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EX+3 学祭タイフーン |
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『副長へ お祝いありがとうございました。 ようやく使いこなせる(?)ようになったので、近いうちに、学校で撮った写真とか送ります。学園祭で楽しい事がたくさんあったので、その時の写真にしますね。 いつもはラスとかロディエスさんとかに伝言を頼んでいるので、ちょっと緊張します。 また、メールしてもいいですか? マキ』
恭しく腰を折り、晴れやかな笑顔を浮かべて上体を起こせば、周囲のテーブルから…。 落胆にも似た溜め息が洩れた。
高等部二年競技科ラルゴ・ミンは不機嫌だった。 今朝までは去年と同様、他に類を見ない可愛い衣装で完璧なウエイトレスになりきり周囲の視線を集めるはずだったのに、だ! 心の内側でぐらぐらと煮え立つ苛立ちを抑えたラルゴが、にっこり微笑み手にしていた茶器をテーブルに置く。その仕草を目で追っていたお客…どうやら中等部の三年生らしい少年たちはぱっと頬を赤らめて照れたように笑みを返してくれたが、去年のように名前を尋ねられたり自由時間を訊かれたりという、まぁ、お楽しみはない。 そう、ないのだ。 去年はあれほど、もうウンザリするほど掛けられた「可愛いね」とか「彼氏いますか」とか「空き時間に案内してくれるかな」とか、そういう、広範囲で賞賛と取れる言葉が、今年は一切ない。 …実際のところ、そういう煩わしいものが纏わり付いて来ないのに対する苛立ちは、ラルゴにない。彼は、多分周囲が思うほど「そういうもの」に拘っていないのだが、だから余計に…。 ずっとずっと心の中で、ラルゴ・ミンという見栄えのいい青年の内側で燻っている「コンプレックス」を、否応なく刺激する。 「ありがとうございました、ごゆっくりどうぞ」 ラルゴが再度零れるような笑顔を見せて丁寧に頭を下げるなり、少年たちはおざなりに会釈してすぐきょろきょろと周囲を見回し始めた。その、明らかに何かを探しているような視線が気に食わなかったが、なんとか笑みを崩さないまま置きっ放しのカフェワゴンに向き直る。 ワゴンのすぐ脇では、一足先に戻っていたラドルフが生徒に話しかけられていた。その、すらりと背の高い、精悍な顔立ちの上級生は高等部実技クラスの三年生で、校内にファンも多いはずだ。 その彼が、切れ長の双眸からの視線をちらりとラルゴに送って、小さく指を差し何事かを訊ねる仕草をする。それで競技科いちのアイドルを自負している青年は、今までの不機嫌など忘れて秀麗な笑みを心掛け、ゆっくりとワゴンへ近付いていった。 「―――十三時――お終い――です。今は――で―――…」 歩み寄る白と黒に気付いたのだろうラドルフがラルゴにちらりと視線を送りながら、小さな声で素早く答えている。周囲の喧騒に紛れて所々しか聞き取れないけれど、きっとシフトの話だろう。 ラルゴは自然口元に浮かんだ笑みを隠そうともせず、もったいぶった足取りでワゴンまで戻った。彼が到着する直前にラドルフと会話していた上級生は離れていったが、空き時間は聞いているだろうからと、気に掛けて居ない素振りをする。 ワゴンに倣って敷石をなぞるようにバックヤードへ戻る道すがら、それまで傾いていたラルゴの機嫌が少々持ち直した事に安堵しつつも、ラドルフは内心嘆息した。交代してから一時間弱。通路でも、お茶とお菓子を運ぶ先のテーブルでも、訪ねられるのは「金髪のメイドさん」の事ばかりで、正直、色々と不安になる。生徒だけの内覧日でこれなのだから、明日明後日はどうなってしまうのか。 新しい注文品をワゴンへ載せながらも、ラドルフは姿の見えない後輩の事ばかり心配していた。アレがまさかおかしな下心を出した不貞の輩に攫われてどうにかされるとは思わないが、逆に、何かされそうになって大立ち回りをしないか心配だ。 あんな短いスカートで蹴りなど出したら、下着が丸見えじゃないか! とか。 内心訳の判らない方向に悩み事を抱えながらも、ラドルフとラルゴのコンビもそれなりに注目されていた。確かにマキの初々しいメイド姿は新鮮だが、マニア(?)好みなのはやっぱりラルゴらしく、一時間半も過ぎる頃には写真を撮らせてくれという申し出がぽつぽつと出始める。 「申し訳ございませんが、写真撮影はご遠慮いただいております」 何組目かの生徒に笑顔で断りを入れたラドルフが丁寧にお辞儀し、あらかじめ打ち合わせておいたようにラルゴが綺麗な笑顔を見せると、テーブルにしがみ付いていた生徒たちはぽっと頬を赤らめてから少し残念そうな顔をし、でも、すぐに引き下がってくれた。ウエイトレスと組んでいるのが他の科の生徒ならそうは行かなかったのかもしれないが、ラドルフは女王杯二連覇の武人であり校内でも有名だったから、人当たり悪くなくても多少は畏怖されているのだ。 そういう意味もあって、マスターはギャルソンにラドルフとカナメを選んでいたのだろう。……と、思いたい。しかしながらあのマスター・ベイカーという上級生は、基本的に何を考えているのか判らない上に腹黒なので、油断は出来ないのだが。 ようやく顔を上げたラドルフがにこりと笑みを零すと、あちこちのテーブルから羨望の溜め息が洩れる。可愛い系のラルゴやマキとは違って精悍な顔立ちと男らしい立ち居振る舞いのラドルフも、一部の生徒から熱い視線を送られているのは間違いない。 「んー、写真撮影禁止なの? ここのウエイトレスさんは。でも、あたしはいいんでしょう? そういう仕事、学校側から依頼されてるんだし」 と不意に、佇むラルゴとラドルフの背に、妙な…おねぇ言葉が軽く掛けられた。 「は?」 それで、給仕の二人が同時に酷く間の抜けた声を上げて背後を振り返る。 「わ。遠目でもかわいかったけど、近くで見てもかわいいわねぇ、アナタ。それに、ギャルソンさんもかっこいいし」 完全にモノになったおねぇ言葉。しかし、その声は酷く掠れていて、色気のあるハスキーヴァイスをぶっちぎり思わず顔を顰めたくなるようなものだった。 おまけに、色褪せたデニムのダンガリーシャツにくたびれた砂色のニットコート、なんのためにと思わず訊きたくなるほどポケットの付いただぶだぶのワークパンツにゴッツい編み上げブーツとくれば明らかに不審者だが、多少その辺りの自覚があるのか、彼は顔の前に写真入りの身分証明書とセントラル発行の撮影許可証を翳している。 「…カメラマン…、イチイ・オルノ…。って!!」 一旦はちらりとそれに視線を向けたラルゴは、身分証明書に示されていた名前を確認するなり身体全体で彼に向き直り、悲鳴のような声を上げた。 「あ、あたしの事知ってる? たまーに大きい仕事しててよかったわぁ。でなかったら怪しいおっさんで終わってたモン」 つか、正体明かしたって十分怪しいだろ。と、どこぞの天使が突っ込みそうな事をからからと笑って言いながら、イチイは顔の前に翳していた証明書を引っ込めた。 IDに貼り付けて合ったのと同じ、平たい顎に僅かばかりの髭を生やした浅黒い顔は、眉も目も鼻も口も微妙に大きくざっくりとした、人懐こい印象をラドルフたちに与えた。目や眉などは全体に明るい茶系なのに、色とりどりのビーズを編み込んだドレットヘヤーだけがバカみたいに派手なオレンジで、思わず眼底が痛くなりそうだ。 しかしながら、これが…。 「あの、オルノさんって、この前リリス・ヘイワードが主演した「赤い花」のポスターとか撮影した、イチイ・オルノさんですよね!」 しっかりと組み合わせた両手を胸に抱いたラルゴが、意外にガタイのいいイチイに詰め寄りながら瞳をきらきらさせて興奮気味に言うと、彼は大造りな顔にこれまた大きな笑みを浮かべて、照れたようにドレットをかき回した。 「そう。それが一番最近の大きい仕事よー」 「凄く素敵でした! 幻想的で、リリスの綺麗さが引き立ってて!」 「あらそう? 良かったわぁ、そう言って貰えて。何せリリスの関係者の一人なんか、お前の写真はどうしてああもぼやけたものばっかりなんだーなんて失礼な事言いやがるのよぉ。そいつ、凄く目が悪くて普段は世界中ぼやけてるくせに」 そのくせ恋人がめちゃくちゃ可愛いんだからハラ立つわぁ。なんてイチイは小指を立てた手の甲を口元に当て、ころころと笑う。 凄い。芸術家って。ぶっちゃけ、声と見た目は合ってるのに行動と喋り方が恐ろしくミスマッチで気持ち悪い。などと、ラドルフなどは一歩引きつつ思ったが。 「それでぇ、今日は来年度の学校案内パンフレット用に写真を撮る仕事で来てるんだけど、いいかしら?」 尊敬と羨望に潤んだ眼差しを向けるラルゴではなく、半ば呆然と立ち尽くしたラドルフに顔を向けたイチイが、首からぶら提げていた一眼レフカメラを軽く持ち上げて小首を傾げる。 「ああ…、それなら構いませんよ。一応、実行委員会に報告はしておきますから」 「データは今日学校側に提出して行くわね」 厳ついまでは行かなくても、顎にくっ付いたしょぼい髭まで男臭いくせにやたら堂に入った喋り方にまたもや感心しつつ、ラドルフは気合で笑顔を作り頷いた。 「えーと、それで…。「金髪のメイドさん」てコ、どこにいるのかしら?」 屈託のない一言だった。 「なんか、すごく可愛い可愛いって生徒たちが噂してたから、撮りたいなって思って来たのよ、あたし」 それまで上機嫌でイチイを見つめていたラルゴの目付きが、俄かに険しくなる。 「勿論君もかわいいけど、どうせなら…」 「少々お待ちくださいっ!」 頭のてっぺんから煙を噴き出しそうな形相で言い捨てたラルゴが、パンプスの踵をがっと鳴らしてスカートの裾を翻し、荒々しい靴音も高らかに離れて行くのを、イチイはびっくり眼を見開いて見送ってしまった。 暫し後、思わず深く嘆息したラドルフが額に手を当てて天蓋を仰ぎ見た途端、イチイがまたもやドレットヘヤーをかき回す。 「どーしちゃったのかしら、あのコ。どうせなら可愛いメイドさん二人揃えて撮りたいじゃない? って思っただけなのにぃ」 その当惑気味の独り言を耳にして、女王杯二連覇の王者はまるで三連覇のかかる大会の初戦で敗退したような苦い顔で頭を抱え、その場にしゃがみ込んでしまった。 「………もう、勘弁してくれよ…」 意識せず、本気の呟きが洩れた。
そろそろ次の当番時間だからとマキは、一旦緩めていたブーツの紐を締め直していた。 「………」 しかし、どうにも不器用なのか、椅子に座った姿勢で屈むと短いスカートの裾が引き攣れて居心地悪いのか、上手い具合に結べない。半ば面倒になって、適当にぐちゃりと紐を丸めて縛ってやろうかと本気で溜め息を吐いたマキの目前に、すっと茶色のサロンが立ち塞がる。 「不器用」 「!」 ぼそりと呟かれた台詞に反応したマキが勢いよく顔を上げるのと同時に、落ちる言葉と一緒にサロンの主、カナメがその場に膝を落とす。おかげで少年の怒りに満ちた視線は、ギャルソン姿の青年の薄笑みと交錯しただけだった。 慌しいバックヤードの中空に受け取る者のない視線を彷徨わせたマキが慌てて足元に視線を落とすと、床に跪いたカナメが少年の靴紐を解いて結び直そうとしている。 っていうかおお執事さんみたいうわー。 なんて事をマキが呆然としながら考えていると、カナメは気付かないのだが。 「げ…下僕がいる…」 その様子を目にしたリックが笑いを堪えた声で漏らすなり、カナメが普段から悪い目付きをますます据わったものにしてキッと少年を睨んだ。その、射殺すような視線にリックは怯んだように頬を引き攣らせたが、傍らに立っていたジンとマスターは、平然とした顔で頷いていた。 底の部分で似たようなキャラらしいマスターとジンに言い返すのを諦めたカナメが不貞腐れた表情で正面に視線を戻すと、マキまで肩を震わせくすくす笑っている。思いっきり不愉快だ。 「お前も笑ってんじゃねぇ」 腹立ち紛れに目の前にある膝頭をべしんと叩くと、俄かにバックルーム内が殺気立つ。たった数時間でアイドル扱いのマキにこんな悪ふざけをしようものなら、夜道で後ろから襲われかねないというのか! いやいや。襲われても返り討ちにする自信はあるけれど。 今後、実技の時間に組み手などして一発入れたら、その後当人ではない第三者どもから百倍くらいになって返って来るのではないかとうんざり考えるも、カナメは最後までマキの靴紐の面倒を見た。別に世話好きという訳ではないのだが、手際の悪い人間をただ眺めているのが性に合わないのだろう。 意外にもマキは、少々乱暴ながらカナメに世話を焼かれるのが嫌いではないらしかった。…というか、嫌いな訳などない。何せマキ・スレイサーというのは、無茶苦茶な鉄拳制裁を織り交ぜつつひたすら世話を焼かれて育っている、極めて特殊な少年なのだから。 現在進行形で。 これが家だったら絶対関節極められてたよなぁ。などと、マキはカナメに叩かれた膝に視線を落とし、足を交互にぷらぷらさせながら思った。 そんなマキの幼い姿に、慌しいはずのバックヤードにもほんのりと和やかな空気が漂う。 「マキちゃん最高。超カワイイ。激癒し系」 「本気で、僕と付き合わないかなぁ」 「―――冗談はそのくらいにしてください、ベイカーさん」 「……でもあいつ、ホント化け物みてぇに強いんだって」 目をハートにしたリックと、なぜか眉間に皺を寄せて難しい顔のマスターと、そのマスターを冷たく睨んでいるジンを、カナメがうんざりと見ている。 そんな、交代時間の迫るバックヤード。 マキが足を揺らすのをやめて、ぴょんと椅子から飛び降りた、直後、ホールとバックヤードを隔てる扉が、派手に開いた。
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