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14.機械式曲技団

   
         
(29)

  

 息を殺しドアを見つめる、ミナミとクインズ。

 ふたりの横顔をじっと見つめる、ルードリッヒ。

 ドア一枚隔てた向こうからは、イルシュがこちらを窺っているだろう。

 膠着状態。

 ミナミは結局、ドアを壊したり大きな物音を立てたりする事をふたりに禁じた。

「ここにいるのが俺たちだって、イルくんが判ってくれんならいいんだけどさ、驚かしちゃダメなんだ、今は…」

 それもまた、ミナミだから、なのだろうか。イルシュと同じだとか、似た境遇だとか言うつもりはなかったが、ある部分でふたりは共通の扱いを受けている。狭い部屋に閉じ込められ、必要な時にだけ「使われる」。イルシュの必要な時はあの「noise」事件だったにしても、そのために少年は、したくもない厳しい訓練を受けさせられていた。

「…一旦、上に戻りましょう、アイリー次長。電子式のロックを解除する装備がなければ、このドアを正常に開けてサーンス魔導師を救い出す事は出来ません」

 渋い顔で言ったクインズを見上げ、ミナミも頷く。蹴破るのは簡単かもしれないが、それを禁じたのはミナミ自身なのだから。

 イルシュを長時間室内に残すのにも不安はあった。しかし何も出来ないでただうろついているよりも、機材を運び込むか、誰か手が空いているなら制御系の魔導師にでも来て貰えば、確実にこのドアを開け放ち少年を助け出す事が出来るだろう。

 後は、ミナミたちが戻って来るまでの間に、何も起こらなければいいと願うばかりか。

 目配せし合ってから、やって来た経路を引き返そうとしたミナミとルードリッヒ、クインズは、一瞬だけ恨みがましく閉ざされたドアを睨んだ。たった一枚のドア。しかしこのドアは、イルシュと世界を隔絶する最悪の邪魔者でもあった。

「……………………」

 ミナミは、こんな時ハルヴァイトならどうするだろうかと考えている自分に、少し愕いた。何かが判っていても、いなくても、恋人なら…。

「こんなドア、あってないモンみてぇにぶっ壊すんだろうけどさ…」

 壊すだろう。

 愕く暇もなく、残骸さえも残さず、瞬きする間に「ドア」など取り払って、だからといって手を差し伸べてくれる訳でもなく、自分の足で出て来いと無言で命令するだろう。

 短い溜め息で無駄な思考に終止符を打ったミナミが細長い通路の先に視線を戻した、刹那、背後に控えていたルードリッヒとクインズが、ミナミを庇うように身構えた。

「…足音……」

 それに何が起こったのかと一瞬訝しそうな顔をしたミナミが呟き、ルードリッヒが無言で頷く。

 走っているというよりも、周囲の状況を確認しながら足早に近付いてくる気配。無人の構造物だとばかり思っていたのに、誰かが…。

「………………………。次長…」

 ふと構えを解いたルードリッヒが、腰の拳銃に手を添えたままミナミの背後を護っているクインズに目配せしてから、全身で青年を振り返る。

「アントラッド魔導師です…」

「え?」

 硬い表情のルードリッヒに間の抜けた答えを返してしまったミナミの視界にブルースの赤い髪が映え、青年は、無表情ながら微かに目を見開いて、ごそりと…口の中で呟いた。

「一難去ってまた一難…つうか…。なんでだ?」

             

             

 ミナミの元に到着したブルースは、緊張したように引きつった表情のまま、不慣れな敬礼で一応の礼儀を示した。

「執務室待機だって聞いたけど?」

「エスト小隊長に無理を言って、連れて来て貰いました」

 その名前が出た途端、ミナミの傍らにいたルードリッヒが苦虫を噛み潰したような顔で溜め息を吐く。その理由が判らないブルースは一瞬奇妙な顔をしたが、同じくルードリッヒの顔を見たミナミが薄く笑って囁いたのに、赤銅色の瞳が束の間揺らめいた。

「逆だろ」

「しかも、脅してかもしれませんよ」

 ふう、とそっぽを向いたルードリッヒからブルースに視線を戻したミナミが、小さく頷く。

「エスト卿が何考えてブルースくんをここまで連れて来たのか判んねぇけど、…今は、きみに付き合ってる暇ねぇ」

 意外にも冷たく言い放ったミナミにクインズは少し愕いたような表情を見せたが、ルードリッヒの方は平然と、まるでそれが予想の範疇内だったような顔をした。

「人手が足りなかったのは確かだし、多少は助かったけどな…。で、クインズはここでブルースくんと一緒に俺たちが戻るの待ってて」

 佇むブルースを躱して、ルードリッヒを伴い歩き出そうとする、ミナミ。丁度良く制御系魔導師が現れたのだから電子式のロックを解除させればいいのに、とクインズは思ったが、ミナミはそれを口に上らせなかった。

 最初から、少年に関わって貰うつもりはさらさらない。

「…サーンスは」

「この…………」

「何もしてくんなくていい」

 問われて答えかけたクインズを、ミナミが遮る。

「これは確執じゃねぇ。固執でもねぇ。逆恨みでも、意地悪でもねぇ」

 いつも以上に冷淡なミナミの口調に、しかし、ブルースの表情はぴくりともしなかった。

 細長く狭い廊下に佇んだまま、ブルースは無言でミナミを見つめている。赤銅色の瞳をした、陰気な雰囲気の少年。孤独と拒絶でしか自分を護れない、憐れな…少年。

 クインズに身体を向け、やや離れた位置にいるミナミには顔だけを向けているブルースは、青い目の青年が何か言い出すのを待っているように見えた。

「迂闊に踏み込んじゃダメな事ってのが、世の中にはあんだよ。今イルくんに必要なのはイルくんを「救って」くれるひとで、きみじゃねぇ」

「判ってます」

 無表情を貫き通すミナミが言い終えるなり、ブルースは簡潔にそう答えた。もしここにスーシェやタマリがいたならば、このブルースの返答に少々驚いたかもしれない。

 ブルース・アントラッド・ベリシティという少年は臆病だった。無口でクールに見えて実は、ただ、自分を曝け出すのが怖くて、言いたい事の半分も口に上らせず、世の中を斜に構えたスタイルでその無様な自分を正当化しているだけだ。

 自分は判っている。判っていないのは他の連中で。自分はそれらと同列ではない。

 だからブルースは、自分の非を認めるのが怖い。

 しかし。

「ここに来るまでの間、サーンスに今日まで何があったのか、エスト小隊長に聞きました」

 彼は。

「ジョイ・エリアのゲートをくぐる直前に、帰るなら今のうちだともいわれました」

 魔導師だった。

「………………………それで?」

 こちらも立ち去りかけてブルースを斜に構えていたミナミが、赤銅色の瞳に微かな戸惑いを滲ませながらも語る少年にきっちりと向き直る。ローエンスが何をどう説明したのかは判らないが、ブルースの出した結果は決して悪いものではないと思ったのか。

「判りません」

 寒々しい廊下に、ブルースのか細い声が響く。

「何も判らなかったから来ました。どうしていいのか、何がしたいのか、どうすればいいのか、ぼくには何も決められませんでした。だから」

 ミナミに口を挟まれたら何かが揺らぐとでも思ったのか、ブルースは続く言葉があるという意思表示をしてから、短く息を吐いた。

 少年は、がちがちに緊張している。

 相手が衛視だからではない。

 あのハルヴァイト・ガリューの恋人だと聞いたからでもない。

 瞬きの少ないダークブルーの双眸に、全ての困惑、全ての葛藤、全ての決心と、全ての迷いを見られていると思ったからだ。

「訊きに来ました」

 今は必要でないと言われたから。

「サーンスがぼくに何をして欲しかったのか、もう一度訊きにきました」

 友達が欲しかった。とイルシュはブルースに言った。しかし、失敗した、とも。

「…俺さ」

 外されないブルースの視線を真っ直ぐに受け止めたミナミが、溜め息のように呟く。

「タマリじゃねぇから、そういう気持ちの変わり方っての、少しは信じてぇって思ってんだよ。昨日ノーだつったのが今日になってイエスになってるっての、傍から見たらなんて主体性のないヤツなんだって思われるかもしんねぇけどさ、そういう風にひとの気持ちが百八十度…どころか三百六十度くれぇひっくり返るような何かが、瞬きする間に起きるかもしれねぇって…俺はさ」

 ミナミは、続く言葉を迷わなかった。

「実際見て来たよ。あのひと……ハルヴァイトは、そういう気持ちの劇変ってのを何度も繰り返して、それに何度も耐えて、受け入れて、やっと、生きて来たんだからさ」

 抑揚の少ない声音でそう言い放したミナミの視線から、ブルースは逃げない。

 判っている。

 非難されて当然だとまで思えるほど素直でないにせよ、ブルースにも判る。判ったから、少年はローエンスにこう答えて、ここまで来たのだ。

「エスト小隊長に尋ねられました。サーンスの不確実な世界を構築する勇気があるかと。ぼくはそれにも、判らないと答えました。

 判らないけど、引き返す勇気はありません」

 背を向けて。

 拒絶して。

 何も知らず。

 知ろうともせず。

 腐っていくのは…イヤだった。

「魔導師になろうと思います」

 孤独は。

「自分を甘やかして憐れむのは、もうやめます」

 固くて脆い、安全地帯。

「……君さ、「だから」制御系…なんだよな」

 言ってミナミは、ふわりと微笑んだ。

  

   
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