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14.機械式曲技団 |
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領域右三十ニ、最大電速二十五億六千万。 その意味が判らない人間にはなんでもない「凄そうな数字」だったが、それは、臨界自由領域が最低(…最大、かもしれないが…)三十ニに分かれており、その三十二箇所と交信する脳のアクセス速度が毎秒二十五億六千万という事だった。 だからなんだ、といわれると、少し困る。 比べるものがないのだ。 そう易々と比べていいものでもないし。 とにかく、桁外れに多く、桁外れに速い。 さすがにここまで来ると陣の展開が必要なのか、アンはぶつぶつ何かを言いながら足下に電脳陣を立ち上げ、開放されたハルヴァイトの自由領域を探して(こちらはバックボーンだったので、陣の展開はない)通達されて来た臨時のアクセスキーで接触、既に検索済みだった様々なデータを最速で転送した。 刹那で、ダウンロードを終了した信号が返って来る。 「転送終了。リンク、切断します」 「アリス、スゥとイルシュに、念のためアカウントを保護させてください。三十秒で違法アクセスの強制切断を実行します」 二呼吸ほど後にアリスからの「了解」。それからまた二呼吸でスーシェからは保護終了の返信が臨界経由で戻って来たが、イルシュからの返信はない。 それでも、「サラマンドラ」の顕現がないからなのか、ハルヴァイトは時間通り強制切断を実行した。 丸盆(ステージ)のすぐ下で足を停めたハルヴァイトの周囲を刹那で立ち上がった立体陣が取り囲み、高速回転を開始。瞬くように、閃くように立ち上がっては命令を受諾して消えるモニターが何をしているのか、さすがのドレイクにも判らなかった。
攻撃系魔導機の稼働確認。 及び、プラグインによる未確認端末の操作確認。 システムアカウント「ディアボロ」により、強制切断、実行待機。
「エンター」 ハルヴァイトがそう口の中で呟いた瞬間、ステージの天井を無音の激光が舐め、その場にいた誰もが目を細める。 光が消えた時には、ハルヴァイトの陣も消し飛んでいた。 「…魔導機の稼働反応消失。切断に成功…だな」 咄嗟に索敵陣を立ち上げたドレイクの報告を受け、ハルヴァイトが頷く。結果は当然であり、間違いはない。と言いたげな平素と変わらぬ偉そうな態度に、アンとデリラは慣れていたからなんの感想も抱かなかったが、客席の一角に集められたサーカスの関係者からは低いどよめきが起こった。 「誰か、隣りの展示天幕の様子、見に行って貰えませんか! ハチくんとヒューさんが…」 出来ることなら自分で行きたいくらいだったが、ハルヴァイトとドレイクが到着してしまったのではここを離れる訳にも行かないのか、そわそわと落ち付き無いアンがサーカスの関係者付近に立っていた衛視に声をかける。それでひとりが集団を離れたのを確認して、少年は、やっと、安堵の溜め息を吐き出した。 ようやく灯りの戻って来た天幕。客席に座らせられた十名余りのサーカス団員。その、困惑した表情を遠目に見ながら、ハルヴァイトとドレイクは腕を組んだままぼそぼそと呟き合っていた。 「全員の身元は市民コードで確認出来てる。…ここのオーナーがアドオル・ウインだってのを連中は知ってるんだがよ、実際に顔を合わせた事があんのは、リングマスターと一部の演舞師だけだそうだ」 「念のために、全員派出所に連行して事情聴取しますか? なんにせよ、サーカスは一時封鎖して休業させる必要があるでしょうし」 「とりあえず、そのリングマスターっつうのにここでちょっとカマかけてみるか? それで向こうがどう出るかで、連行するか解放するか決め…」 ハルヴァイトの横顔とサーカス関係者を交互に見ながら呟いていたドレイクが、ふと、ステージの上で固まっているアンに視線を流し、小首を傾げる。それに引き寄せられてハルヴァイトもステージを仰いだ、途端、アンが慌ててそこから飛び降り、ふたりの元に走り込んで来た。 「デリ! ちょっと来て! それから、手の空いてるひと、出入り口を閉鎖して天幕内部をもう一回よく…見回ってくれますか!」 何をそんなに慌てているのか、と顔を見合わせたハルヴァイトとドレイク、デリラ。しかしアンは答える暇も惜しいのか、見上げるような三人を引っ張り寄せながら、「アリスさん」と離れてこの場を監視している事務官に呼びかけた。 「サーカスの構成員のデータ、直接こっちに転送してください、急いで」 『いいけど…。アンだけに?』 「いいえ。全員にです」 と言う事は携帯端末になのだろうが、そこで端末を取り出したのはデリラだけで、他の魔導師たちは即座にバックボーンで通常通信の受信陣を立ち上げ、アリスからデリラに送信されるデータに割り込んで、勝手にそれをダウンロードしていた。 「…サーカスの構成員は、何人ですか?」 「? 十五…だろ。データがそうなってる」 「ですよね? 十五ですよね、データは…。でも、足りないんですよ!」 小さいながらも悲鳴のように叫んだアンの顔を見つめ、ハルヴァイトは短い溜め息を吐いた。 「最初の調査では十七でしたよ、確かね。ミナミに連絡すれば確認出来るでしょうが、このデータは…改竄されてます。多分…」 『この数十分で、だわ』 携帯端末の向こうから漏れたささやきに、密かな緊張が走る。 しめやかに、悪意が蔓延する。 「…………だからじゃねぇんですか? 無駄に、機械式が動いたってのは」 掌に載せた携帯端末を眺めながら坊主頭をがりがり掻いていたデリラが、なんとなく、と言った風にぽつりと呟き、ドレイクとアンがぎょっとデリラを振り向いた。 「? おれぁ、何か言いましたかね?」 「いや…。だから、ってのは、何が「だから」で、無駄つうのはどう無駄だったのかと思ってよ」 ドレイクに訊き返されて、デリラがちょっと困ったように眉を寄せる。そう思ったから言ってみたものの、どうしてそう思ったんだ、と訊かれると、説明に窮する。 「こりゃぁね、おれが凡人だからそう思うんですがね、ダンナ。ダンナも大将もぼうやも、データって確実に間違いのない数字で物事確認しようとしますよね、とりあえず。確かに大抵の場合それぁ間違ってねぇし、間違ってちゃいけないモンなんでしょうけどね、データなんスから。 だから、最初(はな)から間違ってねぇって疑わないモンをですよ? ありえない時に書き換えられてたりしても、すぐには気付かないでしょうね」 ありえない時に。 「でも、ですね。問題あんでしょう、それにしたってね。ダンナや大将が相手なんスから、書き換える方だってそれなりに危険を承知でやるワケだし。で、まず何が危険なのかつったらですね、臨界経由でデータベースにアクセスしたりすっと、なんでしたっけ? アクセスなんとかつうの、確認出来んですよね?」 問いかけているのかひとり言なのか定かでないデリラの質問に、珍しくハルヴァイトが答える。 「まず、稼働陣影が確認出来ますよ。ドレイクはサーカス近辺の臨界接触現象をずっと見張ってましたし、アンだって、天幕内部くらいは監視してたんでしょうしね。 それから当然、データベースに不正アクセスしようとすれば接触痕…」 そこでハルヴァイトは、急に押し黙った。 「…………過剰アクセスによる混乱か?」 「接触陣の接近稼働による一時的な監視不可能電波」 「ハッキング…は?」 ドレイクが呟き、ハルヴァイトが呟き、アンが…囁く。 「出来りゃぁよ、俺のプライドにかけてそれだけはねぇって言いてぇトコだが…。なんとも言えねぇな、ってのが、今の正直な感想だな」 溜め息混じりにそう言い足して、白髪を掻き回す、ドレイク。 その様子を遠巻きに眺めていた衛視たちは、何がどうなって電脳班の連中が小難しい顔でひそひそと話し込んでいるのか判らないものだから、徐々に、不安になって来た。 漆黒の衛視服。羽織った、緋色のマント。 彼らは、最強の警備兵。 さぁ、どうする。 「結局、何をしたかったのかつうのが、問題じゃねぇんですかね」 手の中の携帯端末を睨んでいたデリラが、ゆっくりと顔を上げ魔導師どもを見つめる。 「ジョイ・エリアサーカス・ブロックで過剰な臨界接触現象を起こしてわたしたちの目を眩ませ、ひっきりなしにアクセスしている軍のデータベースに堂々と侵入したかった」 ではなぜ、軍のデータベースに侵入したかったのか。 理由は簡単だった。すぐに、アンもデリラもドレイクも、その答えに頷く。 「ウインの居場所が、知りたかった」 「ひめ」 『了解。すぐこっちを停止して、そっちに行くわ』 ハルヴァイトが呟き、デリラに名前を呼ばれただけなのにアリスはそう答え、刹那、サーカス・ブロックに展開している全員の通信端末に「緊急機能停止」の信号が送信されて、また刹那、全員の通信端末が強制的にダウンしてしまった。 今更遅いだろうとハルヴァイトも自分の不注意と不手際を自覚する。その可能性を十二分に考慮し行動するべきだったかもしれない。しかし、どうせウインの居場所が判明しても向こうには手が出せないのだし、という奢りもあったのか。 アドオル・ウインの「生体データ」は、常に更新を繰り返している。サーカスで行われている「顕現なき殺人」とは話が違い、ハルヴァイトは…。 全ての事柄がある程度解明された所で、ウインを「再生」するつもりなのだ。 だから、一時も目が離せない。生きているのと同じように、彼の擬似肉体(これも今はデータなのだが)は生命活動を行わなければならない。 データの海で。 この世にあるように。 アドオル・ウインが囚われているのは、牢獄。 思考する事しか許されない、思考する事で生き続ける、「夢」の中。 それを果たしてハルヴァイトは、「どこ」で行っているのか? (臨界面からわたしの領域をハッキングして「そこ」を割り出すのは、まず無理だろう…。あのディスクにはあくまでもアクセスキーコードの「規律」が記されているだけで、「不可侵領域」にわたし以外の誰かが接触する事は、絶対に出来ない) 出来ない。 出来る訳が無い。 例えハッキングしてきた相手がドレイクやローエンスを上回るハッカーであっても、ハルヴァイトやグランを越える電速を有していても、あの「領域」には、絶対に…近寄る事さえ出来ない。 出来ない。絶対に。これは不文律。破られない、約束。
選択肢はふたつ。 生きるか。 死ぬか。 活きるか。 知ぬか。 答えよ、悪魔。 忌まわしき、罪の果てに、産まれ、膿まれ、膿み、生まれた。
刻印を受け。 継承するか?
ワタシノナカノ アクマガ イッタ。
一応ブロックしておくか。などと暢気に思っているハルヴァイトをよそに、ドレイクとアンは難しい顔で額を付き合せ、唸っている。 「やつらの目的がよ、ウインの所在を確かめるだけならいいんだがな? もし、この都市全体になんらかの攻撃を仕掛けて来るようなら…」 「まず目先の問題として、消えた二人が誰なのか、というのがありますよ、ドレイク副長。確かにぼくがこの丸盆(ステージ)に着いた時には、十七人いたはずなんですから」 「………でですね? 大将は何ぼんやりしてんスか?」 なんとなくその場に突っ立って腕を組み、見るともなしにサーカスの団員を眺めているハルヴァイトを、珍しくデリラが咎める。それで、は? と小首を傾げたハルヴァイトのいかにも緊張感ないのに、ドレイクが盛大な溜め息を吐いた。 「おめーはミナミがいねぇとやる気も出せねぇのか!」 「落ち付いてください、ドレイク副長! 今は喧嘩してる場合じゃありませんてば!」 今にもハルヴァイトに殴りかかりそうな勢いのドレイクを、アンが羽交い締めにして必死に停める。ミナミが居ない頃の第七小隊では日常茶飯事だったこの兄弟喧嘩…というか、ドレイクの我慢の限界越え? も、随分久しぶりだなぁ、などと、少年は暢気に思った。 「…ミナミがいないとやる気が出ない? まぁ、それは当然そうなんですが…」 そうか。とハルヴァイトは、ちょっと思った。 「消えた二名の捜索を優先します。サーカスの団員はそのままここで待機させて下さい。アリスが着いたら事情聴取するつもりですが、ギイルの到着も待った方がいいかもしれませんね。人手が足りない。それで、タマリにちょっと連絡を取りたいんですけど、ドレイク」 急にぶつぶつ言い始めたハルヴァイトが、近くにあったパイプ椅子を引き寄せて座り込む。相変わらず何を考えてどういう行動を起こそうというのか、ハルヴァイトは一向に説明しようとしなかった。 隠匿された違法魔導師とここから消えた二名だけが直接ウインの命令を受けていた、事情を知る者だとして、彼らは多分、ウイン奪回以外は考えていないだろう。ウイン奪回のために都市に騒乱を巻き起こすとしても、都市を墜落させるようなマネはしないはずだ。 なぜ? どうして? ハルヴァイトは、確信する。 ウインの回りを取り囲んだ彼らは、可笑しな話、自分と似ているとハルヴァイトは思った。イルシュや、最早会って話をする機会もないヘイルハム・ロッソーは、「アドオル・ウイン」という手狭な世界から外へ意識を向けたから、始めから「別の世界」があるのだと知っていたから、強固に囚われる事もなかったのだ。 では自分はどうか。 ドレイクに言われて、気付いた。 ミナミがいない世界など、どうなっても構わないと思っている。ミナミが望まないものなど、この世に必要ないと思っている。だから、ミナミの存在するこの都市を愛せるし、護らなければならない。 多分、「彼ら」も同じ。 アドオル・ウインの指示があるまでは、都市そのものに手出しはしないだろう。 ウインはまだ、この世にあるのだから。 「連絡つってもよ、通信機は停めちまったし、臨界式でも…」 それはないと信じたいが、確信は持てない。という複雑な表情のドレイクに、ハルヴァイトが薄く笑って見せる。 「ハッキングの可能性を棄ててはいませんよ、わたしもね。まぁ、もしあなたの電脳に割り込み出来る魔導師がいたとしたら…………」 したら? 「ドレイククビにして、スカウトします?」 それ笑えねぇっての。と、ミナミは突っ込んでくれないというのに、なんと恐ろしい事を言うのか、この男は…。 しん、と静まり返った主天幕。 「という冗談はさて置き」 「つうか笑えねぇんスけどね…大将…」 「? 今のは十割笑う所でしょう? ドレイク以外の誰にわたしの世話が出来るんです?」 と、これまた本気で不思議そうなハルヴァイトの顔つきに、ドレイクも思わず吹き出してしまった。 ハルヴァイトというのは、こんなに疲れる人間だっただろうか? 「でー? 臨界式でいいのか? ハル」 「はい。でもちょっと、接続手順を変えて欲しいんですけど」 煌くような白髪を掻き揚げながら苦笑いで問いかけたドレイクに、ハルヴァイトは椅子にふんぞり返って笑って見せた。 「? 手順を変えろ?」 臨界への接続手順を? 「接続アカウントを、三十六回ハネられて下さい」 「はぁ?!」 アカウントを三十六回ハネられたら一時的に臨界への接触が不能になってしまうのに、何を言い出すのか、ハルヴァイトは。 「どうしろってんだよ、それで」 実は走ってタマリのところへ行け、とでもいうつもりなのか? と訝しそうなドレイクの間抜け面をちょっと笑って、ハルヴァイトはパイプ椅子の背凭れに預けていた背中を浮かせた。 「それから、臨時のアカウントをセカンダリシステムに申請して、臨界に上がってください」 何に? 「まさかおめー…」 青ざめないまでも呆れた表情の、ドレイク。同じ制御系ながら、アンにはその意味が判らなかった。 「そう。「タマリ」に直結するんですよ。途中の通信がハッキングされる可能性があるなら、その、途中、を作らなければいいんですからね」
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