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番外編-5- 夢が見れる機械が欲しい |
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更衣室から暗い廊下に出て、階段の前を通り過ぎコートへと向かう。 安っぽい蛍光灯がちらつく湿った通路は酷く寒く、憂鬱なミナミの気持ちをますます沈ませた。 「……………」 延々と続く「人生」という、生く人の道。例えば今まで自分の辿って来たそれは、未曾有の騒動が山となり谷となりミナミの行く手を遮ろうとしたかもしれないし、これから先ももっと高い、もっと深い障害物を用意し青年の歩みを止めようとするかもしれない。 暗く短い廊下に陰鬱な靴音だけを響かせて、ミナミは一つ溜め息を吐く。 忘れられないのは。 そういうものに比べればこんな些事などなんでもないさ、とさえ言い出しそうな、ヒューの冷たい横顔か。 それとも、無意識か、意識的にかそのヒューから逃げるようにして暗がりに消えた、華奢な少年の背中なのか。 そして多分、とミナミは、それ、に気付いてしまったから、確信する。 きっと少年がその行く先に自ら深い谷を刻んでも、越えるに越えられない高い山を招いても、男は非情にも前へ進めと少年の背中を押すだろう。 きっと。 青年の恐れる恋人と同じく自らの決めた進路を迷わないあの銀色は、残念な事に。 この都市が空にあり、いつか地上に降りるまで空に置こうとする、陛下の忠実な下僕。 それでも男はその谷を埋めるだろう。 それでも男はその山を砕くだろう。 どちらにしても、少年はいつか先に進まなければならないだろう。 だからいつか、「少年」というステージから男は退場するだろう。 アンがルー・ダイ家を守り魔導師としてその人生を歩む時、ヒューはそれを、ただ見届ける。 始まりも、終わりもなく。 ようやくコートへと繋がるドアに辿り付いて、ミナミは一旦足を停めた。気持ちが重い。拗ねたハルヴァイトと「ディアボロ」をどうにかしなければならないのに、こんな気分でどうしろってんだよ、と半ば八つ当たり気味に再度溜め息を吐いてから、青年はかなり乱暴にスライドドアを引き開けた。 そう明るくはないが、開けた視界。白線で描かれた正方形のコートが横に三つならんだその場所の、真ん中のコートの丁度中央辺りに、「ディアボロ」がじっと佇んでいる。 もうドレイクの「フィルター」が撤去されてしまった悪魔は、いつもと同じ全高三メートル。演習室よりも天井の低い道場で見るとそれは、意外にも大きい。 「どうかしましたか? ミナミ」 声をかけられて、ミナミがうっそりと視線だけを動かし「ディアボロ」の向こうを見遣る。立つ骸骨の陰に隠れた黒っぽい人影は、床に座り込んで壁に背中を預けていた。 「あんたと「ディアボロ」が拗ねてっから、どうにかしろってミラキ卿に言われて来たんだよ…」 少々剣を含んだミナミの声に、ハルヴァイトがわざと渋い顔を作って見せる。 「拗ねてるんじゃなくて、さっき取ったデータを照合してから戻りますと、ドレイクには言って置いたんですが、ちゃんと」 「最近あんた、周りからの信用低いんじゃね?」 「否定はしませんけどね。まぁ…」 あれだけの事をしでかしたのだから。 とまでハルヴァイトは言わなかったが、その空気だけはミナミにも簡単に伝わった。 判っているならそれでいいのか、ミナミは浅く一礼して道場に踏み込むと、迷わず「ディアボロ」に近付いた。鋼色の悪魔。空洞の眼窩。ミナミが現れて多少機嫌が戻ったのか、悪魔の長い尾がゆらりと揺れる。 黒い長上着の裾を捌いて「ディアボロ」に近付きながら、ミナミが腕を伸ばす。悪魔は振り返ったりしなかったが、その、白手袋に包まれた手が骨格の腕をすっと撫でると、微かに首を動かしてミナミの方へ顔を向けるような素振りをして見せた。 「…いくら大きさが同じくれぇだったつってもさ、ヒュー、よくこの肩に乗ったよな」 悪魔の傍らに並んだ青年が、言いながらふと上空を見上げる。 「小さい方が乗り難いでしょうしね。まぁ、あの時点でほぼ完敗決定ですよ、よく考えれば」 ハルヴァイトが苦笑混じりに答え、ミナミも微か口の端を引き上げた。 「…どんなにあんたと「ディアボロ」が強くても、ここじゃヒューにゃ勝てねぇだろ」 「そうですね」 「? つか、あんたもそう思った?」 意外にも素直に負けを認めたハルヴァイトを、ダークブルーの瞳が見据える。 「思いましたよ。ここは班長のフィールドで、わたしと「ディアボロ」が自由にしていい場所ではありませんからね」 だから、どうして勝てないのか、という部分に言及するつもりはないのだろうハルヴァイトが、小さく肩を竦めて笑う。 その時ハルヴァイトも、見ていた。 ゆっくりとしゃがみ込む「ディアボロ」の腕から外そうとしない、ミナミの手を。縋るように握り締めた白手袋のそれを、悪魔がそっと引き寄せたのも。 好きにすればいいとハルヴァイトは、「ディアボロ」に「答え」る。 「……いっこ、訊いていい?」 ちょん、と腕を引かれたミナミが、「ディアボロ」に顔を向け直した。その頃にはすっかり床に膝を付いた悪魔の奇行が気になるのか、声だけをハルヴァイトに向けながらも、ミナミは恋人を見ようとしない。 苦笑が漏れる。今日は完敗続きだとハルヴァイトは思った。 「ヒューと「ディアボロ」が組み手、って、つまり、何がしたかったんだよ、あんたは」 まるで別々の、過去の遺恨を晴らすかのように繰り広げられた「試合」。しかし、それに何か別の意味があるのではないかと、ミナミは思ったのだ。 「……………」 問われて、ハルヴァイトは少し困ったように眉を寄せた。 「? って!」 その微妙な困惑の気配にミナミが「ディアボロ」から目を逸らした刹那、悪魔は不意に、なんと…、突っ立っていたミナミの背中と膝の裏に腕を回して、華奢な青年を掬うようにひょいと抱き上げたではないか。 「何?!」 さすがのミナミも、思わず悲鳴っぽいものを上げる…。 三メートルの悪魔に抱きかかえられて唖然とするミナミを、ハルヴァイトが笑っていた。 「笑い事か!」 思わず力一杯突っ込んだりもする。 「てかお前は何をしてぇんだよ!」 「ディアボロ」にも、ちゃんと突っ込む。 睨まれて、一瞬悪魔は困った顔をした、ように見えた。見えただけで、実際はミナミ以上に無表情なのだから、そんな訳などないのだが。 ハルヴァイトは、俯いて肩を震わせずっと笑っていた。こちらは「ディアボロ」が何をしたいのか判っているのか、停めようとも、咎めようともしない。 笑う恋人と悪魔の奇行に太刀打ち出来ないと諦めたミナミが、わざとのように溜め息を吐いてから「ディアボロ」の腕に収まり、相変らずの無表情で「そんで?」と、ハルヴァイトに質問の答えを促がす。 一応は突っ込んだものの、ここで悪魔と悪魔の奇行を無視出来るミナミも、どうかと思う。 「…何をしたかったのかと言われたら、上手く説明出来ないんですが」 「つうか、あんたは普通に上手く説明出来ねぇんだけどな…なんにせよ」 虫の居所が微妙に悪いのか、容赦なく話の腰を折るミナミを、今度は「ディアボロ」が笑う。感じがする。 それでも悪魔は青年を離さず、器用にもその腕にミナミを座らせて腕を持ち上げ、移動しろというのか、その腕をそっと掴んで自らの角へと伸ばさせた。 肩に座れと言うのか? ミナミは巻いた角に手をかけたまま、確かめるように「ディアボロ」の顔を覗き込んだ。それで、再度小さく腕を引かれて、するすると腕を滑り肩に座り直す、青年。 「わたしと「ディアボロ」は繋がってるんですよ…」 ミナミと「ディアボロ」を眺めながら、ハルヴァイトが口を開く。 「それだけが全てだった頃もあった、と言うべきでしょうが」 「ディアボロ」は、肩に座ったミナミが落ち着くのを待ってから、ゆっくりと足を動かしハルヴァイトへと進んだ。極力上半身を揺らさないようにしているのは、不安定な場所に座って角に掴まっているミナミを振り落とさないためだろうか。 「完結していると、わたしは思っていた」 悪魔と悪魔は繋がって。それが全てで。あとは、何もなかった。 「でも、本当はそうではなくて、それはわたしの錯覚で、完結しているのではなく切り捨てようと躍起になっていただけだったと、いつの間にか、わたしは気付いた」 ハルヴァイトの直前まで進んだ「ディアボロ」が、肩に座るミナミの背中を支えるように腕を上げる。尖った鉤爪で青年を傷付けないように優しく添えられた手は大きく、しかし、冷たかった。 ハルヴァイトの動かない鉛色が、ミナミを見上げる。 微かな笑みも浮かばない顔は冷たいくらいに端正で、ミナミはぎゅっと…「ディアボロ」の角にしがみ付いた。 「……強くなる事が目的ではないんですよ、班長のデータを取ろうと思ったのは」 不意に視界が急落し、ミナミがバランスを崩す。危うく「ディアボロ」の肩から転げ落ちそうになったのは、悪魔の頭部を抱き締めるようにして防いだ。 だから青年は、見つめる恋人の目前で、冷たく無情な悪魔の頭を抱きかかえ、緊張に蒼褪めた頬を銀色の小さな光を散らす髑髏に押し付けて、無表情に、鋼色の恋人を見つめた。 「何かね? それがなんなのかはわたしにもよく判らないまでも、班長と同じフィールドに立てば、何かが、繋がっていると判るんじゃないかと、そう思ったんですよ」 魔導機と魔導師と、その人と。本来ならば同じフィールドに立つ事などありえないだろうそれを繋げようとする時、彼らは。 「…それで、なんか判った?」 囁く様に問われて、ハルヴァイトがふと口元を綻ばせる。 「少しだけ」 「……………………」 「あなたも、その環に、入りましたし」 ほらね? と指を指されて、ミナミが………………。
ふわり、と恋人に微笑みかける。
恋人に繋がった悪魔を抱き締め、青年は判る。 データを取るという口実で、今日ハルヴァイトの判ったもの。 ハルヴァイトと「ディアボロ」と。繋がろうとするヒュー・スレイサーを繋げたものはなんだった。誰だった? ドレイク・ミラキという人と。タマリ・タマリという人と。アン・ルー・ダイという人と。きっかけを与えたデリラ・コルソンという人と。 ではそのきっかけを与えたデリラに、更にきっかけを与えたのはなんだった。誰だった? 回り回って、回って、回って…。ぐるぐると螺旋、渦を巻き。一つの点が縦横に絡みあった螺旋のあちこちに点在し、平面では表せなくなって、二次元を突き破り三次元になる。 「そうして、中心だったはずのわたしもどこかの一点になり、世界は、出来上がっているのかなと」
わたしはひとりではなく。 居てくれてありがとう。 そこに在ってくれてありがとう。 この時代、この瞬間に、居合わせてくれてありがとう。 今日のわたしを見届けてくれた全ての人に。 ありがとう。 また、明日。
ハルヴァイトの口元を飾った笑みがあまりにも透明で揺るぎ無く、ミナミは、何か言いかけた薄い唇を閉ざした。 そうだった。そうなのだ。 さっきまでの杞憂を思い出す。 大丈夫。きっと大丈夫、どうにかなる。 だって、わたしはひとりで、彼と、彼も、ひとりだけれど、わたしと彼と彼は、それぞれが無関係にただ立ち尽くしている訳ではないのだから。 真円を、知る。 不意に身を起こしたミナミが、「ディアボロ」にもふわりとした笑みを投げかける。それから、一度だけその冷たい頬を指でするりと撫でると、悪魔は床に座り込んだまま肘を上げ、青年に軽く首を振って見せた。 それで何が伝わったのか、ミナミは待っている腕に爪先を下ろし、それから、折り曲がった膝を経て床に飛び降りた。 「…それにしても、あなたと「ディアボロ」は…、仲がいいですね」 その様子を相変らずやる気なく膝を立てて座ったまま眺めていたハルヴァイトが苦笑混じりに言えば、ミナミがちょっと意地悪そうに小首を傾げる。 「なんか通じてるって感じ? 手の掛る誰かに振り回されてるって辺りで、お互い苦労してんだよ」 「………………………誰が誰に振り回されてるんですって?」 ひく、と頬を引き攣らせたハルヴァイトを、ミナミと「ディアボロ」が声を殺して笑った。 くすくすと笑うミナミを暫し見つめて(?)いた「ディアボロ」が、ぎい、とどこかの関節を軋ませて立ち上がる。と、ハルヴァイトが微か眉を寄せ、短く息を吐いた。 「というか、班長…」 呆れたそのセリフにミナミが小首を傾げる。 「怪我するなとは確かに言いましたけどね、班長は。まさか」 佇むミナミに苦笑を向けたハルヴァイトが、自分の首の後ろに手を回した。 「直結してる状態で、「ディアボロ」の首の関節を、本気でへし折ろうとするとは思ってませんでした」 「…………………」 いや、確かに。最後の一撃は、生身の人間だったら首の骨がどうにかなっても文句は言えないだろう、暴挙だったかもしれない。 「縮小する事で、かなり強度が下がってたんですよ「ディアボロ」のね。骨格(フレーム)が細くなってるんですから、それは覚悟の上だったんですが…。えーと、なんて言ったらいいんですかね」 上空に青緑色の電脳陣がかっと浮かび、「ディアボロ」が名残惜しそうにその向こうへと飛び込んで行く。それになんとなく手を振ったミナミが再度ハルヴァイトに顔を向け直した時、恋人は、しきりに首の後ろを揉みながら、壁に背中を押し付けた状態で、やっと、立ち上がったのだ。 「小さく細くなる事で、「ディアボロ」の重量も軽くなりますよね? それと同時に、耐えられる衝撃とか、発揮出来る腕力とか、そういうものの上限も下がるんですよ。そうなると、リバウンドする衝撃が大きくなる」 つまり? 「実は、わたしにも相当の負荷が返ってたんです、あの…最後の大技一回で」 どうしようもない苦笑と伴に、ハルヴァイトは腕を組んだ。 百パーセントではないにせよ、「ディアボロ」の痛みを体感したその人は。 「…もしかして、あんたが偉そうにデータの確認がどうのつってたのは」 「いや、殆どこれが原因で」 その前の組み手分と合わせて、ハルヴァイトの全身は限界ぎりぎりで悲鳴を上げていたのだ。 「かっこわる」 「……………………」 ミナミ、今度はわざと地雷を踏んでみる。 無表情に見つめて来る恋人から渋い顔を背けたハルヴァイトが、背中を使って気合で壁を突き放す。首の間接が捻じ切れそうだとか、肩の関節が外れそうだとか一瞬で様々な感想を抱いたが、彼はそれを口に出さなかった。 リバウンドの原理を知っていたのか、いないのか、ヒューはそもそも、攻撃に対してご丁寧に、いちいち関節を狙ったカウンターを当てて来ていた。最初から。傍から見ていても判らないそういうものを体感する事で、ハルヴァイトは様々な情報をそのデータベースに書き込んだ事だろう。 完敗を認められるほどに。 叩き込まれた。 「歩って特務室帰れる?」 「まぁ、なんとか」 「んー、じゃぁさ」 なんとなく笑いたそうなミナミの顔を、怨めしげに見遣る鉛色。 「屈める?」 「? いや…、それは、背中と首が辛いんじゃないかと」 口篭るという程でもないが、歯切れの悪い台詞を聞きながら、さっき見たばかりのヒューのように、すっと足裏を床に滑らせてハルヴァイトの間合いに入ったミナミが、薄い唇に微か笑みを漏らす。 腕を組んだ恋人が、不思議そうな表情でミナミの顔を見つめ。 「なら、まぁ…しょうがねぇか」 溜め息のように呟いたミナミが、動かない(動けないか?)恋人のためにその綺麗な面を上げた。 「触っていい?」 問われて、変わらぬ言葉に。 「…どうぞ」 変わらぬ答えを、返す。 微かに動いたミナミの手がハルヴァイトの組んだ腕にかかり、踵が床を離れる軽い音。それで何が始まるのか、ああ、そうか、とハルヴァイトが鉄色の睫を閉じて、すぐ、笑みの消えない唇に、柔らかく、少し冷たい感触。 そのくちづけが、掠めるようなではなく、触れ合うようになったのは、いつからか。 爪先立ちのミナミが軽く体重を預けて来ていたのがふと離れて、ハルヴァイトが瞼を上げた。 しかし完全には離れず、睫の触れ合いそうな距離で見つめて来る、ミナミ。 「……ずっと道場にいたせいで、身体が冷えてしまいましたね。あなたの」 「あんたらは暴れ回ってたからいいだろうけどさ」 囁き合って、再度触れ合わせた唇が。 仄かに暖か。 「では、特務室に戻ってから、ランチにトマト・スープでも?」 「ホット・チリとかだったら、すぐ暖まりそうでいいな」 「…その前に…」 言ってハルヴァイトはそっと腕を解き、寄り添った恋人の華奢な身体を抱き締めた。 「まず、わたしが冷やさない事には、ね?」 笑いを含んだその声にミナミは、わざとハルヴァイトの顎に額をぶつけてから、「調子に乗んな…」と、耳まで真っ赤になって覇気なく言い返した。 2004/11/22(2004/12/28) goro
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