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占者の街 | |||
第三章 占者の街……嘘吐きどもの場合(4) | |||
バスター・シャオリー・ジャオジャイマとバスター・カーライル・ロゥウェンは、いつもそうであるように、片方は限りなくやかましく、片方は限りなく無口だった。 「急いでるの? いいじゃーん、そんな用事後回しにしようよぉ。せーっかく久しぶりに顔合わせたんだもーん、一杯奢らせてよ、ね、ね、ね。ね! ねってば! こらっ!」 こらじゃねぇよ、と突っ込んでやりたい気分を引きつった頬だけでこらえたヌッフは、にじり寄って来て、それだけでは気が済まず細っこい腕を伸ばして首からぶら下がったシャオリーを引っぺがし、背後の円卓に着いたカーライルに向かって軽々放り投げた。空中で弧を描きつつ、きゃははははは、と奇声を発するシャオリーを無言のまま見事に抱きとめたカーライルの頬にキスを浴びせてから、ようやく、シャオリーが一般的な音域の声で話し始める。 「こっち来なよ。意地悪しないからっ」 「されてたまっか…」 とうに二十代後半に差し掛かろうかという年齢でありながら(実際は幾つなのかヌッフは知らないのだけれど)、鮮やかなレモンイエローに染めた巻き毛を頭の左右で括ったシャオリー・ジャオジャイマは、琥珀色の大きな瞳をきらっきらさせて、うんざり顔の大男に手招きした。 背丈はせいぜい百五十センチ程度。細身で色白。おいしそうなオレンジ色をした極端に丈の短いジャケットに、ひらひらしたミニのフレアスカートとインナーシャツは黒で、脹脛(ふくらはぎ)の真ん中くらいの長さの靴下もジャケットと同じオレンジ。それにちょっと武骨な黒いブーツを合わせた、やけに目立つ外見。服装だけ見るともしかしたら普通かもしれない、と思えるが、問題は、シャオリーという「女性」が、驚くほど童顔な所にあるだろう。人形のように小さい顔、密集した長い睫は瞬きするたび微弱ながら風を起こしそうだし、パールピンクに塗られた唇もちょっとぽってりしていてかわいらしい。 そう、知っていても納得出来ないくらい幼い外見のシャオリーは、どう見てもまだ十六・七そこそこにしか見えないのだ。 バーボンのグラスを持って、かなり渋々ながら、笑顔のシャオリーと相変わらず無表情なカーライルの待つテーブルに移ろうとするヌッフの大きな背中に向って、マスターが含み笑いを投げかける。 そのシャオリーの右隣にむっつりと黙り込んで腰を据えているカーライルが、じっとヌッフを見つめていた。別に何か文句がある訳でもないだろうが、この男……とにかく、シャオリーの分まで無口なのだ。 ……というか、カーライルの分までシャオリーがやかましいのか…。 カーライル・ロゥウェン。取り立てて美男という訳ではないが、それなりに整った男らしい顔つきに、殆ど黒にしか見えない濃紺の瞳。下ろせば肩まで長いらしい黒髪を頭のてっぺん近くでひとつに括っている。中肉中背、普段は口も開かなければ滅多に笑う事もない、無愛想というか、表情に乏しいというか、とにかく、付き合い難いし扱い難い男なのだ。 「カーくんにはいつものヤツねー、マスター。シャオにはいちごジュース!」 はいはーい、と天井に向って元気よく手を上げながらうれしそうに言うシャオリーをこれまたげんなりと見つめ、ヌッフは溜め息のように漏らした。 「今日こそはあの甘だるいシロップにお目にかからなくていいと思ったのによぉ、ついてねぇな」 側頭部をがしがし掻きながらどさりと椅子に腰を下ろすヌッフをちょっと探るような目で見るともなしに見ながら、微か、カーライルが口元を綻ばせる。 なんの変哲もない黒い革コートに、黒いシャツ。チョコレート色の革パンツを軋ませて足を組み替えたカーライルに複雑な笑みを見せ、ヌッフは頭の後ろに手をやり大きく伸びをした。 「ヌッフちんひとり? ボクちゃんどこ行ったのぉ」 「ガキぁ美人のおねーさんとデートでもしてんじゃねぇのか」 「いやーん。スミに置けないんだぁ、かわいい顔してさ。パパりん心配でおちおちお酒も飲んでらんないって?」 あははははは、と弾けたように笑い転げるシャオリーを睨む気力もなく、ヌッフはがっくりうなだれた。 「誰がパパりんだよ…。それを言うならてめーらだって大差ねぇだろうが」 「うわ! しつれーしちゃうわ」 ぷっと頬を膨らませた少女(外見のみ)が、カーライルの首を引っ張り寄せて、どうにか膨らんで見える胸元に頭部を抱きかかえる。 「カーくん保護者じゃないもん! カーくんとシャオなんてぇ、これ以上ないくらいラブラブなんだからっ」 「はいはい、そうですか」 「こら、派手モヒカン! 真面目に聞いてんのかぁ!」 「聞いてるって」 と言う割にそっぽを向いたままバーボンのグラスを呷っていたヌッフが、ふと横目でカーライルを窺う。彼は、かなり苦しい状態で身体を二つに折り曲げ、さらには斜め横に引っ張られてシャオリーに抱きかかえられていると言うのに、相変わらずの鉄面皮だった。 ある意味関心しそうになる。無表情もここまでくれば立派だ。 「うううううう、かくなる上はぁっ!」 いきなりカーライルを突き飛ばしたシャオリーが、瞬くような速さで椅子の座面に飛び乗り、片足をテーブルに、どん! と降ろして、そ知らぬ振りを決め込んでいるヌッフの横顔に指を突き付ける。 「カーくんとシャオのお熱い一日を本人ご出演のショートドラマ仕立てでご披露しちゃうぞ!」 「……お前すげーよ、ホント」 殆どバネ仕掛けのような勢いで元の態勢に戻り平然と苦いコーヒーをすすり始めたカーライルに向って、だけ、ヌッフは素直な感想を漏らした。 シャオリーは無視。いちいち付き合っていたのでは、気疲れでベッドに逃げ込みたくなる。 スカートの裾をカーライルに軽く引っ張られて、シャオリーは唇を尖らせたまま椅子に座り直した。その時ヌッフは派手にシャオリーの下着が見えていたのを忠告すべきかどうか本気で悩んでいたのだが、言ったら絶対…しかもヌッフは希望しないのに見せられた形でありながら…血を見そうなので、喉まで出かかった言葉をバーボンと一緒に無理矢理飲み下す。 こういう場合、怖いのはシャオリーではない。この無表情で無口なカーライルこそ、恐ろしいのだ。 「て冗談はいいとしてぇ、…聴いてっ、ヌッフちん!」 広げてもヌッフの掌全部より小さい手を目一杯に広げ、それをテーブルに叩きつけるシャオリー。声の調子から、それが何か有効な会話になるだろうとあたりをつけたのか、ヌッフは首を傾げながらラブラブらしい二人に身体で向き直った。 「カエルだんちょー吊るしちゃったん」 てへ。 しゃっちょこばって椅子に収まり直したシャオリーが、妙に照れた笑いで上目遣いにヌッフを見上げる。黄色い巻き毛をちゃらんと揺らして愛らしく小首を傾げる姿はまさに少女だが、彼女もまた、「物騒な赤」の悪党なのだ。 「……カエルだんちょーって…、リングマスター・フロッグ?」 確かめるように繰り返したヌッフが、シャオリーではなくカーライルに視線を送る。と、無口な男が相変わらずの無表情で顎を引く。 「そいつぁ結構じゃねぇか。だんちょーだけじゃ大した稼ぎにゃならねぇが、団体さんなら……」 へぇ、とさも感心したように目を見開いたヌッフが、いかつい顔に笑みを浮かべて、椅子の背凭れに身体を預ける。リングマスター・フロッグといえば、西部の悪党どもの間ではちょっとした有名人だったから、それを吊るした、となると、これまたチーム・ジャオジャイマの名が上がるだろうと思ったのだ。 「だめだめ。ケチついちゃって、運下がったのぉ!」 ふえーん。とわざとらしく泣きまねしてカーライルの膝に倒れこむシャオリー。それを無言で受け止めつつもヌッフから離れない濃紺の瞳が、静かに細められる。 何かあった、と予想するのは簡単だった。何せ、なんだかんだでここ二年近く西部から大きく逸れた事のなかったヌッフ自身、リングマスター・フロッグという少々厄介な盗賊団を率いていた悪人がいつ吊るされたのか、知らなかったのだから。 「いつだよ、吊るしたのはよぉ」 「一年近く前だよぉ。十ヶ月? そんなモンかな」 ぴかん、とこれまたバネ仕掛けみたいな勢いで直立したシャオリーが、甘いいちごジュースをじゅるじゅるすすりながら面白くなさそうに吐き捨てる。そのふてくされた様子を見ながら、ヌッフは内心苦笑いしていた。 (はぁ。さては…) 「九ヶ月と十九日前」 ひどく澄み切った声が、すっぱり言い切る。それがとても久しぶりに聞いたカーライルの声だとヌッフが気付くまで、悠に二呼吸は必要だった。
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