■ 前へ戻る ■ 次へ進む |
7.ラプソディア | |||
(7) | |||
電脳魔導師隊の執務棟は、一般警備連隊棟から渡り廊下を通って、少し離れた場所に建つ縦に細長い建物だった。 「こっちは一棟しかねぇのな」 「電脳魔導師隊は十二小隊までしかないからな。ただし、こっちには地下に訓練施設があって、時折魔導機が呼び出されているが」 「ふうん…」 渡り廊下の途中で、濃紺のマントを羽織った魔導師を見かけた。 「あれって、小隊の副長だっけ?」 「副長でも、いざという時には大隊に編成されるレベルの魔導師が身につけてる物だ」 「赤マントも少ねぇけどなぁ、あの青マントは…三人くれーしかいねぇだろ、確か」 (じゃぁ、やっぱミラキ卿って偉いのか? つうか、凄い? …いや、ある意味凄過ぎだろ…。きっと、陛下叱り倒せるのはミラキ卿だけなんだろうし) 「ところで、ミナミちゃん」 「…それ、気色悪ぃからミナミでいいって…」 勢い着いて来いと言ったものの、ギイルは余計な事までぺらぺらとよく喋るので、ミナミも相手をするのに少々疲れていた。ヒューに至っては、事あるごとに振り返ってギイルを睨むものだから、首の筋が痛いと言い出す始末だ。 「今から、どこ行くのよ」 「…とりあえず当たり障りなく、第九小隊イムデ・ナイ・ゴッヘル小隊長のトコ」 理由は、「知らない人」だから。 「妥当と言えば妥当な選択だな。第九小隊の執務室は二階、第六、第七は三階、大隊長が普段居るのは本丸だが、今日はなぜか第一小隊執務室で待機になっていたし」 「…誰かの陰謀を感じる…」 ミナミは誰にも聞こえないように口の中で呟き、笑えないほど緊張している自分を笑いそうになった。 「ナイ卿はまだ若く、小隊を任されたばかりでどうも…勝手が判らないらしい。それで第九小隊への命令文書は、今は文官だが元々魔導師階級のスーシェ・ゴッヘル卿が受け取って確認するようになっている」 「…スーシェ・ゴッヘル事務官?」 「あぁ、姫さんじゃねぇか」 「………男のひと…だろ?」 一瞬アリスの事を思い出したミナミが、ギイルを振り返って小首を傾げる。 「見りゃぁ判る。ゴッヘル卿の次男坊で、ただちょっと才能に恵まれてなくてなぁ。いかにも大人しそうなべっぴんで、悪い男に捕まってかわいそうな目にあってたのよ」 悪い男に捕まって。の部分で一瞬表情を固くしたミナミ。しかし続くギイルのセリフに、彼はそっと安堵の溜め息を吐いた。 「ところが、かの魔導師さまを素手でぶん殴る、ってのを平気でやるようなのが現われて、今じゃてっきりお幸せとくらぁ」 ふふん、と鼻を鳴らしたギイルに微笑み掛け、ミナミがまた正面に顔を向ける。 (………というか、そういう魔導師って何人もいるのか?) 思い当たる事があって、でもまさかヒューに質問する訳にも行かないミナミは、相変わらずの無表情に様々な思いを押し隠し、第九小隊のドアをノックした。 「特務室よりイムデ・ナイ・ゴッヘル小隊長に命令です。…スーシェ・ゴッヘル事務官に、受け取りを…」 「……………………! ミ…」 ミナミが決まり文句を言い終えるより早く、壁際のデスクに着いていた男が悲鳴を上げそうになって…それを、無理矢理飲み込んだ。 「す…あの………いえ! わたしが、スーシェ・ゴッヘルです。どうぞよろしく」 (…うわ……確かに、姫さんかも…) 立ち上がって、なぜか、堅い笑顔を向けて来たのは、相当な美人だった。淡いブラウンの髪を品よく整えた、銀縁眼鏡も柔らかな印象の、美人。優しげに微笑む瞳が複雑そうなのが非常に気にはなったが、ミナミも薄い笑みを返す。 「新任の王下特務衛視団準長官ミナミ・アイリーです」 ヒューがスーシェにディスクを渡す。本来ならそこで彼は解析陣を立ち上げて内容をダウンロード、ディスクは消去され、ヒューに戻されるのだが…。 「アイリー次長に小隊長をご紹介しますので、スレイサー衛視とギイル連隊長はこちらでお待ち下さいませんか?」 「構わないが、アイリー次長には…」 「申し訳ありません。………存じ上げております」 スーシェは大抵のひとなら見とれてしまう穏やかな笑みで意味不明の返答をし、ミナミを促して総隊長室のドアをくぐった。 小隊長執務室の大きなデスク。それにちまっと収まっているのが第九小隊隊長のイムデ・ナイ・ゴッヘル…少年だった。 「イム。こちらが新しい特務室次長のミナミ・アイリー衛視だよ。ごあいさつを」 なぜかいきなり険しい顔になって、しかし小声で言ったスーシェに気圧され、イムデ少年が顔を引きつらせる。育ちの良さそうな、なよっとした気弱そうな感じがいかにも「貴族」みたいに思えて、知り合いの貴族階級がどれも偽者なのではないか、とミナミは内心吹き出しそうになった。 「あ…あの……ボク…あ…、えと、よ……よろしく、お願いします…」 別に睨んでいる訳でもないのに、イムデ少年は完全に萎縮し今にも泣き出しそうな顔で何度もミナミに頭を下げた。それに薄笑みで会釈を返し、こちらもどうしていいのか判らずスーシェの怜悧な横顔を窺った途端、ギイルが「姫さん」と呼んでいた美人が、ミナミに向き直り、微笑んでソファを…勧めた。 「職務中に申し訳ありませんが、少々…お話をよろしいでしょうか?」 意外にも迫力のある笑みに、ミナミが小さく頷きソファに爪先を向ける。 「イム。わたしはちょっとアイリー次長とお話があるので、少し、静かにしているんだよ」 「…うん」 半泣きのイムデ少年をその場に残し、スーシェがミナミに会釈しながらソファに座る。その様子を観察者の瞳で見つめていたミナミは、何かおかしいと、思った。…まさかこの「姫さん」がデリラの伴侶だなどと夢にも思っていないのだから、スーシェの行動がかなり不審に見えて当然なのだろうが。 「ナイ・ゴッヘル家から電脳魔導師隊に編成されたのはイムが始めてなもので、勝手が判らない上に…貴族階級内部のごたごたもあって、すっかり対人恐怖症で…。それで、遠縁ですが親戚筋のわたしが、小隊長代行を」 ミナミが無言でイムデ少年とスーシェを見つめていたのを何か勘違いしたスーシェが、苦笑いで簡単に事情を説明する。 「それで…ミナミさん」 「? …………。」 身を乗り出してますます声を潜めたスーシェの顔を、ミナミは無表情にぽかんと見つめた。 「…俺と、知り合い?」 「はい」 「悪ぃ…。…記憶力には自信あんだけど…」 「…わたしの正式名は、スーシェ・C・ゴッヘルといいます。「C」は…伴侶の姓名を頂いているのですが…」 「……………コルソン?」 元電脳魔導師で、今は事務官で…。 「嘘」 ミナミは思わず、ぽそりと呟いた。 「つうか…、ごめん、びっくりした…」 微かに目を見開いてスーシェの顔をじっと凝視するミナミが可笑しかったのか、朗らかな笑みを口元に載せたスーシェが、ゆったりと小首を傾げる。 「わたしがお会いするのは始めてですが、お名前と…お姿ですぐ判りました。デリが、本当にお綺麗な方だと事あるごとに言っていますから」 聞いた通り、というよりも、聞いた以上に不思議で綺麗なミナミに少しはにかんだ笑みを向けたまま、スーシェが膝の上で手を組み合わせる。 「この前家にデリさんとアンくんが来た時にスーシェさんの話したんだけど、名前聞いてなくて…。でも、デリさんが「スゥ」って呼んでたから、別のひとなんだと思ってた」 「すみません。スレイサー衛視とギイル連隊長がいらしたので、余計な事は言わない方がいいかと。…それで、ミナミさん…、ガリュー小隊長には?」 微かに緊張した面持ちでスーシェの口にした名前に、ミナミは苦笑いで首を横に振った。 「今から。まさか俺がここにいるなんて、あのひとは考えてもねぇはず」 「ミラキ卿にも?」 「うん。アリスにも言ってねぇし」 「…………………デリを…、避難させていいですか?」 かなり大真面目なスーシェの顔つきに、ミナミは返答に困る。 「避難て、やっぱそんなヤベぇのかな…」 「被害を最小限に押えたいなら、隣りの第六小隊にも一時避難を勧告するべきではないかと」 メガネの奥にある淡い色の瞳があまりにも真剣で、朝から続く笑うに笑えない状況最大の山場を迎えた、とミナミは内心溜め息を吐いた。 「エスト卿にも寄るようになってるし、そん時言っとく」 「第六小隊にも? 他には、どこへ行かれます?」 「グラン・ガン大隊長のトコ」 特務室からの指示なのだから間違いはないのだろうが、とスーシェはちょっと首を傾げた。大隊長は普通本丸本部執務室に居り、わざわざ命令書を発行される事が無い。だとしたら、これは何かあるのではないか、と思い付いたスーシェが解析陣を立ち上げ、受け取ったディスクを中空に描き出された白色発光する陣の中央に載せた。 「答えられなければそう言って頂いて構わないのですが、ミナミさんは、なぜ特務室に?」 「…クラバインさん…、室長か。マーリィ・ジュダイス・レルトの件で室長と知り合いになって、それで、仕事忙しくて困ってるんだけど、ちょっと…バイトしないかってさ」 これは、支度された嘘。ミナミがクラバインと知り合いになったのはミラキ邸で、陛下も…一緒だった。 「ものすごいアルバイトですね」 「うん…。俺も今日城来て、始めて知った…」 解析陣の中央に載せられたディスクが、ゆらゆらと不安定に回転しながら陣に沈む。それが明滅する白色文字の間を通り抜けてゆっくりとテーブルに降り、下りたところでなぜか、スーシェは吹き出しそうになって慌てて俯いた。 「?」 「…すいません。このディスクは…わたし宛てでした…」 くすくす笑いながらディスクをミナミの方に押し遣って、スーシェが懐から携帯端末を取り出す。 「即時実行命令です。アイリー次長には、ここで大隊長とエスト卿に会って頂きます」 「なんで?」 不思議そうに首を捻ったミナミに向かって、スーシェは穏やかな笑みでこう答えた。 「被害は最小限の方がいいから、じゃないですか?」 深く問い質す気はなかったが、スーシェは、本当に第七小隊は大変な場所だ、と自分の伴侶を、また少し尊敬した。
|
■ 前へ戻る ■ 次へ進む |