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9.アザーワールド オペレーション | |||
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昨日作ったケーキでお茶にしようという事になって、珍しく午前中早くに目を覚ましたハルヴァイトがキッチンでコーヒーを煎れ始めた頃、タイミングいいのか悪いのか微妙な感じに玄関の呼び鈴が鳴り、戸棚から小皿を二枚取り出したミナミはそれにもう一枚載せるべきかどうか、非常に迷った。 「いませんよ、誰も」 などとくすくす笑いながらひたすら呼び鈴に抗議していたハルヴァイトの努力も空しく、結局、来訪者は勝手に玄関を開けてリビングまで入って来る事になるが…。 「つうかさ、どうせ入って来んなら、最初から呼び鈴鳴らすのやめればいいんじゃねぇ? ミラキ卿」 「…その辺一応、俺も気ぃ遣ってよ…」 何やら意味ありげににやにやしつつソファに座ったドレイクの後頭部に、がす! とわざと肘をぶつけたハルヴァイトが、「じゃぁ、最初から来るな」と不機嫌そうに吐き付ける。 「気ぃ遣ってるつってもな、死んでもおめーにじゃねぇぞ、ハル!」 「それはそうでしょうね。わたしは今まで一度もドレイクに気を遣って貰った憶えありませんから」 「てか、俺がてめーにいっぺん遣って欲しいくらいだ!」 「………なんでもいいけど、ミラキ卿。ケーキ食べる?」 「なんでもいいってなんだ、ミナミ! お前も最近適当に失礼じゃねぇかよ!」 「まぁ、ほどほどにね。で? ケーキは?」 したたか打った後頭部をさすりながら喚くドレイクを、ハルヴァイトとミナミが平然とからかい(?)、ドレイクは一瞬拗ねたような…それでいてどこか安心したような顔で、「ケーキ?」と、ミナミに訊き返した。 「出さなくていいですよ、ミナミ。ドレイクなんか地獄のように好き嫌い激しいんで、食べられるのかどうか判りませんからね」 「…嘘。ミラキ卿って偏食なの? もしかして」 きょと、とテーブルの側に膝を付いたまま、ミナミがドレイクの顔を見上げた。 「そういう意外そうな顔で見んなよ…。言い直しちまったら、俺の二枚目イメージ崩れんだろ」 「てか、二枚目イメージって何。俺いっぺんもそういうの思った事ねぇけど?」 「…………うるせぇ…。てめーはハルで飽きとけ」 「なんにだよ」 ドレイクひとり来ただけで三倍は騒がしいな、と思いながら、ハルヴァイトはわざわざ、コーヒーにお湯を足してたっぷり薄めたカップをドレイクの前に差し出した。 「贅沢というか、甘やかされて育ったというか、他の事ならどうでもいいくせに、どうしてこう好き嫌いだけは激しいんでしょうね、ドレイクは」 「…ミラキ卿…、このひとに生活態度諭されるようじゃ、人生終わりだな…。それで? 一応も一回訊くけど、ケーキ食える?」 「…………………チョコレート味でなくてクリームが載ってなくて、ナッツと、乾しぶどう以外のドライフルーツが入ってないなら」 言われて、ミナミが床に正座したまま指折り何かを数える。 「つまり、カステラかパウンドケーキっぽいので乾しぶどうの入ったヤツならいいのか? しかも、チョコレート味は不可」 「おおむね当ってるな」 「威張るな、ドレイク。紅茶はいいけどコーヒーはだめで、どうしても飲むなら底が見えるほど薄くないといや、なんて、正直、コーヒーを出す方が空しいんですが?」 それでも出してんじゃん…。とミナミは内心突っ込んだ。 「はいはい。我侭に育って申し訳ありませんねぇー」 ふんだ、と鼻を鳴らしたドレイクの横顔に微かな笑いを向け、ミナミは昨日焼いたケーキをホールのままテーブルに載せた。 「クリームとかは使ってねぇし、そう甘くもねぇけど、桃は焼き込んである。そんでも大丈夫なら、どーぞ」 へぇ、と顎に手を当ててケーキを上空から見下ろし、ドレイクが感心したように言う。 「器用だな、ミナミ…。まさかハルん家で自作のケーキに遭遇するとは思ってなかったからよ、案外新鮮な驚きだ」 「まいったか」 「つか、アンタなんもしてねぇし」 それでようやく、ミナミとハルヴァイトもソファに収まった。 「それにしても、ミラキ卿が偏食ってのは…意外だった」 「本当に「食べられない」のはチョコレートだけだけどな。後は、俗に言う食わず嫌いで」 「? なんでチョコレート? アレルギーとか」 ミナミは何の気なしに問い掛けたつもりだったのに、なぜか、ドレイクとハルヴァイトが一瞬目を合わせ、すぐに逸らす。 何も言わないハルヴァイト。注がれる視線に居心地の悪くなったドレイクが、俯いたままとつとつと語り出した。 「……………むかーしさ。ガキの頃にすっげーーー好きなひとがいてよ。屋敷の一画に離れ貰って住んでたひとなんだけどな、そのひとがよく、チョコレートをくれたんだ。なんでかいっつも半分で、でもそれが嬉しくてよ、俺は……そのひとが本当に好きだったからな。でも、ある日突然呆気なく死んじまった。親父が死んだときも、あの女が死んだときも泣きたいなんて思わなかったけど、その時だけは、本当に哀しかった」 父親よりも、母親よりも、好きだったひと? 「そのひとが死んでからだよ、なんでかチョコレートが食えなくなったのは。今じゃ匂いもだめだつうのに、ウォルのやつが死ぬ程好きでよぉ、夜中に料理番叩き起こしてなんとかいうケーキ焼かせやがんだよ。何? こう、中身に溶けたチョコレートが入ってるケーキ。外観は丸いだけのスポンジなんだけどな。夜中だぞ、夜中! 寝てたって目ぇ覚めるぞ、あの匂いが屋敷に充満すっからな!」 なぜか余計な事を思い出したらしいドレイクが忌々しげに言いつつ、ミナミの焼いたケーキにフォークを突き刺す。 「まったく。ウチの料理番も、俺が食えねって判ってんだから断れよって」 ミナミ、苦笑い…。 「……みんな、結構悩んでると思うけどな、その辺…」 そこでふと、ミナミはドレイクの顔を見つめ首を傾げた。 「そういえばミラキ卿、イルシュは?」 「あぁ、それか…。さっきから何か忘れてるようで、気になってたんですよね、わたしも」 程よく甘酸っぱいケーキ。ドレイクのは反則だとしても、ハルヴァイトとミナミの珈琲はそれに合わせて、酸味の少ない、ちょっと深煎りした豆を多用している。 「………………俺よ、今朝「城から」来たんだよ。だから、ぼくちゃんは屋敷でリインおじさんと留守番です」 ふざけて言ったドレイクのすまし顔を、ハルヴァイトがくすくす笑った。 「おかしな時間に来たと思ったら、そういう訳か」 「まー、そういう訳だ」 「…ミラキ卿…紅茶煎れてやるよ」 イルシュ…という青少年(?)の手前さすがに気が引けるのか、あからさまな朝帰りよりは昼頃堂々と帰るつもりなのだろう。 「わざわざ悪ぃな、ミナミ」 「悪いと思ったら遠慮しなさい」 などとまた言い合いを始めたドレイクとハルヴァイトをリビングに残し、ミナミはキッチンに下がって紅茶の支度をテーブルに出した。 「………………陛下…な」 呟きは、溜め息のように微か。 それだけですぐに気分を戻し、何食わぬ顔でティーポットとカップを手にリビングへ戻る。 「でよ、ハル…。おめーホントに…屋敷に移るつもりねぇのか?」 「…………」 イルシュの部屋がどうとか言っているうちに、なぜか話がハルヴァイト自身に及んだらしい。 「ミナミの事もあるしよ…。どうせ、俺がおめーに用意したのは…元々エルの使ってた離れなんだし、敷地は一緒でも別の家みてぇなもんだろ? そっちが母屋に顔出さなきゃ、母屋の連中もそっちにゃ行かねぇし…」 エル……………。 (エルメス・ハーディー…。そういえば、ミラキ邸に住んでたって、陛下も言ってたっけな) 「……すいません、ドレイク。その件は、そのうちちゃんとお話します」 まだ何か言いたそうではあるものの、ドレイクは小さく会釈したハルヴァイトに負けたのか、黙ってソファの背凭れに身体を預け溜め息を吐いただけだった。 珈琲の代りに差し出されたティーカップ。それをじっと灰色の瞳で見つめていたドレイクが、「そういやぁ、ミナミ」といつも通りの明るい声で言いつつ背凭れを背中で突き放す。 「リインが、また、蘭の花見に来てくれつってたぜ」 「………………………あ…」 それはまだ一年に満たないが、去年の花の頃、ミル=リー・アイゼンの件で始めてミラキ邸を訪れたミナミを出迎えたのは、クラバインとウォル、執事頭のリイン、それから……先代ミラキ卿が着陸調査の時に採取して来たという、天然種の蘭の花だった。 「つうかよー、あの花が咲いてる時にハルが屋敷に来たの、始めてなんだよな。多分。ほれ、アイゼン嬢絡みでハルがミナミを迎えに来た日にゃすぐ帰っちまったけどよ、その後、ふたりで庭見に来たろ?」 実は。 あの騒ぎの後、ほとぼりが冷めるのを待ったミナミが、「花が終わる前にもう一回行く」と言い張って、渋るハルヴァイトに無理矢理ミラキ邸まで連れて行って貰った事があったのだ。 それでふたりはミラキ邸の庭を散策し、御機嫌のリインにお茶を振る舞って貰ったりして休日を過ごし、その日屋敷に戻らなかった主人が後々執事頭にそれを自慢されるという…、些細な騒ぎも起こった。 「ま、俺があんまり屋敷に寄り付かねぇせいもあるけどな、…………どうも、俺にゃぁ心静かに庭を散策、なんて性にあわね…」 「あなたが、死人相手にいつまでも意地を張ってるからですよ。リインが、庭の花を褒めてくれる人に喜ぶのは」 「………………………」 いきなりぴしゃりと言われて、珍しくドレイクが黙った。 「いい加減…諦めて白状したらどうですか? ドレイク。あなたがどうして…あの庭に足を踏み入れなくなったのか」 「………………………つうか、なんでお前が怒ってんだ」 「怒ってませんよ、呆れてるんです」 「で? なんでミラキ卿…自分邸(ち)の庭、ヤなんだよ」 相変わらず動じた風なくミナミに問い掛けられて、ドレイクは深い溜め息を吐いた。 「別に、ヤなんじゃねぇけどな…。ただ、庭つうと、どうも……親父の事を思い出す。いっつも忙しいひとで、あんまり屋敷に…それこそ今の俺みてぇに寄り付かないひとだったのに、季節の花が咲く頃には必ず庭見に帰って来て、別に何か話す訳でもねぇけど、一緒に散歩したんだよ」 どことなく言い難そうなドレイクの苦い顔に、ミナミは相変わらずの無表情を向けた。 「それって…俗に「いい思い出」なんじゃねぇの? 普通は」 「俺ぁ、そういう風に平然と暮らしてた親父を赦せねぇんだよ、今でも」 赦せない。 赦せない。 許してやれない。 赦してはいけない。 今目の前にいる弟を、 あっさり見切った、 父親など………。 「…アンタも?」 ミナミは、不意に口を閉ざしたドレイクから、ちょっと困ったように苦笑いするハルヴァイトに視線を流した。 「…別に…」 赦せる訳がない。 それにさえ何も感じてくれない、弟を前に。 それにさえ、 何も、 感じられない弟。 世界は、データで、出来ている。 「……………花は、なんも悪くねぇけどな…」 溜め息のように呟き、ミナミはハルヴァイトから視線を外した。 「で、まぁ、…いろいろと俺にもあって…、リインのやつがミナミとハルにまた遊びに来てくれつってたからよ、年寄りの我侭だと思って顔出してやってくれよ。マーリィとアリスは毎年見に来てるから、一緒にでもいいしな」 「……考えとく」 ミナミはケーキを載せた小皿をテーブルに置き、濃い目の珈琲に唇を寄せたまま、そう…素っ気無く答えた。 嘘だったけれど。
午後になってドレイクが帰り、別にする事もないのでありきたりにだらけて過ごし、簡単な夕食を摂って、シャワーを浴びて…。その間にミナミとハルヴァイトは意味があるようで中身のない会話を交わしたり、イルシュの話を少ししたり、…キスしたり…、して、あまりにも安穏とした休日は、もう、終わる。 階下の灯かりを全て消し、部屋の前でおやすみの短いくちづけを交わして部屋に戻ったが、ミナミは…眠らなかった。 全ての荷物を片付け、もう必要なものなど何もない、とでも言うように箱に詰めた着替えと、何冊かの本。その上に一冊だけ載せられた赤に黒い紋様の躍る装丁の立派な本は、ハルヴァイトが殺人容疑で拘束された時、ミナミが勝手にハルヴァイトの部屋から持って来た物だった。 がらんどうな部屋の真ん中に膝を抱えて座り、その本を開いて顔の前に翳してみる。 それに何が記されているのか、ミナミにはやっぱり判らないままだった。結局、そういう物だった。ただこの本はミナミの手に渡る事を望んでいるように見えたし、今も、そうありたいと思っているように感じたけれど、ミナミは何ページか透かすようにして眺めてから、本を閉じ、ベッドの上に置いた。 何が書いてあるのか、知りたいとは思わない。 判らないなら判らないでいい。 二度とここに戻って来る事も、ないのだし。 カーテンも引かない、薄い月光に晒された部屋の片隅でミナミは、小さくなって膝を抱え、朝が来るのをじっと待った。 クレヨンで引いた赤いラインを、割り込む朝が…。 「それでも俺は、アンタの護ろうとするファイランを愛してる…。だから、どうぞ、俺の愛するファイランを、ずっと…護ってやってください…」 嘘を吐いていい時間は、終わった。 「俺は、…………………。 ……………愛してる…」 だからそれだけが、真実(ほんとう)だった。
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