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帰省からの帰郷 
 ぼくは大阪生まれだ。だから、いまたまたま奈良にある実父母の家(そこに定住したことはない)に「帰った」ところで、「帰」省の思いははなはだ希薄だ。帰省というなら、むしろ子どものころ「行った」、わが父母の生まれた和歌山だ第一に思い浮かぶ(その地にももう10年近く足を踏み入れていないが)。いや、その意味では、いま物心がつき始めたわが子にとっては、欲しいおもちゃを買ってくれる祖父母のいる奈良行が帰省先であることは、否定できない。
 帰省先は、したがって故郷の謂れではないが、かつてそこで育った大阪の生家がいまや他人の住まう場所となっているとなれば、ぼくにはその意味のかぎりで、故郷もまた、ない。
 京都が、その故郷(と)な(るほかない)のかもしれない。
 だから、というのではいささかもないが(むしろあと1年でいまの住まいを明け渡さねばならないもののネコ3匹の飼育が許される賃貸住宅などこの京都にはどこにもないという現実に促されて)、暮れに、この地に小さな、ほんの小さな土地を買った。京都パストラルを買い取って庭園にするらしい金閣寺のようなブルジョワではないから、そこを遊ばせておくわけにもいかない。とうぜんそのうえに箱も作る。男は本やCDを買いまくり、女は着物と舞台に湯水のごとくお金をつかった(本人が読めば「そんなにヒドくない」というだろうが)、そんな夫婦のことである、つい最近まで貯金など、ほとんどなかった。なのに、ここ数年ですこし溜まった分を吐き出して、さらにその数倍の借金をして、はたして、やって行けるのかね(笑)?
 いずれにしても、借金をしてまで自分たちが住まう箱をつくるからには、いま研究室でどうにもならない状態にある、かつて稼いだお金の大半をそれにつぎ込んだ書物のいくばくかを、そして書物の購入量が減ってからの投資先となったCDの大半を、収納できる壁(もちろん土地が狭いからタカは知れている)をこしらえねばならない(と願いを語ったらわが設計士はとんでもないデザインを提案してきた)。そうして建築基準法+風致地区ゆえの建ぺい率規制のために設けざるをえない畳2帖ほどの小さき庭には、1本の樹を植えてその根もとに、行き場がなくていまもリビングの一隅にある、故タマの骨を埋めてやろう。するとそのときその、いまは買ったばかりで何の愛着もない大地は、ほかでもないわが故郷となり、やがて子がそこに帰省するべき場所となる。
 そう思うと、今夜(もうじゅうぶんに「昨夜」だ[笑])の帰省先からの帰還は、どこかしら帰郷の趣きがなかった、ともいえない。初めての感覚である。
モダニスト 2002/01/04金05:39 [73]




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