■ 前へ戻る ■ 次へ進む |
17.フレイム |
|||
(5)一日目-2(前日-2) | |||
ややあって、第七小隊の面々と、相当疲れ切った表情のデリラ、申し訳なさそうに溜め息ばかり吐いているスーシェに帰宅を「命令」したヒューは、特務室に留守番の四名だけ残るようにと言い置き、自室のある官舎ではなく、王都警備軍電脳魔導師隊執務棟へと向かった。 暗い通路に足音さえ落とさず、囁く衣擦れだけを伴って滑るように移動するヒューの中で渦巻く、様々な事柄。あれもこれも一瞬で解決したいなどと、まるであの悪魔のように欲張るつもりはなかったが、せめてミナミが次の行動を起こす前にある程度の目処は立てておきたかったなと思う。 ドレイクの言いかけた通り、現時点で進行が著しく遅れているのは、デリラとスーシェに任されたモンタージュの作成だった。 スーシェに期待していなかったというのは失礼かもしれないが、正直、「スペクター」の件で暫く医療院に入院した彼の記憶は、あまりアテにしていなかった。意識を失う前後が混乱していると本人も言っていたし、あんな事があったのだ、致し方ないだろう。 しかし、デリラの証言まで二転三転するのはどうか。 「…明日の予定を繰り越して、ウイリーとマックスウェルもモンタージュ作成に参加させるよう、赤毛の坊やに言ってみるか…」 溜め息混じりに呟きながら、無人のエントランスを通って地下演習室直行のエレベータに乗り込む。 閉じる。外界とヒューを隔てるスライドドアが閉まるのをぼんやり視界に納めたまま、彼は微かにサファイヤを細めた。 閉じる。左右から迫り、閉ざされる。拓けていたものが狭まり、その向こうにある全景が、判り難くなる。 携帯端末からの通達をやめてわざわざ来た甲斐があるといいが、とヒューは、軽い浮遊感に促されるようにもう一度溜め息を吐いた。 外界と小さな箱を隔てていたドアがスライドして、今度は視界が拓ける。予想通り使用中になっている地下演習室の表示を確かめてから、ヒューは中を覗き込んだ。 円形のだだっ広い室内、そのほぼ中央に、背の高い人影がふたつ佇んでいた。それから、床に設えられた台座らしいものに据えられているそれの直前に座り込んだ、漆黒の華奢な背中も見える。 距離があるからなのか、ヒューが演習室に踏み込んでも、小さな背中は振り返ろうとしない。気付いていないのか、それとも判っているのか。どちらかといえば前者だろうと内心苦笑を漏らしつつもわざとのように足音を立てた銀色が、台座に据えられた機械式とこちらに背を向けた少年の輪郭をようやく捉えた頃、少年…アンもまた、物音に気付いてひょいと振り返った。 「あれ? ヒューさん…、どうかしたんですか?」 水色の大きな瞳を瞬いたアンに薄い笑みを向けたヒューが、小さく首を横に振る。 「どうかしたじゃない。本日解散の命令が出てただろう?」 言外に、いつまで仕事してるんだ、と咎められたアンは、ちょっと困ったように肩を竦めて見せただけで、すぐに視線をヒューから正面に戻してしまった。 「もうちょっとだったんで、今日のうちに終わらせたいなーと思っただけです。さっきドレイク副長に訊いたら、明日の昼過ぎにはミナミさんの方が終わるって言ってましたから」 だから、サーカス天幕から運び込んだ二体の機械式のうち、壊れている一体の「組み立て」を片付けて、例の図版構築作業に入る準備を済ませておきたいという事か。 並んだ二体の機械式をアンの頭越しに見上げ、ヒューが腕を組む。 「こっちの新しいのは、遠隔操作型か? 少し、小さいな」 近付いてよく見れば、アンの正面に置かれた機械式の左側の一体は台座に固定されているだけだったが、右側の一体の足元には幾つかの部品が散らかっており、腕も一本床に置かれていた。 ぼろぼろに敗れた白い衣装を纏った、ピエロの腕は。 「詳しい調査は後からですけど、どうも、新しいのは遠隔操作する都合上軽量化して、でも、バランスを取り易いように、色んな部位に余計なウエイトを仕込んでるみたいです」 独り言のように呟きながら、アンは腕の取れたピエロではない方の機械式を細い指先で示した。 「だから多分、あの日動いたのが、旧式だけだったんじゃないかと思います」 果たしてどういった理論でその回答が出るのか、ヒューにはさっぱり判らない。 「単純に、バランスを取り易く作ってある方が動かし易いんじゃないかと、俺は思うがな」 「ガリュー班長の「ディアボロ」みたいに動かそうとするならそうかもしれませんね。でも、誰も彼もあんな真似が出来る訳じゃないですから、えーと…」 どう説明すればいいのか思案するように唸った少年の後頭部を眺めていたヒューが、そっと腕を解いて、こつ、と少年の頭をノックするように軽く小突く。 「あた…」 「説明は、官舎に着くまでの間で聞いてやる。とにかくここは施錠して、今日はもうお終いだ」 帰るぞ、とぶっきらぼうに促され、少年は頭をさすりながら渋々立ち上がった。 広い背中を追い掛けながら、目前で揺れる銀色を眺め、少年は思う。おかしな人だ。本日解散の通達は少し前に届いていた。判りましたと笑顔で答え、でも、仕事を途中で放り出すのはなんだか気持ちが悪いからと、演習室に残っていた警備部隊の隊員を帰らせて少年だけが残ったのを、彼が知っていたとは思えない。 だとしたらヒュー・スレイサーは、当てずっぽうに何かを確かめにここまでやって来て、少年と遭遇してしまったのか? もしかして、迎えに来られたのだろうかと、少年は首を捻った。 「…ヒューさん、ぼくに何か用事でもあるんですか?」 「まぁな」 スライドドアを半ば開け放ったままアンが追い付いて来るのを待っているらしいヒューに、少年が慌てて駆け寄る。用はあるらしいがそれきり何も言わない銀色は、懐から取り出したIDカードをリーダーに通して施錠を確認すると、ようやく少年に向き直った。 「モンタージュ作成班の進行状況を聞いてるか?」 「デリとスゥさんの方ですよね? なんか、難航してるって」 少年がそうだからなのか、ヒューは来る時に使ったエレベータには見向きもせず、その脇、やや奥まった場所にぽつんと切られている非常階段室のドアまで真っ直ぐに進むと、それを押し開けて少年を先に通した。どうぞと言うでもないが大きく開け放たれたドアの向こうに広がる暗がりと、その暗色に映えた銀色に促されるようにして、ぺこりと会釈したアンがヒューの目前を通って階段室へ踏み込む。 「ゴッヘル卿の記憶がかなり曖昧な理由は、判るか?」 その、奇妙な質問口調を胸の内で反芻しつつ、少年は「はい」と答えた。 「魔導機に対する命令系統の組み換えが魔導師にどういう影響を及ぼすかまではぼくにもよく判りませんが、単純に、意識の消失後にもなんらかのプログラムが動いたんだと思うなら、経験ありますから」 螺旋階段を囲む壁に反響する、靴音。 「映像が乱れるって言ったら判ります? そういう感じに、自分の記憶が所々で砂嵐に塗り潰されてて、時間的にも、こう、飛んじゃうんですよね」 「………、まぁ、それはいいだろう…」 「はい?」 「なんでもない」 ふと足を止めて振り返り、きょと、と見つめてくるアンの傍らを通り過ぎたヒューが、微かな溜め息を吐く。 その反応はなんですか? とアンは思った。しかし、それを少年が問いただすよりも前に、ヒューは勝手に次の質問を繰り出していた。 「似たような事が、コルソンの方でも起こってる。それは、なぜだ?」 「…なぜだと言われても…断言は出来ませんが…」 「予想でいい。可能性でも」 「可能性なら、記憶を操作されたと思うのが、あの場所で一番在り得そうな話ですよね。ほら、消えた団長の顔をサーカスの団員さんたちが覚えてなかったって話があったじゃないですか? それと似たようなものです」 「同じじゃないのか…」 「デリの記憶に操作痕はないって、タマリさん言ってましたよ? なんでも、一回目のサーカス天幕から戻る途中に、一応、デリとかハチくんだとか、あの場所に居合わせた全員を、臨界式で診断したらしいですから」 「じゃぁ、なぜコルソンはあの場所で見たはずの魔導師の顔を、何度も何度も間違うんだ?」 証言は、二転三転する。 デリラはそして、どんどん混乱して行く。 まるで、抜け出せない罠に嵌ったかのように。 「特定は出来ませんが、それこそ可能性でよければ、ひとつだけ、思い当たる事があります…」 呟いて、少年はその桜色の唇を凛々しく引き締めた。 螺旋階段を登り切り、エントランスへ出るドアを押し開けて、ヒューはまたも少年を先に地上へ送り出した。 「ヴィジュアル系のギミックじゃないかと思います。あくまでも、可能性、ですけど」 背後で音もなくドアが閉じるとすぐ、少年がヒューを振り向いてきっぱりと言い切る。 「記憶操作って、簡単じゃないんですよ。生きた人間の記憶、逐次蓄積されながら、必要と不必要に分類され脳内の駐屯時間…これは、印象みたいなもので変わるんですけど…を決定され、ものによっては一瞬で忘れ去られる。そういう「オブジェクト」を外部から操作しようっていうんですから、相当な集中力が必要になります。 この場合は、デリの記憶領域にそういう外部からの接触痕がないという事実を前提にして、しかし、記憶が曖昧だという経過点を必ず通らなくちゃならないなら、そもそも、デリの見たあの魔導師の「映像」そのものが多数用意されてたんじゃないかと」 判るようで判らない感覚。ヒューが、難しい顔で眉間に皺を寄せる。 「報告書によれば、デリたちが「ヴリトラ」の操作師を確認する直前、彼は簡易シネマの投影装置を使って自身をステルスしてますよね? だったらすぐに思い浮かぶし、投影装置の回路構造を脳内コピー出来たなら、面倒なプログラムの構築作業も省く事が出来ます。 え…と…。ぼくの説明、判ります?」 むっと黙り込んで腕組みしたヒューの眉根が益々寄ったのに、アンは困って小首を傾げた。 「申し訳ないが、さっぱりだな」 うわぁどうしよう。と笑顔を引き攣らせたアンが、今度は難しい顔で唸る。 「うー。多面構造のプリズム原理を使用して二次元を三次元的リアルタイムで投影しそれを見せたんじゃないかって、つまりそういう訳なんですが、っていっても、判りませんよね」 「益々判らん」 ちら、と水色に下から見上げられたが、ヒューはそれにきっぱり答えて首を横に振った。光の屈折と乱反射をなんだとか、それを利用して3Dがどうだとか、だから見る位置によってああだとか少年はぶつぶつ言っていたが、自称一般市民は半分も聞いていなかった。 「原理はこの場合必要ないとして。結果、記憶操作とかいう暴力的な方法でなくても、コルソンのような状態を作るのは可能なんだな?」 「あ、それは、はい…。多分、そのくらいならぼくでも出来ると思うので、可能だと…」 それならば、とヒューは電脳魔導師隊執務棟から出て、各執務棟方面に繋がる辻の中央辺りに佇み、暗闇に浮かぶ本丸尖塔郡を眺めて眼を細める。 朧な輪郭が幾重にも揺らぐ視界。睫の先で散った光がただでさえ焦点の危ういそれをますます掻き乱し、ヒューは軽く溜め息を吐いた。 「じゃぁ、もしも、だ。アンくん」 尖塔からアンに視線を移したヒューが、思い出したように呟く。 「………」 「ウイリーやマックスウェル…」 「…もしかしてヒューさんて、眼が悪いんですか?」 「…急に、なんだ?」 腕を組んで立つヒューの横に並んだアンは、いっとき、尖塔を睨んだ横顔を見つめていて、ふと気付いたのだ。 ただただ青い虹彩。しかし透明度が高いのか、ミナミのように時折肝の冷えるような暗さを潜めている訳でもなく、「底」の見えそうな色だと思う。その中央にある瞳は逆に不透明で、深い。 だから、このひとの「底」は結局、見えているようにして見えていないのか…、と少年は内心憂鬱にひとりごち、直後、ヒューの視線が一瞬尖塔を逸れ、口の開くのと同時にアンの水色を捉えたのに、その瞳孔は微かにしか動かなかった。 焦点の定まりが遅いのだろう。だとしたら、当然、視力が悪いという事か。 「いや、なんとなくそう思っただけですけど…」 口篭るように言いつつも逸れない水色。こちらは透明な皮膜を持つ澄んだ虹彩に、やや蒼の強い瞳を二呼吸ほどの間見つめ、ヒューはようやく、ゆっくり瞬きした。 「そういえば今日、赤毛の坊やに睨むなと言われた。実際俺に、睨んでいるつもりは全くないんだが? 常に」 いや、それは信憑性低いでしょ。と内心突っ込みつつも、アンが小さく笑う。 「眼が悪いのを言い当てられたのは、もしかしたら初めてかもな」 「? …は?」 見開かれた水色。ぱちぱちと瞬くそれに映ったサファイヤを眇めて、ヒューも薄く笑う。 「大抵の人間は、俺が振り返ると目を逸らすだろう?」 極端に瞬きが少なく、高い位置から見下ろしてくる青色に恐れをなして、か? 「じゃぁせめて、瞬きくらい意図的にしたらいいんじゃないですか? そしたらこう、睨まれてる感薄くなるんじゃないかと思いますけど」 なんだか話が逸れたなと思いつつも、ヒューは苦笑しながら少年を促して、歩き出した。 「瞬きが少ないのは身に付いた癖みたいなものだ。今更意図的にしろと言われても、まず無理だな」 「癖、ですか?」 「時間的な差異はあるにしても、瞬きというのは「目を閉じる」事だろう。目を閉じるというのはつまり、見ていない時間を作ってしまう」 今度は立場が逆転して、少年が不思議そうな顔をする。 「見ていない、見えていない時間というのは、攻撃も反撃も出来ない時間だ」 たったコンマ数秒かもしれないが。 そのコンマ数秒さえも。 この、銀色は。 「…」 人工緑地に点在する常夜灯の仄かな灯りを透かしたサファイヤを見つめ、少年は、思う。 見ていない時間。見えていない…時間…。 「瞬き…」 ふと、ある事に気付いた。 「? どうした」 「あ! いえ、なんでもないです…。ちょっと、まぁ、…それはどうでもいい事なので」 慌てて笑顔を作ったアンは、見上げていたヒューの横顔から正面に視線を戻す。 少年の脳裏にぽっと浮かんだ「事柄」は、実際、現状と関わるものではない。だからアンはそれを、いつか暇があったらやってみようと締め括って記憶の片隅に追い遣り、「それで、ウロスさんとケインさんがどうかしました?」と、話を元に戻した。 「…、もしも、ウイリーとマックスウェルをコルソンの方に合流させても、モンタージュの作成が劇的に進むという訳ではないのか?」 問いただす必要もないと判断したのか、それとも話を逸らされたからなのか、どちらにしてもヒューはそれ以上少年を追及したりせず、元の話題に戻る。元々、それを訊きに来たのだし。 「そうですね。ぼくの予想が大筋で合っているとするなら、ウロスさんもケインさんも、デリと同じように混乱するだけじゃないですか?」 「それなら、無駄なモンタージュの作成はとっとと諦めて、他の任務に就かせた方が効率的か…」 組んでいた腕を片方だけ解いて顎に手を当て、ヒューが難しい顔で唸る。普段ならばこういう細かい仕事はミナミの担当なのだが、当の本人が最重要部署としての図版構築班に取り込まれている状態では、まさか、日々変わる任務状況を把握し指示を出してくれとは言えないだろう。 「あの「ヴリトラ」と「アルバトロス」を使役する魔導師については、正直、この騒ぎが収まってから…セイルさん」 ほら、とでも言うように伸ばした人差し指を天蓋に向けたアンが、ヒューの横顔をちらりと見て口元を綻ばせる。 「セイルさんの証言を先に取った方がいいと思いますよ」 仕事だからしょうがないのだが、アレが特務室に来るのかと思った途端、ヒューは微妙に頭痛を感じた。 「あいつが確認するのはサーカスの団長で、魔導師じゃないだろう…」 「それが別人だとは断定出来ませんし。というよりも、電脳班ではほぼ「同一人物」という事で意見が一致してます」 確かに、消えたタイミングだとか、逆にあの魔導師たちが現れたタイミングだとかを総合すると、同一人物である可能性は否めない。 「それに」 目前に迫った本丸をかわすように特別官舎方面へ爪先を向け、アンは溜め息のように付け足した。 「もしかしたら、ガリュー班長なんかもうとっくにそれもお見通しかもしれませんし」 だから。 出渋ったりしないで、さっさときっぱり戻って来てくれたらすっきりするのに、と少年は、同意するように肩を竦めたヒューを振り仰いで、澄んだ笑みを零した。
|
■ 前へ戻る ■ 次へ進む |