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EX+1 ほろ苦ストロベリ

   
         
(6)

     

『ヒューへ

今度実技の時間に組み手があるそうです。困ったな。

拳闘の教授が確か、元警備軍の人らしいから、事前に相談してみようと思います。

ヒューの事知ってる人だったらいいな。

そしたら、手抜きだって言われなくても済むから。

そういえば、放課後に家に遊びにおいでって、ジンが誘ってくれました。

パパさん(?)が、美味しいドルチェ??(って、何?)をご馳走してくれる日だって。

そしたらリックが、パパさん(?)は食べたものの感想を聞きたがるから、ボクが困っちゃいそうだって。…確かに、そうかも。

でもジンは、何も心配しなくても大丈夫だよって言ってくれました。

ボクは、いつも通りにしてればいいんだって。

美味しかったら、作り方を聞いておきます。

アンさんに食べて貰いたいから!

マキ』

     

       

それは、三人の幸せなランチタイムが始まって丁度三週間目の事だった。

その日は昼食時に月例の生徒役員会というのが催されるらしく…当然、そんな堅苦しいものに縁のないマキは、転入時に説明されたのをすっかり忘れていた…、中等部代表であるジンとリックは会議に出席していた。

普通中等部の代表は最上級生に任されるのだが、今期からは総代にジンが、補佐にリックが指名され、ちょっとした話題になったものだ。

選出当時はこれも有名税かなどとうんざり笑い飛ばしていたリックだったが、一日のうちたった五十分のランチタイムにその日の気力の八割を割いているらしいこの頃には耐え難い苦痛だなどと言って、どさくさに紛れてマキに抱き着き別れを惜しんでから、渋々役員室へと向かって行った。

さて。

静かな嵐のようにやって来た二人が去って教室内に奇妙な沈黙が降りると、マキは何食わぬ顔で弁当を抱え、いつものように廊下へ出た。内心は、随分とあからさまになった刺々しい視線と、マキ自身に意味不明の興味を示す探る気配に辟易していたが、そんな素振りはちらとも見せない。

ジンとリックの噂は、彼らに声を掛けられた翌日にはマキの耳にも入っていた。一人はカフェ・チェーンの跡取りで、もう一人は豪華ホテルの次期オーナー。頭脳明晰スポーツ万能。到底「ぼくら」下々の者なんか相手にしない、鼻持ちならない連中だ。というのが、マキの聞いた「根拠のない噂」だった。

さて、残念ながらこれを鵜呑みに出来るほどマキは愚かでない。というよりも、そんな馬鹿げたマネが出来たら、即刻家を叩き出されて路頭に迷う。噂は、噂。余計な尾鰭どころか角や牙まで付いていると少年は判断した。

確かに、ジンやリックはその家名になのか、容姿になのか、頭脳になのか、擦り寄って来る少年たちをどこか蔑んでいるように見えた。ただしそれは自分を卑下して二人を持ち上げようとする輩に対してだけ取られているようで、節度を持って接して来る上級生には礼儀正しかったし、マキには…甘い。

転入してから既に一ヶ月以上、中等部内の状況をある程度把握出来たマキは、簡単に結論を出す。

単に、ジンとリックが欲しいのは気を置かずにじゃれ合う友達で、ちやほやと誉めそやしてくれる取り巻きではない。そして、彼らは決して下々の者…とは、誰かが言ったのだが…を見下しているのではなく、下々の者が、勝手に彼らを誤解しているだけだ。と。

今日は自分でカフェテリアに行き、カウンターでいつものカルシウム飲料を買い求めたマキが、ごった返す出入り口をすいすいと擦り抜け中庭へ爪先を向ける。ランチタイムが始まったばかりのこの時間、カフェテリアとラウンジ周辺は酷く込み合っていてあちこちで学生同士がぶつかっているようだったが、マキは誰と肩を掠らせる事もなく校舎を後にした。

天蓋の外は素晴らしい快晴だった。久しぶりの一人の昼食を寂しいと思いながら中庭へ降りて煉瓦調の歩道をなぞるマキを、ここでもあちこちから注がれる不躾な視線が追って来る。

煩いなぁ。

ふっと短く息を吐いて微か眉間に皺を寄せたマキが、不意に歩を緩めて立ち止まる。華奢な姿に、ふわふわの金髪に、零れそうな大きな目。小作りな顔は人形のように整っていて、はっとするほど可愛らしい。

のに、か。

マキは、ゆっくりと水平に視線を動かし、中庭のあちらこちらに点在する生徒の群れの向うに何かを探すような顔で、ぐるりとそれを見回した。

いつもはジンとリックに挟まれてべたべたしている…実は、されている、なのだろうが…マキが一人なのをいい事に遠慮ない視線をぶつけて来ていた生徒たちは皆、その瞬間、感じただろう。

息苦しいような、威圧感。

目が会った訳でもないのに、見られている感覚。

悪意ある視線を向けているという後ろめたさの生むそこはかな怯えを刺激する。

        

全てを圧する、張り詰めた空気。

      

目線でさらりと中庭を撫でてから、マキはまた何もなかったかのように歩き出した。言いたい奴にはなんなり言わせてやろうと思ってはいるが、どうにも敵意ある視線が気に食わなかった少年が束の間見せた苛立ちに、その場に居合わせた誰もが原因不明の緊張を感じたのか、その後、マキを追う視線はない。

もう少し冷静に遣り過ごせればいいんだけどなぁ。

内心嘆息しつついつものベンチに腰を据えて、マキはいそいそと弁当を広げた。三人の時は少し窮屈なベンチが今日は酷くがらんと感じられて、少年は知らず肩を落とす。

ロールパンにポテトサラダを挟んだものをもそもそと食べ、カルシウム飲料で流し込んでさっさと食事を終えようと思う。帰りがけ、教員控え室に立ち寄って拳闘の教授に、来週ある組み手の授業について相談してから教室に戻ろうと考えながら、緩やかなカーブを描く煉瓦色の敷石を、来る時とは反対に校舎側へ辿る。

ちらりと。

室内競技である拳闘は、フィールドスポーツには劣るがそれなりに人気の種目で、初等院から大学院まで全ての学年を網羅し、全ファイラン女王杯という大会まで開催されている。実際マキがそれに参加したのは初等院前期三年までのたった三年間に過ぎなかったから、まさか、この華奢な少年が拳闘部門の選出でセントラルに転入したとは、誰も気付いていないだろうが。

赤煉瓦で固められた古風な本校舎の向うに見える、近代的な校舎をぼんやり眺めながら、マキはベンチの背凭れに身体を預けた。

セントラルにも当然、様々な部活動というのがある。ホッケー、サッカー、バスケット、バレーボール辺りの人気スポーツから、弓や射撃、拳闘だって当然ある。

しかし、マキは拳闘部に入部するつもりはない。それでなくても通学に路線バスを乗り継いで一時間も掛かるのだから、部活動などしていたら道場の稽古に出られない。

拳闘部に入るのだから同じ事ではないかと言われそうだが、それこそ、まさかか。

飲み終えたカルシウム飲料のパッケージを解いて折り畳み、屑篭へ入れるだけにして、マキは膝に広げていた弁当の包みを片付け始めた。

そもそも、学校の拳闘部と道場ではレベルが違い過ぎる。マキは既に、大人と混じって五式…スレイサー道場で教える式組み手は、十式から一式まである…四段の稽古をつけて貰っていたから、学生が大会用に練習する十式辺りは初等院前期で既に終わっていて、下手をすると、演舞の手順さえ覚えていないかもしれない。

ジェイでも居ればはったりかまして知らん振りも出来るのに。とマキは、ここに居ない幼馴染を思って憂鬱な溜め息を吐いた。

とにかく、居ない者に焦がれて沈んでいる場合ではない。マキは自分にそう言い聞かせて、きれいに包み直した弁当を抱えベンチから腰を浮かせようとした。

「スレイサーて、お前だよな」

その声に気付いた時には、というか、こちらを探る気配の後近付いて来ていたのは知っていたがきれーに無視していたのだが、三人の生徒が半円を描くようにしてベンチを囲んでいた。

きょとんとした幼い表情で立ち塞がる生徒たちの顔を見上げつつ、マキはすかさず学年章を確認した。三人とも黄色にUのブローチを光らせていたから中等部の二年生なのだろうが、少年にはまったく見覚えのない顔だ。

ベンチに座ったマキを見下ろして立っているのは、制服もきちんとしていて眼鏡をかけた真面目そうな少年が一人と、ややだらしなくネクタイを緩めてブレザーのボタンも留めていない、目付きの悪い少年が二人。この二人、少々蓮っ葉な印象を作っているようだが、その制服の乱れ方や派手目のヘアースタイルがいまひとつしっくりこなくて、リックの方が同じにガラ悪そうでもかっこいいなぁ、などと思いつつ、こくんと頷く。

三人はそのマキの答えに不愉快そうな顔をして、それこそガラ悪く舌打ちした。もしかしたら、仕草だけで返されたのが気に入らなかったのかもしれないと思ったが、マキにしてみればそれはもう習性のようなものだったから、いまさら「そうだよ」と言い足すのもばかばかしくて、やっぱり黙っておいた。

「…ぼく、教養クラスBなんだけど」

眼鏡の少年が意を決したように冷たく言うなり、所属は明らかにするが氏名を述べない微妙な卑怯さにマキは、釣りあがりそうになる唇の端を押し留めるのに必死にならざるを得ない。その、頬を強張らせた表情を少年たちはどう取ったのか、一瞬の目配せのあと、ガラ悪そうな二人がマキを挟むようにベンチに座り、馴れ馴れしく左右から肩を抱いてきた。

「単刀直入に言うけどさ―――」

マキがびっくりしたような顔で自分の左右をきょろきょろと窺うのを無視して、眼鏡少年が偉そうに腕を組み、横柄に話し始める。

奇妙に耳障りな声を遠くに聞きつつ、左右から挟んで来る少年たちの体温になんとなく居心地が悪くてもじもじと身体を蠢かせたマキは、手の甲で軽く自分の肩をぱっぱっと払う素振りをした。そう剣呑な空気を発しながら気安く肩に手など置かないで欲しい。

無意識に払って引き倒したりしたら、どうしてくれる。

「ぼくの話聞いてんのかよ!」

やや強い口調で言われて、マキはまたもやきょとんと眼鏡少年を見上げた。

目元を赤くして唇を尖らせた顔は明らかに怒っているように見えたけれど、マキにはなぜ少年が怒りも露に自分を睨んでいるのかが判らない。その、あまりにも無防備な表情がますます神経を逆撫でしたのか、眼鏡少年は地団駄を踏まんばかりの勢いで、一気に捲くし立てた。

「お前に付き纏われて迷惑してるんじゃないかって言ってるんだよ! ジンさんもリックさんも、実技クラスの転入生がへらへら笑いかけていいような相手じゃないって、お前、判ってないよな? お二人は高等部の生徒会役員からだって一目置かれてるんだぞ! それなのに、あたり構わずべたべたしてさ、いい気になってんじゃない!

本当はジンさんもリックさんも、お前なんかうんざりしてるんだよ!」

言われて。

マキは改めて眼鏡少年の顔をまじまじと見つめ、それから、左右を固めた少年たちをゆっくりと見回した。

「…どうやってあの人らに言い寄ったのか知んねぇけど」

右側の少年が、こつん、とマキの側頭部を指で小突き、小さな頭がぐらりと揺れる。

「おれらが今のうちに優しく言っといてやんなかったら、お前、もっと怖い目に合ってたと思うよ?」

どこか見下したような、脅しを含む笑顔で言い置いて少年が腰を浮かせると、左に座っていたもう一人がぽんとマキの肩を叩いてから立ち上がった。

「そういう訳だから、目立つ行動、控えようね、転入生クン」

興奮したように肩で息をする眼鏡少年を間に挟むようにして、三人はさっさとマキの傍を離れて行く。

その背中を呆然と見送って。

今言われた言葉の意味を少しの間だけ考えて。

マキは。

すっかり冷たくなった指先をぎゅっと握り締め、俯いて。

        

        

校舎から洩れる喧騒を遠くに聞きながら、暫くの間、そこにそうしていた。

  

   
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