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暴力にかんする走り書き 
 暴力が暴力を生む――米英軍事行動の開始以降、何度この種のトゥルーイズムが繰り返されてきたことだろう。たしかにそれが真実(truth)であるのは、暴力がなくなることはありえないからだ。
 さてこのとき、軍事をもって何らかの警察行動に出ることなしにこのたびのテロ以降の時間を過ごすならば、たしかに暴力が暴力を生む循環をいったん休止させることになりはするだろうが、それは同時に、テロの効用の証し、あるいはその正当化を意味することになる(じっさいある種の論者はアメリカの[広義の]政策にあのテロをもって報われるにふさわしいものがあるように語る)。
 「暴力が暴力を生む」が、人間が暴力から切り離されえない生き物であるという意味で真実であるのにたいして、「暴力が暴力しか生まない」――坂本龍一が編集したという『非戦』を貫くのはそのテーゼである――は、明らかに間違っている。いかなる暴力も許しがたいという平和主義の、逆説的にもその援軍さえも得て、暴力と無縁であることのできない悲しい性(さが)を生きる人間のその生を断ち切るのが、テロリズムにほかならないからである。
 このテロル(超暴力)の有効性を立証しないための決意を、たとえばブレアが語ったのであることを、思い起こそう。これは現下にあってアフガニスタンにもたらされつつある復興がさらによい方向に進み、難民や飢餓による死者が減少する、といった結果がたとえ得られないのであったとしても、誰かが引き受けねばならない決意にほかならないのである。
モダニスト 2002/01/16水21:41 [88]




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