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帰省からの帰郷R  
 ぼくは大阪生まれだ。だから、いまたまたま奈良にある実父母の家(そこに定住したことはない)に「帰った」ところで、「帰」省の思いははなはだ希薄だ。帰省というなら、むしろ子どものころ「行った」、わが父母の生まれた和歌山だ第一に思い浮かぶ(その地にももう10年近く足を踏み入れていないが)。いや、その意味では、いま物心がつき始めたわが子にとっては、欲しいおもちゃを買ってくれる祖父母のいる奈良行が帰省先であることは、否定できない。
 帰省先は、したがって故郷の謂れではないが、かつてそこで育った大阪の生家がいまや他人の住まう場所となっているとなれば、ぼくにはその意味のかぎりで、故郷もまた、ない。
 京都が、その故郷(と)な(るほかない)のかもしれない。
 だから、というのではいささかもないが(むしろあと1年でいまの住まいを明け渡さねばならないもののネコ3匹の飼育が許される賃貸住宅などこの京都にはどこにもないという現実に促されて)、暮れに、この地に小さな、ほんの小さな土地を買った。京都パストラルを買い取って庭園にするらしい金閣寺のようなブルジョワではないから、そこを遊ばせておくわけにもいかない。とうぜんそのうえに箱も作る。男は本やCDを買いまくり、女は着物と舞台に湯水のごとくお金をつかった(本人が読めば「そんなにヒドくない」というだろうが)、そんな夫婦のことである、つい最近まで貯金など、ほとんどなかった。なのに、ここ数年ですこし溜まった分を吐き出して、さらにその数倍の借金をして、はたして、やって行けるのかね(笑)?
 いずれにしても、借金をしてまで自分たちが住まう箱をつくるからには、いま研究室でどうにもならない状態にある、かつて稼いだお金の大半をそれにつぎ込んだ書物のいくばくかを、そして書物の購入量が減ってからの投資先となったCDの大半を、収納できる壁(もちろん土地が狭いからタカは知れている)をこしらえねばならない(と願いを語ったらわが設計士はとんでもないデザインを提案してきた)。そうして建築基準法+風致地区ゆえの建ぺい率規制のために設けざるをえない畳2帖ほどの小さき庭には、1本の樹を植えてその根もとに、行き場がなくていまもリビングの一隅にある、故タマの骨を埋めてやろう。するとそのときその、いまは買ったばかりで何の愛着もない大地は、ほかでもないわが故郷となり、やがて子がそこに帰省するべき場所となる。
 そう思うと、今夜(もうじゅうぶんに「昨夜」だ[笑])の帰省先からの帰還は、どこかしら帰郷の趣きがなかった、ともいえない。初めての感覚である。
モダニスト 2002/01/04金05:39 [73]


反省 などR  
 昨夜の鑑賞期ならぬ速記メモは、一日飲み続けたアルコールのせいもあって(?)すこし悪ふざけが過ぎて、本編用にリライトするのもおぞましい(苦笑)。いや、ほんとうは「だからこそ」リライトしたいのだけれど(削除は投稿直後のミス発見に限定しているので)、ちょっと時間が足りない。朝(もう間もなくだ)には帰省(とはいえ奈良で1、2日だけだ)のために発つからである。だとしたら、それにしてもずいぶん俗っぽい正月を過ごしていないか? うん、休み明けに襲ってくるいくつかの「課題」のことを、いまは先送りにして逃げている。
モダニスト 2002/01/02水05:17 [72]


「世界のOZAWA」から「日本の小澤」へ――速記メモR  
●たったいま[19:00]、BS2でウィーンフィルのニューイヤーコンサートの生放送が始まった。指揮棒を振るのは小澤征爾。基本的にワルツは苦手だからじっと聴いているのもキツいだろう(笑)。ということで、思いついたことがあったらメモろう(そうしてなるべく早くに「本編」に)と…。
●が、20:00からの教育TVでの放送よりせっかく1時間多くBS枠がとられているのに、なかなか「本編」(演奏会の)が始まらないので、まずは今日元旦の産経新聞に載ったある談話の引用から(と書いたものの途中[19:15]から映像が楽友協会に切り替わったので約めて)。「日本の芸術、文化がすでに世界水準を超えたことを感じさせる。[…]小沢さんは指揮者としてのレベルはもちろん、しんの部分に日本的な繊細な感性や深い精神性を持ち続けたことで世界に評価された。『日本の小沢』から『世界の小沢』になれた。日本的なものを捨てた国際化では、世界で評価されない[…]」(中西輝政・京都大学教授)。政策にかんする見解はおおいに耳を傾けるべきひとだが、上に引いた内容はいかにも浅薄だ。が、なかばのリップサーヴィスがあるとしても(浅薄という以上に)誤謬といわねばならないのは、小澤がいまようやく世界的に評価されたかに書く点だ。どんなに遅く見積もっても1980年代には彼は「世界のOZAWA」になっている[あっ、いま第2部との間の休憩に入った]。それに比べてむしろ評価が低かったのは国内のほうではなかったか。じっさい一部では常套句のように「小澤の棒から西洋音楽の真髄が聴かれるはずはない」式の評価がまかり通ってきたのである。だが、いっとき彼に異常に辛かった宇野巧芳氏なども最近のマーラー(オケはSKO;これを聴くとバーンスタインもトロくきこえることがある)などは手ばなしの誉めようである(ベートーベン評は相変わらず厳しいが)。「世界のOZAWA」としてだけでなく、これから「日本の小澤」としても生きる、資格と義務が、彼にはある。
●第2部[20:15〜]がすでに始まっている。指揮は好調とみえるが、それにしても小澤の何がそれほど世界でウケるのか。過去の日記でも書いたことがあるかもしれないが、一時期出した暫定的解答は、要はセクシーなのだ、というものだった。元は「そんなにエラいかヨーヨー・マ」のタイトルで某掲示板に書き込みをしたときのレスにあった句を、流用したのである。
●それにしても、きょうのライブのCDがもう今月半ばには発売されることになっている。何年か前から、おかかえアーティストがこの栄誉に浴したレコード会社は、ほとんどビョーキとも思える編集・プレス・出荷体制をとってきたのだが(マスターのDATも数日後には航空便で届けられるんやろね)、これがショップの棚に並ぶのが1ヶ月遅れたところで、何の不具合があるのだろう。ちなみに、演奏中の事故(ミス)への対処のためにゲネプロも録音されているはずだが(最近のライブなんてみんなそうだ)、緊張感に満ち(過ぎ)たライブよりも(観客席の雑音がないこともあって)パッチワーク用のほうが落ち着いていていい、という話もあることだし、いっそ「正真正銘のゲネプロ!」のコピーが帯に踊るCDが出てもいいんじゃないか。あまのじゃくはきっと買うだろうと思う。
●いま21:00。《エリーゼ・ポルカ》で大拍手が起きた。つぎの(曲名は何だ?)に合わせて騎馬が踊りだした(毎年あるホール外の映像とのシンクロの演出だ)。そうしたら細君が「今年が午〔うま〕歳やから?」と訊いてきた。あんまりくだらない問いなので、すごく疲れた。
●聴きながらキィを打つのもしんどい(笑)。キュッヒル(コンマス)氏の美しいソロで眠気も襲ってきた(年が明けて2時間ほどしか寝ていない)。最後までもつだろうか、と思いつつ、この馬鹿げた作業を(一時?)終えたい(終えたらそれこそ眠ってしまうんでは?)。
●と書いているうちに正規のプログラムは終わった。これから何曲かアンコールを弾いて、最後はおきまりのラデツキー行進曲となる。最後はじっくり観て楽しもう[21:20]。
モダニスト 2002/01/01火21:21 [71]


2002年最初のため息R  
 「第2室」にも書いたのだが(だから日記のほうは休もうと思っていたのだが)、カウントダウンとかニューミレニアム、新世紀といった感興が何もない、そんな年頭だ。
 いや、そもそも年賀状というものをここ十年近く出していないし(一部の親戚には細君が書いているみたいだ)、ふだんこなせない仕事にいそしみうる数少ない機会に大掃除をという感覚も無駄と思うタイプだ。何らの節目でもないダラダラと連続した時間、それがぼくにとっての正月にほかならない。
 いや、そうしたらほんとうにいつものように「睡眠障害」な夜を過ごしてしまった(少し「仮眠」をとったが)。
 これから寝ようと思っても(もうひと息ねむくなるまでのあいだの時間つぶしのこの投稿だ)、9:00ごろには起こされて「おとそ」をいただいて、その足で北野天満宮に初詣にいく段取りが、決められている。
 あれ、ずいぶん平凡な正月じゃあないか。年末も第九は聴くし、年越しソバも食うし。
モダニスト 2002/01/01火06:46 [70]


誤記、誤解、それとも誤報?――本編[013]への注記と訂正R  
 本編のほうも投稿時刻が明記されるほうがふさわしいかな。いや、そちらはそもそもそういう時分単位のこだわりとは無縁でありたいと考えていたのだが(じゃあ日付も放棄したら?)、朝起きて新聞を読むと、朝比奈氏逝去にかかる情報にまちがいが確認された(正月前で夕刊がお休みしているのでその報を紙媒体が伝えるのに接するのは初めてなのだがその(20011231)の表記だけだとそうした正しい情報を得たのちの誤記と誤解されかねない)から。[以上がこちらへの注記;で、今後もそうするかどうかはさておき今回は本編の日付情報に続けて投稿時刻も注記した]
 さて誤りは、一昨日と昨日(29‐30日)の「第九」の指揮代役が、井上道義氏ではなく若杉弘氏であった点。ぼくとしては同じ関西に関係が深い前者のほうがふさわしかったと思うし、テレビのCMでもその代役情報が記されていたと記憶するが――ならば代役の代役?――、いずれにしても事実誤認であることは確かなので。いや、新聞のが誤報だったりして[笑]。
モダニスト 2001/12/31月10:52 [69]


速記――朝比奈隆、「2001年宇宙の旅」、ソバ、ソフトクリーム、…R  
●93歳の爺さんが近々死ぬだろうといった予言(本編[004]でそれを記したのはこの12月4日のことだった;そっちも10本を越えたので間もなくアーカイヴが稼動し始める)が当たってもエラくもなんともないが、いずれにしても朝比奈隆がやはり帰らぬひととなった(12月29日夜)。夕食をとった直後にネットのニュースで知って今このときそうしているように日記2に書き込もうかとも思ったのだが、今夜は久びさに映画館で映画を観ることにしていたので、ちょっと複雑な心境でもあったが――とくに昨日と今日の大フィル年末恒例の「第九」を振る予定だったのが井上道義氏に交替されたというニュースが上の[004]執筆のきっかけだったのだがさすがに当初予定指揮者にして自団の音楽監督の死の翌日に「歓喜の歌」を奏することができているのだろうかなどと――すぐにヴィッツを走らせた。朝比奈翁の件は近々にまた別稿をアップしたい。
●さて今夜観た映画は「2001年宇宙の旅」。みなみ会館に足を運ぶのは忙しかったこの秋以降、初めてだったが(チケットは1000円だったので「会員の無料チケットは他の高料金のときに利用される手もありますよ」と親切にも入口で助言もされたがあと4枚残っている「無料チケット」を年度内に使い切れるかどうかも定かではないので今夜も使用することにした)、いままでに見たこともない混雑ぶりで(学生と職員と卒業生[受付の館員]の計3名の立命関係者とも会った)、パンフも、3日間計3回の上映スケジュールの初日である昨夜(明日までの各日とも20:00からの最終回のみの上映)に売り切れてしまったというのだから、劇場側でも予想外も入りであったのかもしれぬ。で、映画の中味についての感想は? そもそも映画館でと思い立ったきっかけが「第2室」でのMORO.S.@岡山氏の熱い書き込みだったので、これもそちらのほうで近々に。
●昼の話題。朽木の永昌庵のソバはあいかわらずの美味だったが、そこから5kmほど北に走ったところにある温泉(「てんくう」)は、いかにも補助金で建設された田舎にありがちな厚生施設だったが、したがって当然、建物はキレイで、しかも湯が良かった。だが何よりも感動したのは、近くの牧場のしぼったばかりの牛乳でつくったソフトクリームで、これには、加工品がこれだけ美味いのだから本物の牛乳のほうはさぞや、と思って、ふだんは飲みもしない牛乳(1l)を買ってしまったほどだった。家の冷蔵庫には今朝開けたばかりのパックがあったので実際に飲むのは明日になるが、ただの牛乳を口にするのはたぶん30年ぶりくらいである。ちょっと不安でもある。[以上、FIVAからオン書きでした。]
モダニスト 2001/12/30日23:58 [68]


雑記R  
●「エアフォース・ワン」はどうみても無理の多い映画だが、それでも最後までみて、けっこうジーンとしてしまった。はずかしい。
●きょうは昼間にも映画をみた。「となりのトトロ」を先日購入したDVDで。宮崎アニメはどっちかというと苦手だが、この映画だけは何度みても子が転げ回るほどに笑う。子どもが笑うツボが、見事に押さえられている。これなら保育所の休み中に退屈しても(そのとき親につきあう元気がなくても)なんとかゴマかせる。
●BS2では、J・シュトラウスIIの「こうもり」が放送されている。以前、東京文化会館の1階、35000円の席(もちろん自分じゃ買わない、もらいもののチケットだ)で観たときにけっこう面白かったのでテープを回したが、こんやはなんともつまらない。ので、3倍モードで次のカラヤン(第九を振る)まで続けて録る設定にしていたのだが急遽それを解除して、カラヤンだけを標準モードで録画することにした。カラヤンのも、つまらなかったりして。
●明日。1日早く年越しそばを食べにいく。その栄えある店は朽木の「永昌庵」。ソバも旨いが、ほんの10キロほど足をのばすと温泉がある。細君が大掃除で疲れたとブチブチいうので連れていくことにした(もちろん子も)。この年末年始の、最初で最後の家族サーヴィスとして。
モダニスト 2001/12/30日02:25 [67]


CEマシンにハマる理由(メモ)R  
 そのむかしWindowsCEというOSが誕生したとき、本邦初の同OS搭載機であったモバイルギアII(MC/R500)を買った。だが、それは先代のDOSマシンである同I(MC/R1だったっけ?、その型番は)ですべてを済ませていた(それをテキスト入力マシンとして利用して、印字の必要がある場合はMacにデータを移植するなりして対応していた)、その流れで後継機を購入した、というに過ぎなかった。
 だがその後、通常のWindowsマシンを利用するようになって、モバイルギアは見向きもされなくなった。VAIOなどの、それなりに小型機と呼ぶにふさわしいマシンを愛用し、最近はその種のものとしては出色の出来といいたい(ただしデザイン他いくつかの点で問題はある)カシオのCassiopeiaFIVAという900g台の、文字どおりモバイルの形容を冠したいノートPCを購入した。それはいまや授業で大活躍だが、だとしたら、なぜ、いままたCE機(ヴァージョンもいまや3.0である)にハマっているのか。
 まず早い。何が? 起動が。いや、起動という発想は基本的に、ない。プログラム等はRAMにインストールされていて(いま使っているsigmarion2だと主要ソフトはROM化されている)、つまりハードディスクというものがないので、「終了」せずつねに「サスペンド」で作業を終え、そこからまた作業に戻ることができる(実際、「0.5秒」というのは大げさでも何でもない)。
 だが、そんな特徴ならver. 1の時点から変わりないではないか。
 ハマっている、いまでははっきり自覚できる理由は、その不自由さにある。つまり早いが、多くのことはできない。ワープロにしてもフォント等の制限はむろん、レイアウトのままの表示もされないし、とにかく考えようによっては不便きわまる。だが、レイアウトに凝る必要のない人間にとっては最低限必要な機能だけが残されていて(だって記憶用と合わせてもマシン本体全体で32MBしかないデータ領域[もちろん記憶用にストレージカードを使うことはできる]のうちこのプログラム実行用には十分の一も使用されない)、その意味では不自由しない。あるいは、Windows母艦マシンで作成したファイルの書式をいじらないで内容を更新するにあたっては障害がほとんど発生しない、そのような成熟は、ソフトとOSの、いずれのヴァージョンアップによるところが大きいのか。
 いずれにしても、こうした制約下で、さまざまなソフトが開発されて、その多くがフリーウェアとして配布されているのが、CEの一大特徴だ。そうして、その種のソフトにもよったカスタマイズの情報交換のためのWEBサイトが、きわめて充実している。
 sigmarionであれ何であれ、CE機をカスタマイズすることは、自分流の使い勝手のいい手帳をつくることに、ひとしい。
モダニスト 2001/12/30日00:22 [66]


徹夜明けの朝にR  
●某原稿リライトの仕事は、最終入稿がほんの少し前までかかった。修正しながら思った、時間とやる気があればいつまでも修正し続ける、ブルックナー・タイプ(笑)であると。だが、そうやって皮肉っておいて、すぐさまこうも書いておきたい。今朝仕上げたたった35枚ほどの文章を敷衍するかたちで、新書版1冊ほどの本は書ける。ワインがこの大法螺を書かせている(笑)?
●ところで、これを仕上げてもなお以前から懸案になっているグリーンバーグの翻訳の、残されたピカソ分の推敲が残されているが(しばらく触れもしないでいるが宙吊り状態の単行書の件もあるな)、そんなことよりも、くだらないことがしたい! たとえば、いろんなソフトをダウンロードしてsigmarion2を思いっきりカスタマイズするとか。うん、だったらHPの改訂(撤廃に向けた、ゆるやかな)をおこなう? するもんか。
モダニスト 2001/12/28金09:40 [65]


雑記R  
●きょうは最初から何か有意義なことをするつもりはまったくない。2日ばかり旧稿をリライトする仕事をこなしただけ(しかも本文以外は不完全で2、3日の猶予しかもらっていない)というのに、りっぱなご身分ですね、と自分で自分にいってみても、ここ数ヶ月の反動として何もしない日が必要とされているのだと、正当化の声が鳴り響く。
●だが、何もしないということはありえないわけで、保育所に子を送り届けたあと(夫婦間の話し合いで12月の初旬から朝の「送り」はすべてわが身で引き受けることとなった)、大学で学生の面談(こんな時期に?)を一つ(笑)。そのあと、生協に注文していたゴダールの「映画史」のDVD(5枚組で32,000円もする!)が届いたというので引き取りにいって、その足で書籍部に行ったもののお目当ての『レコード芸術』誌が売り切れていたので(といってもこの総合大学でたった2部しか入荷しないというんだよ!)、西大路通りに面した丸山書店まで自転車を走らせた。そこで『レコ芸』と小室直樹『数学嫌いな人のための数学』(東洋経済新報社;評判の本だ)を購入。そうか、今月号はレコード・アカデミー賞の発表だったか、と気づいてすぐに前者を読みたくなったので大通りを白梅町方面に南下。直接、KFC(ケンタッキーフライドチキン)に入ろうと思ったのだが手前の「伝七すし」のメニューをみて誘惑に勝てずに入店して、お寿司を食べてから(ビールもきょうは昼間からOKだ)チキンのためにKFCに入り直した(ここでもこの店お得意の「ハーベスター有機ビール」をたのんだ)。で、いまはその奥の8人がけのテーブル席(この席がいちばん明るくて本を読みやすい)。『レコ芸』を開く。この雑誌から情報を集めては月に50枚ほどもCDを買ったこともある。ひと昔まえ、といった感慨がある。[以下、次の書き込み?]
モダニスト 2001/12/26水12:59 [64]


クリスマスが過ぎてR  
●とんでもないクリスマスであった。その日の朝までの約束だった原稿はけっきょく夕刻に本文部分を入稿するだけで許してもらって、注や図版、参考文献のことは、(年末の締切なんてどうせサバを読まれているんだろうから年明けまで引っ張ろうという卑しい魂胆に反して本当に年末の作業だというので)28日あたりまでに完全なものとして追送するという交渉で、なんとか落ち着いた。それにしてもこんなにしんどいのは、今回リライトすることになった元のテクストの出来がひどかったからだ。市販に供されない大学の通信教育用のものであるとはいえ、読者には迷惑をかけた(だって論理が捩れていて一読しただけではよくわからない箇所がいくつもある)というべきである。それを直すことができた(かな?)という意味ではもちろん作業は有益であったし、あるいは、同じ程度にではないにしても不満足なかたちで放り出した諸テクストを気の済むように改訂することの必要性もあらためて痛感した。次年度に予定されている、これまでに書いたものをまとめる作業にあたってはこのあたりのモヤモヤした感じの払拭をこそぜひ念頭において――。
●以上のようなわけで、きのうの夜にはきちんと書き上げてこの場所か直接「本編」にかアップしようと思ってメモっていた「クリスマスに寄せて」という文章が、そのままでは無駄になってしまうことになった。幸い、クリスマスの話題(イエスの誕生)に議論が展開するまえに中断してしまっているので、とりあえずメモ状態のままでここに――「曽野綾子のようなひとが左翼系の『週刊朝日』誌(2001年12月28日号)に敬宮愛子内親王誕生を祝す文章を寄稿するのは、瀬戸内寂聴が『週刊新潮』誌(同12月27日号)で米英の軍事行動への批判を記すのと(事態は逆だがカタチとしては)同様の、器(メディア)と中味(イデオロギー)のミスマッチというべきである。/いや、朝日だって『敬宮愛子さま ご誕生』という同誌増刊号を出すくらいだから、もとより天皇制にたいする捩れたスタンスもその程度の見通しのよさを有しているというべきだが(だが最近は「赤旗」だって祝賀特集を組むんでしょ[笑])、それはさておき曽野氏の議論はこのたびも傾聴に値するものとなっている。/「私はキリスト教徒だが、皇室が古くから国際交流の実を挙げ、正倉院や雅楽などに見られる外国文化の上質の受け手であり保存のためのパトロンの役割を果たしてきた功績は実に大きい、と思っている。[中略]しかしそうした事実には前提がある。皇室が完全に政治の権力の外に在り続け、皇室のメンバーは使命としてひたすら内外すべての人たちの幸福を希われるために行動しておられる、という姿勢を貫かれているという事実があるからだろう。」/もちろん全部に頷くつもりはない。程度において眉に唾して読むべき内容がここに含まれることは否定しないし、とりわけ「政治の権力の外」であるかどうかはおおいに問題があるというべきだが(もっとも曽野氏も確信犯だろう)、民主主義の外に位置するほかない皇室がいまなおかくあり続けていることは、逆にそれだけで、民主主義を照らし出す特異点としての効用を有してはいる。/ 全面的な民主主義など幻影にすぎない以上、そこから明示的に切断された観察点を所有することは、困難な仕儀であるというほかない。」
モダニスト 2001/12/26水04:18 [63]


独身生活R  
 昨夜書いたようなわけで独身生活を送っているのだが、(けっして無理なスケジュールが言い渡されていたけではないのだがこちらの怠慢ゆえにそうなった)急ぎの仕事のために、どこに出ることもできない状態にある。こうなってみると母子の不在は好都合である反面、気の利いた定食屋のようなものが近くにまったくないので食事を自分で調達する苦労が発生する(男女同権の観点からすればいかにも問題多い発言だが)。
 昨夜はそういうわけで、スーパー(ライフ太秦店)で夕刻買った牛ヒレ肉を焼いて(もう1枚、今夜用に残っている)、パック詰めの寿司とともに食べた(野菜は面倒なのでカゴメの食塩無添加のトマト・ジュースで済ませた)。今朝はバターロールをかじって(ハムエッグが自動で出てくるロボットが欲しい)、昼は近くの「さくらいや」(小さなスーパー)で惣菜類を買い込んでだらだらと食べながらキィを叩いて、途中でビールを飲んで仮眠(昼寝)をとった。夜用は食べかけのシューマイや豆腐や、(残っている)肉やトマト・ジュースがあるが、その不規則もあっていかにも不健康で、さらにそれに追い討ちをかけるように今、マクドナルド(いつもの金閣寺店2階)でマックピタのセットを食べながら仕事をしている(いまは休憩中;ちなみにマシンはこういうときのための入力&モバイル特化マシンのモバイルギアMC/R330)。
 ちなみに、すでに下の[60]に書いたとおり、明日は祝日(の代休だっけ?)のはずなのに、わが大学は「平常営業」で、しかもぼくは早朝からの会議に招集されている。夜中までだらだらと仕事が続いて、思いっきり睡眠不足の状態で自転車をこぐのか(朝はまたハムエッグもないバターロールだ)と思うと、すでにして気分がよろしくない。
モダニスト 2001/12/23日20:01 [62]


ビンラディン証拠ビデオの見方[深夜の速記メモ版]R  
 トラボラだかの民家から見つかったという、いわゆるビンラディン証拠ビデオを、当初そういう論調があったようにあのヒゲの人物がほんとうにビンラディンであるのかどうかを疑いながら見るのは、心底馬鹿げている。
 理由は、端的に2つ――。
 (1) こんな確実な物証を待って判断することは、単純左翼思想家には許されても、政治家には許されない。そしてそのような意味のかぎりでの政治的判断のための素材は、じゅうぶんにあった、といわねばならない。
 (2) 軍事行動への反対は本質的に、ビンラディンが犯人であったとしてもなおそれへ反対するというものでなければ、多少ともの意味すらも有さない。軍事行動への賛否に関わるのは、証拠ではなく、論拠である。
 それにしても、なぜこれが民家から見つかったのか、の問いについては、少なくとも管見では未だ誰の口からも聞きえていない、以下の分析が、いちばん妥当であると、私は自負する。
 つまりあれは、わざと民家に残された。
 あのテープでは、たとえば夢にまつわる興味深い会話が聞かれる。また、いくつかの発言内容には、イエスのそれを思わせる、比喩的なウィットすらがある。残されたことで、われわれはそれを見る/聞くことになった。
 そもそものビデオの収録については、日頃からビンラディンの映像を残すスタッフがいるのだろう、という指摘は、いかにもありそうなことである。
 このたび「発見」されたテープは、ビンラディン主犯説を疑い得ないものとするが、それで目が醒めるのは、正確には右でも左でもない思索なき人びとなのであり、つまりいまそのことを隠しても仕方のない局面で彼は、みずからのメッセージを世界にたいして残すこととした。
 思い出してもみたまえ――テロ後、数週間を経たころから、彼の発するメッセージを極力、具体的な映像・音声によっては放送しないように、との要請が各種メディアにたいしてなされていたことを。ところがいまやアメリカ政府がまんまとそのメッセージを伝える、文字どおりのメディア(媒介者)になってしまったのである。彼が主犯であることを示す必要性があるという判断はわかるが、今回の軍事行動の意義をすでにじゅうぶん理解している者にとっては、なんともそのような無防備な資料公開の仕方は避けてほしかったと思う。
[以上は、12月20日(木)の授業「表象批判II」で話したことの一部と重なり、当日記にも記すであろうことを下の[59]でふれている。]
モダニスト 2001/12/23日02:42 [61]


雑記は続くR  
●母子が24日(月・祝――ただしその日までわが立命館は授業期間でぼくも朝から2つ会議がある)まで、富山・魚津の実家に帰省して、いない。年に何日か訪れる、静かな心やすらぐこの夜に、いただきものの"ゆず"を湯船にうかべてじっくりと温まった(すこし疲れがとれた)。湯のなかでぐいっとそいつをしぼったりしたものだから風呂場はむろん、家中に香りがひろがった。おまけに、ひとりだからお湯がもったいない、と洗髪後シャワーを浴びる替わりに湯船のをかぶったら、そのあと何度すすいでも髪から柑橘臭が消えない(部屋についた香りなのかな)。まあ、冬至なんだから良しとしよう。
●「花様年華」(過去の日記[とくにVAIO日記のほう]で何度も言及している)のDVD国内盤を購入。国内盤とわざわざ書くのは香港盤をすでにYahoo!のオークションをつうじて購入していたからだが(過去の日記の11月13日[火]を参照)、その直後にもらした「どうか国内盤DVDは愚劣な吹き替えを含むがゆえのモノラル音声でありますように」という願い(同11月16日[金])に反して、それはステレオどころではない5.1chドルビーサウンドで、おまけに映像は、こちらは予想したとおりとても鮮明で、しかも上映時同様の16:9のビスタサイズだった。たしかに存在した「愚劣な吹き替え」のトラックは見なけりゃいいんだから減点材料にならないとしたら――でもちょっと見てみたい気がする(笑)――、何がわざわざ苦労して香港盤を購入したメリットといえるだろうか!? そうだ、香港盤には国内盤にはない英語の字幕がついているゾ。といったところで、セリフが広東語なんだから英語のリスニングの勉強にもならない。
●――と、これからその映画の世界をもういちど訪れるのかと思いきや、25日の朝が締切の執筆の仕事(正確にはかつて書いたもののリライト;当初の締切はすっかり過ぎている)があって、そうもいかない。今夜のところは上のような比較チェックのみで。
モダニスト 2001/12/22土22:56 [60]


雑記R  
●卒論提出締切日(20日)には今年もやはり、あってほしくなかった小さな悲劇が、あった。こういうセミ・パブリックな場処で書く内容ではないが――おかげで基本的に楽しいもので(あるいは喜劇的ですら)あった他の学生の分について言及することもはばかられるようになる――、責任の一端は指導教員=主査(予定)者にもあると、反省はしなければならない。
●その悲喜劇も少しは関係しているにちがいないのだが、見かけはその締切から少し(あるいはその指導のピークからはだいぶ)遅れて、わが身体にガタがきた。もうほんとうにダルくて、昨日も今日も、日付が変わる時間帯はLDの床のうえで突っ伏して寝入ってしまっているのだった。ま、きょう2限目の「西洋美術史II」で、年内の授業は一応終了したのだけれど。
●ちなみに今日は子の誕生日(5歳の)なのであった。いろいろと書き留めておきたい成長ぶりもあるが、今夜のところは、この子は父親というものは食事のあとすぐ寝てしまうんだな(わが誕生日の日もいささかも変わることなく)と思っているだろうな、という反省のみを――。
●その他、余力があれば本編へのアップも睨みながらこの場処に「速記」しておきたかった(おおげさなようだがその力もいまは尽きている)話題について、さしあたり(つまり今後の継続的考察までは放棄せずに)週刊誌ばりにタイトル[仮]を――「ビンラーディン・ビデオの正しい見方」(20日の「表象批判II」で略述済)、「いま明かされるアガンベン氏の過去」(21日の「西洋美術史II」で略述済)。
●以上、今夜もまた推敲もせずに。
モダニスト 2001/12/22土03:11 [59]


訂正 などR  
●たしかにすでに本編[002]で紹介済みの北村稔の新著は、下の[2−54]に記すごとき『南京の真実』ではなく、『「南京事件」の探求――その実像を求めて』が正しい題であった([002]ではもちろんちゃんと紹介している)。記して訂正します。
●――といった誤りもそれに帰そうとは思わないけれども、明日ついに提出締切を迎える卒業論文は、じっさいの指導のピークはたしかに月曜日にはとっくに過ぎたのだけれど今ごろわが身体と精神に、疲労のほうのピークをもたらして、夕食後はひとときも机に向かうことを許さない(要するに「仮眠」を余儀なくするということだ;あるいは本編の更新を2日連続で果たす元気はないとも)。そして、こんなときにも授業負担は軽減されることはない(明日も2コマ)。試練は続く――と、自己を主人公としたドラマの主題歌としていま、シベリウスが室内に流れている(作曲家が怒るでぇ)。
モダニスト 2001/12/20木01:47 [58]


続編のためのメモ――でも書く気があんまり起こらないのに本編[009]を消したい一心で闇雲にメモっているだけなのでちっとも読むべき出来に達していないR  
 そう、「死んでナンボ」ということでは、タリバンに一時拘束された日本人ジャーナリストにまつわっても、たしか同様のことを感じたっけ。
 つまり、登山に出かけて遭難する者にたいしていつもそうであるように、このたびもその柳田某にたいする同情の念は、ぼくにはいっさい湧いてこなかった。そうした危険を承知で、彼らはそこに赴くのであろうからであり、またじっさい、ジャーナリスト=非スパイという称号(タイトル)――だがこの場処[002]で以前ふれたように北村稔『南京の真実』が明かした英国人ティンパリーみたいなケースだってあるだろうに――を与えられて自由の身となって彼が帰国を果たしたさいには、雪山から命からがら救出された登山家以上のカッコ悪さを、ぼくはそこに認めざるをえなかったのである。
 ひるがえって、あそこでタリバンがその拘束を解かず、そればかりか「人間の盾」として彼を戦闘地域に随伴させていたならば、と仮想してみること――。そのときは、人質をとられてなおアメリカの軍事行動に賛同・協力するか否かというかたちで、日本政府そして国民の判断がリトマス紙による試験のごとくにして試されたことであろう。
 いずれにしても、命あった登山家が下山した翌日にはその救出のためにかかった費用のゆえに親族から「もうこれからは山には登らせない」と痛罵されているであろうように、ジャーナリストというそもそも実態たしかならぬ称号さえを柳田某から剥奪してやることは、重要な作業であるように思われる。
 いやその意味では、即身成仏を一つの理想とする世界におけるあの尼僧の仕儀もまた、やはり同様の仕置きの対象となるというべきか。
 だが、ジャーナリストをやめたらふつうの人間になればいいだけだが、ふつうの人間であることをやめて仏の道に入った者がそれをやめたら、彼(女)はいったいどこに行けばいいのか。
モダニスト 2001/12/19水15:41 [54]


未明の、ワインによって促されし、メモR  
 「[…]近代国家による単一で分割されていない人々を産み出そうとする企図は、失敗する運命にある」と、その講演原稿の末尾近くで語ったアガンベン氏は、講演後の討議(というには応酬に欠ける消化不良のものだったが)においては「World Civil War」という用語を創出しつつ、この外戦と内戦が分かち難いという以上に混交した状態を生きざるをえない、われわれの「運命」について、言及した。
 さて、この洞察=造語じたいはマクルーハンの、メディア環境が進展すればするほど世界は「村」(global village)化するという有名な予見を「父」としてもつというべきだが、現下の、すなわち「9月11日」以降の状況下において特別な意義を帯びることは、明らかである。
 問題はしかし、ここからである。
 たしかにいまは、まさにアメリカを巻き込んだ世界−内−戦(World Civil War)状態にある――西成彦氏は9月11日以降に内戦が始まったのではなくてその日のあの事件/事故がそもそも内戦そのものであったのだとまで敷衍する――、さしあたりそう表現することは可能であるとして、ならばアメリカをその内戦当事者として非難して、それで済むかの気配は、いったい何なのだ。
 洞察=分析が意義を有するのは、ある矛盾に満ちた事柄の〈可能性〉の議論にレトリカルに関わっているときであり、他方、リアリズムの観点からその矛盾の〈解消〉に向かうとき、議論はふんぷんと倫理の香りを漂わせながら、退嬰化する。
 国内における警察行為と、対外的な軍事行為の、差異が消滅して安全性(security)が、これまでになく幅を利かせる時代と、アガンベン氏は現代/現在を分析する。
 だが、ぼくにいわせれば、いちばん安全な場処にいるのは、内戦をメタ的に見渡す言説である(内戦はいまは避けられない)。ついでながら西氏の情緒的に美しい言説に抗って、9月11日の出来事が、戦争ではなくあくまでもテロであって、ましてや事故ではない、とも。
モダニスト 2001/12/19水03:17 [52]


少々の落胆R  
 本編において一部敷衍することがあるやもしれぬが、きょうの「一件」にかんするこの欄での書き込みとしては、最後のものとしよう(だってクダラナイことを書きすぎたもの)。
 議論はまだ続いているが、やはりしょせんはシンポジウム(しかも通訳をはさんだ)なのであった。つまり、ほんとうの「議論」にまでたどり着かない。しかも日本人3人のコメントのあとにとっととそこに入るチャンスがあったのに、午前中の講演にたいする会場からの質問を、ごたいそうに一人当たり3問(×2人)も紹介して、それへの回答に多くの時間をとってしまっている。(「朝まで生テレビ」でも進行をじゃまするのは会場からの質問でしょ?)
 このあと、たとえば話す自身をイメージ化することに長けた西成彦氏あたりがピエロを買って出てわざと問題提起的な発言をして場を盛り上げることもありえるが(じっさいそうだとしたら舞台上でいまじれったくしているだろうな)、しかし時間的にみて(つまり言葉の応酬としての「議論」にならないうちに残り時間は30分ほどになってしまっている)、それも遅きに失したという感は否めない。
 いずれにしても、そういう盛り上がりがこれからあろうとなかろうと、きょうは17:30には会場を出て保育所に迎えに行く。以上、誤字脱字誤文法はあらかじめ深謝(今夜もいそがしいのでコレにかんする訂正記事は出さない)。
モダニスト 2001/12/18火17:02 [50]


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