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バンビーナ狂詩曲 | |||
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明かすほどのタネでもないんだけどな。と最初にシュアラスタは言った。 結局、タリスとウイリーはモルグの手配で追いついて来たバスターに連れられ、アキューズ領主館に行ってしまった。 その時、木立の間に座り込んだニコルも一緒に連れて行けとシュアラスタは言ったのだが、当のニコルが首を縦に振らず、まさか置き去りにする訳にも行かなくて、結局の所はまだ契約中という理由でチェスとシュアラスタがバスターズまで連れて来たのだが…。 爆死した連中の煽りを食らって全身血だらけだった悪党どもがシャワーと着替えを済ませるまでの間、ニコルはバスターズのカウンターで暖かいココアを前にぼんやりしていた。カウンターの中にはいつものようにモルグが居て、何やら書きつけたり夜食を催促する悪党どもとふざけたりしていたが、少女は、それに顔さえ向けなかった。 少女に声を掛ける者が居る訳でもなし。 悪党なんて、そんなものだ。 先に支度を終えて戻って来たチェスがニコルの左脇に腰を下ろし、やっと、少女はゆっくり顔を上げ、チェスに視線を向けた。さっきまできらきらしていた琥珀色の瞳は疲れたように濁っていたが、チェスも、それに何も言おうとしない。 ただ。 シュアラスタからくすねて来た紙巻きを赤い箱から取り出し、唇に載せて、マッチで火を点す。 それから。 「シガリロ・アトラントって葉巻があんの。こう、見た目は細長くてちょっとカッコイイんだけど、ウチの相棒はそれが大嫌いで、例えば誰もが「あいつはいいヤツだ」って言うような人間でも、アトラントの愛用者だったら信用しない、って言うほど」 独り言のように呟いて、ほんのりと、笑った。 「そういう風にしかモノを言わない男なのよ。言えない、なのかもしれないけど。本当はちゃーんと何か理由があって、その上で「アトラントの愛用者は信用出来ない確立が高い」って結果に行き当たってるのに、横着したがんのよね」 「…横着、ですか?」 「そう。煙草ひとつ取っても、流通経路だとか単価だとか、その街の平均収入に対する一箱の価格割合だとかね、あたしが聞いたら無駄だとしか思えないような事まで踏まえて、考えられるだけの可能性を弾き出してから結果を出す。頭がいいのかバカなのか判りゃしないわ」 失笑し肩を竦めたチェスの横顔に、ニコルは力ない笑みを投げた。 「些細な事で徹底的に他人を不幸にするのが得意な男よ、ニコル。でもアイツは「嘘」を言わないわ」 「………」 ニコルの笑みが凍る。 無言で背後まで近付いていたシュアラスタは、チェスの言葉が切れて、ようやく、唇に載せたままだった紙巻きに火を点した。 「明かすほどのタネでもないんだけどな…」 シュアラスタがニコルの右側に腰を下ろす。それで娘はふたりの豪勢な悪党に挟まれる形で、カウンターに小さくなった。 「じじぃが俺に餞別だってくれた手紙には、ウイリー・ハンスの交友関係が書き付けられてた。で、なんでじじぃがウイリーを張ってたかってぇと…、実は、じじぃの張ってたのは、ウイリーじゃなくタリス・ロウの方だったんだよ、最初から」 椅子の背凭れに腕を預けて淡々と話すシュアラスタに、カウンターの中からモルグが頷きかける。 「面倒だから途中は省くがな、ニコル。タリス・ロウを伝って行くと、もっと世の中の薄暗い部分に行き当る。そこは暗闇だ、お前の知っていい所じゃない」 「…でもわたくしは、その暗闇に利用されたのですよね? シュアラスタさま」 「ああ、そうだ。その暗闇がタリス・ロウを利用し、タリス・ロウがウイリー・ハンスを利用し、お前を、利用しようとした」 「次の領主になるためですか?」 「いいや」 シュアラスタはそう短くきっぱりと答えて、口元を微かに歪めた。 「もっといろいろな理由さ。それも暗闇だ。聞く必要はない」 「でも!」 琥珀色の瞳に光を漲らせたニコルが、カウンターにしがみ付いてシュアラスタを睨みつける。が、シュアラスタは涼しい顔でその視線を跳ね返した。 どこか遠くを見るような灰色がかった緑の瞳。何も、誰も見ていない、その先にあるのは、なんなのか。
明るい金髪と緑の瞳の、華奢な双肩に最早この世に存在しない兄の分まで重荷を背負った、気丈な娘か。 それとも。 屈託ない晴れやかな笑みと重苦しい鉄の塊を、凍り付いた少年のこころに残して逝った、血塗れの…「シュアラスタ・ジェイフォード」か。
「街戻って明るい場所を胸張って歩けよ、ニコル。それが、産まれる場所を選べなかったお前に出来る、せめてもの抵抗だろうよ」 領主の娘でなかったら。 ニコルは、そんな贅沢な「卑屈」をシュアラスタに見透かされたような気がして、はっと息を飲んだ。 「そしたら、それなりに幸せになれるぜ」 「…………いつも、考えていました…。もしもわたくしがニコル・アキューズでなかったら、今居るお友達は本当にお友達でいてくれるのかしらと…。だから、わたくしを領主の娘でなく「ニコル」として好きだと言ってくれたウイリーが、好きだったのに…」 結局、ウイリー・ハンスもタリス・ロウも、ニコルを「領主の娘」だから利用しようとしたのだ。 「お父様は立派な領主です。尊敬しています。だからこそ…」 「あーん。ちょっといい? ニコル。ウチの相棒、さっきなんて言ったか覚えてる?」 「え?」 悲痛な顔で独白するニコルを、チェスの呆れた声が遮る。 「えーと、どれでしょう?」 「街戻って明るい場所を胸張って歩け、だよ」 「ああ! はい。今覚えました」 ぽん。と胸の前で手を打った少女を怪訝そうに見つめつつ、チェスががしがしと金髪を掻き毟った。 「難しい事なんかどうでもいいわ、とりあえず、騙されたと思ってそれだけやってみなさいよ。…言ったでしょう? あたしの相棒は、嘘は言わないわ」 背筋を伸ばして、前向きに、真っ直ぐに、健やかに、少女のままで、大人に…。 出来る事なら、素敵な女性に。 「ニコル嬢ちゃんはかわいらしいからのぉ、そっちの、美人じゃが口の悪いのとは違って、ようモテるじゃろうよ」 「で? なんでそこであたしの話になんのよ、パパ・モルグ」 掌でカウンターをぶったたいたチェスから視線を逃がし、モルグが笑う。 緊張感の欠片もないモルグとチェスのやり取りに複雑そうな視線を向けたニコルが、黙り込む。その横顔を目だけで窺い、紙巻きを載せた唇を結びかけて、シュアラスタがふと小さく溜め息を吐いた。 黙っているべきなのだろうと思う。でも、こういう時黙っていられないのも、この男の悪い癖なのだ。 「ニコル」 「…何か?」 「お前の見て来た暗闇は、まだ明るい部分に近いくらいだ…。俺の言ってる意味が判るか?」 ニコルに顔も向けないシュアラスタが呟き、俯いた少女がこくりと…頷く。 「じゃぁ、しつこく抵抗し続けとけよ。親父さんみたいにな」 言ってシュアラスタは、悪党らしからぬひっそりとした優しい笑みをニコルに向け、大きな手で彼女の髪をそっと撫でた。 俯いたまま、大粒の涙を膝の上で握り締めた手に振らせる、少女を気遣うように。
泣き疲れて眠ってしまったニコルをダイニングフロアの片隅にあるソファに寝かせるモルグを眺めながら、チェスが朗らかな笑みを零す。 「…バスターズで寝こけるなんて、ホント、平和な娘だわ」 「馴染みの場所だからだろ」 「? 馴染み?」 背の高いグラスに注がれたワインを口に運ぶシュアラスタが、不思議そうなチェスの問いかけに頷き返した。 「フロウ・アキューズがどうしてタリス・ロウをじじぃに張らせてたか、判るか? チェス」 「そういう頭脳労働はあたしの管轄じゃないわよ」 さっさと言え、といいたげな視線に苦笑いを漏らしたシュアラスタが、やれやれと肩を竦める。 「この街は急成長を遂げた。…現在進行形で、遂げようとしてる、って言った方がいいのか…。どちらにしても、フロウ・アキューズはとにかく目立つ存在だって事だな。今回「連中」が出張って来たから話が大きくなっただけで、小さな物騒ごとなんざ珍しくもないくらい、さ」 「………小さな…物騒ごと…」 何か思い当たる節でもあったのか、チェスはそこだけを口の中で繰り返してから、眠るニコルを振り返った。 ダイニングの壁際にある長椅子で丸くなった、眠っているから余計に幼い印象の少女。 「本人はいいさ。自分の理想実現のために無茶やらかして、それが原因でちょっとくらい危ない目に遇っても所詮自分の責任だしな。ただし、家族はたまったモンじゃねぇだろ…。これだけ派手に街がデカくなっちまえば、当然その資産を掠め取ってやろうって輩もわんさか出るぜ?」 「じゃぁもしかして、フロウ・アキューズがパパ・モルグに依頼してたのは…」 「ニコルとその母親…つまり、自分の家族を「監視」する事だったんだよ」 危険から護るために。 それを遠ざけるために。 自らの家族を…見張らせる。 「いいんだか悪いんだか判らないわね。それも」 「ああ、確かにな。でも、どうだろう…。もしも俺がフロウ・アキューズだったら、同じ行為を選択するかもしれないとは思う」 そこだけ妙に歯切れ悪いのが気になるが、チェスはあえてそれに言葉を続けず、ただ小首を傾げて見せるだけに留めた。 「…自分の家族がだぞ? 数年のうちに二桁数えるくらい攫われたり脅されたり原因不明の事故に遭いそうになったりして、何度もバスターズに保護されてみろよ。正直、あのおとっつぁんがノイローゼにならないのが不思議だ、俺は」 「面白い意見ね。あんたがそんな家族想いだったなんて、知らなかった」 わざとのように言って失笑するチェスの横顔を見もせず、シュアラスタも「俺もそう思うよ」と苦笑いで答える。 彼らは。悪党は。 とうに、家族など「ない」のに…。そんなものは、捨ててしまって…久しいのに。 家族と呼べるものが過去にはあったが、血を分けた本物の「家族」というものの記憶が全くないチェスには本当にその時のシュアラスタの気持ちは判らず、自ら平穏な生活と家族をかなぐり捨てて悪党に身を落としたシュアラスタは、それ以上辛気臭い話題に触れるのを拒否した。 昨日までの過去は既に「過去」になって記憶の彼方に追い遣られ、明日に望みも希望もなくただ流されるように生きて与えられた役割をソツなくこなし、死ぬべき時に死んで行く。 それが、悪党どもの生活。 血飛沫渦巻く螺旋に翻弄される、木の葉のように…。 「まー、どっちにしても終わったんだからいいわ。仕事もハネたし、もう寝ようかしら」 「ニコルの引き取りがまだなんだがな?」 「たかがお迎えでしょ? いかにも暇そうに二人揃って待っててやる義務ないわよ」 素っ気無く言い捨てて肩を竦め、それから、そこだけ目いっぱい色っぽい笑顔で「おやすみ」と囁いたチェスが、短かくて柔らかいキスをシュアラスタの頬に押し付ける。 シュアラスタの視界に割り込む、ピンクゴールドの髪。微かに甘い涼しげな香りがなんという名の香水だったか、彼は、なぜか、何度聞いても覚えられなかった。 だから今日もシュアラスタは、離れかけたチェスの背中に手を回して彼女をそっと引き寄せながら、唇に載せていた紙巻きを空いている方の指で摘んで灰皿に放り込んだ。それに抵抗もせず身体を預けて来た相棒の真白い首筋に鼻先を擦りつけ、紙巻きの香りを押し退けて胸に染みてくる清しい匂いに失笑と疲れた吐息を返して、シュアラスタは薄い唇で何かを囁こうとした。 刹那。 物凄い勢いでバスターズのドアが開け放たれたではないか。 「ニコル! ああ! お前を危険な目に合わせた愚かなわたしを許しておくれ! 愛しい娘よっ!」 「ってぇ?」 「…なに…あの………」 で。 見目麗しい美男美女は、人目もはばからず抱き合ったまま、きょとんと声の方を振り返ってしまった。 悲痛に叫びながらバスターズに飛び込んで来たのが、わざとらしい苦悩の表情を涙で飾ったフロウ・アキューズその人だとふたりが気付くまでに、二呼吸以上。その短い時間にフロウはソファに身を起こしたニコルの傍に滑り込み、床に膝を付いて…よよと泣き崩れたではないか。 「お父様…。いいえ! お父様! お父様のお心遣いを素直に受け取れなかったニコルを許してくださいまし、お父様! わたくしが浅はかでしたの…。ちょっと、いつもより余計に夢を見たかっただけですの! お父様とお母様が心配なされると判っていたのにおかしな意地を張ったニコルこそ、お父様に謝らなければならないのです!」 その父親に覆い被さって、これまたよよと泣き崩れる、ニコル。そのふたりを呆気に取られて見つめていたチェスとシュアラスタが、奇妙な表情でぎくしゃくと視線を合わせ、同時に首を傾げる。 「今…何かこう、見逃しちゃいけない雰囲気を感じてるんだけど? あたし」 「ああ。俺もだ…」 抱き合って感動の(?)再会を喜び合うアキューズ親子に視線を戻したシュアラスタが、「おい、そこのエキセントリックファミリー」と意味不明な呟きを漏らす。と、いきなり、バネ仕掛けみたいな勢いで立ち上がったフロウが猛然とシュアラスタに突進して来た。 「ああ! ありがとうシュアラスタくん! チェスくん! わたしのかわいいニコルを危険から無事に救い出してくれたのは、君たちの勇気以外のなにものでもない!」 勢い、シュアラスタをひっぺがしてカウンターに跳ね上がったチェスが、にやつくモルグの傍らに飛び降りその背中に隠れる。「寒いわ、気色悪いっ!」と頭を抱えて叫んだチェスに文句のひとつも言ってやろうとしたシュアラスタだったが、歩く早さで突っ込んで来たフロウにがっちり抱きつかれ、結局、ぎゃっと悲鳴を上げる事しか出来なかった。 「ニコルが君を信じてみようと言い出した時、わたしは知りもしないのに君を疑った! 済まなかった。本当に済まなかった!」 「つうか! なんなんだよ、一体っ!」 押しても引いても離れないフロウを灰色がかった緑の瞳で睨みつける、シュアラスタ。その視界の隅に、モルグの後ろに隠れて恐々フロウとシュアラスタを見つめるチェスのグランブルーの片隅に、なぜか、ニコルのさわやか…で凶悪で無垢な笑顔が飛び込んだ。 夢見る少女。 領主の…娘。 数え切れない危険を…経験して来たという。 笑顔。 「統治庁舎の展望室でお会いした時に、わたくし判りましたの。今回の…お父様が医療アカデミーを設立するに当たって不都合と思われるタリスにーさまの「不貞」を暴くのに、シュアラスタさまが必要不可欠であるのだと」 「……………。って事は、何?」 唖然とするチェス。ニコルは「はい!」と元気よく頷き、胸の前で両手を組み合わせた。 「ウイリーを信じたかったのも嘘ではありませんけれど、チェスねーさま? それ以上にわたくしは、お父様がわたくしとお母様を愛してくださっていると、よく存じてますのよ?」 だから。 「つまり、じゃな。「連中」まで絡んで来た今回のネタを医療アカデミー設立採決の日までに収めるのに、ニコル嬢ちゃんは少々危険な賭けに出た、という訳じゃよ。チェス嬢ちゃん」 モルグの様になった悪党ヅラと、不慣れなウインク。 「反対するわたしを押し切って、ニコルはウイリーを「連れ出した」のだよ、シュアラスタくん! たった一度助けられただけの君を信じて!」 フロウのうざったい感涙の視線と、興奮した叫び。 「違いますわ、お父様。前に一度タリスにーさまが言ってらしたんですの、「紙巻き煙草なんて気障ったらしい嗜好品をちらつかせるようなヤツは信用出来ない」って。だから、そのタリスにーさまを信用しないのであれば、この…」 そう満面の笑顔で言いながらニコルは、スカートのポケットからきれいに皺を伸ばした、あの…統治庁舎の展望室でシュアラスタが投げ捨てた「ギムレット・赤」のパッケージを取り出して見せた。 「紙巻き煙草の持ち主は信じていいのだと思ったんですの」 それでシュアラスタは、フロウをくっつけたままカウンターの中でにやにやするモルグに向き直り、新しい紙巻きを懐から取り出して唇に載せた。 「……………最初っからハメられてたのは、俺の方だってのかよ…。まったく」 呟いて、苦笑い。 俯いて、淡い金色を纏うブラウンの髪を掻き毟る、シュアラスタ。 「鉄壁の理想主義…ね。あんた偉いわ、領主さま。尊敬なんてしないけど。それから、その理想主義から漏れないでお健やかに育ったあんたも偉いわよ、ニコル…。お父様の理想遂行のために危ない目にあっても平気でいられるって無茶苦茶も、尊敬出来ないけど…」 呆れて呟き、絶世の美女も苦笑い。 派手な金色の髪を盛大に掻き揚げて、溜め息と、殊更晴れやかで美しい笑みを面に載せ直したチェスは。 「それにしても…うちの相棒ったらほんっとーバカよね。パパ・モルグだけならいざ知らず、領主さまとその娘にまで騙されるなんて」 大陸一と相棒が豪語して止まない美女は、胸がときめくような色っぽい仕草でぴんと立てた人差し指を唇に当て、こちらは相当以上に様になったウインクをシュアラスタに投げた。 「あんたがひとりで出歩くと、ろくな事ないのよ。いつでも」
2002/02/03(2006/05/02) sampo |
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