たとえば「ニュースステーション」なんかだと、タリバン政権崩壊のこの期におよんでもなお、眉間にしわを寄せた渡辺真理に「戦況はじっくりと見極めなければなりません」と決まりきったマクラを語らせながら、誤爆等による市民の犠牲を、すなわちアメリカの軍事行動の問題点を、第一に報じようとする。 けっこうな平和的態度というべきだが、市民の犠牲を生む直接・間接の原因がタリバン側にありうることの、あるいはそういう報道の背後に情報操作がありうることの、有事においては当然すぎる可能性は、すっかり忘却されているかのようだ。 一方、同じ事態を報じる「産経抄」(『産経新聞』2001年12月8日朝刊)は、「「米英はドロ沼に引きずり込まれるだろう」と冷笑的な予測をしていた「"反米"が好きな多くの評論家やマスコミ」の、それらの「見通しと論評はことごとくはずれた」と、まさに鬼の首をとったかのようである。 さて、私はかねてよりこの軍事行動への賛成を表明しているが[「9月11日」以降の日記(ひらがな期)を参照]、ここでは逆説的に、産経の態度への違和感を表明せねばならない。つまり私は、テロの首謀者であるビンラディンをかくまった反民主的政権――この咎人は早くから「米英」が名指したとおりであった――の崩壊の結果が招来されようと、されなかろうと、結果論でなく目的論的に、軍事行動を支持するものだ(った)からである。 その意味で私は、米英がもう少し「ドロ沼に引きずり込まれる」ことを望んですらいたのかもしれない。あるいは、たしかに久米宏をうらやんですらいる。なんとなれば主張とは、現実に目をそむけて語られるときにその論理の論理たるゆえんを明らかにするのだからである。 |
モダニスト
2001/12/09日20:16 [24] |