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占者の街 | |||
第六章 占者の街 悪党の場合(6) | |||
千切れた男の頭部を窓から放り出した後のシュアラスタは、超がつくほどゴキゲンだった。 微妙に調子っぱずれな鼻歌を歌いながら、ポケットからありったけの弾丸を掴み出すなり地上に向けてばらばら落とし、弾倉をスライドさせ空薬莢も外へ投げ捨て、それから、にこにこと笑顔を振り撒きつつ振り返って、すでに武器としては役に立たなくなった拳銃を、ぽいっとチェスに放って渡す。 「持ってなさい、大事にね」 言い置いて、右足を軽く引き腰を落とす。踏み込み足と拳がどちらも左なのは、シュアラスタの取った構えが防御ではなく完全攻撃態勢なのだと知らせたが、果たして、ギャレイたちにそれは判ったのだろうか。 「俺は機嫌が悪いぞ、お前ら! うちの相棒に怪我させた落とし前は、きっちりつけて貰うからな」 「無駄な抵抗はやめな、もう、あんたはあたしの…」 ギャレイが掲げた蝋燭、その揺れる炎。立ち上る、無色透明な陽炎。
苛々する。皮膚の下がざわざわする。暴れ回ってへとへとになるか、どうせなら死ぬか。そのどちらかでしか、全身の不快感を忘れる事が出来ない。
シュアラスタは、摺り足一歩、ギャレイとの間合いを詰めた。 刹那、その動きを待っていたのか、残り四人の黒服どもが一斉に飛び掛ってくる。半円を組んで取り囲み、頭上から振り下ろされる長剣。飛び退くにも窓までの距離が近過ぎて、攻撃を躱す前に胴体に食らってしまうだろう。 だからシュアラスタは、さらに大きく一歩踏み込んでいた。張った掌で正面の男の剣を握る手を真横に叩き払い、微かに出来た隙に身体を滑り込ませて、握った右の裏拳を左から水平に振り抜く。 側頭部を強打された右の一人が背中から倒れると、シュアラスタは身を低くしてその間隙を擦り抜けた。振り返りざま踵で床を蹴って一度間合いを開け、男たちが剣を振り翳して向き直って来る頃には、再度その背後に忍び寄っている。 手近な男の背中に貼り付き、左手で後ろから顎を掴む。そのまま自分の方に引き寄せながら膝裏を蹴り払い、がくんと上体の沈んだところで、頚椎に、右肘をぴたりと当てた。 シュアラスタが、ぶつぶつと何か呟いた。しかし、それはあまりにも小さく聴き取り難い上に、意味が判らない。 床に膝をついた男の顎を撫でるような、そんな仕草に見えた。 限界まで仰向かせられて苦しいのか、男は剣を投げ捨て両手でシュアラスタの腕に掴みかかっていた。それさえ意に介さず、背骨に、軽く折った膝を押し付けて、顎を捕らえた方の、真横に張っていた肘をタイミング良く内側に引き付ける。同時に右の肘を押し出し、背骨に当てた膝にも力をかけると、男はぎゃっと呻いて、口から血の泡を吐き出した。 全身に、一瞬でS字の加重。不自然に真横を向いた男の首がだらり項垂れると、シュアラスタは男を持ち上げて、左から斬りかかってきた別の黒服に投げつけた。 左は、無視。右斜め後方の男に狙いを絞り、振り返りつつ裏拳を繰り出すも、咄嗟に床に身を投げ出して躱す、男。絶命した仲間を斬り捨てて突進してきた先の男が剣先を突き出したが、すでにシュアラスタは一歩真横に移動して、その場に居ない。 刃を返し、薙ぎ払いに転じようとした男の顔面に肩の入った打撃が食いつく。真横ではなく斜め前方に半歩、という微妙な位置修正が功を奏したのだろうか。 へし折れた鼻から血を噴出させ後ろに吹っ飛んだ男の影から、最後の一人が踊り出る。先に間合いを抜けて機会を狙っていた男も、剣先を水平に構え後ろから突っ込んで来た。 茫洋と濁った緑の瞳。シュアラスタが、張った掌を背後から突き出された刃に滑らせ、横に叩き払う。 掌の皮が削り取られて鮮血が滲むが、気付いていない。バランスを崩してよろめく背後の男に一歩後退して肉薄、伸ばしていた肘を折り曲げて垂直に突き上げる肘撃ちを男の顎に叩き込む。 血を吐いて痙攣する男。最後の一人は、シュアラスタに近づく隙を与えないためか、滅茶苦茶とも思える連撃を繰り返しながら、じりじり迫ってくる。 胡乱な瞳が、何かを見極めようと細められた。 刹那シュアラスタの首筋に、ギャレイの太い指が食い込んだ。 「今だよ!」 持ち上げられて、シュアラスタの爪先が床から離れる。ギャレイは血走った目で暴れるシュアラスタを睨み、にやりと、凄惨な笑みを口元に浮べた。 「かわいい手下どもを散々な目に合わせてくれたね、色男。だが、こうなっちゃあんたも逃げられないだろう!」 ギャレイの指に圧迫されて皮膚が裂け、血が滲む、首筋。シュアラスタはまるで男のようにごつごつした女首領の手首を締め上げながら、それでも静かで虚ろな瞳を動かさず、剣を翳して突進して来る男の顔を見つめていた。
ぐにゃぐにゃと正体のない幻影は、なんだったのだろうか。
シュアラスタの踵がギャレイの脛を打ち据え、女首領が短い呻きを上げてよろめいた。顔を顰め、それでも、シュアラスタの身体を翳された剣の前に突き出す。
刺し貫かれて本当に「記憶」が終わるのならば、それは願ってもない幸運に思えた。 でも残念ながら、シュアラスタの「記憶」は終わらない。 終わらないと思えた。 何度か死んだはずなのに一度も死んだ試しがないのだから、結局、生き残ってしまう。
死は、償いではない。
シュアラスタの爪先が、床を掴んだ。 ギャレイの手首に爪を食い込ませたシュアラスが、女首領の巨体を背中に引き付け、身を屈めて二つ折りにしながら後ろに半歩後退する。 「うわっ!」 背中に覆い被さる形でつんのめってきたギャレイの下に身体を滑り込ませて、後ろに撥ね上げた踵でその足を蹴り払い、全身を伸ばしつつギャレイの巨体を前方に投げ出す。 「ぐ……」 どすん! と鈍い音に続いたくぐもった悲鳴は、剣を翳していた男の口からだった。男が、頭上から降ってきたギャレイに押し潰される格好で床に叩きつけられたのだ。 シュアラスタは自分の首に手をやり、それにべったりついた血を胡乱に見つめて、顔を顰めた。ギャレイの指が食い込んだままで投げたのだ、皮膚が抉り取られてしまって当然だろう。 咄嗟に転がって跳ね起きたギャレイが、まさか女のものとは思えない唸り声を上げてシュアラスタに掴みかかろうとその巨体を益々の気合で膨らませる。 素手の正攻法でシュアラスタに勝てるワケがない、と、それまでぴくりともせず室内を傍観していたチェスが、そっと、開け放たれたままのドアへと移動し始めた。 (…今日の仕事で一番厄介なのがうちの相棒黙らせる事だなんて、シャレにもなんないわ…) バカでかい拳が、平然と立ち尽くすシュアラスタの顔面を狙って繰り出される。それに焦点があっているとも思えないが、しかし、シュアラスタは軽く斜め後方に仰け反ってそれをやり過ごし、反転しつつ後ろ向きにギャレイの懐に滑り込んだ。
死は、償いではない。 死では、何も償えない。 ではなぜ、償えない死を手向け続けるのか。 自分が、無様に生き続けるため。
ギャレイの懐で左足を軸に半回転、同時に、胴体に沿って垂直な右の掌打が跳ね上がり、厳つい顎を真上に打ち据える。激突した上顎と下顎に挟まれてへし折れた歯と血反吐を吐きながら後ろに仰け反るギャレイの、晒した喉元。それに左の肘で追い討ちをかけ、身体をくの字に折り曲げて吹っ飛んだのに追いすがって、真横からこめかみに爪先を突き刺す。 直角に跳ね飛ばされた巨漢の女首領が、血の泡を吹いて床に沈んだ。 「……」 運悪く、チェスの、目の前に。 「敵前逃亡は…なんだっけ」 完全に焦点のあっていない灰色がかった緑の瞳ににっこりと笑いかけ、チェスは、苛々と髪を掻き毟ったシュアラスタをその場に置き去りにして、脱兎のごとく…逃げ出した。
死者に対して、償う事は出来ない。
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