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16.全ての人よ うらむなかれ |
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班長は気付いた。 それにしても、やはりイレギュラーは………良くも悪くも、ミナミだった。 こんな時でもあの恋人は、わたしでさえ呆れるほどに、強情だ。
散々、というほどでもないが、とりあえず気持ちの整理が着く程度に泣いて、アンはようやく電脳魔導師隊執務棟を出た。どうやらタマリはまだ見つからないらしく、ヒューはこのまま残ってタマリ捜索に合流すると言ったが、「君は何がしたい」と問われたアンは、少し考えてからこう答えた。 「ミナミさんの傍に居てあげようと思います。…ガリュー班長みたいに頼りにはならないけど、でも、ひとりで居るよりは、ずっといいでしょう?」 一度俯いて、それから意を決したように顔を上げ微笑んだ少年に、ヒューが短く頷きかける。 それ以上言葉を発するでもなく歩き去る背中にぺこりと一礼して、アンは城の尖塔群目指し走り出した。この非常事態にも超然としたヒューの態度は冷たいようで居て、その実、自分たちのすべき事を思い出せと言っているようにも思える。 悲しいというよりは、寂しいのかもしれない。それまでそこに居た、あったものが忽然となくなり、二度と目の前に戻らないのだと思うと、少し気持ちが寒い。と、アンに乞われるままぽつぽつと答えたヒューの、少し困ったような声を心の中で繰り返しながら、少年は息を弾ませ人工緑地を掛け抜けた。 アンがミナミの傍に行こうと思ったのは、ヒューが、「少し気持ちが寒い」と言ったからだった。人恋しいというのか? と訊き返した少年に、彼は珍しく戸惑うように、「そうじゃないよ」としか答えてくれなかったが。 それでも、アンはミナミの傍に居ようと思う。何もしないで座っているだけでもいいから。 そうやってあの綺麗な青年を見守ってあげたいと思うのは、ハルヴァイトだけではないのだと知って欲しい気がした。 それから…。 「医療院から来たドクターをミナミさんが部屋から蹴り出したってのが、ちょっと気になるんだよね、ぼくも」 人工緑地を抜けて本丸に辿り付き、とりあえず正面から城の内部へ入る。エントランスを警護している近衛兵たちは何も知らされていなかったから、やたら急がしそうに衛視が出入りするのを、いかにも訝しそうに遠くから眺めていた。 城に入るとさすがに駆け足という訳にも行かず、速足でエントランスを突っ切りいつも使っている非常階段へと向う。途中、きらびやかに着飾った貴族の伶嬢が何か期待するような表情で衛視服のアンに視線を送って来たが、少年はそれを綺麗に無視して、大階段下の鉄扉を肩で押し開けた。 詳しくは、タマリを連行し裏付けを取ってからでないと。とは言ったものの、肝心のタマリの所在が判らない。その上ドクターがひとり追い返されたとなったら別の誰か、…しかも偉い方から順番にだろう…、がまた医療院から呼ばれるかもしれないが、と言いつつヒューは難しい顔をしていた。確かに、あくまでも予想なんだがな、と前置きされたその仮定を聞いて、アンもなるほどと思ったのだ そしてその仮定が正しければ、医療院からドクターが来ようが得体の知れない祈祷師が来ようが、ミナミは絶対に声を取り戻さないだろう。 だから、アンは大急ぎで非常階段を駆け上がり、緩やかにラウンドした廊下を突っ走って、特務室へ転がり込んだ。 「あの、ドレイク副長は…――――――」 と、なぜか椅子から腰を浮かせてぽかんと室長室を凝視していたジリアン・ホーネットに声をかけた、瞬間。 「七面倒な罵り合いに付き合ってやるほどわたしは寛大じゃないんでな。悪いが、こっちのこれは倉庫にでも閉じ込めてしばらく書類の分別でもやらせておくというのでどうだ? ああ? ミラキ」 どこか聞き覚えのある横柄臭い女性の怒気を含んだ声と伴に、室長室のドアが蹴り開けられたではないか。 それでなぜか、反射的にジリアンの背後に隠れる、アン。 「ああ。倉庫だろうが病室だろうがどこにでも閉じ込めてやれ。 とにかく、だ! ドクター!!」 何がどうなっているのか、怒鳴り散らしながら出て来た小柄なドクターの後に着いて、顔面蒼白で震えている白衣の男性…これもドクターだと思うのだが…の首根っこを掴んだドレイクも、何やら相当頭に血が上った状態で、づかづかと執務室へ踏み込んで来る。 「こんなヤブ医者連れて、とっとと帰れと俺は言ってん!」 そこまで言ったドレイクの顔面を、振り向きざま掌で抑え付けたその。 「………………ドクター・ノーキアス…」 小柄で横柄で命令口調な女医は。 「やぁ、アンくん。こんばんは」 原色の華のごとき艶やかな笑みを少年に向けつつ、一旦軽く浮かせた掌を再度ドレイクの顔面にぴしゃんと叩きつけるなり、驚いて手が緩んだその隙に半ば引き摺られるような格好だったもうひとりのドクターをひったくって。 「お前は医療院に帰って始末書を書き、仮病使ってベッドに寝てる医局長に提出しておけ、このヤブ医者め!」 すぐまた眉を吊り上げ放り出した白衣が床に転がったのに怒声を浴びせつつ、その尻を…ハイヒールで、がつん! と蹴飛ばした。 ハリケーンみたいなひとだ…。とアンは思った。 思いきりひっぱたかれたドレイクが両手で顔を覆って唸っているのと、前のめりに床に突っ伏したドクターが間抜けな悲鳴を上げるの、それから、開いた口が塞がらない、とでも言うような表情で呆然としているジリアンを順繰りに見回してから、アンはがっくりと肩を落とした。 ああ。本当に、落ち着いてから戻って来てよかった。ありがとう、ヒューさん。と内心深く嘆息する。 「あのー、ドクター・ノーキアス?」 呼ばれて、鮮やかなオレンジ色の短髪を掻き回しながら凄まじい怒気を撒き散らしていた、王下医療院医局管理員であり外科医でもあるステラ・ノーキアスが、俄かに笑顔を作ってアンを振り向き、小首を傾げる。 「なんだ」 その変わり身の早さに恐怖を覚えつつもアンは、とりあえず、と引き攣った笑顔で電脳班の執務室を示した。 「えー。タマリさんをヒューさんが連行して来るまで、お茶でもいかがですか? それでちょっと…、まぁ、その、つまりですね…」 そこでアンは、ドレイクとステラの両方から遠慮会釈なく注がれる居心地の悪い視線に小さくなりながらも、言うべき事を最後まで言い切るのに成功する。 「少し落ち着きましょうよと、そういう事です」
あそこは探したとか、どこは探していないとか。 額を突き合わせてああでもないこうでもないと話し合う深緑の集団を少し離れた場所から眺め遣りつつ、ヒューは腕を組んだままこきりと首を鳴らした。 「行動パターンの問題だと思うんだがな。俺は」 「行動パターン? 誰のかね」 通路の片隅に立つヒューの隣り、こちらは難しい顔で自分の足元を睨んでいたデリラが、漏れた呟きに質問を返す。 「タマリのじゃなく、連中のさ」 あれ、と顎で示された第七小隊の面々を座った目付きで確かめたデリラが、それでもまだ訳の判らないような顔をヒューに向けると、彼は漆黒に流れた銀色を手の甲で軽く払いながらこう言い足した。 「こんなに探してるのに見つからないんだぞ? だとしたら、探しているだろう対象を予想してそれらの行動の裏を掻くくらい、平気でやるんだろう? ヤツらは」 だから、ちょっとやそっと逃げ隠れしているのではないだろうとヒューは思ったのだ。 「だからといって、なぜそこまでして身を隠したいのかまでは、判らないがな」 ヒューは、少し前に「タマリを探すのを手伝う」という名目で現れたくせに、先ほどから一歩も動かず、走り回るイルシュやブルースの様子を見ているだけだった。同じく、どこかから執務棟に戻るなら必ず通るだろうと予測された通路でいつ戻るとも知れない黄緑色を待つデリラの傍らに立ち、何かを考え込んでいるばかり。 それが不意に口を開いたと思えば、これだ。 「…班長もあれだね。もうちょっとさ、勘の鈍いおれにも判るように話してくんないもんかね」 まるで誰かみたいだ、と苦笑混じりに揶揄するデリラにこれまた苦笑を吐き付けてから、ようやく、ヒューのサファイヤ色が目付きの悪い同僚へと向けられる。 「その誰かがよくやるだろう? 予想の範囲内でしたが、ってあれだよ」 言われて、デリラもふと気がついた。 そう、彼らが必死になって探しているのは、他でもない「電脳魔導師」ではないのか? 莫大な情報と高速演算を駆使して、一秒先の未来に起こり得る可能性さえ予見する。 「理由が判らないから確信が持てない。たが、もし、タマリにどうしても見つかりたくない理由があるとするなら、自分を探すだろう人間の情報を元にしてわざと裏を掻くんじゃないか?」 なんだか妙な表情で見つめてくるデリラに小首を傾げて見せる、ヒュー。それにデリラは酷く曖昧で複雑な苦笑を返し、それから、「あーあ」と嘆息しつつ短いボウズ頭をがしがしと掻き毟った。 「なんだかね、もう、全然調子悪ぃつうのかね、こういうのをさ。 班長の言う通りだよ、多分。タマリには、どうしても見つかりたくない理由があんだよね、今。 それで、タイミングの問題なんけどね、班長。ミナミさんの件でタマリの協力が必要だからおれたちはこんな必死になってアイツ探してる訳だけどね、タマリは、その直前、ボウヤが執務室に行った時の話しか知らねぇでしょ。で、スゥの話じゃ、タマリはダンナの協力要請に「いやだ」つって執務室飛び出したんだからね、当然、おれたちがタマリを探してるのは、その最初の要請絡みだと思う訳だね」 ドレイクが出した最初の要請がどういった内容なのかまでは、ヒューには知らされていなかった。ただし、タマリがアンに暴挙を働いたと聞いたのだから、かなり彼の逆鱗に触れるようなものだったのだろうと予想は出来たが。 だから、タマリは逃げ隠れしているのだろう。それが全てではないにせよ、引っ張り出されて連行されて協力要請を飲まされるのには、断固拒否を貫くくらいの理由はあるのか。 「だとしたら、こちらの行動はある程度予測されていると思って差し支えないだろうな。特に、あのちびどもに限って言えば、老獪の制御系魔導師を出し抜くような突拍子もない発想が出るとは思えない」 「老獪かね…」 思わず吹き出しそうになったデリラに、ヒューが溜め息を持って答える。 「彼らに比べれば、充分老獪だろう」 かなり真剣な表情で城内地図を睨んでいるイルシュとブルースとジュメールを、こんな時ながらも微笑ましく眺めていたデリラの視線が、ゆっくりと傍ら、ただじっとどこかを見つめているヒューの涼しい横顔に流れる。 「なんだ?」 特務室で部下をからかっていても、ミナミの後ろに控え彼の青年にからかわれていても、陛下の神々しいまでに美しい笑顔と辛辣な嫌味に晒されていても、…機械式と魔導機と組み手して傷だらけになっても、それで「相当悪い状態」から這い上がって来ても…。 「班長は、どこも変わらないね」 力ないデリラの呟きに、ヒューは微か口の端を歪めた。 「どこも、は間違いだな、コルソン。変われない部分が多いだけだよ、俺は」 譲れない部分が。 「……………………そうか、判った」 ハルヴァイトが居ても居なくても。 ミナミが話しても話さなくても。
班長は「変われない部分」を変わらず行使し、 変わらなければならない部分を甘んじてでも受け入れるだろう。 わたしは、誰にも何も期待しなかった。 ただし、強いて言うならば。 ヒュー・スレイサーというそのひとの裡にある、「譲らないと決めた部分」を。
信じた。
「…おれにも判ったよ、班長。スゥ!」 ヒューの呟きに口の端を笑いの形に引き上げて答えたデリラが、スーシェを呼びながら手を挙げる。 「多分、特別官舎だ。第七小隊は執務室に…」 「スゥだけ連れてかねぇかね」 部下たちの元を離れて駆け寄ってくるスーシェから目を離さずに、ヒューとデリラが早口で言葉を交わす。つまり、ヒューの仮定通りタマリが第七小隊の行動と、特務室からデリラが送られて来たと予測したのだとすれば、ここに居るイレギュラーはヒューだけという事になるだろう。 だから、タマリがどこに隠れているのか、ヒューは考える。 一番、ありえそうもない場所を。 「いや。ゴッヘルは小隊の面倒を見てて大丈夫だ。タマリには」 言って、不思議顔のスーシェとデリラを交互に見遣り、肩を竦めるヒュー。 「仲の悪い「恋人」が付いてるよ」 それを聞いた瞬間、デリラとスーシェは揃って、「はぁ?」と面白いほど素っ頓狂な声を上げた。
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