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スペクター=アゲハ / ディアボロ=フィンチ |
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意味を知れ。 | |||
訓練開始の合図は、気の抜けるブザー音だった。 「本部の演習室はいいねぇ。広い」 「タマリの「アゲハ」じゃ、狭いところは辛いだろうしね」 「二年間、半分しか出せない拷問のような日々だったよー、マジで。でもさ、すーちゃんは絶対階級復帰すると思ってたから、我慢できたし」 佇むスーシェとタマリの間隔は約三メートル。この距離をタマリは、「もっちょい近くてもいいんじゃん」とよく言った。 単純に、もっと離れていても問題ないのだが。 「どうしてぼくが階級復帰すると思ったの?」 「デリちゃんがいるから」 にゃは。と笑って小さく舌を出したタマリの横顔を見つめ、スーシェがほんのりと微笑む。 「多分こうやって言う機会ないと思うから最後に訊いとくけどさ、すーちゃん。すーちゃんが階級返上したのって、アタシ……………も、原因でしょ」 タマリはあっけらかんとそう言って、スーシェに顔を向けた。 「傍に置きたくないのに、離れられなかったからでしょ?」 魔導師には、相性がある。 「「スペクター」には「アゲハ」が必要だったけど、すーちゃんにアタシは…いらなかったんだよね」 「タマリはそういう、答え難い事を平気で訊いて来る。ぼくの言いたくない事も平気でバラすし、好きなものには好きって言うし、嫌いなものは徹底的に嫌う。そういうの、羨ましくないよ。…でも、みんなが言うように「無神経」だとも思わないけど」 「タマリは頭悪くて無神経でやかましいんだよー」 けたけた笑い出したタマリの、大きな瞳。清々しいペパーミントグリーンのはずがなぜか、スーシェには悲しく色褪せて行く死にかけの植物みたいに見えた。 「無神経な人間は、あそこであんな事言わないと思うよ、ぼくはね。だから階級の復帰を決めてすぐ、大隊長にタマリを呼び戻してくれるように頼んだんだから」 「うれしかった」 そう囁いたタマリが、照れた顔を伏せる。 「ホントはね、怖かったよ。すーちゃんに嫌いって言われたらどうしようとかさ、デリちゃんに冷たくされたらどうしようとか、アタシらしくもなく昨日は眠れなかったー。 でもさ。 アタシの過去は消えてくんないんだから、って、諦めたよ。悩むのやめたの。それでホントに嫌われたら、それまでかなーってね」 誰も、悪くない。 「…魔導師なんて、王城エリアでも四十人程度しかいないせっまい人間関係背負ってんだから、しょうがないかーってさ」 「怒るよ、タマリ」 スーシェはわざとのようにそう刺のある口調で呟き、タマリに向けていた顔を正面に戻した。 「ぼくもデリも、ぼくらの友人とぼくらの敬愛する陛下も、そんな安っぽい人間じゃないよ」 タマリ・タマリという一風変わった名前の、少女みたいな外見の彼は。 「許す事が自分のためなんだって、ぼくらは知ってるよ」 知っていて許せないのも人間なのだと、判ってもいるけれど。 「始めようか」 スーシェは、最後にほんのりと微笑んだ。
監視ブースの正面、遥か遠く。佇むスーシェとタマリを前に、ドレイクとハルヴァイトがマントの裾を捌いて倣岸に腕を組む。 直後、それぞれを中心に直系一メートルの立体陣が立ち上がり、回転し、数瞬、フィールド上空に赤色の光を纏った八つの臨界接触陣が燃え上がると、また刹那で、臨界から真白い小鳥、半攻撃系索敵機「フィンチ」が飛び出して来た。 「フィンチ」八機がばらばらに空中を泳ぎ、旋回する。それは「スペクター」と「アゲハ」の顕現を待っているというより、何かを探しているように見えた。 演習室に居る中で、実際の「フィンチ」を見るのが始めてだったのはブルース少年だけ。だから、なのか、壁際に立ってじっとフィールドを眺めているブルースの口元から、感嘆ともなんとも付かない溜め息が漏れる。 完璧にモデリングされ自由に空を飛び回る、小鳥。同期の中にも「フィンチ」を操る少年魔導師はいたが、全く比べ物にならない優美さと華麗な動きに、少年は心を…奪われる。 そして。 ブルース少年が、いや、誰もが瞬きしたコンマ数秒で、フィールド中央に悪魔が…ましました。 それは、居る。ずっと前からそこに居たかのような唐突さで、「ディアボロ」は佇んでいる。両腕を垂らし、堂々と胸を逸らし、髑髏の眼窩で世の中を見下した、悪魔。 だがそれは、悪魔であって、悪と背徳、罪に代表される「悪魔」ではない。 全高三メートル。鋼色の骨格に骸骨の頭部、爬虫類に似た厳(いかめしい)しい尾と尖った先端を巻き込んだ角を持つ「ディアボロ」。威圧的な姿。あの臨時議会の日から「知能のない原始の生物」である事をやめた、ハルヴァイト・ガリューの…。 ブルース少年が息を飲む。鋭い視線さえも刹那、揺れ、反射的に傍らのイルシュを見てしまう。 戸惑っているのか。 いつでもあれの出現は、唐突なのに。 「ディアボロ」が軽く頭を動かし、イルシュとブルースを、見た。ブルースはそれに全身を固くしたが、イルシュは小さく、本当に小さく、手を振ったのだ。 久しぶりに顔を会わせた友達に向ける、親しげな笑みで。 それに答えた訳でもないのだろうが、「ディアボロ」が細長い腕を肩まで上げる。と、それまで上空で旋回していた「フィンチ」のうち一番近くにいた一機が、なんと、「ディアボロ」の伸ばした腕に、ことりと…停まったではないか。 それを合図に次々と「フィンチ」たちが「ディアボロ」の、肩に、腕に、頭に、持ち上げて揺らしている尾に、ことことと降り立つ。何がどうなっているのか、「フィンチ」は足を出していなかったが、まるで磁石で吸い付いてしまったかのように危なげない。 何をしようというのか。 その異様な光景に戸惑ったのは、ブルースだけではなかった。監視ブースの中でもグランが身を乗り出したし、スーシェとタマリは立ち上がった立体陣に巻かれながらも顔を見合わせている。 異様な光景。異形の骸骨が滑らかな表面をテラつかせる小鳥を全身に止める姿からは、何か、奇妙な宗教画のような感じさえ受ける。 天国に迷い込んでしまった、悪魔。 「うんうん、なんかいいね、あれ。シャレてるなぁ。じゃぁさ、タマリさんがもうちょい素敵な感じにしたげようね」 淡く発光する水色の立体陣の中で楽しげに呟いたタマリが、臨界接触陣の稼働を命令。通常なら中空に出現するはずの陣影はなく、代りに、タマリを取り巻く立体陣そのものが、さらに上空へと引き伸ばされ始める。 「「アゲハ」相手に無抵抗で逃げ切れなんてのはよ、かなりの無茶じゃねぇのか?」 タマリの陣の高さが倍以上になったところで、ついにドレイクが苦笑いしてぼやいた。今にあの頂上が平に押し潰され分離したら、と思うと、溜め息さえ出ないのか。 全て観測される。「アゲハ」は、観測「しかしない」種類の魔導機なのだ。 「しかも、「スペクター」は「アゲハ」に隠れて接近してきますからね。操作プログラムの電速を最高にして、やっと「アゲハ」を出し抜ける程度でしょうか? わたしには」 「二手目で動かす訳か…。おめーならなんとか出来るが、その他のへぼ魔導師じゃおおよそ勝てっこねぇ、あれにゃぁよ」 感知される事を前提に「ディアボロ」を動かす。常に行動パターンを二種類用意し、先頭の動作プログラムは読み込みを「感知」されたらキャンセルして、待機させていた臨時回避プログラムで動かす。 ふたり分ひとりで考えるようなものだ。ハルヴァイトでも、本気でやって長引けば勝機は無くなる一方だろう。 ………。ただし、二年前、始めて「スペクター」と「アゲハ」を相手にした時、ハルヴァイトは「アゲハ」がタマリと通信する刹那の隙を突いて滅茶苦茶に暴れ回り、「フィンチ」が強引に空間制圧系のプラグインで「スペクター」の足を止め、数十秒で勝敗を決したのだが。 「あんときぁスゥが迷ってくれたからよかったけどよ、今回はそうもいかねぇな。おまけに、こっちゃぁ防戦一方だしな」 全身に「フィンチ」を停まらせた「ディアボロ」の見つめる先で、ついにタマリの陣の上部が水平に広がり、ついに、その戦端がひらひらと分離し始めた。 ひらひらと。 ひらひらと。 羽根を動かし、巨木から飛び立つ蝶のように。 まさに、薄水色の蝶々がひらひらと。 幾十も幾百もひらひらと。 フィールド一面に咲き乱れる、水色の蝶々。 完全補助系魔導機「アゲハ」。いわゆる「空間観測機能端末」は幻のように美しい半透明の蝶々で、その蝶々が埋める空間は全てタマリの立ち上げたモニターによって観測され、付加された索敵陣は対象の魔導師が魔導機に出そうとする命令さえも観測する。 「アゲハ」自体は「見ている」だけ。しかし、何から何まで見られているのだ。攻撃系魔導師の裁量ひとつで、この美しい蝶々は最悪の観察者になる。 「「アゲハ」の有効範囲がどれくれぇなのか、実のところは、俺にもさっぱりなんだよなぁ」 呆れた溜め息混じりに呟いたドレイクを、ハルヴァイトが笑う。 「しかも「アゲハ」のせいでこっちの索敵陣は動作が不安定。で、あの「スペクター」だ。まったく…冗談じゃねぇって」 「スペクター」と「アゲハ」を組ませるのには、利点がある。完全にステルスされた「スペクター」といえども、制御系魔導師のスペック如何ではどう動いているのか観測出来ない訳ではない。しかし「スペクター」の周りに「アゲハ」を散らすと、「アゲハ」自体が放っている微弱電波に邪魔されて、制御系プログラムは著しく不安定になる。 見えない「スペクター」、幾百と舞い飛ぶ「アゲハ」。まったく正反対だからこそ、この組み合わせは、手強い。 しかも。 移動固体がいくつかある、とドレイクの索敵陣からハルヴァイトに情報が飛び込んだ刹那、「ディアボロ」は「フィンチ」をくっつけたまま咄嗟にその場から飛び離れた。途端、先まで「ディアボロ」の居た空間を「何か」が薙ぎ払い、ひらひらと優雅に散っていた「アゲハ」が、粉々になって文字列に変わり、蒸発したように消える。 「出てんのか? 「スペクター」はよぉ」 唸るドレイク。 臨界接触陣から既にステルス機能全開の「スペクター」がいつ現れたのかさえ、「アゲハ」のひらつく空間では判り難い。さらに「アゲハ」はそれぞれが極小さく出力も弱いので、巻き添えを食らって崩壊してもタマリに被害の及ぶ事は稀なのだ。 「…性格的にこういうのは、不向きなんですが?」 腕組みしたまま眉間に縦皺を刻み、口の中で呟くハルヴァイト。 「ディアボロ」は、「アゲハ」の中を逃げ回っている。所々で「アゲハ」の密度が濃くなったり薄くなったりするのは「スペクター」が移動しているからだろうが、しかしそれがあからさまでないのは、タマリが上手く「アゲハ」を誘導しているからだ。 「うーん。にしても、この状態で「ディアボロ」の動きがいまいちはっきり判んないってのは、呆れるコンビだわー」 片や、最初(はな)から優位であるはずのスーシェとタマリも、苦笑い…だが。 フィールドでは「ディアボロ」が程よく跳ね回り、「スペクター」がそれを追い掛け回し、時々軌道を代えて待ち伏せしたりしているのだが、なぜか、上手く「ディアボロ」は掴まらない。それで「アゲハ」の観測精度やら他のプラグインやらをありったけ立ち上げて情報を捌いていたタマリが、急に「ははぁ」とやたら関心したような声を張り上げた。 「すーちゃん。停まってみて」 「?」 真顔で言われて、スーシェが「スペクター」の動きを止める。と、「ディアボロ」も…停まった。 「やっぱね。だから「フィンチ」がさ、「ディアボロ」にくっついたきりなんだわ」 真白い小鳥と水色の蝶々舞い踊る天国に迷い込んだ悪魔。バランスを崩して肩から転がり落ちそうになった「フィンチ」にそっと手を差し伸べて支え、尾に掴まった小鳥を気遣って振り返る。 その「ディアボロ」の周りには、ひらひらと、蝶々。 「「フィンチ」同士が交信してさー、余計な電波出して「アゲハ」の邪魔してんの。直接攻撃されてる訳でもなんでもない。でも、「ディアボロ」自体がその電波の中に居るから、どうも…観測結果がこっち届くのに劣化あるみたい。「アゲハ」一番有効に使おうとするならそれこそ敵に接触させればいいんだけど、「フィンチ」が見えない幕でそれ防いでる状態つったら判るかな」 「つまり?」 スーシェの問いかけに、タマリは溜め息を返した。 「誰か倒れるまでやってもいいけど、あっちもこっちも余力十分だからね。この訓練、二十四時間くらいは固いと思うよ?」 「スペクター」は「ディアボロ」を倒せない。 「ディアボロ」は「スペクター」に抵抗しない。 「アゲハ」はひらひらと美しく空間を飾り。 「フィンチ」は悪魔の肩の上……。
「ミラキは内部処理だけで「アゲハ」の観測から「ディアボロ」を隠匿していると?」 「隠匿、というほど決定的ではありませんが、「アゲハ」の観測結果が術者に伝わり難くしているというのは確実です。そして、それだけの誤差があれば、「ディアボロ」は観測された命令をキャンセルし、次点に支度した観測される前の行動を取る事が出来ます。ですので、「アゲハ」の動きをガリュー小隊長が肉眼で確認し、その密度によって、「スペクター」の動きを予想しているのではないかと」 だから、スーシェが「スペクター」を停めた途端に、「ディアボロ」も動きを停めたのだ。 完全に後手に回る。その上で裏を掻く算段か。 アリスの報告を受けたグランが、大きく頷く。 「フィールド。ゴッヘルとタマリは魔導機を臨界に帰還させ、待機。 十五分後にサーンスとベリシティの稼働訓練を開始する」 マイクに向かったグランが宣言してやっと、無言でフィールドを見つめるミナミの横顔に、ヒューが視線を移した。 「魔導機というのは、何種類あるんだ?」 「…何種類もあるよ。「ディアボロ」みてぇに、最初から新しいモデリングに代えられて、見ただけじゃなんなのか判んねぇのも入れたら、何十種類も」 これはあのひとの受け売りだけどさ。とミナミは、咲き乱れていた「アゲハ」が文字列に変換されて臨界に帰って行くのを、ちょっと残念そうな溜め息で見送った。 「……あれにも、触ってみたかったかも…」
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