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17.フレイム |
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(8)二日目-3(フレイム) | |||
第10エリア隔壁捜査班から意外な報告が飛び込んで来た時、王下特務衛視団電脳班執務室には、ミナミ、ドレイク、アンの三名が顔を揃えていた。 今日の夕刻前には資料を携えて王城エリアに戻るという小隊長代行のブルースに頷きかけて、ごくろうさん、と穏やかに言い置いたドレイクは、通信を切断した直後表情を引き締め、ミナミを振り返った。 「今の、どう思うよ、ミナミ」 その問いにミナミは一瞬だけあのダークブルーを険しくしたが、すぐ表情を緩めて、小さく苦笑を漏らすに留める。まさか引力とか、そういうのまで俺にゃ計算できねぇって。というのが、本当の思惑だったが。 ただ、そうなってくると、ミナミの仮定もあながち「仮定」ではないとも思えた。確かにハルヴァイトは「臨界」に行き戻って来るつもりなのだと信じてはいるものの、あくまでもそれはミナミの立てた仮定であり、希望であり、グロスタンの姿を記録するなんてそもそも出来るのかどうか、という半信半疑な部分も残っていない訳ではない。 しかし、今ブルースの報告して来た内容と、あの日ミナミ自身が感じた臨界との接触現象を合わせて考えるならば、間違いなく、グロスタン・メドホラ・エラ・ティングは分厚い鉄の壁に囲まれた「子宮」の中で意識を保ち、臨界に接触し、魔導機を操っていた事になる。 だからミナミは。 応接セットのテーブルに重ねて置かれている、二対の紙束を見つめ、思う。
この炎を諦めるのは、まだ早い。 そして青年は、その焔を、きっと、諦めようとしないだろう。
静かに微笑んだままテーブルに視線を据えたミナミの横顔をいっとき見ていたドレイクは、短く息を吐いてから目を伏せた。 どちらにしても、優先すべきはハルヴァイトを「この世」に引き戻す事であり、施設の調査だとかなんだとかいう、どうでもいい雑事(…)は全て、我侭放題やるだけやって、ここまで完全に周囲を騒がせてくれた弟が戻ってから考えればいい。 「アリスに、タマリとエスト卿に至急会議室まで来るように電信しとけって言っとかなくちゃな。それから、ガン卿にゃエスト卿を暫く預かるってもな。 さて、こっちは一足先に行って準備でもすっか? アンちゃん」 「はーい。ミナミさんの指示が出せるようにって通常モニターとキーボード用意するように頼んでおいたんですけど、それ、もう支度終わってるのかな」 それぞれソファから腰を浮かせつつ言ったドレイクとアンに、ミナミが静か過ぎるダークブルーを向けると、ドレイクは薄く微笑んで、「適当な時間に来てくれ」と言い置き、少年と伴に電脳班執務室を出て行った。 ドアの向こうに消える漆黒の背中を見送るでもなく、ミナミはどこか中空を眺めたまま、息を詰めていた。周囲から人の気配が消えて、少し、青年は肺に溜まった苦い空気を吐きながらどさりとソファの背凭れに身体を預け、天井を睨んだ。 グロスタン・メドホラ・エラ・ティング。三十二年間眠ったままだと思われていた旧王室の亡霊は、いつ目覚め、何のために、あのアドオル・ウインに手を貸したのか。 そして、ハルヴァイトは…。 様々な疑問。疑問ばかり。それまで必死になって保っていた無表情が崩れ、酷く不安そうな、心細そうな顔を晒した青年は、震える両手でそれを覆った。 本当は、気が狂いそうなほどの恐怖に胸が押し潰されそうだった。 果たしてこれでいいのか。自分は間違っていないのか。無情にも何も告げず忽然と消えてしまった恋人に、今すぐここに来て大丈夫だと言って欲しい。 しかしそのためにミナミは行動しなければならない。これでいいのだと、自分は間違っていないのだと信じて、恋人をこの世に取り戻すための手順を正しく行わなくてはならない。 堂々巡りだと思った。 悪意に満ちたメビウスに掴まって、身動きが取れない。 冷たい汗の滲んだ掌を顔から外し、そのまま、ぱたりとソファの座面に投げ出す。瞬きしないダークブルーで天井の一点を見つめたまま、ミナミは気持ちを落ち着けるように何度も深く呼吸した。 成せと悪魔は。 成せば在ろうと悪魔は。 在れと天使は。 在れば成そうと天使は。 堂々巡り。 「…………」 心が、冷える。凍り付く。 ミナミが何もしなければ、ハルヴァイトはこの世に戻らない。それが、あの悪魔の決めた法則。 それからミナミは少しも身じろがず、たっぷり時間をかけて元の無表情を取り戻すと、不意に背凭れを身体で押して身を起こした。いつの間にか握り締めていた両手を開き、テーブルの上に積み上げてある紙束に掌を置いて、短く息を吐く。 途端、曇っていたあの蒼に光が戻る。同時に高速回転し始めた頭の中でミナミは、最優先事項を決定した。 グロスタン・メドホラ・エラ・ティングの収容されている施設の警備を強化し、サーカスからは電脳班を撤収させる。不測の事態に備えてアリア・クルスの監視も強化。ファイランの魔導師は残らず勤務地に待機させ、解読作業に当るローエンス・エスト・ガン、タマリ・タマリ、ドレイク・ミラキ、アン・ルー・ダイ以外の臨界への接触を制限。その間の治安維持は一般警備部に一任し、哨戒部には各地区の警戒を強化するよう通達。 ミナミはテーブルに手を置いたまま、ゆっくりと立ち上がった。 不安も焦燥も窺えない無表情で無言のままふたつの紙束を重ねて抱え、青年は踵を返す。 やれというなら、やるまで。 きっと、ミナミはミナミを裏切らない。 青年の「記憶」は。
鮮明過ぎるほどに、鮮明なのだから。
すっかり準備の整った会議室には、電脳班のほか、解読作業にあたるローエンスとタマリ、解読した記号を記録するための要員として、特務室からジリアンが参加していた。 集合からやや遅れてミナミが姿を見せた時、室内に微か安堵のような気配が降りる。誰が口に出す訳でもなかったが、少し待っても現れない青年を内心気にしていたのだろう。 ミナミは、抱えた紙束をまたふたつに分けて、会議室中央に置かれた長机の上に置いた。それから片一方を指差し、ドレイクに顔を向けて頷いて見せる。 「図版構築作業の第一段階は、この、ミナミの描いた記号を108×108のマスに重ねて、正しく変換し直す事からだな。とりあえず、作業は慎重に正確に。変換が終了した図版はミナミに確認して貰って、オーケーが出たら次に移る。右上のここんトコによ、それぞれ番号が振ってあるから、順番間違えんなよ」 「ミナミのチェックが終わったら、あたしとジルでバックアップを取るわ。一枚はいつでも使えるようにハードに記録するけど、その他に、ロックしたディスクにも原版を残せばいいのよね? ミナミ」 擬似臨界式ターミナルという、通常の端末とは全く違う黒い円筒形のシステムを起動しながらアリスが言うと、ミナミはそれにも頷いた。 「って聞くとさ、結構楽勝じゃね? とか思うわー」 椅子ごとがたがたと長机に近付いて来たタマリが、青緑色の炎の描かれた用紙を一枚指で摘んで顔の前に翳し、けらけらと笑う。 「まーったくハルちゃんもさー、こんなめんどーくせー事吹っ掛けないで、ちゃっちゃと出て来ちゃえばいいのにー」 黄緑色のショートボブに映えた紙切れを眺めていたミナミが、手元にキーボードを引き寄せる。 『もしかしたら 統合図版 かもしれない』 室内、一番よく見える場所に設置されている大型モニターに文字列が現れると、誰もが黙った。 『紙面に対する文字の占有率は 間違っていない ただし 文字の先端は 同じ先端であっても 太さの違う場所がある 最終的に計算されるのは 108×108 という条件に変わりない しかし 構築段階で太さを変えるためには その升目を二倍以上に増やし 記号を細分化 する必要が あるかもしれない』 言われて、タマリは紙片に顔を突っ込むようにして眺めた。 「あ、なるほど。そういやぁそうかも。っつー事はー、一回108マスでやってみてダメだったら216、そんでもだめなら324、ってすんぽーか。うん、でも、一旦基本が出来ちゃえば、その作業に時間食うって事もないからさ、大丈夫でしょ」 実のところ、ミナミがその可能性に気付いたのは、自分であの記号を描いている最中だった。揺らめく炎のような暗号は意外にも複雑で、大きな升目の半分に文字の一部と空白が混在しているものも少なくない。 「どちらにしても、際限なく記号を描き続ける訳ではないだろうからな、こんな退屈そうな仕事はさっさと済ませてしまおうじゃないか、ミラキ」 窓際の椅子に座ってくつろいでいたローエンスに掴み所ない笑顔で言われて、ドレイクはなんとなく苦笑した。 「退屈で申し訳ありませんねぇ、エスト小隊長」 「そういう時は、ミラキ、もう少し反省したような顔で言って欲しいものだ」 軽い口調で言いながら、ドレイクの手からローエンスに渡る一枚の紙片。 「ぼく、構築陣を立ち上げるので、隣室で作業しますね」 次の一枚がアンに差し出されると、少年はそれを受け取ってからミナミに笑顔を向け、ひとり会議室を出て行った。 「んじゃ、ま、いってみよー」 ぱし。と手にしていた図版を両手で挟んだタマリが言って、瞬間、ミナミは感じる。 触覚を撫で過ぎる弱々しい「何か」。臨界からの信号。人ならざるものたちの発散する空気。ちりちりと首筋を舐めるそれに小さく身震いし、青年は、自分の手元に広げた図版に視線を落とした。 温度のない炎。 冷たい炎熱。 第一期臨界式記号は、あの赤い背表紙の本、サマエル・ナミブナンの遺言の中で、エレメンタル・フレイムと標記されていた。
それは、始祖の炎だと。
燃える。
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