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14.機械式曲技団 |
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確かにそこは小さな部屋だった。 隔壁地帯の中央にぽつんと立ち上がる支柱の中に作られた、監視室。震える足で踏み込み、鉄格子のない窓を眺めているうちに、イルシュは、そうではない、と確信する。 窓が高い。鉄格子がない。取り払われた可能性もなくはないが、なぜか、違うと思う。 良く似た部屋ではあった。でも、何かが違う。 「なんだろう…」 白手袋の中にじっとりと汗を掻きつつも、イルシュは冷静に分析した。 文字列という単語が頭に閃いた。反射的に計測陣を立ち上げて室内をくまなく計ってみれば、微妙にこの部屋が「歪」だと判った。 「そうか…。ここ、支柱の外壁沿いに作られてるんだ…」 だから、窓の切られた壁に「R」を冠した数字がくっついている。つまり窓側の壁は、視覚的に平面だが実際は微かにラウンドしていた。 それまで殆ど瞬きさえしていなかった少年が、ふっと肩から力を抜き息を吐く。ここは違う。だから怯える必要はない。でも…。 「……間違いない。間違いなく、おれは、そこに近付いてる…」 自分に言い聞かせるように呟いて、イルシュは鉄格子のない窓に歩み寄った。小部屋のドアが開け放たれているのを何度も振り返って確認し、一歩一歩進みながら外の風景を確かめる。 ドアは、閉められなかった。それは怖かった。 それが閉じたらまたここから出られなくなるのではないかという恐怖に、イルシュは従う。 だから、間違いない。 ひたひたとにじり寄ってくる恐怖。窓の外に見覚えはなかったが、何か、空気のような何かに、記憶が掻き乱される。 窓枠に掴まり、背伸びして外を見る。音楽が聞えた。歓声が…遠い。 「遠い?」 イルシュははっとして、琥珀色の目を大きく見開いた。 「声だ! そうだよ、子供の声がしてたんだ。音楽は聞えなかった。もしおれの閉じ込められてた部屋がこの付近にあるとするなら…」 少年は窓から離れるなり、携帯端末に記憶させていたジョイ・エリアのマップを呼び出し、それを食い入るように睨んだ。 「音楽は聞えないのに歓声の聞えるとこ。えっと…、ピクニック用の自然公園とか、あとは…」 小さなマップの上で忙しく動いていた指先が、ある一点で停まる。 「…サーカスとゴーカートコースが一部で被ってる…。サーカスは音と光も使うから、ゴーカートのコースに流してる音楽は志向性の高いスピーカーを使ってるって、出掛けにタマリさんが言ってた!」 という事は、天幕の内部で鳴っている音楽は遮るものが多いだろうから外には漏れず、ゴーカートコースに流れている音楽は背後に建つ天幕方向には聞えないように調整されているはずだ。 それでも当然多少は漏れるだろうが、音楽と子供の声を同時に聞いた場合、多分、子供の声の方が先に耳につく。 イルシュは廊下に飛び出し、一目散にエレベーターまで突っ走った。 ここが小部屋になっている理由は、単純に他の支柱と同じ設計の構造物を流用しているからで、普通居住区の所々に建っている支柱のように展望室になっている訳でもなく、部屋そのものはだから、定期的にやってくるメンテナンス職員が休憩に使ったり、ただ放置されていたりするだけだった。ウロスの大雑把な説明を借りるなら、支柱の強度が保たれてさえいれば、都市の重量という観点から見ても野太い支柱の全てをぱんぱんに詰めておく必要はない、との事だったし。 だから、ここに使用されていない空間があると判っていたから、イルシュは支柱を目指した。しかしよく考えてみれば、空間がある、と最初から判っている場所に何かを隠しておく馬鹿はいない。 「だったら、あるはずのない場所。何もないはずの場所。しかも…」 子供の歓声。 少年はエレベーターの中で足踏みしながら短い時間を待ち、ドアが開き切るのも待ち切れず、やっとのろのろ口を開けたそこから滑り出すように転がり出た。 対決するのだ、その場所と。 完勝するのだ、その場所に。 イルシュは震える唇をぎゅっと噛み締め、支柱の向こうに見える外壁を睨んだ。 「ひとと施設が堂々と隠れてても、誰も気にしないような場所!」 頼りないながらもきっぱりと言い切って、少年は駆け出した。 目指すのは、外壁…サーカス後方に穿かれた、外壁メンテナンス用の小さなくぐり戸だった。
「……通信反応。内容は高圧縮信号の端的な単語会話。内容は不明…」 直接脳に響くタマリの声に、ハルヴァイトがゆっくりと立ち上がる。 冷え切った鉛色の瞳で天幕を睥睨し、全てを見下し、ゆっくりと、俯く。 「来るぜ」 そのハルヴァイトの傍らに佇んでいたドレイクが、腕を組んでにやにやと笑った。 「ええ」 答えて顔を上げたハルヴァイトも、笑っていた。 全身が総毛立つような感覚。 見えない何かに四肢を絡め取られ、身動き出来ない錯覚。 もしここにヒュー・スレイサーがいたのなら彼はそれを、悪意だ、と言っただろう。 「警戒態勢。一般警備兵及び衛視の分散を禁止。ジョイ・エリアサーカス・ブロック全域で、およそ七十三の電脳陣の一斉稼働を確認」 笑いを含んだようなタマリの警告が全ての兵士に届いた、刹那、サーカス・ブロックの全ての電力がストップした。
突然の出来事に、アリスは一旦フローターを停止させた。 場所は、最初にサーカスと接触したアンとヒューとハチヤが、「機械式」という操り人形を始めて目にした、あの、ワイヤータイプの踊っていた見世物小屋を少し通り過ぎた辺り。今は既にサーカス・ブロックそのものから一般市民は退避させられていたから、幾つもの天幕を内包した鉄柵のこちら側で動くものは、警備の兵士と衛視、それに、スーシェら魔導士隊第七小隊だけだった。 そのはずだ、とアリスは確かめ、慎重にフローターを再スタート。しかし、何かがざわざわと蠢く感じに、知らず表情が強張る。 「灯り…、どうしちゃったのかな?」 意外にも不安そうなところなくリリスが呟いたのに、アリスは小さく肩を竦めただけで答えに変えた。 この付近に警備兵はいない。 頭上では相変わらず「アゲハ」が舞い狂っているが、それでない何かが…。 一時的にダウンしていた街灯が、仄かな明るさを取り戻す。それでぼんやりと浮びあがったサーカスの主天幕にほっと安堵の溜め息を吐きつけ、アリスはまたスロットルを回そうとした。 途端、胴体から離れたリリスの手がアリスの手ごとハンドルを掴み、強引にブレーキを握り込む。何が起こったのか。アリスは咄嗟に振り返ろうとしたが、リリスは構わず彼女を後から抱きすくめたままスピードの落ちたフローターから飛び降り、地面を転がったのだ。 「伏せてて!」 鋭い一喝に思わず反応したアリスをその場に置き去ったリリスが、弾けるように立ち上がる。何がどうなっているのか混乱する事も出来るだろうに、と自分を笑ってから青年は、固めた握り拳を身体に引き寄せて迎撃の構えを取り、油断なく周囲を窺いながらアリスに呼びかけた。 「ナヴィ衛視、何が起こってる?」 リリスの目は、よたよたと進み植え込みに突っ込んで停まったフローターから離れていない。だから彼は見た。薄暗がりの地面を這った細長い何かが、音もなく高速で建物の陰に引き込まれたのを。 「タマリ!」 「アリちゃん! 電脳陣の稼働確認。周囲の動体に気をつけて!」 悲鳴のような警告を耳にした刹那、リリスは踵を返してまたもアリスに飛び付き、掻っ攫うように抱きかかえて、そのままの勢いで背後の植え込みに飛び込んだ。 直後、たった今までアリスの倒れていた付近で、バシン! と重い金属音が鳴り響く。 「どこだ!」 リリスは険しい表情で歯噛みするように呟くなり、今度はアリスを引っ張り起こした。 「!」 地面に片膝を突いたリリスに抱き寄せられて薄い胸板に顔から突っ込んだ途端、アリスの背中のすぐ傍で何かが弾けた。炸裂音もあからさまな衝撃もなかったが、空気が震えた感覚だけはアリスにも判る。 当惑した。 リリスの反応が、異様に速い。 「立てます? 今一番、どこが安全?」 質問口調でありながらかなり強引にアリスを引っ張り上げたリリスが、鋭い視線を周囲に馳せる。ミナミというよりタマリ寄りの小柄な青年はしかし、その顔つき、細かな動作、見えない何かに襲撃されているだろう状況に慌てていない様子と微妙に横柄な口調で、アリスにある人物を…連想させた。 「進むか? 戻るか?」 呟いて振り返ったリリスの…暗い琥珀の瞳を見つめ返し、アリスがこくりと頷く。 「進むわ。そこが安全かどうか判らないけど、最低限、行かなくちゃならない場所だから」 リリス・ヘイワードは、その、赤い髪の美女の毅然とした美しさにゆっくりと微笑み、それから茶目っ気たっぷりに舌を出して肩を竦めた。 「ナヴィ衛視みたいに強くて綺麗なひとと一緒に居るなんて、心配だなぁ…」
「魔導機じゃねぇ、機械式だな。ただし、閉鎖されてるサーカス・ブロックにある殆どが、電脳陣からの遠隔操作で動き出しやがってる」 ダウンした照明。広い主天幕の内部では、避難誘導灯だけがぽつりぽつりと瞬いていた。 「…デリ…」 丸盆(ステージ)からそう遠くない位置に佇んで腕を組んでいたハルヴァイトが、微かな陰影を頼りにデリラを振り返る。 「タマリの援護に向かえ。発砲を許可する」 デリラはそれに答えもせず、すぐさま踵を返して天幕を出て行った。その時、呼び寄せた衛視のひとりから何か受けとっていたようだが、見送るアン少年にはそれがなんだか判らなかった。 「アン」 機械式が動いていると言われても、なぜこうピンと来ないのか? と本気で悩んでいたアンが、慌ててハルヴァイトの傍に駆け寄る。さっきはあんなに怖い? 思いをしたはずなのに、とそれでも首を捻る少年は、非常灯に照らされた上官の仄白い横顔を見上げて、やっとその違和感に気付いた。 どこかで機械式は動いている。 しかしそれは、ここではないのだ。 「アリスと合流。機械式の解析情報をタマリから取得、リリス・ヘイワードの保護に…」 「リリス・ヘイワードが来てるのか?」 突如暗がりからかけられた声に、ハルヴァイトも思わず口を噤む。アン少年のようにびくりと震えたりはしなかったが、この唐突さには少々愕かされたらしい。 「つうかよ、いつからそこに居た? 班長」 苦笑い混じりで問いかけたドレイクに、今もまだ全く気配のしないヒューの失笑が吐きつけられる。それに不快そうな顔をしてみたもののこの暗がりでははっきり見える訳もなく、それ以前に、本当に、いつヒューが傍に近付いていたのか誰にも判らなかったのだから、この失笑に抗議するのは負け惜しみのような気もする。 だから、見られなくてよかった? か。 「今だよ、今。迎えは随分前に来たがな」 意味ありげな溜め息と、微かな衣擦れの音。それでアンは人知れず安堵の吐息を漏らし、それで、と話しを元に戻そうとした。 「ガリュー班長! 自家発電に切り換えます!」 誰かの声が主天幕に響き渡り、瞬き一回も待たずに内部が真っ白な光に埋め尽くされる。それまで暗がりに慣れていた目に刺すような痛みを覚えたアン少年は顔の前に腕を翳し、ハルヴァイトとドレイクも目を細めた。 次には、ぎょっと目を見開く事になったが。 「? ああ。別になんでもない。それで…」 唖然とする鉛色と灰色を無視して、しかし、ヒュー・スレイサーは一瞬だけ非常に気まずそうな顔をした。そのサファイヤ色の先には。 瞬きもせず。 凍り付いたように。 じっと。 じっと。 驚愕の表情で血塗れのヒューを見上げるアン少年がいた。 「機械式と素手で組み手したって聞いちゃいたが、班長のくせに辛勝って感じだな」 なんとかかんとか引きつった笑顔で軽口を叩いたドレイクに顔を向け、ヒューがふんと鼻を鳴らす。最初に脱ぎ捨ててあった黒いコートは無傷なのに、その中身は酷い有様だった。 引き裂いた白い布で肩から吊られた左腕は捲り上げた前腕までを布でぐるぐる巻きにされ、それでもまだ出血が止まらないのか、白いはずの布がうっすらと桃色がかって見えた。しかも、微妙に居心地悪そうな表情を消さない端正な顔にいくつも痣があり、唇も頬と顎のあたりにも引っかき傷のようなものが無数についている。 「機械式だけなら、こんなに酷くはならなかったよ」 まさかラスボス? が魔導機だったと知らないドレイクとハルヴァイトは顔を見合わせて首を傾げたが、ヒューはそれ以上何も言おうとはしなかった。 本当に無様だなと思った。 勝敗ではなく。 「リリスは?」 ヒューはいまだ動けないままのアンを無視して、ハルヴァイトに問い掛け直した。 「今、アリスと一緒にこちらへ向かってるんですが、途中で機械式の襲撃にあったようなんですよ」 「………普通の機械式か?」 言いながらヒューは、無造作に腕を吊っていた布を解いて床に落とし、ニ・三度肩を…、脱臼していたのを無理矢理嵌めたばかりの肩を回してみた。 「何が普通なんだか判らねぇけどよ、まぁ、その辺にいる機械式ではあるな」 苦笑いで答えたドレイクが、しきりにちらちらとアンを見ている。それにヒューも気付いたし、さすがのハルヴァイトも気付いたが、三人はあえてアンに声をかけようとしなかった。 「判った。ちょっと迎えに行ってくる」 満身創痍で一見すると敗者のような姿ながら、彼は、しっかりした足取りで天幕を出て行ってしまう。 それでもまだ動かないアンを、その場に置き去りにしたまま。 「アン」 凍り付いた少年の時間を強引に進めるのは、決して優しくはない鋼色。 「あなたも行きなさい。陛下の名において、市民に危害を加えさせる訳にはいかない」 そして。 「それによ、あれ以上班長に無茶さす訳にもいかねぇしな。だからつって言って利くような相手でもねぇとなったらよ、アン、おめーが「停めろ」よ」 お節介な灰色。 少年はにこりともしない上官たちを見上げ、ぎゅっと唇を引き結んだ。 「はい!」
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