1週間の終わり――。卒論の指導とか会議とかで疲れが飽和状態になって廊下をのたりのたりと歩いていたら、姜尚中氏(東京大学)を講師に招いた講演会(まさに今日その時間帯に学内で開かれている)のポスターが貼ってあるのに、気づいた。とたんに何やら疲れが増した。 氏は、じつは先月もある対談に招かれて来校していた。だいぶ前になるが(去年だっけ?)、別のシンポジウムのパネラーにも名を連ねていた。主催者(招聘団体)がその都度ちがうから別にいいのだけど(今回のどこかの学部の自治会だったはずだ)、総じてウチの学校(いわゆる学校法人格のことではないがやはりある種の「人格」的なニュアンスを込めていっている)が、ああいうタイプの論客が好きなのであるらしいことは、疑いえない。 さて、同じように一つの大学のさまざまな団体に呼ばれでもしたら「このひとたちには企画力があるんかいな?」と思ってしまうであろう、そんな悪意に満ち満ちたぼくが「ああいうタイプ」と反りがあいそうにないことは、ここを多少とも継続的に読んでくれているひとには、明らかだろう。 だが、それに加えて、もう一点告白してしまえば、顔つきがきらいなのだ。何というか、心から笑うことをせず(もちろん私的な場所ではどんなであるか知らないさ)、つねに被告席を見つめる原告のそれのような目をしている、そのようにぼくには見える。同時多発テロ以降の米英の軍事行動やわが国の協調路線へのコメントを主催者から当然のごとくに求められて、彼もまたいつものあの目、あの口調で、批判の言葉を発したのだろう。 ――だからどうだというのだ!? いや、どうということもないさ。つぶやきにすぎない。ぼくの近しい同僚のなかにもいる、彼を招聘したひとたちの心証を害することはありこそすれ、何らのプラスももたらさない、しかし命をつなぐための呼気に紛れて発せられる、つぶやきだ。 |
モダニスト
2001/12/14金22:33 [39] |