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頂上いまだ見えずR  
 定期試験3科目分500枚弱の採点はいまだ登り坂の5−6合目あたり、という感じである。もっとも、頂上にたどり着いても、たんに半分という意味で、そこから坂を下るごとくに一気に事が進捗するのではない。
 苦しいがしかし、半期14回(来年度はついに15回になる!)の授業の到達度を測る試験の答案が、たとえば1枚に5分もかからず採点されてしまうというのも、不誠実であろう(いかにも出来の悪い答案はものの1分もかからないが)。といったことを思いながら、この逼迫した状況下でも「定期試験出題・採点の極意」という題(仮題)でなら本編用に文章が書けそうな気がしてきた(ホンマか!?)。下[97]にも書いたが、左フレームへのアクセス(旧「ひらがな期」から合わせて)が間もなく10000に達するのが、ちょっとしたプレッシャーになっているからである。
 (そう、追記しておこう。下[97]でふれたオークションは終了日を一日勘違いしていた(翌々日に競り勝った)。さっきもPC関係の小物を競り落とした。いい気分転換になっている。)
モダニスト 2002/02/08金23:44 [98]


久びさの雑記R  
●1月の父子家庭状態からは解放されたが解放前に押し寄せた月末の公務ラッシュ(そこでのひとコマとしての「シラバス入力」事件もほんらいなら単独の話題として記したいところだ)でさすがにカラダが変調をきたした。時間がなくて診てもらうのは秋以来となった今夕の衣笠医院では生まれて初めて自分用として睡眠薬を処方された(先生の見立てではじゅうぶんに睡眠障害らしい)。だがこれを飲んですやすやと寝てもいられない、いまだ繁忙期。締切を多少延ばしてもらったってあと1週間ほどしかない500枚ほどの定期試験の採点はまだ1割とちょっとしかこなしていないし、そんな状況なのに明5日は入学試験の採点(世界史)で一日拘束される(あと7日、12日、13日も)。例年のこととはいえ、やりきれない。
●そんなわけで日記にも手がつけられない(頭がそっちに向かない)なかでも左フレームの下部にいちおうついているカウンタは日に15ほどは回転し(本編をこまめに更新しているときはその倍ほどになることもある)、しかもそれが10000を数えるのも時間の問題となってきた。これが特殊なカウンタだったら記念の数値を踏んだひとを確定してプレゼント、なんていう芸当も可能なのだろうが(BIGLOBEでもそれが可能らしいことを宣伝してたな;だがその仕組みがよくわからない)、いずれにせよ採点の追い込み状態のなかにあってもその日はもう少し(無理をしてでも?)明るいテキストで迎えたいと思う。
●テキストといえば週末、絵画にまつわる批評文の依頼を受けた。最近の傾向としてその種の依頼はマイナー業界誌からと相場が決まっているが(笑)、今回もご多分にもれず作家たちがこの春立ち上げる、何号続くかわからない同人(?)誌。ふつうに考えたら断るべき状況にあるのは確かだが締切を3月中旬のギリギリいっぱいまで延ばすという申し出と、「例えば美術のモダニズムとグローバリゼーションを短絡するような批判に対し、より高次の批判/検討を示唆」してほしいという、この廃墟のごときHP内の文章も含めてわがテキスト群を追尾されたうえでの細かな依頼が、メール中に含まれていた。「岡崎乾二郎『経験の条件』にまつわる「批評空間」的熱狂へも少しく冷水を浴びせる必要がいま」あるだろうから、とオプショナルな提言も含め記しながら、それを引き受けることとなった。
●追記。多忙なるなかで/なかだからこそ、オークションでくだらない品物(ヒ・ミ・ツ)を落としたくなっている。明晩のちょうどいまごろがその入札終了時刻。それだけを今日から明日にかけての唯一の楽しみとして。
モダニスト 2002/02/04月22:09 [97]


微修正R  
 下の[95]では12名の主査分から3名分を紹介するように書いたが、本編[028]のMaさんは複数のゼミに登録しており、提出に当たっては、江川ひかり先生(トルコ史)を主査としている。ぼくは副査。記して微修正としたい。
モダニスト 2002/01/30水00:29 [96]


息抜きにR  
 本編のほう、学生の卒論をネタにして、しのいでいるのである(苦笑;だが何のために?)。
 副査分を含めると15名(3年前の1期生はこの倍だった)、ゼミで関係した学生はこのうち13名、さらにそのうち主査12名。そのうち3名分を紹介すること(すでに日付が変わった今日30日で最後となる)が、はたして教育的な選択、なのかどうか(紹介しない分にも労作はある)。
 だが、教育的であろうとするのか、この場所で。――アホちゃう?
 ちなみに、試問の残り7人分が明日済んで、次の日、pseudo父子家庭状態から解放されて、同時に夜のうちに滑り込みでシラバスの入力も済んで(まだまったく手をつけていない)、さらにその翌日(2月1日)の某重大会議(朝から5時間余りにわたって司会進行を務める)も大過なく終われば、あとは500枚ほどの試験の採点(すでに手元にある230枚ほどの1割ほどを日曜日に済ませた)に集中的にとりかかることができる…。
 息抜きになるどころか、苦しくなってきた。
モダニスト 2002/01/30水00:16 [95]


地獄の季節R  
 一昨日25日(金)の「西洋美術史II」を皮切りに定期試験全500余枚の採点が始まり(29と31の両日に残りの2科目が実施される)、加うるに明日から4日間で卒論試問とシラバスの執筆もこなさなければならない(29日の午後はずっと会議だ)、そんな地獄の季節に突入している。
 ま、ほんとうに過酷なのは、2月初旬の成績提出締切前の2、3日(少しの遅延を許してもらえば今日から10日後あたり?)で、しかもちょうどそのころには入学試験の採点で終日拘束される日が数日あったりして、つまり1日が24時間であり続けるならとうぜん睡眠時間をいまよりも削らざるをえない状況が到来するというわけだが、さて、それに比べればまだ余裕があると勘違いしてか、あるいはただの現実からの逃避なのか、いずれにしてもきょうは河原町に出て映画関係を中心として本を買い漁った(タイトルをあげようと思っていたが急に面倒くさくなった)。
 研究的であれ批評的であれ、ただの愛好家の域(まだそれ以前なのだが)を出るためには、30歳のころ(山形時代)の「音楽」がそうであったように、リテラシーすなわち広くそれを「読む」能力の獲得が、いまは必要だ!、と。やはり体質的にお勉強が好きなようだ。
 神経を集中して書く日記(笑)は直接、本編のほうにアップしたいので(この期におよんでなお?)、ここは何のオチもなく、1週間も前の訂正記事がいつまでも出ているのもみっともないという判断から速記によって――。
モダニスト 2002/01/27日20:35 [94]


続・日記論(?)R  
●昨夜(27:00)アップした本編[021]は、明らかな事実誤認にもとづく、即刻削除に値するものであった(5時間後の翌朝8:00に削除措置)。日ごろの「ピースボート(あるいは辻元清美)」ぎらい(笑)がわざわいして、別掲ファイル[→こちら]にみるような文章を拙速に書いてしまった。その誤認のきっかけとなったasahi.comのページも、(その内容をそっくりこちらのサーバにコピーしたうえでの措置は著作権的に違法性が高いが自己批判のための素材として)合わせて掲出しておきたい[→こちら]。ちなみにこれは、アップから5時間ほどの未明から朝にかけてのあいだにカウンタが1つ回っていた(つまりその間にそれを読んだ、誰だかわからない読者がひとりいる)事実をうけての措置であることを、告白しておきたい(ほんとうならば無いことにして、ぬけぬけと新しい[021]で差し替えたかった)。
●さて、ここ数日、私事を書くのが煩わしかった。書けばグチになる生活が公私にわたって続いているからで、それはほとんど、この日記2「メモと私情」を(一時的にか永久にか)閉じようかと思ったほどだったのだが、こうなるとやはり1回はこちらにメモ(草稿)をアップし、練ってから、とする手(じっさいここ数回分の本編は字数が適量に収まることだけを念頭においた未推敲のものだった)を採るべきか、とも。いや、よくわからない。
モダニスト 2002/01/22火17:33 [93]


突発性/慢性R  
 朝日カルチャーセンターでの講義は、昨年も同程度だったはずだが20名ほどの聴衆を前にしたこじんまりしたもので、今年はしかしその聴衆のなかに、全5回のうちの次回(2週間後)分を担当される、京都K芸S維大学のY氏がおられた。
 開始時刻となって教室に入ろうとしたその瞬間に、職員の方から「聴講なさりたいということなので」と突然紹介された(初対面だった)。おそらくこのカルチャーセンターでの講義は初めてでしかも5人による分担なので誠実な職業意識から、わざわざ京都から足を運ばれたのだろう。じっさいはしかし、こんなことは反則なのである。同業者が聴いているなんて正直いって、やりにくいこと、このうえない。
 だが、そういうことで弱みをみせるのが、コチトラ大嫌いなのである。しかも山形時代から「天下の鶴岡真弓」による聴講で鍛えられている(笑)。
 なかばの失礼も承知で、氏が聴講されることで発生する学術的と啓蒙的の二つの〈知〉の境界の問題――要は少々うさん臭いことも含めてなされる〈知〉の加工の問題だ――にもふれながら、氏にも90分間楽しんでもらえるよう戦略を切り替えた。そんなわけで体内にセットされた時間配分予定に若干の変更も余儀なくされたが、突発性の事態にたいして、じゅうぶんプロとして立ち振舞えたはずだ。
 そんなこともあって、しかし帰り道は疲弊し切っていた。ここ数日の平均睡眠時間が3時間を切っていることもあって、往路はそれを使った名神を選ばずR1からR171を乗り継ぐ下のルートを2時間半かけて走った。
 16時ころに途中の高槻あたりでファミレス(名前は忘れた)に入って、ビーフシチューが上にかかったオムライスを食べたのが、異様においしかった(笑)。帰ってからは近所の「克」(お好み焼き)でも死ぬほど食った。こっちの欲望は満たされた。つぎは、さすがにもう眠りにつきたい。慢性の寝不足で、足の関節にはたっぷりと乳酸がたまっている。
 そう、きょうの講義用に大学から(研究会での発表で利用するといって)プロジェクタを借り出している。明日は「スターウォーズ――エピソード1」か「2010年」のDVD(前者は日本語吹き替えのトラックがある;後者は「2001年宇宙の旅」鑑賞記[「第2室」で途中頓挫している]の完結のために先日購入した)でも大画面で観るとしよう。
モダニスト 2002/01/19土23:05 [92]


グチだ。R  
 学生はきょうから試験週間にはいった。ぼくが担当するものは、いちばん早いもので来週の25日(金)の実施となる。それから10日あまりのあいだに3科目500枚超を採点する地獄のような日々がまたやってくる。
 その前の、すこしは時間的余裕があって来年度のシラバス(立命分だけで10本書かねばならない)について思案などできるはずのこの時期に、教学とはちがう次元の公務で忙殺されている。じっさい昨夜は徹夜となった(夕食後に2時間ほど「仮眠」をとった;今夜はそれもとっていない)。
 ちなみに、(今夜はもっとグチらせてもらうのだけれど、)1月は細君の仕事場が比較的遠い山科となるので朝は6時台に家を出ている。7時すぎに子と二人でモソモソと起床して、朝ごはんを食べさせて、保育所まで送って、夕刻もまたそこに迎えに行く。卒園児の父兄からはそのしんどいころのことがいちばんの思い出になるといわれるが、そんな余裕もありゃせん、といった感じである。
 さあ、それでも明日は休ませてもらおう――と思ったが、大阪の朝日カルチャーセンターでの単発講義があるのだった。論題は「抽象芸術原論」。カルチャーだから気楽に、なんて思うのではなく、カルチャーでしかも単発だから「目からウロコ」の授業を展開しなければならないが、それにしても、13:00の授業開始だから余裕をもって10:00には家を出たい(PC接続可能なプロジェクターを持ち込むのでクルマだ)。さあ、これから準備をして、何時間眠れることやら。
モダニスト 2002/01/19土01:02 [90]


久びさの雑記――あるいはソバ紀行R  
●日記を2日半休んだ。ぼくとしたことが(笑)。だがその程度には(かなりの程度だ)わが心身を疲弊させることがら(公務に係ることだ)があって、あるいはそれに抗して書くとグチになるほかないことがわかっていた。そして実はこの状況は、いささかも変わりないどころか困難を増している。いい加減にしてほしい。と、思うが書かないで(書いてるやん/詳しく書いてへんからええやん)、せいぜい粛々と。
●――なんて少しは開き直って書けるのは、きょうはすべてのことをサボってうまいソバを食べてきたからだ。まず(ということは2軒あるのだが)いつもの「つる喜」(大津市坂本)。山中越え(下鴨大津線)は途中から濃霧でコワかったが天候が悪いせいでお客がひとりもいない店で、いつもの大盛りとうなぎの蒲焼を食べた(日本酒は飲みたかったがもちろんガマンした)。帰りに北白川の、白川通りから下鴨方面に少し入ったところにあっていつも入ってみたいと思っていた「茂平」でも大盛り(量は少なめだが値段も770円と安い)をたのんだ。一見すると機械切りのようにきれいに整ったソバだが、店の奥では終始トントンとソバを切る音が聞こえてくる(やはりお客が他にいなかった)。そのソバがやや縮れて盛られているのが惜しまれたが(これは好みである)、味はその見た目[→こちら]よりもはるかにすぐれる。駐車場も3台分で当然、わがソバ道のレパートリーに。
●書きながら、お前はソバを食ってるとイヤなことを忘れられるのか、と嗤う声が聞こえそうである。ま、そういうことだ(そうやってしのいでいる)といっておこう。
モダニスト 2002/01/16水23:54 [89]


暴力にかんする走り書きR  
 暴力が暴力を生む――米英軍事行動の開始以降、何度この種のトゥルーイズムが繰り返されてきたことだろう。たしかにそれが真実(truth)であるのは、暴力がなくなることはありえないからだ。
 さてこのとき、軍事をもって何らかの警察行動に出ることなしにこのたびのテロ以降の時間を過ごすならば、たしかに暴力が暴力を生む循環をいったん休止させることになりはするだろうが、それは同時に、テロの効用の証し、あるいはその正当化を意味することになる(じっさいある種の論者はアメリカの[広義の]政策にあのテロをもって報われるにふさわしいものがあるように語る)。
 「暴力が暴力を生む」が、人間が暴力から切り離されえない生き物であるという意味で真実であるのにたいして、「暴力が暴力しか生まない」――坂本龍一が編集したという『非戦』を貫くのはそのテーゼである――は、明らかに間違っている。いかなる暴力も許しがたいという平和主義の、逆説的にもその援軍さえも得て、暴力と無縁であることのできない悲しい性(さが)を生きる人間のその生を断ち切るのが、テロリズムにほかならないからである。
 このテロル(超暴力)の有効性を立証しないための決意を、たとえばブレアが語ったのであることを、思い起こそう。これは現下にあってアフガニスタンにもたらされつつある復興がさらによい方向に進み、難民や飢餓による死者が減少する、といった結果がたとえ得られないのであったとしても、誰かが引き受けねばならない決意にほかならないのである。
モダニスト 2002/01/16水21:41 [88]


雑記R  
●気になっていたが先送りしていた私的な手紙を2通、いま書き終わった。これほど文章を書くのがしんどいとは、と。
●上の手紙の1通に添える品物を買いに昼間、河原町に出た。四条通りとの交差点近くの「えり善」(着物)で風呂敷とハンカチを組み合わせた。われながらガラにもない選択だったと思う。
●帰りに、ブックファースト(新刊書)で安藤忠雄『連戦連敗』(東京大学出版会)、坂本龍一編『非戦』(幻冬舎)、シャパード他編『超短編小説』を、近くの赤尾照文堂(古書)でパナス『ユダによれば』(恒文社)とシュタイナー『第五福音書』(イザラ書房)を、それぞれ購入。ちなみに後者の古書2冊はともに第5の福音書を自称・潜称するもので、コンパクトな古書店でそういう本が置いてあるコーナーについ足を運んでしまう(美術書には目もくれない)ということは、そういう人間(どんな?)なのだと思わざるをえない(苦笑)。でも、さすがにシュタイナーのはゲテモノの部類に入るね。
●明日。重要な雑用(自己撞着的な表現ですてきだ)が3つほど。それでたっぷり1日がつぶれそうだ。夜はNHKの「ETVスペシャル」で、先日のヌスバウム&アガンベン両氏をまねいたシンポジウム絡みのプログラムが流れる。で、その翌日は――授業がないのはやはりうれしい(会議は延々半日つづくが)。
モダニスト 2002/01/14月03:52 [87]


さすがに昨日はR  
…ダウンした。学生から見れば教師の体調がどう映っているのかわからないし、じっさい教壇では疲弊したさまは見せないようにふるまっているつもりではあるが、入試や定期試験の採点や文部科学省関係やのもろもろの公務は残っているとはいえ少なくとも授業負担からは解放されるその日の夜に身体は、2本の箸ももちあげるのがたいへんなくらいに弱々しく崩れ落ちた。
 一夜明けて今日は――朝はそのまま眠っていたかったが仕方がないので保育所への送りもちゃんとこなして、午後はスイミングのアッシーもいつもどおりにこなして、とカラダをわずかに動かしたほかは、何か有益に過ごした(たとえばCDを買うとかといったことも含めて)という実感がまったくない。にもかかわらず子の機嫌もわるくて35歳離れた父子でまじめにケンカみたいな状態になって、しかも母のほうが父(もちろんぼくだ)に「自分のカラダの調子がよくないからそれでガミガミいいすぎる」のだなどというのでアホらしくなって「じゃあ母子でベタベタ慣れあって機嫌を直しなさい」とクルマで家を出て喫茶店にいって、こんな日に読みたい本もないのでパチパチと日記を打った(いまも打っている)。馬鹿げた一日だ。
モダニスト 2002/01/12土23:48 [86]


続・ヤラセについてR  
 そのキアロスタミの「クローズアップ」のなかに同じイラン出身の映画監督マフマルバフが二度、登場する。すなわち一度は、詐欺男が自身がそれであると騙るところの者として、また一度はラストの、釈放された同じ男が原告宅に謝罪におとずれるさいの同行者として。
 すでにしてじゅうぶんに自己言及的にしつらえられている作品は、こうしてまごうことなきメタ映画となるのだ、といってしまってもかまわないが、いずれにしてもこのラストシーンに登場するのが、バス車中で詐欺男が「これは私の作品です」といった「サイクリスト」という映画を撮った、マフマルバフそのひと自身であること(つまり友情出演というところやね)は、すべてがヤラセなのではないかと疑わしくなった全編を貫くなかにあってしかし、これだけは疑い得ない真実点として直観されるのである(地元で絶大な大衆的人気を誇る監督であるわけだからイラン人にはすぐに認知されるだろうがその相貌を知らないわれわれもその真実らしさを疑わないのはどうしたわけだろう;あるいはそうしてすぐに認知されるはずの人間を登場させるからそこはフィクションではないだろうと思い込んでいるのか)。
 それはさておき「サイクリスト」は、監督本人がいうところではアフガニスタンを舞台としたほとんど唯一の映画といわねばならないのだが(例外はあの「ランボー3――怒りのアフガン」だがしかしそれはほとんどがハリウッド近郊で撮影されている!)、白紙に近いリストのなかにこのたび、同監督の製作となる「カンダハール」が加わることになった。
 製作はとっくの昔に完了していた作品が、ときあたかも9.11テロとその後の米英軍事行動の文脈のなかで公開されることになり、朝のワイドショーなんかでも紹介されていた。テレビの画面には、空から投下される義足に向けて、地雷で片足を失った者たちがわれ先にと争って走る光景(たしかスローモーションだった)が映し出された。
 本人(の談話が紹介されていた)も認めるヤラセ場面だ。それが絶大な象徴的効果を有することはもちろんわかるが、作品全体の質の点でははたしてどうなのだろうか。いや、それよりもぼくには、彼の娘のハナ(だっけ?)・マフマルバフが10代で撮った「りんご」という映画の、閉ざされた世界に生きる盲目女が外部世界に触れることの象徴として街路脇民家の2階から(糸付きだがそれこそ)「投下」され、女の手がそれを掴む、1個のりんごと同じもののように思われた。さすが親子だ(別にいい意味でいっているのではない)と思わざるをえない。[まだ続く、だろう]
モダニスト 2002/01/12土21:27 [85]


ヤラセについて――本編のためのメモR  
 イランの映画監督キアロスタミが撮るのは、もっぱらヤラセ映画である。
 ――と書くとネガティヴな印象を与えかねまいが、眼前に展開するいかにもドキュメンタリィ風の時空間のなかに確信犯的にしのびこまされた綻びの数かずは、ありていにいえば(つまりそのようなものを無反省に信じる者も数少なかろうからだ)ドキュメンタリィとフィクションのあいだの二分法を、きわめて効果的に無効化するだろう(もちろんわざと自己撞着的な表現を選んでいる)。
 その意図された綻びは、たとえば19XX年に製作された「クローズアップ」のような作品のなかでは、詐欺を働いた男が罪を犯すきっかけとなるバス車中を再現する――これだけでじゅうぶん反ドキュメンタリィ的である――だけならまだしも、騙された女までもがその再現シーンで自己自身を演じ始めるようなかたちで、われわれを襲うことになるだろう。作品もすでになかばに達した局面でのこうした演出が、そこまでのドキュメンタリィ的性格を一気に退落させるばかりか(「じゃあ、あの2人が被告席と傍聴席にともにある迫真の裁判場面は何なのだ?」と)、彼が監督する作品すべての信憑性(ドキュメンタリィとしての)にたいする疑いをも引き起こさずにはおかない(「子どもたちに宿題を忘れた言い訳を語らせる感動的な「ホームワーク」だってヤラセではないのか?」)。
 だが、われわれ観客はすぐさま、そうした疑念が彼の作品ではなく〈映画〉にたいするそれであるに気づかずにはおれない。[つづく]
モダニスト 2002/01/12土20:41 [84]


最終回R  
 本編のほうはせめて3日に一度は更新したい、と思っていた(最初は2日を目標にしていた)。きょうはその3日目だが――東京出張の翌日に2コマ(講義&ゼミ)をこなしてさすがに疲弊している(前者の「表象批判II」最終回はキアロスタミ監督の映画「クローズアップ」からそこに友情出演(?)している同業者マフマルバフの本『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』に話題を進める、なかなか気の利いた演出であったはずだ)。
 その講義も明日の「西洋美術史II」ですべて幕が下ろされる。もちろんこれから定期試験(ぼくの担当分は25日[金]以降)があって、その採点も済むのは1ヶ月後となる、その事実があったとしても、これでしばらく授業負担から解放される喜びはひとしおである。
 だが、うれしいけれども同時に、いくばくかの悲しみも湧いてくるのであることを、今夜は隠そうとは思わない。すでに何度か明示的に書いたが、美術や音楽や映画や文学や、といったこととは本質的に関係のない公務で忙殺される日々にあって、講義は救いでもあるからである。
モダニスト 2002/01/10木22:59 [83]


帰路R  
――と呼ばねばならないのだろう、やはりこの、新幹線にゆられながら明日の2コマの授業進行を夢想する、この道のりは。
 それにしても、公務は思ったよりも早く(つまり予定時間をほんのすこしオーヴァーしただけで)終わり、京都ではなかなか短時間で回ることのできない種類の数店のショップでCDや本やPCサプライといった物品をまとめ買いし、そうして残された時間(場所は新宿で)が1時間半となったときに、やはり足を運ぼうと決心したのは、あいもかわらず板橋の「いなば」(寿司)なのであった。
 そう、東京駅まで行く時間をいれると正味40分ほどの余裕しかなかったが、東京家政大学に非常勤でおとずれるようになった30歳のころからもう10年は通っている(もちろん京都に引っ越してからは年に5、6度にすぎない)その店のカウンタに座らずに帰洛することは、ほとんど考えられないことだった。
 満足である。たくさん買ったわりには誇るべき釣果に乏しかった物品類のことを思うと、今回はこの胃袋の満足のための上京だったのでは、とすら思えてくる。アレ、文部科学省のことはどうした(笑)?
[以上、浜松〜名古屋間において、PHSはダメなのでdocomoの携帯経由で]
モダニスト 2002/01/09水21:28 [82]


東京よりR  
 期待した雪(笑)は残念ながら大したことはなく、ほんの数分の遅れで東京に着いてしまった。まあ、しかし現実的には仕事に穴をあけるわけにはいかないので、減速した車中から窓越しに雪景色をながめみて、はるか昔(でもないかな)、東京〜山形間の「つばさ」にしょっちゅう閉じ込められたことをなつかしく思い出せただけでも、よしとしなければならない。
 実際、米沢あたりで2時間ほども立ち往生した日には、どれほど仕事(公私に渡るいろんな次元の)が進んだことか。いっそ、ここで一晩過ごさせてくれないかと、それは思ったほどだ。
 ――と書いてはみたが、オット、これから虎の門に直行しなければならない(いまは内幸町の洋食屋)。やや遅れて始まった「相談」がその遅れた分よりはいくぶん長くうしろのほうにズレ込んで、おそらくはそのあと、われらが同胞でちょっとした整理をおこない…、で、あとは帰りのひかり(241号)まで、どれくらいの余裕ができるかである(それによって時間のつぶし方がちがってくる)。
モダニスト 2002/01/09水12:27 [81]


もう一発R  
●明日は午前中、琵琶湖南岸あたりから東海地方にかけて雪のようだ。まるでわが上京を阻むようではないか。ならば文部科学省相談が終わる時刻(15:00)にゆっくりと新幹線が東京に着いて(ぼくがいなくともエライ事務局長ほかがいるさ;ぼくは車中でゆっくりと本でも読んでるさ)、そのまま帰る足が断たれるというのはどうだろう。1月は細君の仕事の都合(7:00前に山科に向けて発つ)で朝の保育所への送りはこっちの役目となっているが、幸い10日(木)は通常の8:00出勤モードでいいらしい。泊まれ、っていう神の配慮ではないかいな(笑)。いや、ダメだ、2&4限に授業がある。予備校講師時代に培われた(?)職業意識のゆえに、這ってでも帰らねばならない、と思う。だが、這っては帰られない距離だ。
●大嫌いなニュース23に瀬戸内寂聴氏が出演していた。日本人には危機感がなくなった、ということだが、あのテロ+米英軍事行動に際して2日ほど(だっけ?)の断食をすることが危機感の表明というのだろうか。ご本人は、世界の宗教人とちがって何もしない坊主(仏教の)たちに嫌気がさして、断食のあいだ祈り続けていたらしいが、祈り以外の行動が、そこでは起こされねばならなかった。テロ以後の米英の軍事行動を批判することは簡単だが、具体的な対抗措置を講じないでテロの切っ先をつねに突きつけられてある状況にあることがいまある状態(軍事行動の細部にももちろん問題がないわけではない)よりも望ましいとは、どう頭を捻っても思い至らない。反軍事行動の論理は、そこに軍事行動が現にあることによって逆に救われる、死ぬる決意のない断食に似た空論である。
●――と、こんなふうにいつも悪口を書いている/語っているのだけどね(苦笑)。
モダニスト 2002/01/08火23:57 [80]


雑記R  
●朝の授業のあと夜まで、ほんとうに会議が続いた。苦痛だった。愚痴ではない。事実について語っている。何か報いがほしい(笑)。
●その合間(夕刻)。さる学生から「第1室」への下品な(?)書き込みの話を告げられた。「表象批判II」という授業の、旧年内最後の回でのわが発言をめぐる、よくいえば問題提起を内容とするが、通信はもっぱらsigmarion2(いま叩いているのもこのマシンの小さなキーだ)に移行し、そこの「お気に入り」フォルダには自分のHPについても日記と「第2室」しか入っていないので、すっかり見過ごしていた(この点は反省しなければならない)。管理者の代わりにさる読者が応接してくれていたが(イデオロギー的に近いという意味ではない)、そんなにスゴまなくても、と思いつつも、自分で叩き始めた文章も最後はずいぶん下品になっていた。ま、いきおいで書いたものには、それなりの内容がある、と思って、ここは削除すまい(でも、いくつか表現は直したいな)。
●明日。上の「第1室」にも一昨日のこの欄にも書いたが、明日は久しぶりに文部科学省に出向く。ありがたい話を聞きに行く、といった風情がそもそも体質に合わないのだが(実際ありがたい話ならまだ救われるのだが)、それでも、東京に行くこと、それだけでうれしい。明日のような、トンボ帰りしなければならない場合でも、同様だ。もしかしたら「行く」というよりも、いまだ「帰る」という感覚で、受けとめているところがあるからかもしれない。先日はこの京都が故郷になりつつあるように書いたのに[73]、裏腹といわねばならない。
モダニスト 2002/01/08火22:24 [79]


夜の嘆息と夢想R  
 昨夜のような日記がいちばんつまらない。いそがしい、いそがしいと、その予定まで書き募る。その日々のなかにかいまみえる美点をこそ記さねばならない。はずだ。
 が、そう決意してみると、書くべき内容など、こんやは浮かばない。
 ならば「第2室」に向かってはどうだ? そこには積み残している課題が残っているはずだ。
 だが、そこに書き込むためにメモっていた相当量の文章をさっき、このsigmarion2と母艦PC(こいつもじゅうぶんにモバイルなCassiopeia FIVAだ)の同期をとるさい、競合する(ともに別個に更新されていて新しさの序列化がコンピュータ側で自動的にはなされえない)2ファイルの処理を誤って(つまりほとんどいじっていない母艦側データで同期してしまって)、すっかり消えてしまった。
 思い返すとたいした内容のメモでもなかった、ような気もする。が、途中にぼく自身の判断によるタッピング(ペンがタッチパッド替わりなので)が介在しているだけに、みょうにくやしい。
 くやしいが、これまでに実生活で経験し、気をつけないとこんごも繰り返してしまいかねないミスだと、嘆息しつつ、なかばこの過酷なる日々をそうしているように、楽しんでいる。あるいは、こういう判断をミス無しで実行できるコンピュータこそ、HAL9000みたいなヤツなんだろう、なんて夢想、している。
モダニスト 2002/01/08火02:32 [78]


大学始業前夜R  
●明日から大学が始まる。レポートを抱えている学生のなかには今夜は徹夜という者もあるだろうが、休み中にサボった教員も似たようなものである。まずは12月中に事務に提出していなければならなかった定期試験の問題3科目分がまだ完成していない。適当にこしらえることは簡単だが(同語反復だ)、そうしたものは採点に苦労する(なにしろ500人超の分を10日ほどで上げなければならない)。良問で、しかもシロクロがつきやすいものを、と考えると、まだしばらく悩みそうである(とはいえ朝には届けねばならない)。その他、時間割希望の届け出も、どうせさまざまな事情で変更を余儀なくされるものだと思うと、面倒くさいこと限りない。明後日に3つ控える会議関係の準備もある。あっ、次の水曜日(9日)は文部科学省相談であった(ただし翌朝の保育所への送りがあるので日帰りである)。卒論の試問もあることだし、入試が終わるころまで、また首が回らない日々が続く。
●――なんて書きながら何だが、さっきからNHK教育で朝比奈隆氏の追悼番組を放送していて、ブルックナー[第9番、オケはN響]なんかはまだいいけど、ベートーベン[第7番、オケは大フィル]は「それはないだろう」という遅さで、さすがに閉口した。もっと若い時期の、イキのいい映像をもって追悼しようという発想はないのか。(どうやら仕事は進みそうもない。)
モダニスト 2002/01/07月00:12 [77]


ヤーノシュ・シュタルケル、1999年9月14日R  
 劇作家の堤春恵さんからビデオ・テープが届いた。中味は、わが愛するチェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルの生誕75年を祝ってブルーミントン(インディアナ州)で開かれたコンサートのライヴ映像(1999年9月14日;元は地元のテレビ局で放送されたもの)[→こちら]。
 堤さんのご主人は有名なチェリスト堤剛さんで、シュタルケルに学んだあと、いまは師の同僚として母校インディアナ大学で後進の指導に当たっておられる。上のコンサートでもドヴォルザークの《森の静けさ》を朗々と弾いておられたほか、170余名のシュタルケル門下生が集ってポッパーを演奏したアンサンブルの一角にもその姿が認められた。
 ちなみにシュタルケル本人は、娘婿のプレウシル(クリーヴランド四重奏団の1stヴァイオリンを永らく務めたあと請われてクリーヴランド交響楽団のコンマスに就任した)とともに、ブラームスの二重協奏曲のソロを見事に弾き切った(この直後に彼は来日を果たして、その演奏にはぼくも京都と岡山で接することができた)。というよりも、ここでの見せ場はロストロポーヴィチとの共演で、つまりこの指揮もよくする3歳年下の音楽家が棒を振って、ライヴァルの演奏をサポートしたのだからである。これは稀代のチェリスト2人が出会った最初の、そしておそらくは最後の、機会である。
 堤春恵さんとは、昨年6月のさるシンポジウム(ぼくは裏方として関わっていたにすぎないが)のパネラーとして大学にお招きしたさいにお会いした切りの間柄で、まあしかし確かにそのあとの懇親会で、ご主人やシュタルケル師の剛毅なチェロの系譜にふれながらひとしきり音楽談義に花を咲かせたさい、そうしたビデオ・テープがあって、という話になっていたのではある。どのようにお礼の手紙を書こう、と考えるとじつは少し気が重くなるくらい、いまは感謝にたえない。
モダニスト 2002/01/06日02:23 [76]


保育所が休みだと…R  
…何をしたって時間がもたない。仕方なくゴジラの最新作を観にいった(ほんとうはもっと他の映画が観たい)。
 ところが今日(いつものセリフだがすっかり「昨日」だ)の京都は、街中がひどい混雑で、いつもはガラ空きの御池の駐車場がまずは一杯だった。時間もないので母子を六角河原町で降ろして(映画館は少し北へ上がった三条手前の京都宝塚劇場)、父はぐるぐると空いている駐車場を探し回った。2周目で三条パーキングにようやくクルマを入れることができた。
 もはやゴジラを遅れて観ようともせず、ひとりJEUGIAへ入った。CD数枚とDVD1枚(「スターウォーズ――エピソード1」)を購入して、いつものように向かいの「本家田毎」に入った。正月用メニュー(おろしソバと天丼[小])があったのでそれをたのんだ。目をむくほどのものではないが、とりあえずここ数日食べたうちではいちばん美味であった。
 映画はゴジラだけでなくハム太郎との2本立て(要3時間)で、さすがに待たされることになった。落ち合うと、子は、先着順でもらえるはずだったゴジラのマスコット人形(か何か)が数人手前で切れたので、荒れていた。無理をいうなと叱って抱き上げたら、肩のところにツッ伏すようにして、震えながら泣きはじめた。人前で大泣きするのは、さすがに恥ずかしくなってきているのである。
 ほんの半年前であればこういうとき役に立ったであろうDVDは、そうして成長してきたおかげで、悲しみの絶頂にあっては何の慰めにもならないのだった(オトナと同じやね、そういうのは)。ま、もともと映画を3時間も観た同じ日に開封するつもりはなかったので、「エピソード1」は明日の時間稼ぎの素材となる(くりかえすが父は、今週のうちにできれば「みなみ会館」の無料チケット[see 68]をもう1枚使ってしまいたいが)。
モダニスト 2002/01/05土03:40 [75]


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