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. クリスマスが過ぎて モダニスト 12/26水04:18[63]選択


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. クリスマスが過ぎてR  
●とんでもないクリスマスであった。その日の朝までの約束だった原稿はけっきょく夕刻に本文部分を入稿するだけで許してもらって、注や図版、参考文献のことは、(年末の締切なんてどうせサバを読まれているんだろうから年明けまで引っ張ろうという卑しい魂胆に反して本当に年末の作業だというので)28日あたりまでに完全なものとして追送するという交渉で、なんとか落ち着いた。それにしてもこんなにしんどいのは、今回リライトすることになった元のテクストの出来がひどかったからだ。市販に供されない大学の通信教育用のものであるとはいえ、読者には迷惑をかけた(だって論理が捩れていて一読しただけではよくわからない箇所がいくつもある)というべきである。それを直すことができた(かな?)という意味ではもちろん作業は有益であったし、あるいは、同じ程度にではないにしても不満足なかたちで放り出した諸テクストを気の済むように改訂することの必要性もあらためて痛感した。次年度に予定されている、これまでに書いたものをまとめる作業にあたってはこのあたりのモヤモヤした感じの払拭をこそぜひ念頭において――。
●以上のようなわけで、きのうの夜にはきちんと書き上げてこの場所か直接「本編」にかアップしようと思ってメモっていた「クリスマスに寄せて」という文章が、そのままでは無駄になってしまうことになった。幸い、クリスマスの話題(イエスの誕生)に議論が展開するまえに中断してしまっているので、とりあえずメモ状態のままでここに――「曽野綾子のようなひとが左翼系の『週刊朝日』誌(2001年12月28日号)に敬宮愛子内親王誕生を祝す文章を寄稿するのは、瀬戸内寂聴が『週刊新潮』誌(同12月27日号)で米英の軍事行動への批判を記すのと(事態は逆だがカタチとしては)同様の、器(メディア)と中味(イデオロギー)のミスマッチというべきである。/いや、朝日だって『敬宮愛子さま ご誕生』という同誌増刊号を出すくらいだから、もとより天皇制にたいする捩れたスタンスもその程度の見通しのよさを有しているというべきだが(だが最近は「赤旗」だって祝賀特集を組むんでしょ[笑])、それはさておき曽野氏の議論はこのたびも傾聴に値するものとなっている。/「私はキリスト教徒だが、皇室が古くから国際交流の実を挙げ、正倉院や雅楽などに見られる外国文化の上質の受け手であり保存のためのパトロンの役割を果たしてきた功績は実に大きい、と思っている。[中略]しかしそうした事実には前提がある。皇室が完全に政治の権力の外に在り続け、皇室のメンバーは使命としてひたすら内外すべての人たちの幸福を希われるために行動しておられる、という姿勢を貫かれているという事実があるからだろう。」/もちろん全部に頷くつもりはない。程度において眉に唾して読むべき内容がここに含まれることは否定しないし、とりわけ「政治の権力の外」であるかどうかはおおいに問題があるというべきだが(もっとも曽野氏も確信犯だろう)、民主主義の外に位置するほかない皇室がいまなおかくあり続けていることは、逆にそれだけで、民主主義を照らし出す特異点としての効用を有してはいる。/ 全面的な民主主義など幻影にすぎない以上、そこから明示的に切断された観察点を所有することは、困難な仕儀であるというほかない。」
モダニスト 2001/12/26水04:18 [63]



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