Dec 05, 2007

落下地点予測

電脳コイル最終回について思ったこと。(ちょっと遅いけど)

見逃してはいけないとばかりに一応ビデオ予約してたのですけれど、
録画開始後10分程度で止まりやがったりと中々愉快な事態が出来したり。
というか「HDDレコーダー?何それ」という感じで
未だに僕の家ではビデオが大活躍ですがそれはともかく。
オンタイムで観ててよかった。

内容。
やっぱりあのヌルはおじいちゃんだったかー、とか。
色々お話が収束していく感じは最終話よりも先回の話の方がちょっと
強かった感じがしました。
ただ、個人的には最終的な話のまとまり方としては、
「集合無意識」とか言っていたのがヤサコ自身の紡ぎ出した世界
(「セカイ」というべきか)であったりと、少し物足りない感じを持ちましたが、
結局のところNHKのアニメ足るべき、少年(少女)の成長物語としては
正しい着地点だったのかな、という気はしました。
しかしいずれにしても、物語全体を覆っている何とも言えない奇妙な不安感は、
少なくとも年かさの視聴者にとっては自分のコード(SF、サイバーパンク等)を
揺さぶるというよりは、「サハラ」的(こんな言葉を使っていいのか迷うけど)な
広漠さのみが残ったんじゃないでしょうか。
何だろう、もし90年代のアニメ・・・lainや電脳組とかから投げられたコードの
落下地点の一つがここだというならば、少しだけ寂しいような、
それでいいような、隠微な感情を少し覚えます。

そんなことはさておき、至極まっとうな読み方をするなら
ヤサコとイサコにとって、それぞれの大切なものを喪失することと
それを乗り越えて大人の世界(また世界だ)へと加入する為の境界の物語
ということになるんでしょうが、ただ、イサコ場合は過去に既に死んでいる
人物であるということが、この『電脳コイル』という作品が成立する為の
鍵なんでしょうね。
(同じ時間軸で登場人物が死ぬというのは子供向アニメでは禁忌でしょうし)
で、そこで一つ思い出したのは、ドラクエの4だったかのラストで
主人公の幼馴染のエルフの子が生き返る話。
いつか船戸明里が同人誌で「少年時代の象徴だから復活は許さん」とか
そのことについて書いていて、それを読んで「なるほどー」とか少年ごころに
(まだ高校生だった)思ったりしてたんですが、
今回のヤサコの話を見るにつけ、酷なようだけど、お話としてはこちらの方が
整合感があるなあ、と思った次第なのでした。


そういえば、ヤサコの声の人って『灰羽連盟』のハネコプターの人なのね。

それにしてもエンドロールで流れるスタッフの並ぶ名前の豪華なこと。
僕でも分かるくらいだから、詳しいひとはもっと
(嬉しい?)叫びを上げているんじゃないかな。
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