Re: 取敢えずジロンに突っ込んどけ ( No.19 ) |
- 日時: 2004/06/03 23:07
- 名前: X
- >実質的な政権交代の経験が少ない(戦後では1度だけ)この国
なぜ1度とされたのかよく分かりませんが、実質的な政権交代を「与党から野党」と考えるならば、戦後4度あります。
自由党(吉田首班)→社会党片山首班(民主党との連合) 1947年 民主党芦田首班(社会党との連合)→自由党(吉田首班) 1948年 自民党(宮沢首班)→細川首班(多党連合) 1993年 羽田首班(多党連合)→社会党村山首班(自民党との連合) 1994年
|
前提に難アリかと ( No.20 ) |
- 日時: 2004/06/03 23:10
- 名前: 凧 <tako@sky.biglobe.ne.jp>
- >モナカ さん
正直、逮捕と起訴がイコール条件では無いところへ無罪判決の割合を持ってくる ことに違和感を感じていますが。推定無罪が受入れられるられない以前にそう言っ た啓蒙自体が行われていないと述べています。それに争うことで勝てそうな事案で も個人の側の負担の重さから有罪を受入れているケースも少なからず在るでしょう。
#47 氏にしても保釈補償金 \500 万の金額を、仮に支援金の無い状態で個人が用 #意するには大変に大きな金額です。それこそ、送信可能化権の侵害ほう助で略式 #命令を受けて払う罰金の方が小さいです(その後に予想されるであろう民事は棚 #上げで)。こんな状況で無罪の確率云々自体語れません。
|
あー... ( No.21 ) |
- 日時: 2004/06/03 23:20
- 名前: 凧 <tako@sky.biglobe.ne.jp>
- 言い訳は本文追記にて(^^;) > X さん
|
Re: 取敢えずジロンに突っ込んどけ ( No.22 ) |
- 日時: 2004/06/03 23:22
- 名前: A・キアロ
- ええと、
無罪率が高い→容疑者イコール犯罪者とは看做されにくい。 これはわかります。 でも、 >推定無罪が社会に一般的に受け入れられるためには、現在よりかなり高い確率(社会常識として認識されるのに必要十分な割合)で無罪判決が出る状況である必要があると考えます これがわからない。 なぜそう考えられるのでしょうか?それ以外に方法はありませんか?
|
Re: 取敢えずジロンに突っ込んどけ ( No.23 ) |
- 日時: 2004/06/05 21:18
- 名前: モナカ
- 書き込めるかな?サーバーダウンしてましたか?
とりあえず、
A・キアロ氏
単純な話で、 推定無罪が受け入れられる状況、イコール無罪判決がたくさん出る状況 と考えてるだけのことです。
|
Re: 取敢えずジロンに突っ込んどけ ( No.24 ) |
- 日時: 2004/06/05 22:25
- 名前: 朱蓮
- >>モナカ氏
>推定無罪が受け入れられる状況、イコール無罪判決がたくさん出る状況 >と考えてるだけのことです。
答えになっていませんね。 A・キアロ氏は、「そう考えるのは何故か」を問うているのですが。
それと、凧氏のコメントの
>逮捕と起訴がイコール条件では無い
の意味は理解されていますか? マスコミ報道は逮捕の時点でなされます。 しかし、逮捕されたからと言って起訴されるとは限りません。不起訴相当もしくは起訴猶予がありえます。裁判にすらならない事例は多いのですよ。 そして、起訴されて初めて、無罪率云々の話になります。
ぶっちゃけた話、とりあえず逮捕してマスコミ報道。後、拘留期限切れのため不起訴のまま釈放、という流れを辿る事もままあるわけで。 もちろん、釈放の記者発表など余程の事がない限りしませんがね。
|
Re: 取敢えずジロンに突っ込んどけ ( No.25 ) |
- 日時: 2004/06/07 22:05
- 名前: モナカ
- >朱蓮氏
再度書き直すと、
狭義の不起訴相当処分の割合が高い→被疑者イコール犯罪者と看做されにくい 裁判において無罪率が高い→被告人イコール犯罪者とは看做されにくい。
これだけのことです。 現状においては、利害も関心も無い他人が被疑者や被告人とされた場合はイコール犯罪者 と看做したほうが安易で間違えも少なく、言ってしまえば合理的なわけです。
従って、従来の合理性を崩し推定無罪が社会に一般的に受け入れられるためには、現在よりかなり高い確率(社会常識として認識されるのに必要十分な割合)で無罪判決や狭義の不起訴相当処が出る状況である必要があると考えました。
>とりあえず逮捕してマスコミ報道。後、拘留期限切れのため不起訴のまま釈放
それで、朱蓮氏としてはどうなって欲しいのでしょうか? 逮捕の段階で今より絞りをかけるとすると、結果的にますます逮捕イコール有罪という風潮を助長することに成るのではないかと考えますが。
|
Re: 取敢えずジロンに突っ込んどけ ( No.26 ) |
- 日時: 2004/06/07 23:00
- 名前: 朱蓮
- どうなって欲しいも何も・・・
「逮捕と有罪がイコールではない以上推定無罪であるべき」 これ以上でもこれ以下でもなく、理念の問題です。
>現状においては、利害も関心も無い他人が被疑者や被告人とされた場合はイコール犯 >罪者と看做したほうが安易で間違えも少なく、言ってしまえば合理的なわけです。
つまり自分に害が及ばなければどうなっても良いと。危険な考えですね。 私はそんな怖い考えには賛同出来ませんよ。自分の身に降りかかったときが恐ろしい。
仮に何かの犯罪に巻き込まれ、無実であるのに逮捕されたとします。 捕まったら最後、犯罪者ですか?
満員の電車の中で、痴漢があったとします。自分が犯人ではないにもかかわらず、いきなり腕捻り上げられて「この人痴漢です」これで犯罪者ですか?
この後徹底的に戦って無罪判決を勝ち取ったとしても、推定有罪の風潮の中では二度と社会的に立ち直れはしませんよ。
ちなみに例示の前者は松本サリン事件、後者は最近あった山の手線内の痴漢事件ですね。 容疑者とされた方々は、無実であるにもかかわらず、世間の好奇の目に晒され、職を失い、塗炭の苦しみを味わったわけです。
もしこれが自分だったら。可能性はゼロではありません。 ここに推定無罪の意義があるのです。
確率的には有罪率は高くて当たり前。しかしそれでも誤認逮捕はあるのです。 逮捕=犯罪者なら司法は要りません。
|
Re: 取敢えずジロンに突っ込んどけ ( No.27 ) |
- 日時: 2004/06/10 20:39
- 名前: モナカ
- >朱蓮氏
誤解があるようなので再度。
>つまり自分に害が及ばなければどうなっても良いと。危険な考えですね。 >私はそんな怖い考えには賛同出来ませんよ。自分の身に降りかかったときが恐ろしい。
私がここで言っているのは道徳的善悪の問題では無く、社会がそれをどう認識するかということなのです(社会がそれをどう認識すべきかを問題にしているのではない)。
可能性がゼロではない、という理由で推定無罪を受け入れてそれを実践できるような利他的な人ばかりで社会が成り立っているわけではありません。むしろ現実は逆ではないでしょうか。
それならば、社会が利己的な人間の集団であっても、何とか運用できるような法制度が必要だと考えたほうが現実的ではないでしょうか。
そのような観点を考慮しない批判は、残念ながら道徳的な「お説教」と大差が無いのでは ないか、と私は考えます。
|
Re: 取敢えずジロンに突っ込んどけ ( No.28 ) |
- 日時: 2004/06/10 22:55
- 名前: 朱蓮
- >>モナカ氏
>誤解があるようなので再度。 >そのような観点を考慮しない批判は、残念ながら道徳的な「お説教」と大差が無いの >ではないか、と私は考えます。
批判云々じゃないんですけどね。この一連を「お説教」と取っているようでは聞く耳はお持ちじゃないみたいですし。
No.15 凧氏 >推定無罪は尊重されるべきだ
に対して、
>>27 モナカ氏 >社会がそれをどう認識すべきかを問題にしているのではない
完全にすれ違ってますね。
推定無罪は法の一般理念として定着した概念です。例えば、
世界人権宣言第11条1項 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公 開の裁判において法律に従つて有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
日本民間放送連盟報道指針にすら、 犯罪報道にあたっては、無罪推定の原則を尊重し、被疑者側の主張にも耳を傾ける。 取材される側に一方的な社会的制裁を加える報道は避ける。
等々、挙げればキリがありません。 社会がどう認識すべきか、と言う点については、既にコモン・ローと化している「推定無罪」に軍配が上がるでしょう。
さて、その上でなお
>>27 モナカ氏 >社会が利己的な人間の集団であっても、何とか運用できるような法制度が必要だと考 >えたほうが現実的
と、言うからには、「推定有罪」を基盤とした上で、
『もし無罪判決が出た場合に、被疑者を救済できる、「現実的な法制度」』
を、貴兄は提示することが出来ますか?
失礼ながら、貴兄は「現状を追認しろ」と言っているようにしか思えない。
|