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6ドラマティカ | |||
(9) | |||
謁見控えの間は思ったより狭かった。しかし調度品はかくも豪華で、室内を見回したミナミは、何の感慨もなく「贅沢してんな」と呟いただけだったが。 ミナミに付き添っていたクラバインの携帯端末に、ドレイクが連行されて城に着いた、という連絡が入り、彼は軽く一礼して部屋を辞した。それでもう一度クラバインがドレイクと一緒に戻って来たら、ミナミは支度された「嘘」に身を固め、ウォルとクラバイン以外の彼に関わる人たち…ハルヴァイトを含む…を欺き通すのだが、それをミナミは、少しも煩わしいと思えなかった。 今更? どうせ? 結局? つまり。 そんなものだ。とミナミは、すっかり暮れて闇の降りた中庭を窓越しに見つめ、それからガラスに映った自分のほの白い顔を見つめ、微かに失笑する。 この姿さえ虚偽。それに少し嘘が上乗せされて、何を戸惑う必要があるのか。あの部屋から助け出されて五年。見ない振りをしていた「ミナミ・アイリーという誰かの最期」がようやく判ったような気がして、ミナミは安堵の溜め息を吐く。 それでも、ミナミに「意味」を持たせてくれた陛下に感謝する。ただ漫然と脅え、周囲に頼る事しか出来なかった彼に、ウォルは「ファイランを助ける」という答えをくれた。 「………………」 ウォルの望む結果を出す自信はあった。 もしかしたらそれさえミナミが違法な「遺伝子操作」で生れた、という事実の副産物だったのかもしれないが、彼の記憶力は桁外れに良かったのだ。あまりにも記憶が鮮明過ぎて、だから余計に、他人との接触で蘇る恐怖さえも鮮明過ぎて、ミナミは「心因性極度接触恐怖症」と言い渡されてしまったのだが。 その、まるで今目の前で繰り広げられているような錯覚さえ起こす記憶の最初は、あの部屋で、一番最初の男に犯された瞬間。痛みと恐怖、自分の悲鳴。男の笑い声と…なぜか…啜り泣き。それだけが唯一曖昧な記憶だったが、以後、ミナミは自分を組み敷いた、慮辱した、淫猥に変貌させた男たちの顔と行為の全てを、ハードディスクに焼き付けたデータのように劣化なく記録し、自由に呼び出してきた。 薄っぺらな映像の男たち。 それが現実に存在していると、信じたくなかった。 でも、判っている。 あの男たちは…王城エリア(ここ)で生きている。 「…………怒る…よな」 無意識に呟いて、ミナミは睫を閉じた。 曖昧であって欲しいと望んだひとの面影も、残酷なほど鮮明。穏やかな笑顔の瞳は透明度ゼロの鉛色で、肩より少し長い髪は、光沢のある鋼色…。 恐る恐る瞼を持ち上げ、窓ガラスに映った自分の顔を目にしたミナミは、薄い唇をぎゅっと噛んだ。 なぜなのか、暗闇に浮かんだ向こう側の自分が、今にも泣き出しそうな顔をしている。それが可笑しくて失笑を漏らそうとするが、噛んだ唇が震えただけで笑いを浮べる事は出来なかった。 涙など、涸れ果てた。だから、泣く事など、出来ないのに…。 「……俺にゃもう、嘘しかねぇよな。だから…全部嘘だから、最初の嘘は、俺が俺に言って、それでいいよな…」 これは、嘘。最初の。 「俺は、何も恐くない。 …アンタのいるファイランを愛してる。 あの炎が…… ……………。 アンタを…、…ハルヴァイト…」 囁いて、背後のドアがノックされて、ミナミはガラスに映る自分にふわりと微笑みかけた。 「……………………………愛してる。」 これは、本当。最期の。 どうぞ、と無感情に答えて大窓に背を向けた時、ミナミは既に、いつもと同じ無表情に戻っていた。
さすがに城だからだろうか、不機嫌そうな顔で謁見控えの間に入って来たドレイクだったが、いきなりクラバインに食って掛かるような真似はしなかった。ただし、促される前に立派なソファのど真ん中にどさりと腰を据え、さも怒り心頭、とハルヴァイトそっくりの声音でこう言い放ったが…。 「クラバイン、訳を説明しろ」 「……ついさっきまで監視付けられてて、今しがた城に連行されてきた割に、えれぇ横柄だな…」 「ミナミ、ふざけてる場合じゃねぇ」 灰色の瞳で、じろ、と睨まれて、ミナミがわざとらしく肩を竦める。 「誰もふざけてねぇって。陛下も、大真面目にやり過ぎただけだしな」 「? どういう事だ? つうかよ…なんでお前、そんな落ち着いてんだ」 ミナミは苦笑いしながら腕に掛けていたハーフコートをソファの背凭れに預け、自分はドレイクの正面に置かれた一人掛けの椅子に納まった。 「あのひとが拘束された理由聞きゃ、すぐ判るって」 「じゃぁ、教えろ」 テーブルに身を乗り出して来たドレイクに素っ気無い薄笑みを向け、ミナミが頷く。 「ミラキ卿さ、あのひとがなんで0エリアで拘束されたか知らねんだよな」 「殺人容疑だって事しか聴かされてねぇよ」 憮然として言い放ち腕を組んだドレイクを観察する、ダークブルーの双眸。それに何か疑問を感じながらも、ドレイクは背凭れに身体を預けた。 何か。正体の見通せない、何か…。 「事件て、0エリア0-1区画の派出所が爆破されて、その時偶然0-2区画から連行されて来てた囚人と看守が、その爆発に巻き込まれて死んだ、って事」 「それとハルと、どう関係あんだ?」 「その時…、爆発騒ぎが起こった時にさ、側にあのひとが居ただけ」 「それだけで拘束されたのか? ハルは!」 「うん。それだけ。ただし、被害者…つまりその囚人の名前聞いて、もしも俺が陛下と同じ立場だったら、俺もあのひとを拘束するかもしんねぇと思ったけどな」 「? ……さっぱり訳が判んねぇぞ」 灰色の目を白黒させるドレイクから視線を逸らし、ミナミは…あの男の名前を呟いた。 「ヘイルハム・ロッソーてヤツ、知ってる?」 「いや…。聴いた事ねぇな」 「……やっぱ、そうだよな…。俺だって知らなかった」 そこでふと、ミナミは疑問に思った。 本当にハルヴァイトは、ヘイルハム・ロッソーを知らなかったのだろうか…。 「俺の記憶にあんのは、「旦那様」って呼ばされた事だけ。誰かがそいつを「ヘス」って呼んでたのは知ってたけど」 「? 呼ばされた? お前…知ってるのか? その…」 訝しそうに眉を寄せたドレイクに胡乱な双眸を戻し、ミナミが微かに笑った。 「知ってる。……そいつが、俺を殺そうとして失敗した間抜けだから」 事も無げに言ったミナミの、虚無の笑み。 「う…そだろ? 本当なのか! クラバイン!」 いきなり眉をつり上げたドレイクに怒鳴りつけられても、クラバインは驚かない。 「間違いありません、ミラキ卿。残存遺伝子による固体確認の他、この私が、なんとか原形を留めていた頭部で確認しました」 「………なんで、クラバインさん?」 いちいち囚人の顔まで憶えてるのか? と不思議そうな顔で問い掛けてきたミナミに、クラバインはひどく堅い笑みを向けた。 「……ミナミさんをあの部屋で発見したのは、衛視団です。その時、突入の指揮を執っていたのは私でした」 いつか言う日が来るのだろうか、という杞憂が、今になった瞬間。クラバインが静かに頷き、そっと、ミナミに微笑みかける。 「ミナミさんが今ここにこうしていらっしゃる事を、私はとても嬉しく思います」 「……………ありがとうって言うにゃ、俺は……ダメなままだけどな」 感謝するのは、まだ少し早い。 もしもウォルとの約束がなければもっと素直に言えたかもしれないが、残念ながら言うミナミにも、受け取るクラバインにも、それがまだ果たされるべきでない事だけは判った。 まだ。ミナミが生き残った「意味」は、今から成されるのだから。 「まさか、ハルはそいつを…」 「知らなかったと思う。だから、知らないのかどうか確認が取れねぇから、あのひとは拘束されたんだってさ。当時医療院では、俺の状態があんま良くねぇからその名前は御法度だったらしいし、第一、俺は今まで一回だってあのひとにあの男…だけじゃなくって、他の…、俺があの部屋に居た頃の話なんてした事なかったから、あのひとが爆死したヘイルハム・ロッソーと俺の関係を知ってる確率は低い、って事で、晴れて放免だって」 「…………」 それにどういった感想を漏らしていいのか判らず、ドレイクは難しい顔で黙ったきり、それでも何か言いたげにじっとミナミを見つめていた。 「どうなんだろ。俺にゃ判んねぇけど、あのひとがあの男の事を知ってたら、殺しかねねぇって…ミラキ卿は思う?」 「…思うね」 問われれば、そう答えるしかない。 「陛下もそう思ったって。だから、違うんならそれでよし、そうでないなら、ちゃんと裁きを受けさせるのが陛下の役目。それ大真面目に実行すると、あのひとを拘束、近親者のミラキ卿は軟禁、で、俺は呼ばれて尋問…ってほどでもねぇけど、いくつか質問されるハメになんだってさ」 やれやれ、と肩を竦める、ミナミ。 「あのひとの見境ねぇトコが、飛んだ騒ぎ起こしたもんだよな、ホント」 「…それだけの割に、随分時間掛かってねぇか? ミナミ」 睨んでくるドレイクに相変わらずの無表情を向けたミナミが、あぁ、と気の抜けた声を出す。 「陛下にバイト紹介して貰ったりとかしてたし」 「…つうかてめーら…、こっちが心配で死にそうになってんのに平和な日常会話楽しんでんじゃねぇっ!」 真白い髪を掻き毟りながら叫んだドレイクに、ミナミが…ふわりと微笑んで見せる。 「……ミラキ卿って…そういうトコまでお節介なのな」 「へ?」 頭に手をやったままきょとんとしたドレイクを置き去りにして、ミナミがソファから立ち上がった。 「待てよ、ミナミ。バイトってなんだ?」 「だから、たった今お節介だつったろ。そこで「いい人」って言われなかった意味、判ってんの?」 「あ…、いや…。俺はいいんだけどよ、お前、そういうのはちゃんとハルに相談しとけよ」 「……ミラキ卿」 ドアの前まで進み、ミナミは足を停めた。 「俺さ……、甘やかされて、それでいいなつって許されんの、終わりにした方がいいと思うんだよな…。…結局…」 ミナミの最後の呟きはドレイクの耳に届かず、ただ、短い溜め息みたいに、聞こえた。
結局。俺はあのひと傷付けて、いなくなるだけなんだし…。
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