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追加訂正[45にかんする]R  
[誤;第2段落第1文]「その理由の一つとして、[…]にたいする姿勢にある(ただしお二方とも英米圏以外の生まれである)とでも書けばそれは」>>>[正]「その理由の一つとして、[…]にたいする姿勢(ただしお二方とも英米圏以外の生まれである)をあげるとすればそれは」。――でも、午後の部のやはり会場内からアップするほどのことかい? ――いやぁ、でも気になったら直さずにはいられないのです(しかもいったん[47]としてアップしたものの再訂正なのであって…)。
モダニスト 2001/12/18火15:06 [48]


注記と訂正R  
●授業があって午前中は講演を聴けなかったという学生(しかも昼休みに図書館で下[45]を読んだらしい)から今し方、内容もさることながら投稿自体に偽装(あとから時間を偽ってアップする)があるのでは?/そうでなければかなり周りに迷惑なのでは?、と感想(イヤミ)をいわれた。だが、内容はほんとうに「さることながら」、アップはたしかにリアルタイム/会場内なのではある。というのもCGIの設定で投稿時刻が自動に表示されるのであり、また、わが隣席には同僚(何度も書いたことがあるが大学と保育所の両方における)である「ひもだY」さんがいて横目で執筆&アップを目撃されているはずだからである(その意味で「迷惑」のほうは否定できない)。
●ついでながら、いま読みかえすと1ヶ所、文章が乱れている。[誤]「もとより充実した内容の批判的紹介するものでないことは」>>>[正]「もとより充実した内容の批判的紹介を試みるものでないことは」。でも、文法的には直ったが長ったらしい悪文にはちがいないな。削除して再アップしたいところだが、[45]の時刻表示を残すためにそのままで。
モダニスト 2001/12/18火13:48 [46]


速報R  
 ヌスバウムとアガンベンの両氏を招いた講演会[44]は「いま」、この種のものとしては異例なほど興味深く聞かれ「つつある」。
 その理由の一つとして、異なる言語を話す人びとにたいして明晰に語ろうとする、お二人の英語の発話にたいする姿勢にある(ただしお二方とも英米圏以外の生まれである)とでも書けばそれは、これが内容以前の、あまりに初歩的な報告――いかに「速」報であるとしても――であることをただちに予感させるだろうが、会場のなかで書かれアップされる不謹慎きわまるこの書き込みが、もとより充実した内容の批判的紹介するものでないことは、最初から吐露しておいていい。
 それにしても、いまここでぼくがこの不謹慎な速報性をもって――つまりこの場所にいるいかなる聴衆とも意見を交換する以前に――書かねばならないのは、ともに興味深いなかでも2番手の、アガンベン氏の「内戦と民主主義」のほうがなお面白いということなのである。
 たとえば、「[…]スターシス[内戦]が同化を生じさせ、兄弟と外敵、オイコスとポリス、内部と外部とを区別不可能にする[…]。スターシスにおいてはもっとも近しい者の殺害はもっとも遠い者の殺害と等価のものとなる」(ほんの2分ほど前に通り過ぎた講演原稿の日本語訳より)といった、スリリングな論理の構築的進行は、もちろんこのように不謹慎にもキィを叩く者に十分に理解されているわけではないが、直観的な共感を瞬間瞬間に与え、また講演後に原稿を味読することで得られる喜びをすでにして予感させる。
 重要であるとともに至極当然であること(女性の権利)を語る女性・ヌスバウム氏(女性)のそれよりも、男性・アガンベン氏の内戦にかんする議論のほうが、少なくとも「いま」興味深く聞かれていることが、私が男であることの、これじたいジェンダー的な問題に由来するのではないことを、祈る。
 あっ、いまアガンベン氏の講演が終わりました。
モダニスト 2001/12/18火12:02 [45]


雑記R  
●夕刻。年1回のワクチン接種のためにセリとニゴを「ブライト動物病院」(嵐電竜安寺道駅南スグ)へ。ついでに体重を計るとそれぞれ3.7kgと4.7s。「弟」(もちろん血のつながりはないが)のほうがいつの間にか1sも重くなってしまったのだが、それはいいとして、もともとそこに問題(畸形)があるセリ[「過去の日記」の2000年夏分にはそのことがたくさん記されているはずだ]だけでなくニゴも腎臓の機能がイマイチらしい(体温が比較的低い)と診断されて、すこしショックを受けた。8歳7ヶ月で逝ったタマといい、わが家のネコはどうやらそういう子たちばかり(マリはそうした診断を受けたことがないが)のようだ。
●そのまえの、昼の時間帯。卒論の指導は、きょうの7名で、こんどこそほんとうにピークを越えた(4名にGOサイン=あとは時間の許す範囲で推敲を重ねて勝手に提出するようにとの指示を出した)。残りの、きょうまだその指示を出せなかった者をふくめた数名については、(明日は終日つぶれるので)明後日に最終チェック。まだ面談にも訪れない若干名については――いくら何でも、もう責任はとれない。
●「終日つぶれる」明日。学内で国際シンポジウム(とってもデザインがダサいのだけれどWEB上の案内は→こちら)。講師はマーサ・ヌスバウム(シカゴ大学)とジョルジョ・アガンベン(ヴェローナ大学)という、近年の思想界のスターお二方と、国内から気鋭のコメンテーター3名(西谷修、田崎英明、西成彦)+司会(岡野八代)。じつは今回のもいちおう裏方的な立場にあるが、9月の別のシンポでじゅうぶん疲弊したので[笑;ただしこれについては訳あって「過去の日記」でも書きたいことをじゅうぶんに書いていない]丸一日、聴衆としてのんびり「拘束」されることに。ちなみに夕刻のレセプション・パーティーは、細君が実習指導で遅くなるのでお迎え+子守りの責務が発生してキャンセル。ま、そういう機会が苦手な人間としてはそのほうがじつはおおいに望ましい。
モダニスト 2001/12/18火02:43 [44]


雑記あるいは、日記らしくあるためにR  
●このあいだ授業(「表象批判II」)でふれたドリカムの《決戦は金曜日》(どんな授業だ[笑])に、「わたしらしくあるために〜」という歌詞がみえる。今夜の標題はそれを流用したのだが、「日記らしさ」が何であるかが、あらかじめわかっているわけではない。あるいは、じつはこの不明の申告さえが、日記だったらとっくのむかしに書いているであろういくつかのことをこのところ書いていないことの、言い訳となっているのではないかと、すでにして自分が疑わしい。いずれにしても、そうした厄介なことは棚上げにして/あるいは逆にその棚をとり壊すためにこそ(?)、無防備なメモを――。
●15日(土)の午前は保育所の生活発表会。「生活」の何を「発表」するんだ、と最初の年は訝ったものだが、小学校なら学芸会と呼ぶ種類の発表会で、就学/学芸以前なのだから生活なのだ、といってしまえば理解できないではない命名だ。で、その意味ではじゅうぶんに学芸がかっている年長の子たち(ウチのもそれにふくまれる)よりもその「生」そのものをむきだしにした0歳児からせいぜい2歳時あたりまでの子たちの、「芸」以前の「芸」が、やはり感動的だ。そうして、こういうのをみて「もうひとり!」と誤った夢を抱いてしまう親が多いのだろう、と(じっさい、保育所に通う年長の子はウチみたいな「一人っ子」はすごく少ない)。
●きょう(16日[日])は奈良に帰省。一時期ずいぶん弱々しかった母がだいぶ持ち直し、逆に丈夫であらねばならない/あってほしい父がいくつかの部位で不調をきたしている。同居? それにもまたいくつかのハードルがあるが、そう遠い未来の話であるはずもない。
●こうした私事に(あるいは他の些事に)土日を費やしたこともあって、明日までの公務が溜まったままである。だが、なぜ土日に持ち帰る授業関係以外の公務が、教員に課せられるのか。ついでながら明日もまた卒論指導の面談が7名210分が確定している。誤解がないように書いておけば、しんどくてもこちらの仕事は、まあ楽しい。問題はこういうのではない公務のほうだ。
●さて、本編の更新は? 下[42]の「続編のためのメモ」を元に改訂してこの土日のうちに、と思っていたのだが、どうやって改訂するか、浮かばない。せめて、それだけ初発のメモの完成度が高いのだ、とでも自惚れて、今夜は気持ちを仕事へと切り替えるか…。
モダニスト 2001/12/16日23:32 [43]


続編のためのメモR  
 わが国の考古学界を震撼させた例の旧石器捏造は、行為としては万死に値しようし、そうであればこそ法は無力であるほかないこと、だから誰かが彼に天誅を下すほかないことを、先に述べた[下の本編の007]。
 だけれども同時に、それがその「学問」(ディシプリン)の体質に由来するものでもあることを、われわれは知っている。
 だってあなたは、お人よしにも「藤村新一」がひとりしかいないと思っているのか? そうでないというのなら、それはどのように証明されうるのだ?
 ザックからとりだした事物を古い地層に埋め、それをみずから(あるいは指示した者の手で)掘り当てるだけのシンプルきわまる行為が、日本中の42箇所で反復された。重大なのはこの発覚が、「現場写真」とその後の「自白」にもとづいている点であり、つまり学問の自己批評的展開のゆえなのではない点に、存する。
 ちなみに、在野にあった藤村が、たんなる功名心だけでなく「学問」(アカデミズム)への悪意をも抱く者であっのならば、「残り」の41箇所の自白以前に自死を決行して考古学にいま以上の混迷をもたらし、あるいは遺跡の地元住民にいたずらに希望をもたせ続けたことだろう。
 いや、逆説的な表現としてではなく、そうする「べき」だったのだ。彼自身ひとりのマニアであったがゆえの、最高の天誅として。
モダニスト 2001/12/15土14:12 [42]


そんな元気はない、と下[39]に書いておきながらR  
このあいだの「メモ」[36]を発展させて本編側にアップした[007]。
 いや、眠くて目の回りが落ちくぼんでいて、キィの打ちまちがいもヒドい。読み直す元気も、ほんとうに、ない(でもこれを書いてるんだな)。朝になって冷静になって読んだら削除したくなるかもしれないが、そのためにはまた次のをアップしなければならない(この書き込みにもその意味合いが多少はある)。それがルールだ。
 ルールが書くことを強いる。そして書くとまたそのルールに言及する。俗な表現だが、それこそウロボロス状態である。
モダニスト 2001/12/15土00:28 [40]


数日サボった本編を更新せねばと思いつつその元気もでない夜には、こんなつぶやきもいいだろうR  
 1週間の終わり――。卒論の指導とか会議とかで疲れが飽和状態になって廊下をのたりのたりと歩いていたら、姜尚中氏(東京大学)を講師に招いた講演会(まさに今日その時間帯に学内で開かれている)のポスターが貼ってあるのに、気づいた。とたんに何やら疲れが増した。
 氏は、じつは先月もある対談に招かれて来校していた。だいぶ前になるが(去年だっけ?)、別のシンポジウムのパネラーにも名を連ねていた。主催者(招聘団体)がその都度ちがうから別にいいのだけど(今回のどこかの学部の自治会だったはずだ)、総じてウチの学校(いわゆる学校法人格のことではないがやはりある種の「人格」的なニュアンスを込めていっている)が、ああいうタイプの論客が好きなのであるらしいことは、疑いえない。
 さて、同じように一つの大学のさまざまな団体に呼ばれでもしたら「このひとたちには企画力があるんかいな?」と思ってしまうであろう、そんな悪意に満ち満ちたぼくが「ああいうタイプ」と反りがあいそうにないことは、ここを多少とも継続的に読んでくれているひとには、明らかだろう。
 だが、それに加えて、もう一点告白してしまえば、顔つきがきらいなのだ。何というか、心から笑うことをせず(もちろん私的な場所ではどんなであるか知らないさ)、つねに被告席を見つめる原告のそれのような目をしている、そのようにぼくには見える。同時多発テロ以降の米英の軍事行動やわが国の協調路線へのコメントを主催者から当然のごとくに求められて、彼もまたいつものあの目、あの口調で、批判の言葉を発したのだろう。
 ――だからどうだというのだ!? いや、どうということもないさ。つぶやきにすぎない。ぼくの近しい同僚のなかにもいる、彼を招聘したひとたちの心証を害することはありこそすれ、何らのプラスももたらさない、しかし命をつなぐための呼気に紛れて発せられる、つぶやきだ。
モダニスト 2001/12/14金22:33 [39]


悪いクセ(こんやの雑記)R  
●また悪いクセが出たといわねばならない。田代まさし(つい先日、早稲田の学園祭によばれてしゃべっている映像はおもしろかったな)のことではない。「日記らしからぬ公式意見表明の場所」[本編の006]としたからといって日記にはちがいない場所で、またしても日記なるものについてクダクダと書いたのである。しかもそれは「その1」と銘打たれ、「[続く]」とさえ注記されたのだが、いまやそれが未完のまま断ち切られねばならないことは明白である。
●――といったって、つぎのテキストをアップしないことには、それは消せはしない。でも、じっくり書いてる時間なんかないよぉ。あるいは、下[36]の「万死に値する」は、ちょっと暖めてから本編に出すべきだったかしらん、と。
●ついでに阪神にからめても「悪いクセ」のお題で。せっかく星野氏が「昔から阪神のファンで、それは選手になってからも、監督をやってるときもそうだった」なんて言ってくれてるのに、そのひとの、田淵幸一氏を打撃コーチに迎えたいとの条件提示にたいして、久万オーナーは「ひとつイヤな思い出があって」と、阪神のお家芸といってもいい内紛の過去を、しかも満場の記者・テレビカメラたちの前で、語ってしまったのである(しかもその思い出とは田淵氏が「巨人にたった1勝して狂喜していた」という他愛のない場面のことなのである[表面上は])。大嫌いな筑紫哲也(笑)もいっていたが、やはりこの球団はフロントに問題アリとしなければならない。
●あす。2つの授業。そのうち午前の「表象批判II」では、またしても同時多発テロがらみである映画の一部を上映しよう――と最初は思っていたのだが、じつは、先週授業中に紹介したある学生のミニレポート[授業中にたまに20分ほどかけて書かせる]に関連して、その学生本人から、教員(つまりぼく)の出題や紹介の仕方、そして解釈にかかる反論があって――悪いクセが出てすこし面白おかしく紹介したかな――、それをうけて2日前から少しメールをやりとりしたので、その軌跡を紹介しようかと、気が変わりつつある。卒論の提出締切を直前に控えたこの時節、授業は簡単にやりすごしたいというのが本音だが、必要にして、また有益なプロセスだろうと思われるからである。
モダニスト 2001/12/13木00:55 [37]


万死に値するR  
 村の借入金13億5000万円を私的流用した罪で、高知県土佐山村の前収入役に懲役12年の判決が出た(12日、高知地裁)。被告の現在の年齢が75歳だからこれで刑が確定して満期まで服役するとシャバに出るときには87歳の高齢となる。まあでも、ふつうにいけば獄中死だろうな。
 いや、被告の犯した罪はじっさい万死に値する。
 まずは死刑廃止議論に、私が反対する者である、そのことを明言しておきたい。だが、残忍な殺人などの重罪だけがそれに値するというのではなく、そこにすら/そこにこそ勘案されるべくしてある理由や意味すらも欠いた、馬鹿げた罪がある、と私は思うのだ。
 土佐山村村民が借金返済に要する時間は、少なく見積もっても20年だそうだ。被告が仮に刑期を満了してシャバに出てきたとしても、被告の私財を没収しても4000万円にしかならない村は、そのときなおも超緊縮財政のさなかにある(ちなみにその救済のために公的資金が注入されるのもまた筋違いである)。
 量刑にふさわしい刑期という観念は、ここには存在しないといわねばならない。
モダニスト 2001/12/12水22:41 [36]


ダンボの正午、あるいは日記論番外編R  
 午後の卒論指導のために例のごとくマクドナルド金閣寺店2階でランチがてら下準備(流し読み)にいそしんでいるのだが、となりにウチの女子学生(だがどうみても文学部でないことはわかる→と書けばだいたいどこの学部か察しがつきそうだ[笑])が二人陣取って、こっちが「耳ダンボ」になりそうな話をしている。
 うん、ユーミンはこんな状態で曲の構想を練ったわけやね。そうしてぼくは、いそがしいのにこうやって日記で報告する。こういう目的のためにモバイル環境を整えたわけではないのだけれど。
モダニスト 2001/12/12水11:54 [35]


雑記R  
●ピークは過ぎたと書いた[26]卒論指導だが、まだひと山、控えていた。明日もまた14:30から18:30まで8人がびっしりと。ちなみに30分刻みで、ずいぶん律儀(punctual)だと思われるだろう。うん、そのとおり。で、学生も慣れていて、ひとりも予定時刻に遅れる者はいないのである。
●その卒論のなかに、大学の演劇部でみずから脚本と演出をてがけた作品の改訂をテーマとするものがある。指導教員はじつはその上演作品を観ず、論文執筆に先立って完成して届けられた改訂版もじゅうぶんに読み込まずに、指導していた。もちろんプロだから、それでも指導は成り立つ(要するに論文のイロハの次元です)。が、作品を読んでみて驚いた。けっこうおもしろいのだ。そう、すくなくとも論文そのものよりも。それから気合いが入った。改訂を論じる論文を、改訂作品以上におもしろくすること。成功すればいいのだけど。
●じつは、なかには締切まで10日を残して完成した強者もいる。いや正確には、他学を受験するさいの提出物件のひとつとして卒論の、とりあえず第1版は完成させる必要があったのだ。ちなみに内容は、写真家の中平卓馬をきっかけにして、写真の匿名性について論じるもの。指導のために、その写真も見た。こうやって勉強する。しんどいけど、トクな商売であるというべきかもしれない。
●ついでに。しばらく「おあずけ」にしてあったワインを、このところ寝るまえに毎晩飲んでいる。で、ビンの底のほうに残っていたぶんをグラスにあけたのだが――ずいぶんな量ではないか。つぎの朝までアルコールが残ってしまう、その閾を越えるのではないかしらん。(もっとも、卒論指導が始まる昼すぎまでにはさすがに醒めているだろうが。)
モダニスト 2001/12/12水01:59 [34]


こんやのお題R  
 国連と同アナン事務総長がノーベル平和賞を受賞しました(10日に授与)。バっカじゃないか?、授与するほうも、されるほうも――という本音をいわないで、せいぜいこの一件を賞賛しなさい。
 (1) 「9月11日のテロの後、新しい脅威は、民族や国、宗教に関係なく襲ってくることが分かった」とし、「目をそらさず、これに立ち向かって行くべきだ」と述べている(受賞後の記念講演→こちら)ということは、軍拡やね、国連軍の。うん、ブッシュに、君が手を汚す必要はない、ウチがやるから、といってやったら喜ぶと思うよ。
 (2) F1レーサーに運転免許証を交付しても悪くないでしょ。ましてやゴールドの優良運転者用なんだから。
 (3) 今回の英断は、ノーベル賞委員会じたいがノーベル平和賞を受賞することへの道を開くことであろう。
モダニスト 2001/12/12水00:30 [33]


遅まきながら阪神監督人事にまつわってR  
 そういえば以前のスタイルだったらかならずふれていたであろう、いくつかの話題に、ふれていないな。
 たとえばの阪神の監督人事――正直なところもう1年、野村克也氏にやってほしかった。今年は去年までの苦労がいくつか実を成らせたことだろうし、オリックスから田口がFA移籍してくる(はずだ)しファイターズの片岡だって一時期はその気になっていたはずだ。(その点、巨人に寝返った清原には落胆した。)
 サッチーのこと? つきあいたいタイプではもちろんないが、あれくらいの脱税をやってる輩は日本中探せばゴマンといるだろう。たしかに悪いが、マスコミの糾弾は、彼女がその罪にたいして負うべき痛み以上のものをすでに与えている。(ここでもケニー野村なる、なぜ野村姓を名乗るのかよくわからないバカ息子のヤリ口のほうが、おぞましい。)
 星野仙一氏? やりたくてやりたくてしょうがないんだろ。だったらすっきりうれしいナ、やりますって、いいなさいよ。現に彼がセカンドベストの選択であることに変わりはないのだから、引き受けたあかつきにはこうした皮肉もいわないつもりだが、他方、迷った末に「名古屋のファンのことを思うと…」なんてクダラナイ理由をつけて辞退でもしたら、その逡巡のおかげで阪神が被ることになる数日間のロスの責任は、ほとんど天誅に値するとすら書いておきたい。(だから「やります」っていってよ早くぅ〜。)
 うん、何なら長嶋茂雄でいくか(笑)? 原辰徳への禅譲のふりをしたって、そのじつナベツネによる解任人事であることは皆、先刻承知しているのだから、このたびのだけでなく2度の解任を恨みもて、縦縞のユニホームの袖に腕を通すのだ。
 ――怖がることはありません。あなたの同胞でありまたライヴァルでもあった王貞治氏だって、いまやけっこうアブナイ企業の筆頭格であるダイエーで指揮官を務めているではありませんか…。
モダニスト 2001/12/11火02:48 [32]


卒論R  
 卒論提出締切(12月20日)までちょうど10日間となった。指導もいまがピークであるが、この表現(「山頂peak」)が大げさでないのは、14:30から18:30まで30分ずつ8人続いた面談対象者のうちの3人にたいして、あとは自己責任で推敲を尽くしなさい、と構成・形式面でのOKを出す(指導を終止する)ところまで漕ぎつけたからである。この調子でいけば明後日も数人、同じ宣言を言い渡すことになるだろう。うん、内容の出来不出来はさておき下り坂の見えた時期の点では、今年は昨年よりずっと早い。
 ――と、重苦しい内容であっても削除はなるべくしないでおこうとするなら、このような卑近かつ無内容な記事によってでも、過去ログは画面下のすぐ目に飛び込んでこない部分に。
モダニスト 2001/12/10月18:55 [26]


補足R  
 つぎの書き込みがあると現時点で掲出されているものがいったんは削除されることになる左の本編は[005]の、ひいてはこの日記2の直下の[24]への、思いつくままの補足(だがこの右欄はそのようなもののためでもある)を――。
 「市民」に犠牲が出ないに越したことはない、そんなことは当たり前だ。だが、まったくに犠牲が出ない軍事行為は、もはや軍事行為ではあるまい。
 市民に犠牲が出ることが絶対的な悪であるなら、上の自明なる論理を踏まえつつ、その行使はむろん準備すらも認めぬ、決然とした態度が必要であるはずだ。と同時に、わが国の一部左翼がいまだ夢見ているらしいかかる絶対平和主義的な境地が到来せぬことを知る者が、その態度に同意することも、もちろん、ありえはしない(この2つの理念は両立しない;ゆえにやはりイデオロギー的対立が消えることはない)。
 ちなみに、その地で今次発生している犠牲者も含めた、アフガニスタンの市民は、「弱者」にたいして世間が常套的に冠する「何の罪もない」の形容が、そのまま当てはまる人びとでは、ない。女子の教育に代表されるさまざまな権利が奪われた独裁政権は、事の善悪はさておき――つまり女性にたいする抑圧が悪であるとの判断も絶対的にすぎるとしていまは留保するからである――、まさに彼らがそれを生み、保存したのでもあるからである。
 この「責任」のゆえに、彼ら市民が犠牲に甘んじねばならない、などという論理をふりかざすつもりは毛頭、ない。
 だが、絶対的な弱者を措定し、ひいてはその権利を踏みにじる強者=悪者を指弾して事足れりとする、いわば中庸の思想は、そのようなものではない〈悪〉それ自体――自身の内にもあるはずの――のことは、いっこうに思い描きえないのである。
モダニスト 2001/12/10月12:46 [25]


結果論によるのではなくR  
 たとえば「ニュースステーション」なんかだと、タリバン政権崩壊のこの期におよんでもなお、眉間にしわを寄せた渡辺真理に「戦況はじっくりと見極めなければなりません」と決まりきったマクラを語らせながら、誤爆等による市民の犠牲を、すなわちアメリカの軍事行動の問題点を、第一に報じようとする。
 けっこうな平和的態度というべきだが、市民の犠牲を生む直接・間接の原因がタリバン側にありうることの、あるいはそういう報道の背後に情報操作がありうることの、有事においては当然すぎる可能性は、すっかり忘却されているかのようだ。
 一方、同じ事態を報じる「産経抄」(『産経新聞』2001年12月8日朝刊)は、「「米英はドロ沼に引きずり込まれるだろう」と冷笑的な予測をしていた「"反米"が好きな多くの評論家やマスコミ」の、それらの「見通しと論評はことごとくはずれた」と、まさに鬼の首をとったかのようである。
 さて、私はかねてよりこの軍事行動への賛成を表明しているが[「9月11日」以降の日記(ひらがな期)を参照]、ここでは逆説的に、産経の態度への違和感を表明せねばならない。つまり私は、テロの首謀者であるビンラディンをかくまった反民主的政権――この咎人は早くから「米英」が名指したとおりであった――の崩壊の結果が招来されようと、されなかろうと、結果論でなく目的論的に、軍事行動を支持するものだ(った)からである。
 その意味で私は、米英がもう少し「ドロ沼に引きずり込まれる」ことを望んですらいたのかもしれない。あるいは、たしかに久米宏をうらやんですらいる。なんとなれば主張とは、現実に目をそむけて語られるときにその論理の論理たるゆえんを明らかにするのだからである。
モダニスト 2001/12/09日20:16 [24]


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