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15.赤イ、毒ニ濡レタ月 |
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ミナミたち隔壁区画調査班が施設最奥(さいおう)、イルシュやジュメールの監禁、ないし軟禁されていた部屋付近に到着したのと同じ頃、サーカスブロック調査班はようやく設備を整え、本格的な天幕内部の探索に入ろうとしていた。 時間は既に昼を過ぎている。普段ならば大勢の王都民でごった返しているはずのこの場所に立ち入り規制が敷かれてから二週間、夕闇に似たサーカスブロックはただただ静かで、生気のない廃墟のように感じられた。 「外部待機?」 指示された通りに全ての設備を配置し終えたギイルが、片眉を吊り上げて涼しい顔のハルヴァイトを睨む。丸盆に当てられたスポットライトだけが眩しい天幕の内部に漂う不穏な空気をますます深めるハルヴァイトの命令に、ギイルはいかにも不満そうだった。 ハルヴァイトが直属部隊に出した命令は、天幕から出てサーカスエリア入場口まで後退し、キャリアー付近で隔壁区画調査班の帰還を待て、というものなのだ。 「まぁ……人手が足りてるってんならいいんだけどなぁ。地下の控え室だとか、横にくっついてるちっこい天幕の調査だとか、まだする事あんでしょ? おれたちにだって」 食い下がるギイルの正面、客席に使われているパイプイスに足を組んで座っていたハルヴァイトが、ふと視線だけを上げ渋い顔のギイルを見つめる。 「じゃぁ、部隊を二つに分けて左右の天幕内部を捜索して貰いましょう。アンの報告にあった、展示天幕の機械式に不穏な動きがあるようなら、すぐに撤退するように」 「じゃぁっておめー…」 そのハルヴァイトの左横に腕組みして立っていたドレイクが、苦笑い混じりに突っ込む。その言い方で察するに、ハルヴァイトが警備部隊を連れて来た理由は、本当に、機材の設置だけのようだった。 「警備部隊が主天幕から退去次第、防電設備を稼働。一時的に天幕そのものを障壁として使用しますから、内部との交信は不能になります。なので、ギイル」 言って、ハルヴァイトは緋色のマントをはためかせ、立ち上がった。 「左右の小天幕調査指揮および方針は、全てあなたにお任せします」 さっさと行けと言うのか、ハルヴァイトはそれだけギイルに告げて軽く手を振り、自分は荒れ果てた客席へと一歩踏み出したではないか。 荒れ果てた客席。 あの日、「ディアボロ」と「アンジェラ」が暴風のように荒れ狂い、整然と並んでいたパイプイスを半壊させ、床を抉り出し、天幕の支柱を震わせたままの。 「報告は、城に戻ってから……………、と、いう事で」 付け足しのようなハルヴァイトのセリフに、微か、笑みが混じる。 緋色の背中に、鋼色の髪が踊った。 あまりにも適当な命令にぶつぶつ文句を言っていたギイル以下警備部隊が主天幕から退去して、すぐ、ハルヴァイトの指示を受け、出入り用に持ち上げられていた天幕の一部が完全に下ろされる。まるで幕を引くように外界と隔絶されたサーカス主天幕内部の空気が張り詰める中、丸盆(ステージ)から一番離れた場所に据えられている設備操作卓に着いたアリスが、凛としたよく通る声で、点在するハルヴァイト、ドレイク、アン、デリラに宣言した。 「臨時防電設備の稼働まで、六十秒。稼働後、内部における臨界への接触に支障なし。ただし、その有効範囲は天幕内部に限定されます」 主天幕発電装置に直結した、全く外部と接触していないシステムに灯が入り、様々な装置に赤や緑の光が走る。一括で全機能稼働状況を監視する空間投影式モニターが自動的に立ち上がって主天幕内をサーチした、瞬間、アリスは亜麻色の瞳に険しい光を称えて、「班長!」と叫んだ。 「丸盆(ステージ)下層に生体反応。機能停止信号の出ている奈落せり上がりが、上昇しています」 防電設備稼働まであと三十秒足らずというところで早くも起こった異変に緊張が走る。しかしハルヴァイトはゆったりと腕を組み、アリスの収まるブース正面に佇んだまま、口元に笑みさえ浮かべて、言い放った。 「全て予定通り。デリ、アンはアリスの安全を確保。いいですか? 何があっても、彼女に怪我などさせないように。それから、ドレイク」 ハルヴァイトからの指示が出て、デリラとアンは慌しくアリスを背にして立ち位置を確保。砲筒を担いだデリラはアリスのやや右前方に、アン少年はそのデリラの左側に、電脳陣稼動に必要な距離を取って立つ。 「今日こそ、赤い「フィンチ」を操る魔導師を特定してください。多分それが、鍵になる」 丸盆とはいえ、円形の主天幕奥に設えられた、半円のステージ。そのステージを正面に据え、荒れ果てた客席を挟んだ場所に腕を組んで立つハルヴァイトの左、約三メートルの位置…つまり、いつもの距離、か…に到着したドレイクが、ふん、と鼻を鳴らす。 「そういう事かよ…。ま、言われなくたって判っちゃいるけどよ」 佇む緋色と、濃紺と。 鋼色と、白髪と。 「まさか最初(はな)から第ニラウンド狙いたぁ、なるほど、ミナミにゃ来て欲しくねぇ訳だ」 呟いて、ドレイクの唇に笑みが浮かぶ。 「違いますよ」 しかしハルヴァイトはそれを、あっさりと否定した。 蔑んだ薄笑みで。 蔑んだ。 薄。 笑みで。 「理由は、あれ、です」 ハルヴァイトが平素と変わりない口調で告げ、アリスの見つめるモニターに全システム正常稼働の表示が浮かび、音もなく、丸盆(ステージ)中央に口を開けていた奈落が埋まった、瞬間、ハルヴァイト以外の全員は瞬きも忘れて硬直した。 「あれがね、どうしても、許せなかったんですよ。わたしは」
許せないのだ。 許せる訳がないのだ。 我慢がならないのだ。 絶対に。 認めないのだ。
衝撃は余りにも静かで、冷めたく重い空気を纏っていた。 通電してないはずの奈落せり上がりが微かな振動を伴って丸盆(ステージ)中央に嵌め込まれ、その、あの世からのエレベータに乗って忽然と現れた人影を、眩しいスポットライトの元に曝す。 ありえない。とドレイクは思った。デリラもアンも、椅子から腰を浮かせたアリスも、そう思った。 ありえない。否。あっていい訳がない。 頭上と左右前方から降る光の作る円形の中に立つ、その人影は。 痩せた、華奢な全身を飾るのは、光沢のある漆黒のパンツとハイネック。奇妙な金具で止められた袖口から伸びた手は白く、指先は細い。 それから、顎の尖った中性的な貌(かお)を縁取る、見事な金色の髪。ざんばらに近いそれの毛先が肩へ向けて自然に下がっているのに、なぜか、奇妙な違和感を感じる。 違和感というよりも、それそのものの異質、か。 彼は無表情に、冷たく、呆然とするドレイクからアン、デリラ、アリスの順番に視線を流し、再度その……深い青色の瞳から放たれる刺々しい光を、佇むハルヴァイトに戻した。 それは、深海のダークブルー。 長い睫に縁取られた、青。 青色が鉄色を睨み、瞬間、彼ら、はどちらからともなく、唇の端に冷徹な微笑を滲ませた。 直後、まさしく瞬きの間隙を縫って対峙する二人の間で激しい二色の光が爆裂し、鋼色の悪魔と、純白の天使が忽然と姿を現す。 「ディアボロ」と「アンジェラ」と。 「………………嘘…だろう?」 愕然と漏れたドレイクの呟きを、刹那で発生した立体陣に取り巻かれたハルヴァイトが鼻で笑い飛ばす。 「嘘でも冗談でもありませんよ、ドレイク。「だから」わたしはミナミをここに連れて来なかった。判っていたから、彼にはこの真実を明かせなかった」 言えなかった。 「俺は、俺を「こんな風に」した本物の天使に、会いたかったけどな」 と。 暗く青い光を放つ純白の電脳陣に取り巻かれた青年は、ミナミそっくりの顔で、ミナミと同じ声で、ミナミにうりふたつの無表情で呟いた。 ミナミがハルヴァイトに突っ込むのと同じタイミングで…。 今にも悲鳴を上げそうな表情で蒼褪めたドレイク以下を無視した「ディアボロ」が、既に荒れた床を蹴って飛び出す。それと同時にふわりと浮上した「アンジェラ」は背にプラズマの翼を展開し、空中で迎撃態勢を取った。 アリア・クルス。ミナミ・アイリーという最愛の天使を見失ったアドオル・ウインが「造った」天使の模造。同じ顔、同じ髪、同じ声…。それで自らを慰めようとしたアドオル・ウインは、しかし、アリアを手に入れた事でなくしたミナミへの恋慕を益々募らせる。 アドオル・ウインが求めたのは、天使=ミナミであって、従順に命令だけを利き、逆らわず、不平を漏らさず、ただ命じられるままに魔導機を操って彼を満足させようとする「人形」ではなかった。 空中で静止した「アンジェラ」と、床すれすれから垂直に跳躍した「ディアボロ」が激突する。しかし白い鎧に金色の臨界式文字を散りばめた天使の恒常防御圏が掬い上げるような打撃を水平に跳ね返し、バランスを崩した悪魔は背中から床に落下した。 粉砕された床材が爆裂し、辛うじて生き残っていたパイプイスを放射状に吹き飛ばす。刹那で身を起こし再度「ディアボロ」が床を蹴った、瞬間、天幕天井近くに出現した赤い臨界接触陣から、六機の毒々しい「フィンチ」が大気を引き裂いて飛来した。 反射的に陣を展開し、真白い「フィンチ」を顕現させる、ドレイク。 天幕内部をモニターしている様々な計器に意識を集中し、目の前に現れた悪夢から目を逸らそうとする、アリス。 肩に担いだ砲筒の銃口を飛び交う「赤いフィンチ」に向ける、デリラ。 当惑というよりも混乱し、何をすべきか戸惑うアンが、助けを求めるようにハルヴァイトの背中に視線を流す。 その乱れた気配を、アリアが、笑った。 狂い飛ぶ赤色のフィンチを従えて、丸盆(ステージ)でスポットライトを浴びたイミテーションの天使が、嘲笑った。 ハルヴァイトの背中越しにその歪んだ笑みを見てしまったアンの中で、何かが急激に冷める。まるで別世界の出来事のように激突を繰り返す、「悪魔」と「天使」。佇むハルヴァイトの背中はいつも以上に冷静に見えたが、そうではないのだと、少年は気付いた。 限界を振り切ったのは、怒りか。その矛先が向いているのは、アドオル・ウインなのか、目の前のミナミに似た青年なのか。 なんにせよ、これは、許されない。 きゅ、と眉を吊り上げて正面を見据えたアンが、ハルヴァイト、ドレイク、デリラの位置を確認してから、大きく数メートル後退して一次電脳陣を展開。その位置では「キューブ」が「アンジェラ」にも「ディアボロ」にも届かないのでは? と別な意味で当惑するアリスに固い笑みを向ける。 少年はその時、判ったのだ。 あれはミナミではない。 ミナミは、あんな風に崩れた笑い方をしない。 どんな意地悪を言っても、誰をからかっても、最後にあの綺麗な青年の唇を飾るのは溶けてなくなりそうな、ふわりとした笑みのはずだ。 ハルヴァイト・ガリューの守る都市の一片までもを絶えず慈しむ、柔らかな微笑み。 真相を明かすのだとアンは自分に言い聞かせた。そのためには、当惑も混乱も意味がない。 少年は、戸惑うアリスに何も説明しないままプラグインを立ち上げ、天幕内計測機器のデータを陣内に表示した。「キューブ」を顕現させて「ディアボロ」のサポートに回るのではなく、アリスの駆使するデータを使用して「アンジェラ」の恒常防御圏を分析するという選択の是非を確かめるように注がれる視線に、微か振り返ったハルヴァイトが小さく頷く。 『相手「フィンチ」を「ディアボロ」と「アンジェラ」に近付かせるな』 という指示に反応したデリラが、驚き覚めやらぬ表情ながら砲筒を構え、無造作に「アンジェラ」の頭上目掛けて砲撃。爆裂した砲弾が吐いたのは化学合成された「雲」状のものだった。 刹那で天幕上部に広がった暗雲にドレイクの「フィンチ」が突っ込み、それを追って赤い「フィンチ」も次々に突入。相手魔導師が見えない「フィンチ」を天幕内索敵モニターで追いかけている事を様々な観測陣で確信したドレイクは、化学合成された雲内部に臨界接触陣を描き、刹那で「白いフィンチ」を臨界へ一時退避させた。 耳孔に突っ込んだ通信機からアリスの「クリア」という声がまろびだしたと思う間もなく、デリラが砲筒操作盤を指先で叩く。本来ならば「ジャンク(崩壊)」命令を音声で受諾するようになっている操作盤には今日、割り込みで「スパーク(放電)」指示を噛ませてあった。 瞬間的に暗雲表面を走った高電圧が内部で飛散しているチャフ(鉄の微粒子)に伝導し、全体が雷雲でもあるかのように火花を散らす。「白いフィンチ」の消失理由を掴みかねていた「赤いフィンチ」は雲からの脱出が遅れ、数機がその放電に撒き込まれて弾き出された。 きりもみしながら放物線を描いて空中を落下した「赤いフィンチ」が、意外にも軽い金属音を響かせて床に叩き付けられる。 行動不能になった「赤いフィンチ」はすぐさま切り捨てられ、文字列変換後崩壊。その刹那に臨界から文字通り舞い戻った「白いフィンチ」は、未だ火花を散らして放電する暗雲すれすれを掠めて飛翔し、生き残っている「赤いフィンチ」数機に体当りした。 (体内バランスが崩れてる…。軽量して機敏にする変わり、電気的防御が弱いのか) ドレイクは内心ほくそ笑みつつ、「白いフィンチ」を天蓋近くまで急上昇させた。 二色の「フィンチ」が空中で絡み合い、落下し、体勢を立て直す間も、「ディアボロ」と「アンジェラ」は激突を繰り返している。天幕内の空気は絶え間なく震え、絵筆で刷いたような純白と鋼色が轟音と伴に交じり合っては、刹那で分離した。 二機の二足歩行式魔導機がぶつかり合う度弾き出される数値を、アンは必死に追いかけている。不恰好なワイヤーフレームによって表示された「アンジェラ」を包む、淡い灰色のオーラ。その表面に浮び上がる真っ赤な点と、左上に表示される数値の関係を、少年は一心不乱に分析していた。 あれは、違う。と。 あれは、偽者ですらない。 あれは、イミテーションですらない。 あれは、まやかしですらない。 あれは。 「別人なんだから」 ミナミではない。 その小さな呟きはしかし、当惑をどこかに残したままのアリスにも、デリラにも、ドレイクにも、聞こえた。 佇むハルヴァイトの背中越しに見えるアリアは、くすくすと笑っていた。暗く翳った青い瞳にそれ以上暗い光を湛えてハルヴァイトを睨み、薄い唇の両端を持ち上げて。 だから違う。あれは違う。ミナミではない別人。 曇った金髪と、濁ったダークブルーと、歪んだ笑顔の。 「…………………………」
澄んだ深海のダークブルーを、思い出す。
そうか。とドレイクは、思った。 「おめー。いつからあいつの存在に気付いてやがったんだ?」「随分前からですよ。ウインの「取り調べ」を初めてすぐです」「…やっぱな。おめーが取調室の電気系統ふっ飛ばしたのは、あいつが「居る」って判ったからなのか?」「「アンジェラ」の存在そのものはもっと初期の段階で判明していました。数体の魔導機をウインが隠匿していると知って、それぞれの魔導師を調べているうちに、彼の姿を見たんです」 だから。 耐えられなかったから。 優先するべき事柄をあっさりと切り捨てて、ハルヴァイトはサーカスに手を出した。 もっと慎重に手順を踏んでいれば、「アンジェラ」に恒常防御圏があるというのはすぐに判っただろう。しかも、ハルヴァイトは臨界ファイラン階層攻撃系システムなのだから、その防御圏を臨界側から調べる事も出来たはずだ。 それなのに、ハルヴァイトはそんな手間さえ掛けようともせず、「アンジェラ」と、「アンジェラ」を操る青年を…潰しに来た。 許さないのだ、ハルヴァイトは。 例えばこの事実を知ったミナミがアリアに対して何をどう思っても、恋人の暴挙または愚行ないし狭量を無表情に咎めても、話し合いと理解による歩み寄りを懇願しても、今回ばかりは絶対に譲らないだろう。 何があっても。 今抱えている数多の問題が全て宙に浮き。 誰が泣き叫んでも悲しんでも。 ハルヴァイトは。 苛立ちではなく、血液が沸騰するような明確な怒り。 憎しみではなく、世界中が縦横に激しく震える憤り。 「そういうものを我慢するのは性に合わないんですよ、わたし」 呟いて、さも可笑しげに呟いて、俯いて、純白の光の粒子を全身から放射状に飛び散らせた「アンジェラ」と、剥き出しの心臓を激しく回転させながら禍々しい皮膜をいっぱいに広げた「ディアボロ」が主天幕のど真ん中で激突し、刹那で飛び離れた、瞬間、虚空を引き裂く白と黒とを透かして佇むアリアに視線だけを据えたハルヴァイトが、にやりと、隠していた牙を剥くように薄暗く嘲笑(わら)う。 「…………………」 それは、天幕という狭い空間全てを凍り付かせるような表情(かお)だった。 直視してしまったアリアは口の端を笑みの形に引き上げたまま硬直し、ドレイクは何かとてつもなく恐ろしいものにでも遭遇したような顔でぎくしゃくとハルヴァイトを振り向き、アンとデリラは緋色のマントが発散する凝った空気に絡め取られてしまったかのように動けず、計器に齧り付いていたアリスだけが、愕然と、呆然と、恐怖が恐怖なのだと理解出来ないままに、呟く。 「臨界面現実面間の双方向交信値、計測不能…………」 それは、何を、意味するのか。 一瞬で跳ね上がり、最大値のメモリを振り切って震えたゲージがまた一瞬で沈黙したのだとアリスが知った、直後、円形の天幕天井で眩い光の集団が無数に爆裂し、外界から閉鎖された小さな「世界」を焦がした。
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