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15.赤イ、毒ニ濡レタ月

   
         
(7)

  

 打ち合わせのような、ただの命令のような、確認のような、何も…判らないままのような会議という名の集まりは、深夜まで続いた。

 その間ドレイクに出来た事は質問だけで、ハルヴァイトは喋り続け、アリスは必死にハルヴァイトの言葉を理解しようとし、デリラとアン少年に至っては口を挟む隙さえなかったが。

 喋り疲れたのか、もう話す事もなくなったのか、ある瞬間を境にハルヴァイトはまったく口を開かなくなり、弾丸のような勢いで一方的に出された指示を反芻するドレイクたちをその場に取り残してさっさと帰ってしまったのが、夜半頃。元来ハルヴァイトというのは、何か行動を起こそうとする時その到達点が明確であればあるほど他人の話を聞いてくれなない迷惑な上官ではあったが、ここまで一方的な「命令」ばかりを羅列する事は非常に珍しかった。

「……ねぇ、ドレイク?」

 デリラとアンも帰宅した、深夜。隣室に夜勤の衛視数名が残っていたが、議事録を纏めておきたい、というアリスをひとり電脳班の執務室に残して帰宅する訳には行かないドレイクがソファに寝転んで天井を睨んでいるのに、忙しくキーボードを叩く手を止めた赤い髪の美女は溜め息のように語りかけた。

「ハルは、何がしたいのかしら…」

 不安げなアリスの声に身を起こしたドレイクが、乱れた白髪を手で撫で付けながら、「さぁな」と短く答える。実際、ドレイクもずっとそれを考えていたのだが、どうしても、解答が見つからなかったのだ。

「凄く気になるのよ、どうしてなのか、ひっかかるの。ねぇ、ドレイク? ハルはどうして、わざと、隔壁区画の秘密施設の再調査とサーカス主天幕の臨界式観測を同じ日、同じ時刻に実行するって言い張るのかしら」

 そのふたつは、サーカス・オブ・カイザー・ハイランを調査するに当たっての最重要事項ではないか? とアリスは亜麻色の瞳に疑問を浮かべて、ドレイクを見つめた。だとしたら、どちらも電脳班が直々に指揮を取るべきだろう。なのにハルヴァイトは、同時刻に二箇所で調査を開始、秘密施設に関しては、一度その場を確認している第七小隊、イルシュとブルース、ジュメールに指揮を取らせ、電脳班はサーカス主天幕の徹底的な調査を行うと言って、譲らなかった。

「しかも、ミナミはイルくんたちの方に同行させるって…。普段なら連れて行かないって言ってもおかしくないのに、どうして今回はあっさりそう決めたのかしら」

 何もかもがハルヴァイトらしくない。

 ドレイクはソファに座り直し、緩めていた黒いネクタイを締め直しながら、短く溜め息を吐いた。

「秘密施設とサーカスについちゃぁよ、短時間で一気に調査済ましちまって、向こうさんに抵抗する暇与えねぇって意図なのかもしれねぇとは、考えられんだよな、確かに。今あっちにどれだけの魔導師がいて、どれだけのコマがあるのか、はっきりした数もこっちにゃ判らねぇだろ? だから、短期で向こうの手の内を少しでも暴いておきてぇのかもしれねぇがよ…」

 電脳班の班長がハルヴァイトでなければ、その可能性はあるだろう。しかし、良くも悪くもハルヴァイト・ガリューという人間は、そういう風に…頭を使ってちまい行動を起こすような細やかな神経を持ち合わせてはいないはずだ。

 それに。

「おかしいっちゃぁおかしいんだよな、ミナミの件は…。この前の任務ん時だって、ミナミが同行すんのには最後の最後まで渋い顔だったのによ。まぁ、結局ミナミに押し切られたし、結果的には、ミナミがいてくれて良かったんだろうが、ハルにしてみれば、ミナミには余計な事思い出して欲しくねぇんだろうから」

 何かが噛み合っていない。

 ハルヴァイト。

 何かが、おかしい。

 どこか、おかしい。

 ネクタイを締め直したドレイクが、背凭れに身体をぶつけて天井を見上げた。

 単純に、「やるな」と言えばムキになってやるだろうミナミを抑える目的で、最初から秘密施設の調査に回したのかもしれないと、ドレイクは思った。しかし、では、ハルヴァイトが何をミナミに「して欲しくない」のかが、判らない。

「…………サーカス」

「?」

 自らの漏らした無意識の呟きをアリスの問う気配で確認したドレイクが、天井に両手を翳して話し始める。

「ハルにはよ、何か、ミナミをサーカスに近寄らせたくねぇ理由があんじゃねぇのか? だから隔壁区域に追い遣って、自分だけがサーカスに向かおうとしてる。

 じゃぁ、その「理由」ってのはなんなんだ?

 あの「アンジェラ」なのか?

 それとも、姿の見えない魔導師どもなのか?」

 既に三日前になってしまったが、サーカスと隔壁区画で別々に起こった正体不明の魔導機による襲撃と、機械式の暴走ともいえる現象。どちらも原因はアドオル・ウインの隠匿していた魔導師によるものであり、特務室には詳細な報告が上がっている。それについてミナミの見解はなく、だから逆に、ミナミをサーカスから遠ざける理由も、ドレイクやアリスには思い当たらない。

 翳していた両手をゆっくりと握り締め、ドレイクはまた口を閉ざす。

 ハルヴァイトは何をしようとしているのか。問い詰めて白状するような脆い人間でない事を嫌というほど知っているから、その謎は、大きい。

 それに……………。

(あの時ハルは、敵意がないって建前はいつまでももたないみてぇな事を言わなかったか? じゃぁ、それは、なんなんだ?)

 上空から膝の上に落ちるドレイクの両手を見つめていたアリスが、デスクを離れてソファに移動して来る。先に悩み事や不安を打ち明けるのはドレイクだったのがいつまでで、いつからそういうものをアリスが先に口に出すようになったのか、彼女はもう覚えていなかった。

 永遠に「姉」であり続けると思えたのは、いつまでだったのか。

「弟」のつもりでいたドレイクが「男」なのだと知ったのは、いつだったのか。

「…………調子狂うわ」

 ソファにぽすんと飛び込んだアリスは呟いて、弱ったように小首を傾げた。

「何が?」

 天井に据えられていた曇天の瞳が垂直に動き、正面に座る赤い髪の美女を捉える。

「何って、なにもかもよ。警備軍に入る前も入ってからもずーっと一緒なのに、ドレイクだけが「魔導師」になって行く。子供の頃はなんでも判ってたつもりだったし、ドレイクはなんだって話してくれてたんだって…そう思ってるけど…」

 今は少しだけ、ドレイクの考えている事が判らない。とアリスは、溜め息のように、失笑するように、呟いた。

「…つうか、俺か」

 何を思い出したのか、そこでドレイクは軽く肩を竦め、ソファの肘掛に腕を預けた。

「誰の事だと思ったのよ」

 この状況で他の誰かを思い出せる訳がないとでも言いたげなアリスの咎める視線を頬で跳ね返しつつ、意味深な笑みでこの場を切り抜けようとする、ドレイク。

「…ハルかなーってよ」

「ハルヴァイトの事は…、今でも、判ったような気になってるだけで本当は何も判ってないのかもって、思ってるわ。結局、ハルは………」

 そこまで言って、アリスはテーブルに身を乗り出し、ドレイクのにやにや笑いを睨んだ。

「そうやってね、君。話をすり替えるんじゃないの!」

 細い眉を吊り上げたアリスの表情を、わざとのように恐々と肩を寄せて見返す、ドレイク。

「いつからそんな卑怯な人間になったのよ、君は」

 自分の話を厭うように。

 自分の事などどうでもいいように。

「俺は………もう何年も前から卑怯で臆病な人間に成り下がってたじゃねぇかよ。それに、アリスが気付かなかっただけだ。誰も知らなかっただけで、俺はずっと…俺が最低だって、判ってたよ」

 呟いて、疲れた笑みを零し、ドレイクはソファから立ち上がった。

「俺が知らなかっただけで、俺ぁ、生まれた時から…ダメな人間だったんだよ」

 煌くような白髪を、天井からの白ちゃけた灯りが炙る。

「仕事の邪魔になっちまうからよ、俺、隣りでルードでもからかってるわ。終わったら寄れよ、送ってやるから」

 乱反射する光を振り払うようにして顔を上げたドレイクは、いつものような笑顔でアリスに言い置き、執務室を出て行こうとした。

 その横顔を目で追っていたアリスが、ふと、口唇を震わせる。

「ねぇ?」

「ん?」

 アリスはその時、ドレイクに顔を向けなかった。

「あたしが警備軍に入りたいって言った時、ドレイクだけは、本当の理由…知ってたでしょう」

 呼びとめられて、立ち止まり、アリスの囁きが脳に行き渡ってから、ドレイクは長上着のポケットに手を突っ込んで俯いた。

 その唇に、微か、笑みが浮かぶ。

「知ってたよ」

「じゃぁやっぱり、ドレイクは最低ね」

 アリスの赤い唇にも、懐かしげな笑みが浮かぶ。

「……一生友達でいような、アリス」

 言って、ドレイクは迷いなく執務室のドアを開け、そして閉ざした。

 取り残されたアリスは一拍遅れで盛大に溜め息を吐き、ソファの背凭れに背中をぶつけてその場に沈んだ。

 あの時。

 ファイラン家との婚約が成立する年齢になり、ミラキ邸から屋敷に戻される日取りも決まった日、アリスは、戸惑うドレイクの胸の中で一晩中泣いた。

 帰りたくないのだと。

 王妃になどなりたくないのだと。

 それは…………。

「若かったわ、あたしも」

 黙殺された最初の「恋」だったのかも、とアリスは、ソファの座面に寝転がって、苦笑を漏らした。

  

   
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