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EX+3 学祭タイフーン

   
         
(3)

     

『ラスへ

……。なんか、大変な事になりました。

マキ』

    

     

その瞬間マキは、先日テレビのショッピングチャンネルで見たリビングアニマルの最新式「仔猫タイプ」を思い出した。

その白くてふわふわしたぬいぐるみを抱えた司会者が、満面に笑みを湛えて声高に宣言したのは確か、「注目度ナンバーワンの、目玉商品は!」だったはずだが。

なんか、ボク、それと似たようなもの?

呆然と立ち上がったマキに、室内の視線が集中している。その大多数は当惑だか喜色だか意味不明で、しかし悪意のないものばかりだったが、遠慮なく真正面から突き刺さって来る一つだけは明らかな憎悪を含んでいた。

「……。マキ、とりあえず、こっち来い」

進退窮まった室内の微妙な空気を掻き乱すようにうんざりした声音で言い放ったのは、未だ渋い顔で片眉を吊り上げているカナメだった。

マキが当惑するようにアランを見たり、どんどん機嫌の傾いて行くカナメの顔色を窺ったりしているのを見かねてか、ラドルフが苦笑しながら手招きする。

あからさまに不機嫌そうなカナメに呼ばれたからなのか、はたまたラドルフの笑顔に引き寄せられたか、マキが一度だけアランの顔を見てから大丈夫という意味を込めてにこりと微笑み、歩き出す。

すると、それまで不審そうな顔付きで拳闘科の塊をちらちらと窺っていた競技科の生徒たちから奇妙な吐息が洩れた。

競技科の大半…主に高等部の生徒…は、「マキ・スレイサー」の名前を知っていても、少年がどんな容姿をしていて「今回の目玉」に選ばれたのか、判っていなかった。今年もそれはラルゴの独壇場で、彼は去年のように嫌がるカナメを引き連れてカフェの…どころか学園中の視線を一身に集め、得意満面で高飛車な笑顔を振り撒くのだろうと。

ところが、だ。

見ればマキは小柄で愛らしく、しかも、ラルゴのような驕りもない。まぁ、その表情からして何をさせられるのか判っていないだけだと見て取れるが、それにしても、自分の容姿の良さをひけらかしているようには感じられない。

そう。先に呼ばれたラルゴ・ミンという競技科の少年は、決して悪い人間ではないのだが、どうにもその…綺麗な容姿を鼻に付くくらい自慢していて、少々――面倒臭いのだ。

フィールド競技で良い成績を出すたびに注目される派手な見目を、わざとらしいほど前面に押し出し。

その、心酔する者もあれば反感を抱く者もあるラルゴと無名の少年を見比べて沸いた室内の異様な空気に内心首を捻りつつ足早に進み出たマキは、促されてカナメとラドルフの間に立った。注目されている事は別に気にならないが、なぜなのか、一人だけがあからさまに眉を吊り上げて睨んで来る理由が判らない。

でもまぁいいか。

マキは刺々しい気配で射殺す勢いのラルゴをきっぱり無視して、傍らのカナメを振り仰いだ。

ブレザーの肘の辺りを抓んでちょいと引っ張られ、マキに対抗意識を燃やしまくるラルゴから逃れる目的で後輩に顔さえ向けていなかったカナメが、ちらりと視線だけを動かし「なんだ?」と問う。それに応えて小首を傾げる仕草がどうにも幼くて、なんとなくマキを目で追っていた生徒たちは、なぜかへらりと表情を緩めた。

見た目だけなら愛らしい癒し系か、マキ・スレイサー。ただし、一皮剥けばその正体はあのスレイサー一族の末端なのだから、外見だけでその人を判断してはならないという先人の言葉に間違いはない。

なぜ自分がここに呼ばれたか判らない。というマキの表情に、カナメが酷く複雑な渋い顔を見せる。説明は、単純明快だ。しかし、単純明快だからこそ、説明し難い事もある。

カナメが眉間に皺を刻んで悩んでいるうちに、出揃った生徒たちを満足そうに見回してから拳闘科と競技科代表の生徒二名は、一旦彼らはそのまま待つようにと言い置いて、着座している残りの生徒に向き直った。先に呼ばれてマキたちと並んだ生徒は、全部で八名。それと代表の二人を外して、残りは二十名だ。

「じゃぁ、こっちは裏方な。十人ずつ二つのグループを作って、午前、午後の担当時間を決めよう。基本的には去年と同じ感じだから、高等部の上級生の指示で進めてて」

競技科の代表が素っ気無く言うと、ばらついていた生徒たちが一箇所に集まって何か相談し始め、拳闘科の代表が歩み寄る。それを見るともなしに見ていたマキがアランの視線に気付いたのは、視界のど真ん中に仁王立ちして邪魔だったラルゴが急に綺麗な笑顔を見せ、しなを作ってカナメの腕にぶら下がったからだった。

アランはなぜか世界の終わりみたいな蒼白い顔で、しきりにマキを振り返っている。それにもう一度「大丈夫」という意味合いを込めて微笑みかけると、なぜか、アランの傍に立っていた競技科の生徒がにかっと笑って手を振って来たりした。

なに、あれ…。変な人。

やたら愛想を振り撒いて来る競技科の上級生から不安げなアランに視線を戻しつつマキが内心突っ込んだ途端、カナメの向こう側からやけに甘えた声が聞こえて、少年はきょとんと目を瞠った。

「だからねー、去年来てくれたぼくの友達が、カナメとぼくがすっごいお似合いだったって。それで、今年も見に来るって言ってたから、カナメ、勿論ぼくと組むよね?」

そのぐっだぐだに骨のない声と、頬を引き攣らせて正面を睨んでいるカナメの様子に、マキは思わず吹き出しそうになる。

すごく判り易い図式だった。ラルゴはどうやらカナメにぞっこんらしく、しかしカナメはラルゴが鬱陶しい。

そんな上級生たちを微笑ましい思いで眺めていたマキの視線に、カナメはすぐ気付いた。なんというか、生温い笑みでほのぼの見つめられているのにますます不機嫌そうな顔をして、すげ無くラルゴを振り払い、一歩後輩へと身を寄せる。

「………」

それで俄かに眦を吊り上げたラルゴに睨まれ、マキはうんざり気味に短く息を吐いてから肩を竦めた。恐ろしいほど謂れなく敵視されている。どうでもいいけど。

いい、ハズなのだけれど。

「じゃ、こっちの八人も例年通りで…」

「はいはーい! ってコトは、やっぱり今年もぼくが、アレ、着るんですよね?」

だから何がどう例年通りなんだよと首を捻るマキ。

それって当然だよねぇ、な空気を発散しつつ軽く腕を組み、わざとのように上品な仕草で額に落ちかかる髪を掻きあげる、ラルゴ。それを大抵の…主に競技科のだが…生徒たちがうっとり見ているのを冷ややかに見下す、カナメ。

「ああ、当然」

競技科代表の最上級生はラルゴの甘えた顔を、さらりとあしらった。

「そうだよねぇ、だってアレ、ぼくに似合ってたもん」

「ああ、似合ってた。あの可愛さは、ラルゴでないと出せないね」

にこにこと会話する、ラルゴと…。

高等部三年、競技科代表マスター・ベイカーは、頬の削げた細面に爽やかスポーツマンの典型みたいな笑みを載せ、やや長めに伸ばした緑がかった灰色の髪をさらりとかきあげた。細い鼻筋と吊り上がった細眉、絵筆で刷いたような一重瞼に灰色の目というパーツが顔全体の印象を神経質そうなものにしている。

軽く教卓に寄り掛かって腕を組んだままラルゴに笑顔を向けているマスターを見ながらマキは、この人も他の競技科の生徒と同じにあのちょっと綺麗な生徒のファンなのだろうかと思った。胸に掲げた学年章は高等部の三年生だから、先輩に当たるのかとも。

「という訳でアレはラルゴに着て貰うけど、異存はない?」

まだ何か話したそうにふふんと鼻を鳴らしたラルゴからさっさと視線を逸らしたマスターは、真顔で言いながらマキを含む七人に問いかけた。

その変わり身の早さに、つい、本当に意図せず、マキがくすりと笑う。

前言を撤回。マスターのあの笑顔と言葉は相当な曲者だと少年は思った。つまり彼は、少々見目のいいのを鼻に掛けているらしいラルゴ・ミンという下級生を、あまり良く思っていないらしい。そんな生徒だから相手しないと面倒な事になるのか、話は合わせるしそれなりに持ち上げもするが、結局それはほどほどの匙加減であしらうという行為のようだ。

特に反対意見も出ないと見て、ラルゴは綺麗な顔に綺麗な笑みを浮かべると、小首を傾げるようにして他の生徒たちに会釈した。

アレってなんだろう。着てもらうって事は、服だよね? ああ、衣装って言ってたかな。

いっときだけ小さな笑いに身を任せていたマキが不意に難しい顔を作って、首を捻る。自分たちの出し物はオープン・カフェで、大半の生徒が「裏方」という役職ならば、残っているのは給仕か。だったらそれは当日に着る衣装の事で、ラルゴにだけマキたちとどこか違う、特別…かわいい?…服が用意されているというのだろう。

一人で納得したマキは再度顔を上げ、マスターと向かい合う恰好で並んでいる給仕(らしい)生徒の顔をさらりと見回した。高等部が中心の彼らは全体にすらりと背が高くて手足が長く、いわゆる二枚目が多い。ほとんどが競技科で占められているが、一番恰好いいのはカナメとラドルフだなと心の中で頷く。

と、そこで少年は、気付く。

じゃぁなぜ、自分はこちらに選ばれた?

中等部からの選出は競技科の三年生が一人と、マキだけだった。三年生はちょっと大人びた感じでやっぱりかっこよく、しかし少年は小柄で愛らしく、つまり、「カッコイイ」と呼ばれる部類ではない。

「じゃぁ、今回の目玉は二人も要らないんじゃないですか? ベイカーさん?」

マキ的に背筋がぞくりとするような甘えた声でラルゴが言い、ちらりと、カナメの腕に指を引っ掛けたままの少年を見る。その突き刺さって来る鋭い視線と正反対のべたついた声に、少年は怖気で震えながら首を竦めた。

すげぇ。…気持ち悪いよ…。

しかも、とマキは、ラルゴを見ていて判った事がある。なるほど、カナメが彼を鬱陶しがる理由も、それかと。

誰かと話す時、いちいち距離が近いのだ、ラルゴは。肩の辺りから擦り寄るように近付き、長い睫をゆっくりと瞬きながら上目遣いで視線を合わせる。それが誰彼構わず秋波を送っているように見えたし、実際勘違いしてしまう人もいるだろう。

しかしそれこそが、拳闘科の生徒には自分の間合いにづかづか踏み込まれているような不快さに繋がる。彼ら拳闘士にすれば、自らのテリトリーは絶対防衛ラインだし、逆に、気を許した相手にしか踏み込ませたくない空間でもある。

マスターに迫るラルゴからカナメの横顔に視線を移し、マキはまた少し笑った。

しかもカナメは意外と神経質だ。…というよりも、「誰か」のように周囲の気配を読む感覚が優れ過ぎているのかもしれない。だからいつも、他人が否応なしに間合いを詰めて来るのを牽制している。不機嫌さを隠さない表情とぶっきらぼうにも聞こえる言葉は、自己防衛策だろう。

その「誰か」は歳を経て、そういった不快とか不愉快とかと折り合いを付ける術を覚えた。それにしても普段から機嫌の悪そうな顔をしているのが、染み付いてしまった習性なのか生来のものなのかは、よく判らないが。

とにかくそんな詮無い事をつらつらと考えていたマキを、マスターがじっと見ている。

マスター・ベイカーという少年は、マキ・スレイサーを酷く清潔で純粋で好感が持てると思っていた。今回学祭の実行委員に選出され、出し物が例年同様カフェと決まった時点で何度か拳闘科の合同授業を見学に行き給仕候補を選んだのだが、当初目的のカナメにくっついていたのが、マキだった。

内情はどうあれ、昨年目玉として一風変わった衣装を着せたラルゴとギャルソン姿のカナメの評判は、確かに良かった。しかしながらマスターには少しだけ不満があったのだ。

簡潔に言えば、ラルゴが下品でうんざりだった。彼は自分の容姿が多くの人から賞賛される事をよく知っていて、ちやほやされる事に快感を覚えているようで、ちょっと好みのタイプのお客に呼び止められると、すぐ媚た笑顔で擦り寄って行く。

マスターは別に自分が高潔だと思った事はないが、ラルゴのあからさまな態度には不快を覚えた。

それでも評判は良かったものだから、今年もまたあの下品な流し目に三日も耐えなければならないのかと思っていたところに、マキである。

少年の笑顔は、眩しかった。誰かに媚びへつらうでもなく、愛らしいのに軟弱な印象もなく、一人佇んでいる姿の凛とした雰囲気がマスターの興味を引いた。

「一日中、しかも三日連続でミンだけを歩き回らせる訳には行かないだろう? だからまぁ、君が休憩する暇を作るのに、交代要員も居た方がいいかなと思ってね」

もう三日も前から支度していた言い訳をにこやかに吐き出したマスターが、確かめるようにラルゴを見る。

君を気遣かっているんだ的な視線を送りつつ、更なるダメ押しも忘れない。

「ミンには、楽しみにしてる生徒やお客のために、三日間がんばって貰いたいからさ。それに、衣装だけど、今年は小物にも凝ったんだって被服部から報告が来てるから、きっと、去年よりも忙しいと思うよ?」

どこか訝しそうな顔をしてマスターを見つめていたラルゴの表情が、俄かに明るくなる。

「へぇ! それ、ちょっと楽しみ。衣装は? まだ出来上がってないのかな」

「サイズ合わせの仮縫いは来週みたいだね。

それで、スレイサーくん?」

胸の前に手を組んできらきらと目を輝かせるラルゴをきっぱり意識の外に追い出し、マスターは少し身を屈めるようにしてマキを振り向いた。

「君にもちょっと変わった衣装を着て貰うようになるんだけど、大丈夫かな」

はい? という表情できょとんと目を見開いたマキが、幾ら待ってもそれ以上何も言わないマスターを諦め、もう一度カナメの袖を引いた。

カナメは最高に機嫌の悪そうな渋い表情で少年に顔を向け、ラドルフがその少年の金髪にぽんと手を置く。

「……―――ミニスカート穿かされるぞ、お前」

ミ…みにすかーと?

マキは、長い睫を忙しく瞬き、忌々しげに呟いたカナメの顔を見上げた。

「だから、ウエイトレスの恰好させられるんだって」

なぜか一言も喋らないラドルフに頭を撫でられつつ、少年はぽかんとする。どこにそんな衣装があるんだろう撮影所でもあるまいし、と思ったのはほんの一瞬で、すぐに、さっきマスターの言った被服部の存在を思い出した。

つまり。

カフェの目玉商品は生徒お手製の衣装を纏ったウエイトレスという事か!

確かにそれも、被服部にしてみれば立派な成果発表の場になるのだろうが…。

なんだかなぁ。と、マキは、苦笑のまま頭を撫でて来るラドルフと、相変らず渋い顔で見つめて来るカナメの間で視線を往復させつつ、内心深く嘆息した。

  

   
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