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続・ヤラセについて 
 そのキアロスタミの「クローズアップ」のなかに同じイラン出身の映画監督マフマルバフが二度、登場する。すなわち一度は、詐欺男が自身がそれであると騙るところの者として、また一度はラストの、釈放された同じ男が原告宅に謝罪におとずれるさいの同行者として。
 すでにしてじゅうぶんに自己言及的にしつらえられている作品は、こうしてまごうことなきメタ映画となるのだ、といってしまってもかまわないが、いずれにしてもこのラストシーンに登場するのが、バス車中で詐欺男が「これは私の作品です」といった「サイクリスト」という映画を撮った、マフマルバフそのひと自身であること(つまり友情出演というところやね)は、すべてがヤラセなのではないかと疑わしくなった全編を貫くなかにあってしかし、これだけは疑い得ない真実点として直観されるのである(地元で絶大な大衆的人気を誇る監督であるわけだからイラン人にはすぐに認知されるだろうがその相貌を知らないわれわれもその真実らしさを疑わないのはどうしたわけだろう;あるいはそうしてすぐに認知されるはずの人間を登場させるからそこはフィクションではないだろうと思い込んでいるのか)。
 それはさておき「サイクリスト」は、監督本人がいうところではアフガニスタンを舞台としたほとんど唯一の映画といわねばならないのだが(例外はあの「ランボー3――怒りのアフガン」だがしかしそれはほとんどがハリウッド近郊で撮影されている!)、白紙に近いリストのなかにこのたび、同監督の製作となる「カンダハール」が加わることになった。
 製作はとっくの昔に完了していた作品が、ときあたかも9.11テロとその後の米英軍事行動の文脈のなかで公開されることになり、朝のワイドショーなんかでも紹介されていた。テレビの画面には、空から投下される義足に向けて、地雷で片足を失った者たちがわれ先にと争って走る光景(たしかスローモーションだった)が映し出された。
 本人(の談話が紹介されていた)も認めるヤラセ場面だ。それが絶大な象徴的効果を有することはもちろんわかるが、作品全体の質の点でははたしてどうなのだろうか。いや、それよりもぼくには、彼の娘のハナ(だっけ?)・マフマルバフが10代で撮った「りんご」という映画の、閉ざされた世界に生きる盲目女が外部世界に触れることの象徴として街路脇民家の2階から(糸付きだがそれこそ)「投下」され、女の手がそれを掴む、1個のりんごと同じもののように思われた。さすが親子だ(別にいい意味でいっているのではない)と思わざるをえない。[まだ続く、だろう]
モダニスト 2002/01/12土21:27 [85]




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