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7.ラプソディア | |||
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あからさまに。 明白に。 疑う余地もなく。 朝からハルヴァイトの様子はおかしかった。何せ、すっかり魂の抜けてしまったような顔で登城したと思ったら、小隊長室に閉じこもったきり顔を出さないのだから。 おかげで今日、電脳魔導師隊第七小隊には朝礼さえなかった。 …………………。いいのか? 「つうかよ、今度はなんだと思う? アリス」 「さっぱり判らないわ。暫く落ち着いてると思ったら、今日はいつにも増して酷いし」 「でもなんというか、小隊長も意外と普通のひとなんだなー、とか、思ったりしません?」 成り行きで朝から待機になだれ込んでしまった第七小隊の面々は、執務室のソファにぎゅっと収まって、暇を持て余しあれやこれやと無駄話に余念ない。 「下手すりゃ普通以下だろ。まぁ、相手があのミナミじゃ、判らなくもねぇけどな」 言って、第七小隊副長ドレイク・ミラキは、諦めに似た溜め息を吐いた。 とにかく、ミナミは何をするでもハルヴァイトには完全「事後承諾」なのだ。重大な事柄になればなるほど、涼しい顔で散々何かをしでかしてからハルヴァイト(を含む周囲?)を驚かせる。 横柄に二人掛けのソファを占拠したドレイクが背凭れに身体を預けると、その横、肘掛けに軽く腰を下ろしていたデリラが、腕を組んで忍び笑いを漏らした。 「そういうトコも、大将にしてみりゃ放っとけねんじゃないスかね」 「デリが言うと説得力あるけどよ、それで納得していいかつったら、ちょっと考えモンだ」 「うちのはもっとおっかねぇですって、ミナミさんよか…」 「五十歩百歩でしょ…スゥにしても」 平然と言って退けたデリラを、アリスが笑う。 デリラとスーシェの成り行きを知っている者に言わせれば、スーシェの今までにしても相当突飛で有無を言わせない部分があったのだ。ミラキ家並に高名なゴッヘル家をあっさり出奔してスラム上がりのデリラを黙らせ、あまつさえ婚姻を了承させた手際といったら、ある意味ミナミよりも強引だったのだし。 強引そうには見えない、というのを考慮すれば、ミナミより手に負えないと言って差し支えない。 …………いや、ミナミもあの無表情なのだから、いい勝負か…。 とにかく、何も知らされていない第七小隊の連中も、「今日からバイト」と出掛けにいきなり言われて放心状態継続中のハルヴァイトも、まさかミナミが一階下まで来ているなどと夢にも思わず、これから残りの三日半をどう問題なく過ごすか、に頭を悩ませていたのだ。 「唯一の救いは、機嫌が悪ぃってほどは悪かねぇ事くれぇか…」 「それが今後どう傾くのか判らないけどねぇ」 「これ以上悪くならないんなら、今のままでも文句はいいませんよ、ぼく」 「そりゃ随分贅沢じゃねぇのかね、ボウヤ」 背凭れに沈んで溜め息を吐くドレイク、自分の膝に頬杖を突いてにやにやするアリス、ソファの端っこに小さくなって脅えたふりのアン、と、肘掛けに座ったままなんとなく小隊長室のドアを眺めるデリラ…。 「………さっきから聞いてれば、好き勝手な事言ってくれますね…まったく」 するといきなり、そのドアが開いた。 「つうか、聞いてたんスか、大将…」 見慣れた仏頂面に睨まれて、部下たちが一斉に肩を竦め舌を出す。 「無遠慮にも大声で人の噂をするような部下しか持ち合わせていないもので、聞きたくなくても聞こえるんですよ」 「地獄耳だな、ウチの小隊長殿は」 「あなたの声が一番大きいんです、ドレイク!」 ずかずか大股でソファに近寄って来たハルヴァイトは、機嫌が悪い、というよりもなんだか諦めが付いたような顔をしていた。何をどう考えて解決したのか判らないが、これは今までにない反応だ、と場所を空けながらドレイクが首を傾げると、ハルヴァイトは盛大な溜め息を吐きつつ、空いたソファにどさりと座り込んだ。 「……まぁ、いいんですけどね…」 「つかよ、おめー、そりゃどう見たって、まぁいい、って顔じゃねぇだろ」 「…100%いいとは思えませんけど、仕方ないんです」 「じゃぁ…結局よくないんじゃ…。!」 と言いかけたアン少年の口を、デリラが塞いだ。 「今度は一体どうしたって言うの? ハル。当然、ミナミ…なんでしょ?」 居住まいを正してハルヴァイトに向き直ったアリスの問い掛けに、当のハルヴァイトは渋い顔で頷いて見せ、それから、なぜかニヤつきながら自分を見つめている部下どもを睨んだ。 「お察しの通り、というべきでしょうね。また…やられたんですよ」 「やられた? って何を?」 一斉に首を傾げたドレイクたちから視線を逃がしたハルヴァイトが、持て余していた長い足を組む。 「今朝、出掛けにいきなり…、今日からアルバイトに行くって言い出したんです。しかもとうに決まってたようなんですが、本当に、今朝玄関先で別れるまでは一言も…」 徐々に縦皺の刻まれる眉間を愕然と見つめていたドレイクは、やめればいいのに、思わずぽろっと…呟いてしまった。 「……………ちゃんとハルにゃぁ言っとけつったのに…ミナミのやろう…」 途端、冷え切った鉛色の瞳に睨まれ、ドレイクは思わず手足を縮めて背凭れに張り付いた。 「ドレイク、それは、どういう事なんです?」 「待て! 落ち着け! つうか、俺も詳しい事は知らねぇからな!」 バシッ! とどこかで荷電粒子が爆裂。蒼白になって首を左右に振るドレイクに詰め寄るハルヴァイトを恐々見ながら、アンが傍らのアリスにぴったり寄り添う。 「では、知ってる事は話して貰えるんでしょうね」 「だからよ! …ちょっと、ほら、この前…」 ここでドレイクは気付く。 ハルヴァイトが拘束されたのは、一部の衛視とドレイク、ミナミ、拘束指示を出した陛下とクラバインしか知らないのだ。まさかそれでミナミが城に呼ばれ、その後呼び出されたドレイクと城で会った、とは言えないだろう。 「…休暇前に、俺がミナミと「偶然」会ったのは、知ってるよな」 どこで、とは言わない。それにハルヴァイトは、無言で頷いた。 「そん時によ、クラバインにバイト紹介して貰ったとか、そういう事を言っててな」 ドレイクの引きつった顔を見ながら、ハルヴァイトとアリスは内心「絶対ウォル。そんな目茶苦茶な事を言い出すのは、やつだけ」と確信する。 「だから、バイトはいいけど、ハルにゃちゃんと相談しろつったんだよ、俺は」 「? どこで何のアルバイトなのか、訊かなかったの? ドレイク」 訝しそうなアリスの顔つきがやや謎だったが、ドレイクは首を横に振って肩を竦め…。 「訊かねぇよ」 「なんで!」 いきなり非難された。 「普段なら訊いて欲しくないような事まで根掘り葉掘り聞き出そうとするくせに、なんでそういう肝心な時は黙って引き下がるかな、君は!」 「しかも、その後家に顔まで出したのに、そんな事一言も言わなかったじゃないですか」 「待て! それは何か?! もしかして俺が悪ぃのか?!」 「悪いわ! どうせ余計な事するんなら、こういう時こそ大いに余計な行動を取るべきでしょう!」 びし! とドレイクの鼻先に指を突き付けたアリスが、ぎゅっと眉をつり上げる。 「どーーせお節介焼くんなら最後まできっちり迷惑なほど焼く! そういうもの!」 「………………。つうか、俺、ひでぇ言われようじゃねぇか?」 唖然とするドレイクの横顔を見つめていたハルヴァイトも、このアリスの勢いに…ちょっとイヤな予感を抱く…。 「だいたい君たちは!」 で、ニヤリと笑う、赤い髪の美女。 「言わなくちゃいけない事ほど言えないのよね。きょーーーだい揃って」 ふふん、と胸を張ってそっぽを向いたアリスをドレイクとハルヴァイトが同時に睨み、運悪くアリスの隣に座っていたアン少年が、自分は少しも悪くないのに半泣きでアリスの背中に隠れた。 「いや…、ウチの小隊ってのは、なんつうか…平和だ…」 ねぇ。と最後のセリフを言う前にデリラが、慌てて懐に手を突っ込んだ。 ソファの肘掛けから立ち上がり、取り出した携帯端末に視線を落しつつ、細い目を眇めてしきりに首を傾げながら、さり気なく、自分のデスクまで戻るデリラ。 そのデリラの妖しい行動を見るとも無しに見ながら、アリスはしがみついたきりのアン少年を無理矢理引っぺがした。 「…まぁ、ハルがミナミを心配するのも判るけど、…クラバインにーさまの紹介なら…」 「お前は何か聞いてねぇのかよ、クラバインに」 「? 会ってないもの聞ける訳ないでしょう? もう三ヶ月も顔見てないわ。毎日毎日忙しいって、よく身体壊さないものよね、にーさまも」 肩を竦めて溜め息を吐いたアリスの横顔が、微かに曇る。 「マーリィが心配するから一週間に一度くらいは戻って欲しいけど…、時々思うのよ、クラバインにーさまは、どうしようもなく身体壊して身動き出来なくなるのに、憧れてるんじゃないのかしらって」 「…………………」 ドレイクは、それに答えられなかった。 「と、そんな事よりも、ミナミでしょう? ハル。そんなに心配なら、せめて電信でも入れておいたら?」 「…仕事をするの自体は悪いと思ってません。あの通りミナミにはいろいろ問題もありますが、家に閉じこもってばかりもどうかと、わたしだって判ってはいるんです。だから出来れば好きな事をやらせて、それで」 それで、自分の側に居てくれて、静かに暮らせればいいと思う。 もしも傷付きそうになったら、約束通り自分が護ってあげるから。 「ただ…、わたしは城に居る日数の方が多いですから、何かあった時すぐには…」 「はぁ?!」 俯いてぶつぶつ言うハルヴァイトの声を遮るように、デリラが素っ頓狂な叫びを上げた。 「あ…、すんません。なんでもねぇです」 携帯端末を見つめて一瞬呆然としていたデリラが、はっとして、それからいきなり胡散臭い作り笑いをハルヴァイトたちに向け、そのまますごすごとデスクの向こう側へフェイドアウトして行く。 「………」 「…………。…………。?!」 「…………………。???????。!!!!!!!!!」 デスクの陰に隠れて誰と話しているのか、声は聞き取れないが、かなり…深刻な気配が漂って来た。 「なんなんだよ、今日は…」 思わずドレイクが呟き、ハルヴァイトは溜め息でそれを肯定する。 何もかも、判らない事だらけだ。 そのうち、通信を閉じたデリラが、ドレイクやハルヴァイトと目を合わせないようにそっぽを向いたまま、短い髪をがりがり掻き毟りながらソファに近寄って来た。それでなぜか、うー、とか、あー、とか唸り、いきなり姿勢を正してハルヴァイトに敬礼すると、小隊長、といつもなら絶対言いそうにないセリフを平然と嘘っぽく吐き出す。 「…? 具合でも悪いんですか? デリ」 「いたって健康ですがね。その…ちょっとだけ、私用で第九小隊まで行って来てもよろしいでしょうか」 言われて、ソファに座ったままのハルヴァイトが小首を傾げた。 これは、ハルヴァイトが登城中ミナミに電信を入れる以上に珍しい現象だった。第九小隊、といえばデリラの伴侶であるスーシェがいるのだが、彼らは滅多に城の中で顔を合わせようとしない。訓練時間がかち合った、とか、偶然廊下で擦れ違った、だとかはあるが、こう明確に「私用で」と言われた試しは今まで一度も無かったほどだ。 「スゥに何かあったのか?」 「いや! 大した事じゃねぇんですがね、ちょっと…来いって言われまして…」 「来い?」 またまた珍しい…。 「向こうでゴタついて、いろいろ…あって…ですね、んで、俺に来いって事に…」 「……さっぱり判らないですけど、いいですよ。どうせウチも午前中は待機ですから、十三時までに戻って来れば問題はないです」 「残念ながら、それよか前に戻るハメになると思いますがね」 意味ありげに苦笑いで言い置いたデリラが、再度敬礼し執務室を足早に出て行く。その時点でミナミが階下に迫っていると知ったのは、「来い」というよりも、「大隊長とエスト卿を連れて来い」と伴侶に命令された、デリラだけだった。
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