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. 家族の肖像[草稿] モダニスト 03/02日22:06[207]選択


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 [[278](20030302)用に早い時間帯から書き始めたが1時間ほどもかかって300字オーヴァーということで、あきらめ気分で当欄[2]に投げ出すことにした。さあ、未明までに圧縮する気が起こってくるかどうか。]
 もう数週間になろうとする絶望的な夜型で、しかも起きたら家族の喧騒から逃れられない/書くに足る話題に事欠く日曜日。ということで今宵、二重の意味合いをもって選ばれるのは、昨夜BS2で放送されたヴィスコンティの「家族の肖像」のこと。
 天王寺ステーションシネマで見た。というか、昔はほとんどココともう1軒しか知らないも同然だった([048]を参照)。この館で見た作品は、であるからか不思議にもどのあたりの座席だったかまで覚えていたりする。で、1974年の制作だから、またしても翌年あたり――つまりわが映画少年時代([204]でも)――の鑑賞にちがいない、と。中学生がヴィスコンティとは、われながら早熟な。
 だが調べてみると本邦公開は1978年(ということはキネ旬の第1位なんかをとったのもその年?)だから、私は高校生だったことになる。高校生だろうと何だろうと、いずれにしても私は他のいかなる登場人物にもまして一人静かな隠遁を願う、ランカスター演じる老教授に共感したものだ。そして年齢的に近い闖入者たちの、傍若無人の振舞いには終始、いらだち続けた。老教授がひそかに闖入者たちに愛着を感じ始めてからも、なお。
 ちなみに、昨夜HDDに収録して朝までにDVD-Rに書き込んだ(かつて出ていた市販VHSも現在廃盤中)ので再生すれば正確な文言もわかるが、どんなに煩わしい人間であっても家族だと思えば許せる/許さざるをえない、と終盤で折れる老教授の心境の変化のうちに、ヴィスコンティ特有の同性愛的な嗜好が書き込まれていようとは、当時の私はまったく気づかなかった(いまも解説類を鵜呑みにしてそのように見るのが正しいとはかならずしも思わないが)。
 判らないといえば、劇中2度ほど登場するドミニク・サンダが何役なのか――じつは老教授の若き日の母親として回想される――が最後まで判らずじまいで、ゆえにほとんど現代劇のように投げ出したことを思い出す(こんなのがキネ旬1位なの?、と)。だが、会話を交わすのでもない家族を描いた肖像(にもかかわらずそれらは"conversation piece"と呼ばれこの作品の原題ともなっている)の、何というか風情のようなものも含めて、今回の再見ではいくつか腑に落ちる点があった。佳品として楽しめたという以上に、私のなかにもある、家族とさえ切り離されて隠遁したいダブルバインド状態の心性が掘り起こされたりして(昼前に目覚めたときの深夜との落差!)、複雑な心境だった。
モダニスト 2003/03/02日22:06 [207]



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