制約下で、さまざまなソフトが開発されて、その多くがフリーウェアとして配布されているのが、CEの一大特徴だ。そうして、その種のソフトにもよったカスタマイズの情報交換のためのWEBサイトが、きわめて充実している。
 sigmarionであれ何であれ、CE機をカスタマイズすることは、自分流の使い勝手のいい手帳をつくることに、ひとしい。
モダニスト 2001/12/30日00:22 [66]


徹夜明けの朝にR  
●某原稿リライトの仕事は、最終入稿がほんの少し前までかかった。修正しながら思った、時間とやる気があればいつまでも修正し続ける、ブルックナー・タイプ(笑)であると。だが、そうやって皮肉っておいて、すぐさまこうも書いておきたい。今朝仕上げたたった35枚ほどの文章を敷衍するかたちで、新書版1冊ほどの本は書ける。ワインがこの大法螺を書かせている(笑)?
●ところで、これを仕上げてもなお以前から懸案になっているグリーンバーグの翻訳の、残されたピカソ分の推敲が残されているが(しばらく触れもしないでいるが宙吊り状態の単行書の件もあるな)、そんなことよりも、くだらないことがしたい! たとえば、いろんなソフトをダウンロードしてsigmarion2を思いっきりカスタマイズするとか。うん、だったらHPの改訂(撤廃に向けた、ゆるやかな)をおこなう? するもんか。
モダニスト 2001/12/28金09:40 [65]


雑記R  
●きょうは最初から何か有意義なことをするつもりはまったくない。2日ばかり旧稿をリライトする仕事をこなしただけ(しかも本文以外は不完全で2、3日の猶予しかもらっていない)というのに、りっぱなご身分ですね、と自分で自分にいってみても、ここ数ヶ月の反動として何もしない日が必要とされているのだと、正当化の声が鳴り響く。
●だが、何もしないということはありえないわけで、保育所に子を送り届けたあと(夫婦間の話し合いで12月の初旬から朝の「送り」はすべてわが身で引き受けることとなった)、大学で学生の面談(こんな時期に?)を一つ(笑)。そのあと、生協に注文していたゴダールの「映画史」のDVD(5枚組で32,000円もする!)が届いたというので引き取りにいって、その足で書籍部に行ったもののお目当ての『レコード芸術』誌が売り切れていたので(といってもこの総合大学でたった2部しか入荷しないというんだよ!)、西大路通りに面した丸山書店まで自転車を走らせた。そこで『レコ芸』と小室直樹『数学嫌いな人のための数学』(東洋経済新報社;評判の本だ)を購入。そうか、今月号はレコード・アカデミー賞の発表だったか、と気づいてすぐに前者を読みたくなったので大通りを白梅町方面に南下。直接、KFC(ケンタッキーフライドチキン)に入ろうと思ったのだが手前の「伝七すし」のメニューをみて誘惑に勝てずに入店して、お寿司を食べてから(ビールもきょうは昼間からOKだ)チキンのためにKFCに入り直した(ここでもこの店お得意の「ハーベスター有機ビール」をたのんだ)。で、いまはその奥の8人がけのテーブル席(この席がいちばん明るくて本を読みやすい)。『レコ芸』を開く。この雑誌から情報を集めては月に50枚ほどもCDを買ったこともある。ひと昔まえ、といった感慨がある。[以下、次の書き込み?]
モダニスト 2001/12/26水12:59 [64]


クリスマスが過ぎてR  
●とんでもないクリスマスであった。その日の朝までの約束だった原稿はけっきょく夕刻に本文部分を入稿するだけで許してもらって、注や図版、参考文献のことは、(年末の締切なんてどうせサバを読まれているんだろうから年明けまで引っ張ろうという卑しい魂胆に反して本当に年末の作業だというので)28日あたりまでに完全なものとして追送するという交渉で、なんとか落ち着いた。それにしてもこんなにしんどいのは、今回リライトすることになった元のテクストの出来がひどかったからだ。市販に供されない大学の通信教育用のものであるとはいえ、読者には迷惑をかけた(だって論理が捩れていて一読しただけではよくわからない箇所がいくつもある)というべきである。それを直すことができた(かな?)という意味ではもちろん作業は有益であったし、あるいは、同じ程度にではないにしても不満足なかたちで放り出した諸テクストを気の済むように改訂することの必要性もあらためて痛感した。次年度に予定されている、これまでに書いたものをまとめる作業にあたってはこのあたりのモヤモヤした感じの払拭をこそぜひ念頭において――。
●以上のようなわけで、きのうの夜にはきちんと書き上げてこの場所か直接「本編」にかアップしようと思ってメモっていた「クリスマスに寄せて」という文章が、そのままでは無駄になってしまうことになった。幸い、クリスマスの話題(イエスの誕生)に議論が展開するまえに中断してしまっているので、とりあえずメモ状態のままでここに――「曽野綾子のようなひとが左翼系の『週刊朝日』誌(2001年12月28日号)に敬宮愛子内親王誕生を祝す文章を寄稿するのは、瀬戸内寂聴が『週刊新潮』誌(同12月27日号)で米英の軍事行動への批判を記すのと(事態は逆だがカタチとしては)同様の、器(メディア)と中味(イデオロギー)のミスマッチというべきである。/いや、朝日だって『敬宮愛子さま ご誕生』という同誌増刊号を出すくらいだから、もとより天皇制にたいする捩れたスタンスもその程度の見通しのよさを有しているというべきだが(だが最近は「赤旗」だって祝賀特集を組むんでしょ[笑])、それはさておき曽野氏の議論はこのたびも傾聴に値するものとなっている。/「私はキリスト教徒だが、皇室が古くから国際交流の実を挙げ、正倉院や雅楽などに見られる外国文化の上質の受け手であり保存のためのパトロンの役割を果たしてきた功績は実に大きい、と思っている。[中略]しかしそうした事実には前提がある。皇室が完全に政治の権力の外に在り続け、皇室のメンバーは使命としてひたすら内外すべての人たちの幸福を希われるために行動しておられる、という姿勢を貫かれているという事実があるからだろう。」/もちろん全部に頷くつもりはない。程度において眉に唾して読むべき内容がここに含まれることは否定しないし、とりわけ「政治の権力の外」であるかどうかはおおいに問題があるというべきだが(もっとも曽野氏も確信犯だろう)、民主主義の外に位置するほかない皇室がいまなおかくあり続けていることは、逆にそれだけで、民主主義を照らし出す特異点としての効用を有してはいる。/ 全面的な民主主義など幻影にすぎない以上、そこから明示的に切断された観察点を所有することは、困難な仕儀であるというほかない。」
モダニスト 2001/12/26水04:18 [63]


独身生活R  
 昨夜書いたようなわけで独身生活を送っているのだが、(けっして無理なスケジュールが言い渡されていたけではないのだがこちらの怠慢ゆえにそうなった)急ぎの仕事のために、どこに出ることもできない状態にある。こうなってみると母子の不在は好都合である反面、気の利いた定食屋のようなものが近くにまったくないので食事を自分で調達する苦労が発生する(男女同権の観点からすればいかにも問題多い発言だが)。
 昨夜はそういうわけで、スーパー(ライフ太秦店)で夕刻買った牛ヒレ肉を焼いて(もう1枚、今夜用に残っている)、パック詰めの寿司とともに食べた(野菜は面倒なのでカゴメの食塩無添加のトマト・ジュースで済ませた)。今朝はバターロールをかじって(ハムエッグが自動で出てくるロボットが欲しい)、昼は近くの「さくらいや」(小さなスーパー)で惣菜類を買い込んでだらだらと食べながらキィを叩いて、途中でビールを飲んで仮眠(昼寝)をとった。夜用は食べかけのシューマイや豆腐や、(残っている)肉やトマト・ジュースがあるが、その不規則もあっていかにも不健康で、さらにそれに追い討ちをかけるように今、マクドナルド(いつもの金閣寺店2階)でマックピタのセットを食べながら仕事をしている(いまは休憩中;ちなみにマシンはこういうときのための入力&モバイル特化マシンのモバイルギアMC/R330)。
 ちなみに、すでに下の[60]に書いたとおり、明日は祝日(の代休だっけ?)のはずなのに、わが大学は「平常営業」で、しかもぼくは早朝からの会議に招集されている。夜中までだらだらと仕事が続いて、思いっきり睡眠不足の状態で自転車をこぐのか(朝はまたハムエッグもないバターロールだ)と思うと、すでにして気分がよろしくない。
モダニスト 2001/12/23日20:01 [62]


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