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アン・ルー・ダイ |
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緋色のマントを見たら常識を捨てろ。 | |||
ミラキ邸での晩餐から既に三日。イルシュは毎日のように訓練校での制御系魔導師選出のための「何か」を繰り返していたが、同じく二週間で魔導機の顕現を済ませなければならないはずのアン・ルー・ダイは、晩餐の次の日に一度訓練校を訪れてフィールドの使用許可を確認しただけで、その後は一切その場所に出向いていなかった。 「うーーーーーー」 ただし、城にだけは毎朝八時半にやって来るのだが、日がな一日あちこち歩き回り、保養所のカフェでぼんやりし、唸ったり溜め息を吐いたり頭を抱えたりしているばかりで、実際の訓練などしようとしない。 「いろいろ面白い事判りますよ。今までは下を向いて、あんまり…ヤな感じの視線とか見ないようにしてたと…思い知りました」 言って、アンはレモンを浮かべた紅茶のカップに唇を寄せた。 「…それで、大丈夫なのか? 期日までもう十日しかないのに」 アンにしては偶然、しかし、アン少年の向かいで珈琲を傾けているヒュー・スレイサー衛視にしては確信的に遭遇した保養所のカフェで、数日ぶりに言葉を交わす。もっと気負ったり青い顔でうろたえたりしているのを心配していたヒューとしては、アンの落ち着きぶりには少々気が抜けなくもない。 「…十日あります。今までの二日間がぼくの考え通りに進んでるので…多分、七日後には顕現訓練に入れると思います…けど…」 そこで、アンは苦笑いした。 「あ…。またエラー出ちゃった。…うー。これは…どーすればいいんだろ。 というか……聞いてくださいよっ! スレイサー衛視!」 一旦テーブルに突っ伏して弱々しく唸った後、少年は物凄い勢いで跳ね起き、ちょっと潤んだ水色の瞳に怒り(?)を漲らせて握り拳を作った。その早変わりに唖然とするヒューを置き去って、熱を持った口調で必死に訴え始める。 「酷いんですよ、小隊長ったらっ! 知ってます? 普通魔導機の顕現って、準備も入れて二十日から二十五日くらい掛かるものなんですけど、それを十四日でやれって…出来るんですか?! ってね、ぼくだって実は不安な訳ですから、訊いたんですよ。そしたらなんて言ったと思います? 小隊長! 最短で二十日として、一日平均四時間程度しか演算しないでそれだけかかるんですから、単純に一日八時間演算出来れば十日でプログラムの構築は終わって、それが終わればせいぜい一日で魔導機顕現なんて済むでしょう? ですよ! ちょっとまてこら! って気持ちです! そこでミナミさんが突っ込んでくれなかったら、ぼくが言い返してましたっ!」 押しが強いというか、今日は口を挟む隙もなく喋りまくるアンを惚けたように見つめたままのヒューが、勢いに気圧されてなんとなく頷く。 逆らわないでおこうと思った。 自己防衛? 「「てか、そりゃアンタだけだろ」です! さすがはミナミさん、判ってるなぁ、ってぼく思わず関心しちゃいました。 ところが、先日の小隊長は久しぶりに横暴大全開で、ぼくの話しどころかミナミさんの突っ込みにも動じませんでしたよ。と言うか、小隊長を困らせるにはまずミナミさんを人質に取るべきです! でも命が惜しいのでぼくはやりませんけど。 で! それで! 小隊長には常識通用しないんですよ、本当に! というか、あのひとは「常識」自体のラインを引き間違ってます! だって、聞いてます? スレイサー衛視! 小隊長ってば、平気な顔で言うんです!」 ついに椅子を蹴倒して立ち上がったアンが、水色の目を天蓋に向けて叫んだ。 「「わたし以上にやれとは言っていない。でも、わたしがやれたんだから、あなたにも出来るでしょう?」です! 笑顔で鬼な事言いやがりますよ、ウチの上官は!」 それは…いや………なんとなくハルヴァイトの顔つきまで判ってしまいそうな、見事な暴言だが…。 ヒューは。 「やつがそう言うんだ…。出来ない訳じゃないんだろう?」 一日八時間演算し続ける。 十日でそれを終わらせて。 一日で魔導機を呼び出す。 「……………出来ない、とは言いません」 急にそれまでの勢いをすっかり無くしたアンが、ぽとりと椅子に座り込む。膝の上に無造作に投げ出された手といい、がっくりうな垂れてしまったところといい、これはもう、疲れ切って立ち上がるのも億劫なのだろうか。 「正直、自信ないですよ、今でも。いつ急に意識無くして倒れちゃうか、不安でしょうがないです。倒れてる余裕さえないんですから、ぼくには…。でも、小隊長の言う通りなんです。 一日四時間の演算っていうのは、安全確実に、術者のスペックに余裕を持たせてゆっくり魔導機を構築する目安であって、絶対じゃない。確かに小隊長の言い方は乱暴に聞えるし、やろうとしなければ夢みたいな話しかもしれないんですけど、頭ごなしに「出来ない」って言うほどの無理でもないです」 ただし。 「余裕ない今のぼくには、かなり…プレッシャーキツイですけど」 アン少年は、それでも必死だった。 「結局、術者は自分のスペック以上の事は「出来ない」んですよ。ガリュー小隊長がそいういう意味で言ったって、ぼくにも判ってはいるんです。スペック以上の事が出来ないっていうのは、別に、小隊長の言ったのが無理って、そういう意味ではなくて、臨界占有領域以上の事は出来ないんだから、最速値で演算して、プログラムを構築して、その術者に見合った魔導機を動かす準備は出来るって意味でもあるんです」 安全圏でちまちまやっても、多少無茶に聞えるような事をやっても、結果は同じなのだ。 確かになんとも乱暴な話ではある。でも、嘘でもない。夢物語でもない。やろうとして出来ない事でもない。 「だから、出来るからやれ、になるのか…」 残念ながら、ヒュー・スレイサーに電脳魔導師の友人は今までいなかった。故あってあのハルヴァイト・ガリューやドレイク・ミラキ、目の前にいるアン・ルー・ダイ、そこらで出会えば軽く挨拶をして日常会話を交わす…しかも一番まともな会話が出来るだろう…スーシェ・ゴッヘルと親しくなって、おまけに陛下を出し抜く共犯にまでなってしまって、判った事がある。 彼らは誰もが、化け物でもなんでもない、普通の人間だった。 「…まぁ、ガリューはちょっと滅茶苦茶な気はするが…」 テーブルに頬杖を付いて微笑んだヒューの顔をきょとんと見上げていたアン少年が、首を捻る。ヒューというのも実はハルヴァイト系の横柄な二枚目で、あまりそういう、親しみ易い笑顔を人前に晒すようなタイプではないのだ。 そのヒューがいかにも可笑しそうに笑っているのが新鮮過ぎて、アンはちょっと…戸惑った。 長い銀髪を無造作に伸ばした、サファイヤ色の目の男。笑っていないと冷たそうに見えるし、実際かなりキツイ事を平気で言ったりやったりするが、付き合い難いと思った試しはない。 「…スレイサー衛視って、かっこいいですよね。モテるでしょ」 「? いいや。性格が悪くていまひとつだな。特務室の連中なんかは、俺かクラバインに惚れるくらいならエスト卿の愛人になるほうが幸せになれそうだと言ってるくらいだ」 「なんでエスト小隊長なんですか…、そこで」 曇りのない水色の瞳に見つめ返されて、なぜかヒューが苦笑いする。 「いろいろあってね。君も特務室に上がれば判るよ」 「……。そう………ですね」 アン少年の力ない微笑を受けて、ヒューがもう一度穏やかな笑みを口元に載せ直した。 「君は…、三流貴族でもルー・ダイ家の三男でもなくて、自力で「特務衛視団電脳班魔導師」になるんだろう? ミラキもガリューも、それが出来ると言った。あのふたり、無茶は言うが無理強いはしないとコルソンが言っていたぞ。それに君も、判っているから、今出来る事をやっているんだろうしな」 人工庭園の中を、何も知らない兵士たちが笑いながら歩き過ぎて行く。それを青い瞳で見つめたままヒュー・スレイサーは、アン自身がどうしてなのか判らなかった答えを、あっさりと、口に上らせた。 「特務衛視団の衛視と言われる前に、アン魔導師と言われるよりも前に、君は、あの…気苦労の多い連中の「仲間」でいたいんだろう?」 だから…。 「ひとりだけ魔導師隊に残されても、やるだけやって悔いさえ残さなければあいつらがずっと友達でいてくれると、判ってるじゃないか」 「あ…………」 はっとしてヒューの顔を見上げた瞬間、アン少年の視界に乳白色の文字列が被る。接続不良ではない特異な感覚に呆然としながらも、少年は、本物の電脳魔導師になってあの手のかかる上官と同僚とまだ一緒にいたいのだと「訴えた」少年は、清々しい笑みを満面に、もうひとつ「理由」を付け足した。 「……スレイサー衛視の「同僚」になるのも、悪くないと思ってますよ?」
アカウント未設定。 既存の占有領域第一層に「AIコア」の導入準備、並びにコアの保護を目的とする防衛プログラムの設定終了。魔導機の選出開始。 顕現予備作業、第一段階を突破。
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