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18.インターミッション デイズ

   
         
9)インターミッション デイズ-6

  

 朝からどうも室内が落ち着かない空気だと思いつつも、ヒューは眉間に皺を寄せて端末に表示された申請書を睨んでいた。

「電脳魔導師隊第九小隊副長ベッカー・ラド魔導師の一時収監? 一体…電脳班は何をしたいんだ…」

 朝から晩まで魔導師隊地下演習室に詰めているアンからの奇妙な申請に頭を悩ませ、でも無条件で「収監許可」を返信するのと同時に、クラバインには事後報告として申請書にコメントを書き添えて送らなければと内心嘆息したヒューは、城内通信回線のロックを外して、モニターから顔を上げた。

「というか、今日はやけに人数多くないか?」

 普段ならば出入りは激しいが居残りは少ない衛視室を埋める、漆黒の長上着。自分の事は棚に上げて、お前らの図体だとうろうろされたら邪魔なんだよとかなんとかぶつぶつ言いつつ、さて今日は何があるのだろうかと出入り口のすぐ脇に掲げてあるホワイトボードに視線を移し、目を細める。

 ようやく焦点を結んだ、しかしぼやけて見え難い視界に映ったネームプレート。勤務(在室)、勤務(不在)、休暇と三列に並んだ名前を視線でなぞり、そのうち、警護班を示す青い文字と、電脳班を示す赤い文字…最近新調されたばかりの…を数えて、ヒューは微かに片眉を吊り上げた。

 どう見ても勤務(在室)に表示されている名前よりも、在室者が多い。

 さて今日はどんなイベントだと室内を見回せば、見飽きた部下たちが何か言いたそうな顔で自分と壁掛け時計を見比べていて、銀色はますます首を捻った。

「…なんでもいいが仕事しろ、仕事。ガリューとミナミが居ないと思って油断してると、後でとんでもない目に遭うぞ」

「来ますよ」

 疲れ切った様子で言ったヒューに、すかさず隣席のジリアンが返す。

「来るって、誰が?」

 城内通信回線がオープンになった旨を知らせるメッセージとクラバインからの通達が同時に開いた画面に視線を戻して問い直す、ヒュー。

「アイリー次長とガリュー班長ですよ。今日、何か用事があるとかで、もうすぐ登城して来ると思います」

 ジリアンはそれを既に昨日から知っていたのだが、わざと今通知を受けたような白々しい笑顔で言い、事の真相を知っている他の衛視たちは必死になって笑いを堪えた。

「用事? …まぁ、なんにせよ騒ぎを持ち込まないでくれれば問題ないんだがな」

 どうもあの二人が揃ってると何か起こりそうな気がする、と微妙に失礼な感想をヒューが述べて、すぐ。

 ノック、三回。

 誰が答える間もなくドア、全開。

 ヒューがそちらに顔を向けるか向けないかという、一瞬の後。

「何か」がそう広くない室内、並んだデスクの背後を刷くように奔るなりヒューは咄嗟にドア方向、折り曲げた左の肘から下を跳ね上げて側頭部を防御(ガード)し、直後、空いていた右手でデスクの上に散らかるファイルを引っ掴んだ。

 あ。と思う暇どころか瞬きする間も許さず、銀色は、左に身体を捻る力で後方から急襲した水平打撃を跳ね返し、ついでに、手にしたファイルの背…あえて言い直す。硬い背の部分だ…を接近していた茶色の短髪に落とした。

「だっ!」

「あーあ」

「………」

 自由落下の勢いで見事頭頂部に落ちたファイルの直撃を受けた襲撃者が悲鳴を上げ、一瞬の攻防を傍観していたギャラリーのうち一番遠慮のないのが残念そうに呟き、それらを視界に納めた…左方向にあったはずのドアに向き直る恰好で回転椅子に座ったままのヒューが、うんざり嘆息する。

「つうか、ホント、ヒューって人間じゃねぇ」

 よな? と無表情に同意を求めるミナミとその背後に佇むハルヴァイトから、床に蹲ってしきりに頭をさすっている襲撃者、もとい、セイル・スレイサーにゆっくりと視線を流し、ヒューは改めてがっくりと肩を落として言ってやった。

「だから、お前らが揃って現われるとロクな事にならないと言われるんだぞ、俺に」

「そういう覚悟あんなら余計な説明いらねぇか…。俺、ちょっと室長と陛下んトコ顔出して来るからさ、ヒュー、セイルくんの相手よろしく」

 始終無表情を貫く青年があっさりと言い、渋い顔の銀色に抵抗する暇も与えずさっさと奥へ消えて行く。

「あの横暴上官をどうにかしてくれ…」

 特務室に残された恰好のセイルにヒューは、ソファへ行けと乱暴に頭を小突いて促した。

「というか自分がどうにかしよう、横暴兄貴」

 床に落としていた尻を上げたセイルはしかし、言葉の割りには機嫌良さそうににこにこと微笑んでいる。

 ショートコント紛いの一部始終を無言で眺めていた衛視たちは、しきりに頭をさすりつつソファに移動するセイルと、仏頂面でデスクを離れるヒューをちらちらと見比べて、内心嘆息した。彼らはそもそも、今日この時間にミナミがセイル…リリス・ヘイワードか…を連れて現われると知っていたから、わざわざ執務室に戻って来ていたのだ。リリス「本人」に会ってみたいという興味半分、ヒューが弟にどう接しているのか知りたいという興味半分だったのだが、想像以上だったというべき他はない。

 銀幕のスターという仮面を脱いだセイルは、どこにでもいる普通の青年のように見え、特に目立ち過ぎるという事もない極平凡な、ちょっと可愛い青年という所だった。しかし、ドアを開けて…これはどうやらミナミらしかったが…からヒューに仕掛けるまでの速度と動作が只者ではない。自分の間合いにヒューが入るのと同時に右腕を思い切りよく振って旋回した銀色に叩き付け、防御された瞬間に重心を垂直に落としつつその場にわざと座り込む。それで振り払いに繋がるヒューの腕から逃れ、且つ、狭い室内で横からの打撃を貰って無様に倒れるのを回避したのだろう。

 それでも頭にファイルの一撃を食らったのは、ヒューが一枚上手だからなのか。

 どちらも手加減なしだった。しかしどちらも、決定的なダメージを受けてはいない。

「…何が怖いって、それで当然って顔してるトコが、怖いよなぁ」

 見学中のルードリッヒにお茶を運ぶよう示して、ジリアンが苦笑する。

「来るなら来ると言っておけ、俺に」

「脅かそうと思ったんだもん、教えるワケないでしょう。驚いた?」

 外していた茶色のセルフレーム眼鏡をシャツの胸ポケットから取り出したセイルが、にやにやと笑いながらそれをかけると、ヒューは肩を竦めてソファの背凭れに身体を預けた。

「驚いたよ」

 いかにも嘘臭い台詞に衛視たちは妙な顔をしたが、なぜかセイルだけがそこで、あははと明るい声を漏らす。

「道場の天井からマキが降って来たのと、どっちが驚いた?」

「あれより俺を驚かせたいなら、命がけで城の尖塔から飛び降りる覚悟でもしろ」

 なんだその程度かー、残念。などと笑うセイルとヒューを、部下たちは恐々と眺めた。果たして、この人たちは普段どんな生活をしているのか、今の会話からでは計り知れない。

「仕事は?」

「うん? うん。今、ちょっと余裕ある状態かな。暇な訳じゃないけど。ヒューは相変わらず忙しそうだね」

 まぁなとヒューが生返事してすぐ、ルードリッヒが胡散臭い笑みを満面に浮かべて二人に近付き、それぞれの前にティーカップを置く。それで青年が何か言うのかと思いきや、彼は殊更物騒な笑顔をセイルに向けて丁寧に頭を下げると、無言でテーブルから離れて行った。

 あの笑顔の意味はなんだろう…。と、ヒューはうんざり考える。どうでもいいのだが。

 ルードリッヒが離れて、セイルが出されたお茶に手を付けた頃、それまでこちらを窺っていた気配が逸れたのを確かめてから、ヒューは重い口を開いた。

「…リセル、どうしてる。辞めるんだろう?」

 問われて、弟はカップの縁越しに兄の顔を窺った。

「辞めたんだ。もう事後処理と引越しの準備に入ってるよ。戻って来るんだってさ、当然だけど」

 それには気のない返事さえ口にしないヒューの顔をじっと見つめていたセイルが、手にしていたカップをテーブルに戻す。

「一回くらい家に帰って来なよ、ヒュー。ぼくも少しの間実家に居るしさ、フォンソルと…リセルはどうでもいいけど、双子とマキが会いたがってた。それに、ラスとロイに入学祝いやるって約束だけして、忘れてるだろ、お前」

 呆れたような声で言われて、ヒューは眉間に皺を寄せた。

「そんな約束したか?」

「したって双子は主張してるよ?」

「勝手に約束した気になってるんじゃないのか…」

「あー、まぁ、確率五分五分だろうねぇ」

 どちらにしても、家に帰れば三番目と四番目の双子には入学祝いをくれとせがまれ、末っ子はヒューにじゃれつく兄たちを羨ましがって長兄の傍を離れないのだろうが。

 平凡なしあわせだなと、ヒューはなぜか内心嘆息交じりに思った。家族が居て、自分が居て、つつがなく日常を過ごし些細な波風に一喜一憂する。

 ふとそこで、リセル…アリシア・ブルックという俳優は、「俳優」である非日常に嫌気がさしたのではないかとヒューは思った。だから、非日常をリリス…セイルに引き渡し、自分は平凡な日常に戻って来ようとしているのか。だとしたらそれはとんだ我侭だなと考えたが、違うと否定する材料は残念ながらなかった。

「―――連続した休日が取れてる今のうちに、帰っておくべきか…」

 一切手を付けないまま冷め始めたお茶に視線を落としたヒューが、溜め息みたいに呟く。

「そのうち、今より…以前より、か、忙しくなるかもしれないからな」

 それを聞いて、セイルは盛大に顔を顰めた。

「今より忙しいって…それ、仕事し過ぎじゃないの? いくらヒューでも、倒れるよ?」

「大丈夫だ。適当に手を抜く所はちゃんと抜いてる」

「…つうか、その抜きどころが陛下の護衛とかだったら微妙に怖ぇだろ」

「お前の同伴には手なんか抜いてないから、安心しろ」

 室長室から現われるなり即突っ込みのミナミに嫌な笑いを吐き付ける、ヒュー。

「陛下の護衛からも手を抜かれては困るのですが? スレイサー」

「居たのか、クラバイン」

 ミナミの後ろから現われたハルヴァイトの更に後ろに立っていたクラバインが渋い表情で言うなり、ヒューが大袈裟に肩を竦めて言い返す。

「セイルくんが訪ねて見えたと聞きましたので、ご挨拶に」

 冷たくヒューを睨んでいた飴色がゆっくりと水平に動きソファに座すムービースターを捉えるなり、当のセイルがすかさず立ち上がった。

 顔の正面で両手を組んで肘を張り、頭を下げるのではなく、目礼する。それまでの気さくな青年の気配をぴしりと改めたセイルは、既に俳優ではなく一介の拳士なのだろうとミナミはその様子を眺めながら思う。そしてその青年にとってクラバインは、今尚「師範」なのだろうとも。

「…破門された身ですので、礼は解いてくださって結構ですよ、セイルくん」

 苦笑ではなく朗らかな笑みでクラバインが言うと、セイルもにこりと微笑み腕を下ろした。

 奥から現われたミナミのためにソファを空けたヒューが、セイルと自分のカップをテーブルから引き上げて簡易キッチンを隔てる衝立に顔を向けるなり、妙な表情で嘆息する。

「訊きたくないが、何やってる、お前たち」

「訊きたくないなら訊かないでくださいよ、班長。っていうか、班長に構ってる場合じゃないんで、声掛けないでください」

 まるで退けろと言わんばかりに手で振り払う真似をする部下たちは、衝立に半ば隠れるような恰好でソファ付近を窺っていた。

「…ムービースターの詐欺的中身と特務室(うち)の上官のツーショットのどこが珍しいんだ…」

 平然と失礼な事を言うジリアンの額にわざと肘をぶつけつつ衝立を回り込み、シンクにカップを置いたヒューが人知れず重い溜め息を吐き出した直後、ミナミがヒューを呼ばわる。

「アンくん、今日どこ行ってんの?」

 呼ばれたので仕方なくという顔付きで部下たちを蹴散らし、衝立の向こうから顔を覗かせたヒューを無表情に見つめ、ミナミが問う。

「…魔導師隊執務塔地下演習室で機械式の組み立て作業中」

「こっち、戻って来られねぇのかな」

「俺に言うな。暇そうなガリューを使え。でなかったら、ここでこそこそしてる誰かに頼め」

 多分手元に居たからだろう、ヒューは言うなりジリアンの首根っこを引っ掴み、無理矢理衝立の陰からミナミたちの方へと青年を押し出した。

 その不機嫌全開の銀色の所業に、ミナミとセイルが顔を見合わせる。

「なんか、自分に都合悪ぃ事バラされそうだとか? セイルくんに」

 ぴ。とミナミに指差されたセイルが、クスリと笑った。

「だったら、フェロウ師範の方が相当色々知ってると思うけど?」

「でもほら、室長は同じだけ自分の都合悪いトコも知られてっからさ、抑制しあってるつうの?」

「あー、なるほどー」

 なんだかやたら意気投合したらしいミナミとセイルの会話を聞きながら、ヒューはうんざりと肩を落とした。

「仲がいいのは結構だが、俺に迷惑掛けない用どこかで遣って頂きたいのですが? アイリー次長」

 茶飲み話ならカフェに行け。と付け足されて、ミナミとセイルは渋々立ち上がってソファから離れた。

「―――というか、本当に行くのか…。茶飲み話じゃなく、仕事しろ、ミナミ」

「ん? だって俺、今療養中だし」

 じゃぁなんで今日わざわざここにセイルを呼び出したんだよ自宅でも良かったんじゃないのか!? とヒューは思ったが、言い返す気力は沸かなかった。

  

   
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