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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ |
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そうかあのチャンスを逃さすに退室すればよかったんだ! と、今更ながらセイルが思ったのは、ひとしきり泣いて気が済んだのかはたまた自身の中で何かの区切りがついたのか、しゃくりあげるのをやめて顔を上げたイムデの真っ赤な鼻の頭と腫れぼったい目元をまじまじと見ていたウィンリイが急に立ち上がり、意外にも軽々と小隊長を抱え上げたのを見た、その瞬間だった。 「執事、何か冷やすもの。と、おやつ」 「承知いたしました。少々お待ちください」 なんというかこのフリーダムさは世の中的に許される範囲なのかどうか、と内心唸りつつセイルは、イムデを小脇に抱えて青年の脇を通り抜け、ソファにだらしなく座ったまま苦笑しているベッカーの膝に小隊長を突っ込むウィンリイを呆然と見ていた。 それで結局退場の機会を失ってしまったセイルは。 またもベッカーの膝を跨いで座り込み、薄い胸板にぺたりと伏せたイムデを少々複雑な気分で眺める。この、なんというか、鳩尾の辺りに居座るイライラというかもやもやというかぐずぐずしたものは一体何なのか…。 正常にとは言い難いがこの場の空気を先に進めているようにも感じられるウィンリイはベッカーにイムデを預けると、男の脇にとすんと腰を下ろした。 「メリも、座れば? あと、居候と…」 ウィンリイが、すんすんと鼻を啜るイムデのほっぺたを指先で突きながら寝起きみたいなボケた声で、突っ立ったまま…メリルは床に正座していたが…のその他大勢をソファへ誘う。その時、メリルはメリル、セイルは居候と呼んだものの、果たしてクレイに何と呼びかけていいのか少し迷ったらしく、一拍、おかしな間があった。 「眼鏡」 ………。 「スーツ?」 室内の反応が悪かったからだろう、ウィンリイはご丁寧に眼鏡をスーツに言い換えて、こてんと首を横に倒した。 「おまえ、それじゃ着替えたら誰か判らんだろうが」 「じゃぁ、ハンサム」 「…通りに行ってそれで呼んでみろ、とりあえず、何人かは振り返るだろうよ、多分」 ぷにぷに。ぐりぐり。 「いた…い、よ、リイ」 「―――――よかったね、クレイ…ハンサムだって思われてるんだ…」 「…すげぇ複雑…」 うん、同意。と小声で交し合いつつ、セイルは床に座り込んだままのメリルの正面に立ち直すと、にこりと笑って彼に手を差し伸べた。 お手をどうぞと言われて慌てたメリルがそれを握り返すと、立ち上がる動きに合わせて彼を軽く引き上げる、セイル。その様子を似合わない黒縁眼鏡の奥から見ていたウィンリイは、自分でつんつんし過ぎて赤くなったイムデの頬を掌で撫でながら、わぁ、と腑抜けた声を上げた。 「紳士だ、居候。初めて見た、紳士。見習えば? ……」 で、結局クレイを何と呼ぶべきか迷ったのか、ウィンリイがベッカーを振り向く。 「脚本家の先生だよ、彼は」 苦笑い混じりのベッカーの言葉に、ウィンリイとメリルとイムデが一瞬ぱちりと瞬きした。 しかし。 「ふうん」 漏れたのは、極端にマイペース過ぎ、且つ生活能力が枯渇し過ぎ、軍に所属する幼馴染に世話を焼かれまくっているらしい砲撃手の、そんな軽い一言だけだった。 彼らはそもそも、ベッカーの屋敷が今ムービーの撮影所になっている事を、知っている。だから、詳細は知らされないまでも、ここに「脚本家の先生」が居るのを別段不思議とも不自然とも思わなかった。 「仲良い?」 メリルをエスコートしてソファに近付いて来るセイルの背後、苦笑いを漏らしつつも黙って着いて来たクレイとベッカーの間で二往復程視線を動かしたウィンリイが、またもこてんと首を傾げてどちらともなく問うと、答えたのは覇気のない疲れた声だった。 「執事とな」 言われて、タイミング良くなのか悪くなのか、茶器と軽く摘むものを載せたワゴンを押してテーブルに近付いていたドイルが、微かに眉のお終いをぴくりと動かす。それが果たして不快の表情なのか、はたまた肯定なのか、セイルにもクレイにも判らなかったが。 目前のローテーブルに黙々とお茶の支度をするドイルをどこか茫洋とした表情で見つめたまま、ウィンリイはまたもや「ふうん」とあまり関心なさそうな声を漏らした。 それらを眺めるセイルの表情が、一瞬きりりと引き締まる。 それら。 いつもと変わらぬ緩い表情のベッカーと、そのベッカーにくっついたイムデと、そのイムデの頬を受け取った冷やしタオルでぐりぐりするウィンリイと、頬を押され過ぎて不細工…になっているイムデを助けるべきかどうか悩んでいるらしいメリルのおろおろした顔。 ドイルが一通りの仕事を終えてベッカーの背後に控えると、ウィンリイはくりっと首だけを回して正面に座るセイルの顔をまじまじと見つめた。 「で、居候。仮装大会?」 しつこくもセイルの握り締めていたウィッグを指差した黒髪の砲撃手に、青年が殊更晴れやかな笑みを向ける。 「そうです、仮装大会。僕、俳優なんです」 そこで青年は、さすがのベッカーもぎょっとするような行動に出た。 「リリス・ヘイワードと言うんですが、みなさんご存知ですか?」 さらりと言ったセイルが、手にしていた亜麻色の長髪ウィッグをぽんと頭の上に載せてから、小首を傾げる。いやいや。さすがにそれはアンタ誰でも知ってるでしょうに。と呆れた視線を投げて来るベッカーを無視して、ムービースターはぴんと立てた指を唇の前に翳した。 「でも、ぼくがこちらに居候しているのは内緒にしてくださいね? これ以上ラド副長にご迷惑は掛けられないので」 これにはさすがのウィンリイも驚いたのか、第九小隊の面々がそれぞれ目を見開き、ぱちくりと瞬きする。 「今のぼくは「リリス・ヘイワード」ですが、こうなったら、ただの居候です」 急展開の事態を呑み込めていないのか、未だ一言も発しないイムデとウィンリイとメリルを順繰りに見遣ってから再度ウィッグを外したセイルが、短い髪を掻き回して整える。 笑顔のセイルと呆気に撮られる上官と部下を見回し、ベッカーは小さく乾いた笑いを漏らした。そういう所が嫌になるほど潔いのは、ムービースターの中の人があの…苛烈な銀色と同じ括りで語られるべき人間だからだろうか。 「初めて見た、生のリリス。凄い、生きてる」 「ぼくもです。わー、なんか感激しますね。サインとか貰っても良いんでしょうか。ぼく、「デス・ゲーム」のアシカ、大好きなんです」 「………」 ぽかんとしたウィンリイが呟き、頬を紅潮させたメリルがいそいそと懐から個人用の携帯端末を取り出し、イムデがきらっきらに表情を輝かせてベッカーの膝を飛び下りメリルとウィンリイの間に無理やり尻を押し込む。 それを見て、セイルは彼らの反応に新鮮さを感じた。何せ、この屋敷の数少ない住人はリリスに興味が無いようだったし、よく顔を合わせるハルヴァイトやミナミにしても、こんなに純粋な羨望の眼差しなどくれはしない。もちろん青年は、俳優なのだから有名人だムービースターだと持ち上げてちやほやしてくれと思った事は過去一度もないしこの先もないと思うが、さすがにあそこまで無関心を貫かれると自分の人気はただの思い込みか白昼夢なのではないかと心配になってくる。 訊けば、ミナミ辺りは「んな訳ねぇって…」と無表情に否定してくれるだろうけれど。 とにかく。 ラド邸に来て初めて「普通の」反応を示して貰えたセイルは自分でも気づかない内に浮かれていて、乞われるままにメリルとイムデの携帯端末の表面にサインをし、ウィッグを被り直してそれぞれと記念写真を撮ったりした。 「あれ、大丈夫なんですかね? リリスの正体とか…」 その、きゃっきゃするひと固まりを苦笑交じりに見遣るベッカーに、クレイが小声で問い掛けると、男は暗い光を回す玉虫色の双眸だけを動かして、やや心配そうな顔の脚本家に視線を当てた。 「大丈夫だろうよ。ああ見えても一応全員魔導師隊の隊員で、色々弁えてっからねぇ。その証拠に、誰も、彼の名前訊かないでしょ」 言われて、クレイが気付く。それぞれの携帯端末を回して写真を撮る彼らの口から出るセイルの呼び名は、一様に「居候」だ。 「居候さん、今撮影してるムービーの公開は、いつ頃になるんですか?」 「まだ撮影中で、決まってないんだよね。まぁ、遠からず、かな」 「ビエロのやつ? 脚本が、脚本家?」 「ははは、うん、そう。クレイ・アルマンドだよ。みなさん知ってる?」 「…パ、パメラ・スキリーの、PV…の!」 「小隊長さんマニアですねー。あのPV知ってるなんて渋い好みだなー」 ピアノの映り込みで進む美しい物語が印象的なインストゥルメンタルの楽曲をイムデが上げると、セイルは殊更明るい表情で頷いた。 そんな遣り取りを、クレイが微笑ましい気分で眺める。 「…………。ああ、そうか…」 あの人見知りのイムデさえ打ち解けたように必死になって喋るのに根気よく付き合っているセイルの横顔を見ていたベッカーは、誰にも聞こえないように小さくそう漏らすと、放り出していた長い脚を組み、肘掛に片腕を預けて頬杖を突き…、一瞬だけ、あの緩い表情を綺麗に拭い去って眉間に皺を寄せた。 小隊内のごたごたは脇に置いておくとしても、これはもしや、「酷く不味い状態」または、「幸運(ラッキー)」なのではないか。 いや。 「ムービースターに取っちゃあ、不運かもしらんけどね」 ハルヴァイトの言う通りなら。 「向こう」が「こちら」の正体を知った上で警戒していたとしたら。 俳優と、脚本家。主人は魔導師。小隊の隊長と、砲撃手と、事務官…は良いとしても。 ただそこに居るだけのようにして、ベッカーの頭の中で計算が働く。 「―――脚本家の先生」 「え?」 不意に低い声で呼ばれて、クレイはきょとんとベッカーを振り返った。 「先生、毎日自宅に帰らんと怒って出て行くような家族とか、恋人とか、居る?」 「いない! そんなものは断じていない! 寂しい一人暮らしです!」 立ち上がらんばかりの勢いで否定されて、ベッカーは思わず苦笑してしまった。そういう誤解を生む言い方はマズかったのか…。 「じゃぁさ、暫く彼と一緒に、この屋敷に缶詰めになる気ない?」 まったく身じろぎせずに緩い口調で問われて、クレイは思わずテーブルに身を乗り出した。 「是非!」 「…ドイル、客室をもう一部屋準備しろ。暫く脚本家の先生もうちに居候だ」 苦笑の消えない唇のまま背後に控える執事を軽く振り返って言えば、答えの前に、ドイルの顔が微妙な感じに歪んだ。 その表情に、クレイの顔つきも凍る。 「…ただいま、準備してまいります」 ドイルが一礼し。 「合せて、皆様の夕食も準備いたしますか? 旦那様」 「ああ、頼む」 「! 執事、ケーキ、忘れないで!」 「承知いたしました」 テーブルの上に並んだお茶とお菓子を時々つまんでいたウィンリイが、耳聡く食事の単語に反応し手を挙げて言うと、ドイルはクレイから顔を背け柔らかな笑みを見せて小さく会釈し、退室して行った。 「――――――……」 その背を見送るクレイに、ベッカーは。 「言いたかないけどもさ」 「言わないでくれ…」 じゃぁ、止めるわ。と、本気でちょっと憐れを感じたベッカーを差し置いて、クレイと同様にドイルの背中を見送ったセイルが、ことりと小首を傾げて、言った。 「クレイ、なんか…バスクさんに嫌われてない?」 「言うなああああああああ!」 勢いでテーブルに乗り出していたクレイがそのままぐしゃりと潰れ、ウィンリイとイムデとセイルが笑い、メリルが慌てて「ダメです、こういう時笑ったら余計に傷付きますから、そっとしておいてあげるべきです!」と言ってしまって、余計なダメージを上乗せした。
和やかだなと思った。そう長くは続かないだろうが、とも思った。 何せ、「ここに」自分が居るのだから、と。 ベッカーは疲れた溜め息を漏らす。 自分が関わった瞬間、事態は悪い方へと転がる。いつもそうだ。いつも。 だから、今回もそうだろうと男は思った。
最悪の事態を避けるために、今度は、何を差し出せばいいのか。と…。
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