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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
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悪意は、悪意を持って接するから悪意であって、では、受け取る側が「悪意」だと思ったとしても悪意のない「悪意」は、なんなのだろうか。

不幸な意識の行き違いか。

純真無垢な、無邪気か。

     

     

周囲の迷惑など顧みず、まだ早朝と言っても良いだろう時間にオフィスに駆け込んだクレイは、寝ぼけ眼でやって来たスタッフの尻を蹴飛ばしながらクライアントに連絡を取り付け、リリスのマネージャー兼代表を叩き起こし、事務所に捻じ込んで平身低頭、土下座せんばかりの勢いで出演を認めさせ、その足で某所に突撃して殆ど一方的にイメージ映像の製作を承諾させるというひと仕事を終えて、再度リリス所属事務所の入る撮影所を兼ねたビルに舞い戻っていた。

時間は既に昼近く。

さっきからじゃんじゃん鳴る携帯端末は、リリス個人からのものとラド邸からのものの通信を数分おきに繰り返していたが、ここで邪魔される訳には行かないからか、煩いそれは完全に無視されている。

それでも端末の電源を落とさなかったのは、さすがに言い逃げして来た際のベッカーの剣幕に多少の恐れを成していたからなのか、違うのか…。

とにかく、ある程度の目的を果たしたクレイは、最後の準備をすべく撮影所の奥にある機材倉庫に駆け込んで、薄暗いその中で必要な物を物色している最中だ。

始めは意味も分からず目を白黒させていたクライアントが最終的に満面の笑みでイメージ映像…店頭コマーシャルの放映を快諾したのは、脚本家の見せたコンテが気に入ったのと、兎にも角にもこれはまたとないチャンスだと思われたからだろう。今まで主演ムービーの予告以外企業コマーシャル出演した試しのないリリス・ヘイワードを必ず引っ張り出すという口約束は、クレイの期待以上の効果を発揮してくれた。

覆い被さるように整然と並んだ棚の間を奥へ奥へと進みながら、クレイは安堵と不安と疲れの滲む溜め息を吐いた。ここまでは予定通り。さて、ここからは。

目的の、前時代的アナログフィルムを使用する機材を見つけて、クレイは手にしていた大きなバッグを床に置き、目線より低い棚の中を覗き込むように身を屈めた。カメラは据え置きが一台だけでいいし、音声は撮影機材に付属した質の悪いテスト録音機で構わないだろう。殆ど思い付きで強行した店頭コマーシャルの脚本、演出、監督、カメラマンと音声まで一人で引き受けるつもりの男の頭の中に描かれた青写真は、決して「美しいドラマ」ではない。

普段あまり使われる事のなくなったフィルム用カメラが乱雑に詰め込まれたコンテナを棚から床に降ろしたクレイは、その場にしゃがみ込んで最早貴重品とも言えるフィルムを探した。それは、そこに在る物をそこに在る通りに記録する。0と1の描くクリアで美しい記録ではない。

底に並べられていた頼りない小さなカセットを一つ取り上げて、クレイはそれを顔の前に翳した。

そう、これは頼りない。後から手を加えて修正する技術がどんなに発達したとしても、ここに記憶されるのは。

見たままの、画(え)だ。

デジタルで、機械信号で、0と1で記録されるものと同じに見えて同じではなく、これは、リリス…セイル青年の息遣いと気配を「そのままに」写し出してくれるはずだ。

取り上げたフィルムを保護用のケースごと撮影機材に差し込みながら、クレイは意識を現実に戻した。飾り気もなければ修正も利かない画が撮りたい。ならば必要なのはやはりカメラと三脚だけだと一人で納得したクレイは、満足げに唇の端を吊り上げて、準備の終わった機材を大事に抱えて立ち上がる。

「あれ? アルマンドさん、どうしたんですか? こんな所に、ひとり、で」

それまで人気のなかった室内でふと動いたのは、開け放ったままのドアから顔を覗かせて物音に気付き、様子を見に来たらしいカメラ助手の青年だった。

背後から不意に声を掛けられたクレイが振り返る。一瞬びくりと背筋を震わせたものの、昨日も見かけた青年の柔和な顔にほっと息を吐き、目尻の下がった優男に似合いの笑みを浮かべて小さく首を横に振ってみる。

「まぁ、野暮用でね」

なんですか、それは。と小さく笑いながら庫内に踏み込んで来た青年は、クレイの手元に視線を当てて小首を傾げた。

目立った特徴のない、つまりは平凡な顔立ちの青年の名前はなんだったかなと内心首を捻りながら、脚本家はすぐに視線を彼から手元に落としていくつかのボタンやつまみをいじり始めた。その、ともすれば自分に関心のなさそうな行動を咎めるでもなく、しかし、カメラ助手の青年は口元に呆れたような笑みを載せる。

クレイは、青年を、見ていない。

「持ち出しなら、記録して行ってくださいよ。後で見当たらないって騒ぎになるのはごめんですから」

「ああ、判った」

「ただでさえフェイヤーさん、怖いんですからね。カメラが行方不明なんて事になったら、発狂しますよ、あの人」

旧知のカメラマンの名前を出されて、クレイは思わず笑ってしまった。判る。判り過ぎるくらいに、判る。

泣きぼくろのある目尻を和らげて笑うクレイの横顔を、青年はじっと見ていた。

「―――ところで、アルマンドさん。本当に、ひとりで、こんなとこに篭ってていいんですか? 昨日…ラド卿の屋敷で、あんな事、あったばっかなのに」

あんな事、と言われて、クレイはすぐに笑みを消し渋い顔をした。

「まぁ、ねぇ。何がどうなって「あんな事」が起こったのか判らんけど、それこそ昨日の今日だろ? いくらなんでも、何もないと思いたいんだけどね」

穏やかに交わされる、会話。クレイはしきりにカメラを気にしていて、青年にはやはり顔を向けようとしない。

「あー」

「?」

それまで細々と指先を動かしていたクレイが、急におかしな声を上げる。

「ラ、ヴィーくん?」

「ははは。ラシュー、です」

問われたからなのか、青年が妙に乾いた声で笑いながら自分の名前を訂正する。その声が意外に近くて、クレイは思わず顔を上げた。

ラシューと名乗ったカメラ助手の青年は、壁際の棚にクレイを追い詰めるようにして、そこに居た。余りにも近い位置に驚いた訳でもあるまいが、脚本家が一歩、否、半歩、後ろに下がる。

「本当は、ラシュー、だよ」

今までよりもいささか崩れた口調で呟くように言った青年が、にたりと笑う。

「…昨日はうっかり失敗しちゃったけど」

瞬きしない暗い瞳でクレイを見つめる青年が口を開いたタイミングで、また、それまで沈黙していたクレイの携帯端末がけたたましく鳴り、震えた。

ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ!

「昨日?」

「そう、昨日。まさかあの男がそんなに「出来る」と思ってなかったから、失敗しちゃったんだけど? まさかまさか、あんたみたいないいカモが一人でふらふら目の前に現れてくれるなんて、おれってツイてる」

にたりと、嗤う。

その表情に含まれるのは愉悦と苛立ちか。相反するものが同居する、つまりは複雑な心を持つ人間だからこそ作れる難解な色。

「あんたは目印だよ、弱っちいただの「人間」。見せしめ。だから「ラヴィー・エマーン」みたいに、消したりしねぇ」

ラヴィー・エマーン!

一歩迫ったはずのラシューが一歩下がり、息苦しさから解放された瞬間、クレイは銀縁眼鏡の奥の双眸を見開いて手の中のカメラをぎゅっと握り締めた。

そう! 「本物の」カメラ助手はラヴィーという名前で間違っていない。そして、確かに今目の前に居る青年と同じ顔をしていた。しかし、彼は、違うという。

なぜ、違うのか。

なぜ、ラヴィー・エマーンではないのか。

なぜ、彼はスタジオに入れたのか。

なぜ。

ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ!

「――――昨日、の、ドール…」

「手足を?ぐか目を潰すか。喋る口は残してやるけど、それ以外はどうでもいいか」

青年は大袈裟に肩を竦めて、唇を歪に曲げて「ひひひ」と笑った。

「警告だ。一字一句間違えずに覚えとけよ? ウィン卿とアリアを解放して、おれたちを追うのを止めろとあの「悪魔」に言っとけ!」

威圧する声と同時、クレイは背後にあった棚から三脚を掴み取り、青年に向かって投げつけた。

「無駄だ!」

固い機材が青年の身体を打ち据えるかと思われた瞬間、眩くも暗い光の真円が空中に描き出され、その光に接触した三脚が瞬く間に微細な粒子となって吹き飛ぶ。それを、意味のない魔方陣で物理的な攻撃を防いだと知らないクレイは、再度背後の棚から掴み出したコンテナを力任せに振り回した。

耳障りな音を立ててばら撒かれる、カメラやレンズ。それを笑いながら次々粉砕していく、青年。

ぴぴぴぴぴぴぴぴ!

どうする、どうする! このままではシャレでなく、ベッカーの言う通り、最悪死ぬ!

「つうか悪魔って誰だよ!」

咄嗟にクレイは、場違いな質問を青年にぶつけていた。

「悪魔は悪魔だ! ハルヴァイト・ガリューだよ!」

オレの知り合いじゃねぇえええ!

もしかしたらここでウソ偽りなく自分の人生が終わるかもしれないと言う、危機的状況。だからもしかしたら、クレイは人生で最も追い詰められ、つまりはテンパっていたのか、これまた咄嗟に上着のポケットに手を突っ込み、今だじゃんじゃんと鳴っている携帯端末を掴み出すと、通話ボタンを押し込みながらラシューの顔面目掛けて投擲した。

「無だ…!」

     

『エンター』

     

それはまるでスローモションだった。知らない、若い男の声だった。

その声が冷静に、はっきりと「稼働」を宣言した途端空中を奔るクレイの携帯端末を中心に淡く白い光が円形に漏れ、次の瞬間には甲高い破裂音が倉庫内に響き渡っていた。

それは如何なる事象なのか。天井まである棚を背にしたクレイには一切のダメージはなくただ強い風が正面から叩きつけて来ただけだったが、携帯端末を鼻先で受けた青年はまるで巨大な手に引っ叩かれたかのように出入り口のドアまで吹き飛ばされていた。

唖然とする。

がちゃん! と垂直に落下したクレイの携帯端末が悲鳴を上げ、背中から床に叩きつけられた青年が呻きながら上体を起こす。

それを目にして、今日はカメラマン兼任の脚本家は思わず手にしていたカメラを青年に向けていた。

そこに居たのは。

廊下の壁を頼りに立ち上がり、忌々しげにクレイを睨みつけているのは、ぼさぼさの赤毛に吊り上った目尻、腫れぼったい一重瞼で鼻筋も顎も細く、嫌に…貧相な…二十歳そこそこの青年だった。

「…だ、誰…」

「ちくしょー! てめぇ囮だったのか!」

「へ? あ、いや…」

視線でクレイを焼き殺しそうな憤怒の表情を浮かべた青年は、地団太を踏まんばかりに悔しがるように、頭を掻き毟りながら身を起こした。

「殺してやる、殺してやる、殺して…っ!」

瞬きしない双眸にぎろりと睨まれたクレイが、限界まで後ろに下がる。

     

『クレイ・アルマンドさん。耳を塞いでください』

     

凛とした声の出す冷静な指示が脳に到達した瞬間、クレイはその場にしゃがみ込み手にしていたカメラを大事に膝に抱えて耳を塞ぎ目を瞑った。

     

キーーーーーーーん。んんんん。

     

まるで金属面を先の尖ったもので延々と引っ掻くような音がした。耳を塞いでも聞こえるそれと、血を吐くような悲鳴。

クレイはぎょっとして顔を上げた。

「ちくしょーー! 覚えてろ、てめぇら! ぜってー、ぜってー目にモノ見せてやる、必ずだ!」

その金属音が高低差を付けて歌い始めると、青年は血走った眼でクレイを睨み、捨て台詞を吐いて、縺れる足を叱咤しながら廊下に飛び出して行った。

唖然と、する。

『クレイ・アルマンドさーん。無事ですかー』

いつの間にか金属音は消え、更にいつの間にか、廊下の向こうから喧騒が迫って来る。その意味の分からない一連の騒動を現実に引き戻した呑気な声に、クレイはしゃがんだままじりじりと携帯端末に近付き、そのまま、ぽつりと漏らした。

「―――あれは、絶対、雑魚だよね?」

『は?』

だって、あんなテンプレな捨て台詞って、雑魚退場のお約束でしょうよ。と、クレイは力なく呟きながら、ラド邸に戻ってから自分の身に振り掛かるであろう惨劇を思って、内心溜め息を吐いた。

膝に抱えたカメラのパイロットランプが点灯しているのに気付いたのは、がくりと項垂れたその時だった。

     

   
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