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7.ラプソディア | |||
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「勤務シフトはどうなってるんです?」 「…そう言やぁ、訊くの忘れてた…」 「判ったら教えて貰えますか? って…?」 そんな、ある意味切羽詰まったやりとりで一気に緊張したんだか脱力したんだか、という執務室内に、気抜けするほど暢気なハルヴァイトの声と、相変わらずぶっきらぼうなミナミの声が響き、ソファの回りに集っていた全員が、無雑作に開け放たれた小隊長室のドアに…ぽかんとした視線を向ける。 「何か?」 「………何か? じゃねぇ…」 それを受けてしきりに首を傾げながら出て来たハルヴァイトは、ごくごく当たり前に後ろから着いて来たミナミのためにドレイクの肩を掴んで脇に退けさせてから、「どうぞ」と笑顔で…にっこりと…不気味なほど冷静に、座るよう促がした。 「というかですね、ドレイクは後で小隊長室に来なさい」 じろ。と睨まれて、抗議しかけたドレイクの方が黙り込む。 「俺は不幸だ!」 「まったくです」 極力ミナミから離れて肘掛けにぐったり凭れ、わざとのように悲鳴を上げたドレイクに、ハルヴァイト即答。その意味を内々に知るグラン、ローエンス、アリスは無言でいかにもらしく頷いた。 ドレイクの不幸の発端は「陛下」の御寵愛に始まり、終わりがない。 「…ところで、スレイサー衛視は…まぁ納得出来るとして、どうして大隊長とエスト卿がこちらに? で? なんでギイルまでここに居る?」 「うん。そうだな、その辺りを先にはっきりさせておこう、ガリュー」 なぜか…嬉々としてローエンスが言い、ミナミは笑いを噛み殺した。 「わたしとグランはつまり、観客だよ」 「つうか、出歯亀だろ」 「ふむ。そういう見方も可能だが、アイリー次長…」 珍しく、しかつめらしい顔で答えたのは、グラン・ガン大隊長だった。 「室長よりご紹介の折りあの偏屈な陛下が一目でお気に召したという次長の身の安全を監視するようにと仰せつかったのだがね、我々は。ちなみに一番の危険人物は過去わたしの前でさえ平然と恋人を褒め称えたここの大将なんだが、異存はおありかな?」 「…棒読みだつうの…」 にやにやしながらわざとのようにミナミの顔を覗き込んだグランから目を逸らし、陛下に「一目で」気に入られたアイリー次長が溜め息を吐く。 「暗記は得意だ」 「ガン卿がエスト卿の親戚だったって思い出した、俺…」 ミナミのげんなりした呟きに、引き合いに出されたローエンスが吹き出した。 「納得行かないというか、いい加減にしてくれ、という気分ですが、それはそれでいいとして」 「いいのか?」 「面倒なので先に進もうと思います」 「……それでこそアンタだ…」 なんだか自分が一番疲れているのでは? と脳裏を掠めたが、ミナミはあえてそれを無視する事に決めた。 一応、騒ぎの発端である自覚は…ある。 「ギイルは?」 「なんでここに居るのか、おれもさっぱり判らねんですけど」 壁に寄りかかっていたギイルが、急に話の矛先を向けられて苦笑い。 「あ。俺が着いて来いって言ったんだよ。…ほら」 「…あぁ。アレですか。ふーん」 以前、というよりも、最近もなのだが、ギイルはしきりに「ハルヴァイトの恋人」というのに会いたがっていたのだ。これで万一他から話が聞こえて、ハルヴァイトの知らない所で絡まれたりしたら絶対に面倒な事になる、と判断したのだろうミナミが先手を打ってギイルをここまで連れて来た、と短い言葉で理解したハルヴァイトは、頷きながらつかつかとギイルの正面に歩み寄り、いきなり…自分よりも背丈も体格もいい大男の胸倉を引っ掴んで、どん! と彼を壁に貼り付けた。 「つか! なんですか?! ガリューしょうたいちょお!」 あわあわと慌てて見せた(これは明らかにふざけているようだったが)ギイルの顔を下から睨め上げ、ハルヴァイトがひっそりと笑う。 「いいですか? ギイル・キース。今後、一般警備部を訪れたミナミに「何か」あったら、それがあなたに関係あろうがなかろうが、問答無用で二階の窓から放り出されると思って置いてくださいね。判ります? 具体的にはっきりと言うなら、衛視を軽んじている不届き者が、わたしの、ミナミに指一本でも触れたら、それであなたは遺言を書いてわたしの到着を待て、とそういう事ですよ」 鉛色の瞳に睨まれて、ではなく、ギイルは今度こそ本気であたふた腕を振り回しながら叫んだ。 「待てぃ、この仏頂面! いつからミナミちゃんがてめーのモンになったのよ!」 「「十ヶ月前から」」 締め上げられているからなのか、それとも不当な扱いに激昂しているからなのか、顔を真っ赤にしたギイルの熱を冷ますような呟きは、限りなく凶悪な薄笑いのハルヴァイトとあくまで無表情のミナミから、同時に浴びせ掛けられた。 「ほえ?」 予想外の返答に、ギイルがぽかんとミナミを振り向いてしまう。 「…そういう事。だから俺言ったよな、キース連隊長が、前から「俺に」会いたがってたらしいし、てさ」 「あなた、随分前からわたしの「恋人」に会いたがってましたよね」 「どゆこと!」 ひー! と、世界の終わりに直面したみたいな顔で悲鳴を上げる、ギイル。 「ミナミがその、わたしの「恋人」だという事です」 「……………」 もう一度にっこりとギイルに微笑みかけてから、ハルヴァイトはぽいっと彼を放り出した。と、がっくりとうなだれたまま壁に凭れたギイルが、恨みがましい顔でミナミを見つめる。 「うあー。かわいそうなおれ…。おれの恋は五分で終わった…」 「つうか、いつの間に始まってたよ…」 つい。なのかわざとなのか、ミナミがいつもの調子で突っ込む。 「てえか、おれがこれから送るはずだったミナミちゃんとのラブラブな生活をどうしてくれんの…」 「いや、ぜってーねぇし、それ」 うん。ない。それだけはない。もしもあったらファイラン墜落するし。と、周囲の誰もが頷いた。 「…ミナミちゃんてアレなの? 突っ込み厳しい?」 「? ふつー」 それが普通かどうかはさて置き、ミナミとしては通常の速度でいちいちギイルに突っ込む傍らをにこにこしながら通り過ぎたハルヴァイトが、なぜか、何か言いたげながら今まで一度も口を開こうとしなかったヒューの視界を遮るように、立ちはだかった。 「スレイサー衛視」 「……なんだ」 両者の声を聞いた途端、ミナミがギイルを無視して振り返る。 (……………なんで臨戦態勢?) 「ギイル・キース連隊長とわたしの話を、お聞きでしたか?」 「耳を塞いだって聞こえる距離だろう。こんな目の前で喚いてるんだ」 「では、内容も理解なされましたね?」 「…ガリュー小隊長と次長については…」 「じゃなく、その前」 「…その前?」 不審げに眉を寄せたヒューに、ハルヴァイトは微笑みかけたままだった。…そう、さも偉そうに腕を組んで、黒い制服を見下ろしている…のだが。 「おい、そこ。衛視威嚇すんな…」 ハルヴァイトが何を言いたいのかすぐに気付いたミナミが、溜め息交じりに言った。 「つうか、マジそれやったらヤベんじゃねぇ?」 「……クラバイン…室長だって、このくらいの覚悟はあったでしょうよ」 飲み込んだ単語が恐い…。と、ドレイク以下数名が引きつった笑みを浮かべ、ハルヴァイトから視線を逸らす。 「で? もしかして威嚇されてるのは、俺か?」 「そうです。さっきわたしがギイルに言った全部を、そっくりあなたと……クラバイン…室長にも適用しますので、どうぞ、くれぐれも、お身体は大事になさいますように」 陛下もか? 陛下もなのか?! そうなのか!! と、言える事なら言ってみたい、とドレイクは思った…。 「ミナミの事情は聞いた。それについて、クラバイン室長も俺も出来る限りミナミに注意を払おう。が、お前のは、他人に物を頼んでいる態度じゃない」 「頼んでませんよ。わたしがいつ、ミナミを「よろしくお願いします」なんて言いました?」 うわ! 言いやがったよ。というのが、ミナミ以外全員の感想だった。 「…誰かさ、勇気を持ってこのひと止めろ」 「おめーが止めろよ! ミナミ」 殆ど傍観者と化したミナミが暢気に言い、ドレイクが悲鳴を上げる。 「頼んでないだって?」 勢い、というか、元々第七小隊が肌に合わないヒューなのだ。涼しい顔で「見下ろして」来るハルヴァイトの態度にかちんと来たのか、そう反芻しながらゆっくりと椅子から立ち上がった。 「頼んでませんよ。ミナミに何かあったら相手が誰でも容赦しないから覚悟しておけ。と言ったんです」 ふふん。と鼻を鳴らしたハルヴァイト。それを見つめるヒューの眉が、ゆっくりと吊り上り…。 「基本的に仲悪ぃの? このひとたち」 「いんや。普段は当たり障りなく、仕事上顔合わせる、って程度だな」 「外観が似てるから、同族嫌悪ってやつなのかもね」 と、ギイルがにやにやしながら、ミナミとドレイクに割り込んだ。 「………似てねぇじゃん。ちっとも」 なぜかミナミは、非常に意味深げな含み笑いでそう言ってから、腰を浮かせた。 その姿。その笑み。その顔つき。…何かが決定的に「今までと違う」ミナミの様子に、誰もが押し黙り、立ち上がったミナミを見つめる。 少し俯き、少し笑い、テーブルの一点なのか中空なのかに視線を据えた、ミナミ。 それ以上ミナミは何も言わなかった。何がどう似ていないのか、何がどう違うのか。そんなものは今更言うまででもないのか、待ち続ける周囲を無視して、彼はさっさとソファから離れる。 「そういう訳で、俺特務室帰るから」 「おいおい、だったら俺も帰るだろう。まったく…」 慌てて机を回り込んだヒューがハルヴァイトの肩先を躱してミナミに追いついた途端、アリスが、「あー!」と大声で二人の背中を引き止めた。 「ミナミミナミ。ランチ行こ! おねーさんとお昼っ、ね?」 で。……で…。 いきなり、ヒューの襟首を引っ掴んで真後ろに引き倒しながら膝の裏を脛で蹴飛ばし、彼がよろめいた所でミナミとヒュー(倒れ掛け)の間に割って入って、思わずアリスに捕まろうと伸ばしたヒューの手を、裏拳で真後ろに叩き払う。 で。 護衛専門。ギイルを瞬く間に床に傅かせたヒュー・スレイサーは、ものの一秒で、その場にどすんと尻餅をつくハメになった。 「一体なんなんだここは!」 うふふー。と真っ赤な髪を揺らし、床に座り込んだヒューを振り返ったアリスは、完璧様になったウインクをぽかんとする男どもに投げた。 「王都警備軍電脳魔導師隊第七小隊です、ヒュー・スレイサー衛視」 「…………うん。それでおおむね合ってると、俺も思う…」 ミナミは苦笑いしながら、もしかして、一番逆らわない方がいいのはアリスなのか? と、本気で悩んだ。
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