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「世界のOZAWA」から「日本の小澤」へ――速記メモ 
●たったいま[19:00]、BS2でウィーンフィルのニューイヤーコンサートの生放送が始まった。指揮棒を振るのは小澤征爾。基本的にワルツは苦手だからじっと聴いているのもキツいだろう(笑)。ということで、思いついたことがあったらメモろう(そうしてなるべく早くに「本編」に)と…。
●が、20:00からの教育TVでの放送よりせっかく1時間多くBS枠がとられているのに、なかなか「本編」(演奏会の)が始まらないので、まずは今日元旦の産経新聞に載ったある談話の引用から(と書いたものの途中[19:15]から映像が楽友協会に切り替わったので約めて)。「日本の芸術、文化がすでに世界水準を超えたことを感じさせる。[…]小沢さんは指揮者としてのレベルはもちろん、しんの部分に日本的な繊細な感性や深い精神性を持ち続けたことで世界に評価された。『日本の小沢』から『世界の小沢』になれた。日本的なものを捨てた国際化では、世界で評価されない[…]」(中西輝政・京都大学教授)。政策にかんする見解はおおいに耳を傾けるべきひとだが、上に引いた内容はいかにも浅薄だ。が、なかばのリップサーヴィスがあるとしても(浅薄という以上に)誤謬といわねばならないのは、小澤がいまようやく世界的に評価されたかに書く点だ。どんなに遅く見積もっても1980年代には彼は「世界のOZAWA」になっている[あっ、いま第2部との間の休憩に入った]。それに比べてむしろ評価が低かったのは国内のほうではなかったか。じっさい一部では常套句のように「小澤の棒から西洋音楽の真髄が聴かれるはずはない」式の評価がまかり通ってきたのである。だが、いっとき彼に異常に辛かった宇野巧芳氏なども最近のマーラー(オケはSKO;これを聴くとバーンスタインもトロくきこえることがある)などは手ばなしの誉めようである(ベートーベン評は相変わらず厳しいが)。「世界のOZAWA」としてだけでなく、これから「日本の小澤」としても生きる、資格と義務が、彼にはある。
●第2部[20:15〜]がすでに始まっている。指揮は好調とみえるが、それにしても小澤の何がそれほど世界でウケるのか。過去の日記でも書いたことがあるかもしれないが、一時期出した暫定的解答は、要はセクシーなのだ、というものだった。元は「そんなにエラいかヨーヨー・マ」のタイトルで某掲示板に書き込みをしたときのレスにあった句を、流用したのである。
●それにしても、きょうのライブのCDがもう今月半ばには発売されることになっている。何年か前から、おかかえアーティストがこの栄誉に浴したレコード会社は、ほとんどビョーキとも思える編集・プレス・出荷体制をとってきたのだが(マスターのDATも数日後には航空便で届けられるんやろね)、これがショップの棚に並ぶのが1ヶ月遅れたところで、何の不具合があるのだろう。ちなみに、演奏中の事故(ミス)への対処のためにゲネプロも録音されているはずだが(最近のライブなんてみんなそうだ)、緊張感に満ち(過ぎ)たライブよりも(観客席の雑音がないこともあって)パッチワーク用のほうが落ち着いていていい、という話もあることだし、いっそ「正真正銘のゲネプロ!」のコピーが帯に踊るCDが出てもいいんじゃないか。あまのじゃくはきっと買うだろうと思う。
●いま21:00。《エリーゼ・ポルカ》で大拍手が起きた。つぎの(曲名は何だ?)に合わせて騎馬が踊りだした(毎年あるホール外の映像とのシンクロの演出だ)。そうしたら細君が「今年が午〔うま〕歳やから?」と訊いてきた。あんまりくだらない問いなので、すごく疲れた。
●聴きながらキィを打つのもしんどい(笑)。キュッヒル(コンマス)氏の美しいソロで眠気も襲ってきた(年が明けて2時間ほどしか寝ていない)。最後までもつだろうか、と思いつつ、この馬鹿げた作業を(一時?)終えたい(終えたらそれこそ眠ってしまうんでは?)。
●と書いているうちに正規のプログラムは終わった。これから何曲かアンコールを弾いて、最後はおきまりのラデツキー行進曲となる。最後はじっくり観て楽しもう[21:20]。
モダニスト 2002/01/01火21:21 [71]




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