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占者の街 | |||
幕間 | |||
すぐバスターズには帰らない。 チェスとシュアラスタは保安官詰め所を後に、その足で町の西側監視塔に向った。監視塔は、囲いを破って進入する不審者をいち早く発見するため壁沿いに設けられた保安施設で、当然のように見晴らしがよく、町を一望出来るという利点がある。 ミムサ・ノスの監視塔は全部で八つ。町を通り抜ける街道の出入り口付近と、東西南北にそれぞれひとつづつ、という、一般的な配置状況になっていた。 最上部の櫓(やぐら)に登り、見張りの保安官を締め出す。いきなりづかづか入り込んで来て「呼んだら上がって来い」、などと横柄な事を平気で言うシュアラスタだったが、さすがに不機嫌な色男は相当な迫力なのか、宿直の保安官は黙ってその指示に従った。 しかも、シュアラスタは背が高いのだ。痩せているくらいでやや猫背気味だが、身長は百八十五センチを超えている。くわえ煙草で見下ろされれば、使命感に燃えた保安官でさえ逃げ出したくもなるだろう。 夜。 月が皓々と町を照らす。 目の高さに見えるのはあの占者館(せんじゃかん)だけで、他は地面に張り付く朧な陰影。そのどこか空々しい町並みをグランブルーの瞳で見つめるチェスの長い髪が、時折吹きつけて来る冷たい風になぶられるのをなんとなく目端に捕らえたまま、シュアラスタはじっと床の一転を凝視していた。 チェスは、櫓の外周を囲んだ手すりに肘を突き、身体を凭せ掛けていた。その右側、いつもの位置にシュアラスタは居る。こちらも肘を手すりに掛け凭れているのだが、預けるのは背中の方だった。 どちらも口を開くつもりは無いのか、暫くの間はただそうして冷え切った夜気に晒されているばかり。 シュアラスタが不意に空を見上げた。あわせて朱色の炎が薄暗い虚空に一筋の光を穿ち、少し甘い香りが漂って来る。 全てを見透かそうとする灰色がかった緑の瞳が何を考えているのか、チェスは訊かない。ただ軽く視線だけを傍らの相棒に向け、すぐ関心を無くして町に戻すだけ。 町は、夜の帳(とばり)に閉じ込められている。もうすぐ家々の灯りも消え、見回りの翳したランプと酒場から漏れるささやかな光だけが残るだろう。 どのくらいかの時間が過ぎてから、考えるのに飽きたのか、シュアラスタが小さな溜め息とともに視線を巡らせ、お終いをチェスで飾る。大陸一の美人、と彼が豪語して止まない相棒は、それさえ関心なさそうに町を眺め続けていた。 「……あんたさ」 ややあって、シュアラスタに顔も向けようともしないチェスが、囁くように言う。 「結局、何がしたいの?」 ゆっくりと視線だけを向けられて、シュアラスタが微笑む。 「まだ判らない。ただ…なんだろな、どこにも窃盗の犯人なんていない、ってのを、納得したいのかもな」 「いない?」 チェスの髪を指に絡めて薄笑みの唇で触れ、無言で頷くシュアラスタ。 「相変わらず、訳の判らない事言うわね」 「何かが足りないんだ。何か…。妙に引っかかるのに、決定的な部分が抜けてて、納得出来ない。納得出来ないから、その引っかかりの正体が掴めない」 瞬きしない緑の瞳。 「誤魔化されてる気がする」 「誰に?」 「それも判らない」 返答を待って、チェスはシュアラスタの手から自分の髪をひったくった。 「ばーか」 喉の奥に絡んだ笑いが気に食わなかったのか、シュアラスタは憮然とチェスを睨み返した。それを受け流す横顔は白く、夜の闇でさえその輪郭を隠す事は出来ない。 「それにしたってあの保安官見習い、やけに突っかかって来やがったな」 言いながら自然な動作でチェスにすり寄り、いつの間にか背後から抱きすくめて、細い首筋に唇を寄せる、シュアラスタ。慣れてもいるし当然なのか、チェスは彼を振り払おうとしなかった。 しつこいようだが、神に誓って言う。この二人、絶対に恋人同士ではない。 「そうね…。で? あんたは思いのほか疲れてんの?」 「? なんで?」 手すりに腕を乗せたまま、チェスが肩越しにシュアラスタを見る。と、顔を上げたシュアラスタの顎に、長い睫の先がかすった。 「前にも言ったでしょ? あんた、疲れて来るとやたらあたしの身体に触りたがるって」 「……………。」 そういえばそんな事を言われた気がする、などと難しい顔で考えながら、シュアラスタが短く吐き出すように笑う。小さな傷のみたいな疲労は自分でも気付けないほどゆっくりと溜まり、しかしどこかでそれを帳消しにしたいと、…思っているのか。 いつからか、何が原因だったかも思い出せない。でもシュアラスタはいつの間にか、疲れ切って、眠れないほど気が立って、何かに躓いて…。そんな時、全身に蟠(わだかま)った荒熱をチェスの、どんな時でも少しひんやりした身体を抱きしめ、からかって、うとうとと眠り、無かった事にして来た。 美人の相棒ナシでは満足に眠る事も出来ない、崩れかけた人としての輪郭。 「不都合なけりゃ問題もないでしょ」 ふん、と鼻を鳴らしてまた何も無かったようにチェスの首筋に頬を押し付け、でも、じっと目を見開いたまま足下の町を睨む。そこに何か、正体の知れない「何か」が潜んでいると判っているのに、ちょっとも姿は見えない。 「ハルパスは?」 掠れた囁き。ゆっくり持ち上がった、紙巻煙草の香る細い指先がチェスの顎をそっと捉える。 「常駐の二人組みと朝からポーカーやってたわよ。町から戻ってすぐマスター・エコーに様子訊いてみたけど、結局一日中フロアに居たらしいし」 そのシュアラスタの手首にしなやかな指を絡ませて、さりげなく締め上げるチェス。痛いって、という気の無い抗議を気の無い笑みでかわし、引き剥がし、わざと目の前の手すりに打ち付ける。 「てっ!」 「いつまでふざけてんのよ、ばか。熱苦しいから離しなさいよね」 「……キスくらいさせてくれるなら考える」 「何威張ってんの」 「だって」 拗ねたように唇を尖らせてチェスの手を振り解いたシュアラスタが、それでも彼女を解放するつもりは無いのか、器用にもチェスを抱きかかえたまま紙巻をくわえて火を点した。「だってってなによ、だってって」などと笑いながら長い髪をまとめて焦げるのを回避したチェスの瞳の中で、朱色の炎が刹那燃え上がり、消えた。 消えた。否。薄い唇に乗った紙巻の先端で、仄かに輝いた。 「何か、あたしに訊きたいの?」 間近でシュアラスタの横顔を見上げていたチェスが、ふと呟くように言う。しつこく身体に触ってくるのはいつもの事だが、今日のはちょっと趣(おもむき)が違う気がしたのだ。 まるで、正面から見返されるのを嫌がっているような、そんな顔。 普段なら、ちょっと抵抗してみせればあっさりと離す。なのに、今日はどうだろう。 「遠慮しないで言いなさいよ、後が怖いわ」 「……遠慮じゃねぇよ」 ふて腐れたように吐き捨てて、シュアラスタは紙巻をくわえたままもう一度チェスの身体に腕を巻きなおした。 「この町を見てると、随分昔の……俺にだってそうそうはっきしりした記憶がある訳じゃねぇがな、以前の、この大陸を見てるような気がする」 「…………大陸聖教徒会があった頃?」 固唾を飲み込み無理に平静を装った言葉を、チェスの唇が紡ぐ。その瞬間だけ、微かに、彼女を抱きしめたシュアラスタの腕に力がこもった。 「同じじゃないのは判ってる。でもその、おかしな熱狂の仕方が気に触る。信仰は自由で、しかもここの信仰対象は生きて目の前にいる「占い師」だ。それも理解してる」 しかし、その事実を情報として脳に組み込めない。シュアラスタがそう言いかけた時、チェスは小さく吹き出して肩を振るわせ、くすくす笑い出した。 ついこの前まで、といって差し支えないほど最近まで、この大陸には唯一の女神が君臨していた。太陽と時の女神、ミラ・カリーシャ。それを信仰する狂った大教団が、大陸を抑圧し、掌握し、大義名分と恐怖で統括していたのだ。彼らの女神は慈悲深く、容赦なかった。女神の理(ことわり)に背けば、どこからともなく現れた「天子」たちに、否応無く斬り捨てられた。 大陸聖教徒会と名乗った彼らが崩壊したのには、幾つもの要因があったといわれている。しかし今それは話されるべきでなく、今後、生き残った彼らがもう一度この大陸に君臨しようともしないだろう。 歴史はそれを「抑圧の五十年」と記した。 「決定的に違ってるじゃない、ここは。……ここには、自分たちに都合の悪い人間を殺して回る天子が………いないもの」 聖歌隊と呼ばれた得体の知れない洗脳集団も、鋼鉄の処女団と恐れられた殺戮部隊も、何も。 「あんなもん、天子なんかじゃないわ」 チェスが、吐き捨てた。 そのグランブルーの瞳が見つめているのは、虚空。睨んでいるのかもしれない。虚空の向こうにある虚無か、それとも、血風かを。 ほんの、十年前の話。 「そういえば、あたしもずっと思ってた事があるのよね」 チェスは不意に声のトーンを上げ、シュアラスタの腕をひっぱたいて振り払うと、真正面に見えるあの占者館を指差して相棒を振り返った。外周を照らすサーチライトの灯りから外れたテラスは薄暗く、両手を広げた姿勢のまま無言でチェスを見つめるシュアラスタの顔さえ、はっきりとは見えない。 (きっと、ひどく情けない顔してるんでしょうけど) 薄笑みで小首を傾げてから、チェスは「ねぇ」と甘く囁いた。 「なんだ」 返って来たのは、不機嫌そうな声だった。 「あの建物、なんだか、サーカスみたいで可笑しいわ」 ゆっくりと横柄に腕を組みながら、シュアラスタは深く溜め息を吐くようにして煙を吐き出し、それから視線をチェスの指先に這わせて、その先に聳える件の館に向ける。その頃になってようやくシュアラスタは、自分が、疲れていたのではなく、口は悪いが見栄えだけは最高級という相棒が、とりあえず、ここに居るのだと確認したかっただけなのかもしれないと思う。 今はもう、自分のものだと信じたい、ワガママ。 「サーカスねぇ」 ふっと口元を緩めてからおどけたように肩を竦め、シュアラスタは手すりに寄りかかったままのチェスに並んだ。 「占い師って聞くとね、どうしてもサーカスしか思い浮かばないのよ、あたし」 「発想が貧困だな。胸も貧弱なら尻も………」 しゃぁぁん! と鞘走りの擦過音。シュアラスタは咄嗟に軽く身を引き、おかげで、くわえた紙巻だけが天寿を全うする前にフィルター近くで真っ二つにされた。 「お前……、俺が退けなかったらどうするつもりだったんだよ」 げんなりと呟き、チェスに目だけを向けるシュアラスタ。回避して紙巻が犠牲。という事は、退かなければ犠牲者まで出る見事な太刀筋だ。 「運が悪かったと思って泣いてやるわ」 「おや、そう!」 ふーんだ、と舌を出しつつ手にしたサーベル…よりやや長めの剣を、腰に吊った鞘に収めようとしているチェスの踵を、シュアラスタは思い切り真横に蹴り払った。 悲鳴も上げずに倒れ込んで来る、真紅のコート。それをバカ笑いしながら抱きとめたシュアラスタは、掴みかかって来たチェスの手首をやんわりと捕らえ、手すりに彼女を追い詰めて覆い被さった。 「…………サーカスかぁ」 「どきなさいよっ! 邪魔っ!」 暴れるチェスもものともせず、シュアラスタはのんきに呟きながら暗闇に佇む占い師の館に目を向ける。群青色の夜空、遥か上空で瞬く細かな星に飾られたその建物からは、今も方々の窓に仄かな明かりが見えた。 突き出した尖塔を従え、足元に、斜めに張り出した天幕たちに傅かれた、占い師の城。確かにそれが町の風景だと思うと異様だが、数々のテントを集めて形成されるサーカスの一部だと思えば、少しも違和感ないのかもしれない。 「サーカス……………」 「あんた、あたしの話聞いて…いっ!」 最後の呟きを漏らしてからシュアラスタは、睨んでくるチェスに上機嫌の笑みを向け、向けた直後、いきなり彼女の耳に噛み付いた。 「調子に乗んのもいい加減にしなさいっつってんのよ、バカ!」 「……………!」 側頭部をぶん殴ろうにも下手をすれば耳たぶを噛み千切られかねないと思ったのか、チェスはそう叫ぶなり、思いっきりシュアラスタの鼻を摘んだ。
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