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未明の、ワインによって促されし、メモ 
 「[…]近代国家による単一で分割されていない人々を産み出そうとする企図は、失敗する運命にある」と、その講演原稿の末尾近くで語ったアガンベン氏は、講演後の討議(というには応酬に欠ける消化不良のものだったが)においては「World Civil War」という用語を創出しつつ、この外戦と内戦が分かち難いという以上に混交した状態を生きざるをえない、われわれの「運命」について、言及した。
 さて、この洞察=造語じたいはマクルーハンの、メディア環境が進展すればするほど世界は「村」(global village)化するという有名な予見を「父」としてもつというべきだが、現下の、すなわち「9月11日」以降の状況下において特別な意義を帯びることは、明らかである。
 問題はしかし、ここからである。
 たしかにいまは、まさにアメリカを巻き込んだ世界−内−戦(World Civil War)状態にある――西成彦氏は9月11日以降に内戦が始まったのではなくてその日のあの事件/事故がそもそも内戦そのものであったのだとまで敷衍する――、さしあたりそう表現することは可能であるとして、ならばアメリカをその内戦当事者として非難して、それで済むかの気配は、いったい何なのだ。
 洞察=分析が意義を有するのは、ある矛盾に満ちた事柄の〈可能性〉の議論にレトリカルに関わっているときであり、他方、リアリズムの観点からその矛盾の〈解消〉に向かうとき、議論はふんぷんと倫理の香りを漂わせながら、退嬰化する。
 国内における警察行為と、対外的な軍事行為の、差異が消滅して安全性(security)が、これまでになく幅を利かせる時代と、アガンベン氏は現代/現在を分析する。
 だが、ぼくにいわせれば、いちばん安全な場処にいるのは、内戦をメタ的に見渡す言説である(内戦はいまは避けられない)。ついでながら西氏の情緒的に美しい言説に抗って、9月11日の出来事が、戦争ではなくあくまでもテロであって、ましてや事故ではない、とも。
モダニスト 2001/12/19水03:17 [52]




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