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    4.内緒の生活    
       
(20)

  

 殆ど一方的な試合は、ディアボロ出現から五分と経たずに終了した。

 闘技場の壁面、地上十五メートルの所に貼り付いていた二機の展覧室が、斜めにせり出したスロープを滑って地面に降りると、正面防御ガラスの一部が消失、中から、漆黒のマントを緋色で飾り、腰まである艶めいた黒髪と黒瞳をきらつかせたファイラン国王が、傍らにクラバイン・フェロウを、背後にグラン・ガン大隊長とローエンス・エスト・ガン副長を伴なって現われる。

 そしてもう一機から、イーランジャァ最高指導部の統轄責任者という肩書きの女性が、何人もの側近を引き連れて姿を見せた。短く刈り込んだ濃茶色の髪に大きな瞳。人を惹き付けるような印象のあるなかなかの美人だが、ウォラート・ウォルステイン・ファイランW世と向かい合って笑みを交わした途端、彼女の存在感は完全に食われてしまった。

 軽く会釈して、挨拶を交わす。普段ならばここで親愛を示し、ウォラート国王はイーランジャァ代表の手を取ってその甲に短いくちづけを落とすのだが、彼はそれを、きっぱりと拒否した。

 キツイ事を言うでもない。苛立たしげな行動でイーランジャァを糾弾するでもない。ただ赤い唇でゆっくりと弧を描き、微笑んだまま目礼して、仲介に入っていた連盟委員に議会控えの間に案内するよう告げただけ。

 その見目姿、立ち居振舞いの優雅なのに、イーランジャァからでさえ溜め息が洩れる。わざとのように楚々とした一挙一動の真相を知るドレイクとしては、笑いを堪えるのに必死なのだが…。

 イーランジャァ最高指導部の代表は、どちらかといえば活発な感じがした。羽織っているマントも鮮やかなオレンジで、顔の造作も大造りで派手。片やファイラン国王は、派手ではないが、一度目にしたらすぐには視線を逸らせない、とても、美しいひとだった。

 だから国王は、イーランジャァに喧嘩を吹っ掛けられて渋々「最強の電脳魔導師」を出したが、それは不本意なのだ、というスタイルを貫き通す。その為には、あからさまな不快感を示せるような意思の強い国王、というより、後ろで偉そうにしている中年どもに担ぎ上げられている若造、という印象が最も相手の視覚に訴え易い、と…クラバインは常々国王に言っている。

 九割方被害者面しなければならない。後の一割は、止むを得ず「ハルヴァイト・ガリュー」を出したが、それは礼儀だ。という誠意ある態度を取った王室、という建前。

 例えば、イーランジャァの電脳魔導師二人が病院送りになっても、だ。

 敬礼するファイラン電脳魔導師隊(これにはやはりハルヴァイトは含まれない)に背を向け、国王は連盟委員に案内されてフィールドを後にする。

 退去する間際にグラン・ガンに何か耳打ちされて残ったローエンスは、相変わらず笑っているような穏やかな瞳で担ぎ出されるイーランジャァの魔導師を見つめていたが、その…当惑というより恐怖に似た視線が佇むハルヴァイトとその後ろに未だ控えたきりのディアボロから外れてすっかり見えなくなった頃、展覧室を振り返って軽く手を挙げた。

「陛下は第七小隊の活躍に大変満足なされたそうだ。…というのは、ありきたりの言い方で、実は、勝って当たり前なのだからあまりいい気になるな。と言っていたぞ、ガリュー」

「……これだけ不測の事態で引っ掻き回されたんですから、よくやった、くらいは言えないんでしょうか? あの…お方は」

 溜め息を吐きながらうんざり吐き捨てたハルヴァイトの視界に、展覧室からそっと滑り出してきたふたつの人影が浮かぶ。淡い水色のワンピースをひらめかせた華奢な少女と、もうひとり…。

 地味な色合いのスーツに、煉瓦色のネクタイ。しかし、派手に毛先の跳ね上がった見事な金髪と遠目でも判るくっきりした目鼻立ちの、痩せた青年。

 ようやく意識を取り戻したアンと、そのアンの肩を支えているデリラは、青年…ミナミ・アイリーの「本物」を間近で見るのは始めてだった。まるで何か、よく出来た映像が動いているかのような錯覚を受けるのに、危うい雰囲気にアテられて目が離せなくなり、結局、今まで殆どのひとがそうであったように、瞬きもやめ、ぽかんとその姿を凝視してしまう。

 人形のような綺麗な顔に、深いダークブルーの瞳。

 寒気がするような……静謐な観察者の…瞳。それがじっと、ハルヴァイトを見つめている。

「みなさま、お疲れ様でした。ドレイクにーさまには…特に」

 一瞬凍りついた空気を砕いたのは、マーリィの可憐で明るい声だった。かわいらしい顔に零れるような笑みを乗せ、緩やかに波打つ白髪をさらさら流しながら、当たり前のようにローエンスの傍らに立ち、アリスににっこり笑って見せる。

「マーリィ…」

 何かを言い咎めようとしたアリスのセリフを、なぜかドレイクが手で制した。それで、今日最大の問題がマーリィでも、手ひどいいたずらを仕掛けてきたウォルでもなくて、生れて始めて「魔導機」、しかもディアボロを目にしたミナミなのだと、彼女も気付く。

 ミナミは注がれる視線に全く注意を払う様子もなく、つかつかと真っ直ぐハルヴァイトに向かって進んでいた。佇むローエンスとマーリィの脇を通り抜け、唖然とするデリラとアンに軽く会釈して笑みを向け、緊張した面持ちのアリスとドレイクには全く顔も向けず、ディアボロを従え横柄に腕を組んだままのハルヴァイトの正面で、停まった。

 ダークブルーの瞳だけを動かして、鉛色の双眸を見つめ返す。

「アンタ…」

 薄い唇が囁いた。いつもと同じに、ぶっきらぼうに。

「ホント、容赦ねぇのな」

 言って、ミナミはハルヴァイトから視線を外した。

 しかしそれは、例えばイーランジャァの、だとか、ディアボロを知る軍関係者の、だとかがハルヴァイトに見せるのとは少し違う。ディアボロを理解し難い「化け物」だと分別し、その化け物を平然と操るハルヴァイトをも鋼色の「化け物」だと畏怖する瞳や行動ではない。

 強いて言うなら、何かに気を取られている、といった風か。

「…………あのさ」

 ミナミの、自分から逸れた視線を追いかけて微かに首を回し、ハルヴァイトが眉を寄せる。背を向けているから誰も気付かないし見られないだろうが、ミナミは何か、不思議と熱っぽいような(…と、さすがにこれに気付けるのはハルヴァイトひとりだろうと思われるほど、微かな違いでしかないのだが)顔つきで、じっとディアボロを見つめていた。

「なんですか」

 短く答えたハルヴァイトに視線を戻したミナミが、淡い笑みを口元に刻む。

「なんで、先刻より今の方が緊張してんだよ。なんか間違ってるだろ、それ」

「…その通りですね…」

 でも、目の前には悪魔。

 ミナミは……………。

「でさ…、アレ、触っていい?」

 気味が悪いほど、けろっとしていた。

「は?」

 さすがにこれは予想外の質問だった。というより、その反応そのものがハルヴァイトの、どころか、ここにいる全員の予想を越えていた。

「触るって……、何に触りてぇって?」

「だから、アレ」

 詰め寄って来たドレイクに相変わらずの無表情を向けたミナミが、細い指でハルヴァイト…の後ろを差し示す。

「別に、噛み付いたりとかしねぇんだろ? それ…ディアボロ?」

 当惑を通り越し完全に硬直したハルヴァイトが、何度も瞬きを繰り返しながら、ミナミの顔を凝視する。まさに、穴があくほど、とはこの事だ。

「そりゃお前、噛み付いたりはしねぇだろうけどよ…」

 ドレイクは誰をどうフォローしていいのか判らなくなったらしく、しきりに白髪を掻き回しては、うろうろと視線を中空に漂わせた。

「…もしかして、触っちゃダメなモン?」

「いえ…。今まで一度も言われた事がないもので、ちょっと、驚いただけです…」

 ようやく回転し始めた頭でありきたりの言い訳をしたハルヴァイトが、ひどく複雑そうな笑みをミナミに見せる。正直、その時彼が抱いていたのは当惑とか混乱とか、そういうレベルのものではなかった。

 何せ、今の今まで、ハルヴァイトですら、ディアボロに「触ってみよう」などと思った人間は、ただのひとりもいなかったのだから。

 角と羽根があって、顔が骸骨で、身体も骨剥き出しで、異様に長い腕を地面に擦り付け、猿みたいに不格好にしゃがんだ、鋼色の悪魔。

 そんなものに触りたがる人間など、いるものか。と…、ハルヴァイトでさえ思っていた。

「触っていい?」

 もう一度訊き返されて、ハルヴァイトが慌てて退ける。別にミナミの前を空ける必要などなかったが、なんとなく、反射的に、だろうか。

「触るって…、だからなんで「触る」なんだ? おい、ミナミ」

 しきりにぼやくドレイクの声に、一瞬ミナミが足を停めた。それがちょうどハルヴァイトと擦れ違う間際だったからミナミは、微かに首を動かして鉛色の瞳を見上げ、小さく、間近にいたハルヴァイトにさえやっと聞こえるような声で、こう囁いた。

「アンタと…、似てるよな」

 それにまた、ハルヴァイトが硬直する。

 唖然と見守る周囲を他所に、ミナミは真っ直ぐ、しゃがみ込んだきり動かないディアボロに歩み寄って、その直前、折りたたんだ腕に触れられそうな距離で、ぴたりと停まった。

 しゃがんでも、約二メートル。百七十センチちょっとのミナミには、まだ少し大きい。

 だから何気ない仕草で腕を伸ばしたミナミは、その手がディアボロに届かないと知るや、動力が生きているのか死んでいるのか判らない悪魔に、いきなり抗議した。

「届かねぇだろ、そんじゃ」

「いや、それより先にだな…」

 もう呆気に取られるしかないものの、ドレイクはとりあえずミナミをディアボロから離れさせようと試み…

 ところが、音もなく、ごそ、と身動ぎしたディアボロが、ますます背中を丸めて身を屈めたではないか。

「つうか、お前も言う事聞いてんじゃねぇ!」

 ずっとゆらゆら揺れ続けていたディアボロの、地面に這った背骨の延長状の尾の先端が、ドレイクの非難に、くたん、と動きを停める…。と、それをミナミが、微かに笑った。

 落ち窪んだ眼窩が、ミナミの笑顔に見とれている。再度伸ばされた腕、ゆっくり広げられた掌。ハルヴァイトさえそれがどんな温度と手触りなのか知らない白くてキレイな指先が、そっとディアボロの頬を滑った。

「あ、すっげーつるつる…」

 指先を追いかけた掌をぴったりと鋼鉄の頬に当て、ミナミはくすくす笑いながら薄い唇で呟いた。見た通り体表は滑らかで傷ひとつなく、ミナミの予想通り…。

「………………冷たい…」

 ディアボロの腕でも足でも胴体でもなく、顔に触りたかったのだ、ミナミは。

 それに、なぜ? と問い掛けても絶対にミナミは答えないだろうが、唯一、自らの頬に触れた時の表情を「見ていた」ディアボロだけが、その真相を知っているのかもしれない。

 ミナミは、薄紅色の唇に柔らかな笑みを乗せ、ようやく安堵の溜め息を吐いたのだ。

 ようやく。やっとほっとした、というような、柔らいだダークブルー。

 誰が知らずともディアボロはそれにまた見とれ、見守るドレイクとハルヴァイトが、悲鳴を上げそうになる。

 ディアボロが、地面に垂らしていた腕を持ち上げた。ゆっくりとではあるが。その動きに微か首を巡らせたミナミが、鋼の頬に添えていた手を離そうとするとなんと、ディアボロは鋭く尖った爪でミナミを傷つけないよう細心の注意を払いながら彼の手をそっと取り、少し戸惑うようにその手に顔を向けてから、引き寄せて、首を伸ばし、唇のない髑髏でありながら、きょとんと見上げるミナミの指先に、ちょん、と親愛のキスを捧げた。

 誰もが、これで完全に硬直した。それから反射的に、呆気に取られるハルヴァイトの横顔を窺いつつ、じりじり後退りし始める。

「…ハハハ、ハルっ! これは一体なんの冗談だよ!」

「……………………」

 ドレイクに理不尽な怒声を浴びせられても、ハルヴァイトは言葉もない。

 完全に、AIがミナミに懐いている…。いや、そんな生易しい状況ではない。これでは、まるで…。

 誰か俺の納得行く説明してみろ、ちきしょう!」

「? ハルにーさま最大の恋敵は、ディアボロだった、って事じゃないのでしょうか?」

 意味もなく頭を抱えて喚いたドレイクの背中に、奇妙なほどのほほんとしたマーリィの声が弾け、とりあえず現実から逃避したい気分の物分かりいい何人かが「あぁ、なんだ。そういうことか」と…、まるっきり死んだ目で乾いた笑いをフィールド上空に放った。

  

   
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