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生きててよかったと言いたいです。 ミナミさんみたいに、誰かを好きにもなりたいです。 胸を張って、そう生きたいです。 |
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(11)イルシュ・サーンス | |||
やや広い空間になっている拘置棟の前、灰色の厳めしい建物を背にしたグラン・ガンとローエンス・エスト・ガンは、余裕綽綽という表情で、緊張した面持ちのドレイク・ミラキとイルシュ・サーンスを見つめている。 もしもドレイクと肩を並べているのがハルヴァイト・ガリューであったなら、きっとお互いの顔つきは逆転しているだろう、と息を詰めて睨み合う二組を見守っている第七小隊の面々は思った。 絶対的な経験値不足のイルシュを、ドレイクはどうサポートするのか。 相手は、百戦錬磨…警備軍最強を誇る「意地悪中年」コンビなのだ。ドレイクとハルヴァイトの「化け物兄弟」コンビならばいざ知らず、俄か仕立ての「軍規違反」コンビでは善戦してドロー、最悪、数分で叩きのめされるか数時間も無駄な戦闘をさせられるかの、どちらかがオチだろう。 時間はない。 だから、数分でカタを付けたい。 それは無言のドレイクにも、イルシュにも共通した思惑ではある。 そして実は、件の「意地悪中年」コンビも…そう思っているのだが…。 「ガリューを「出す」タイミングを、どうするつもりだ? グラン」 「判らん」 それでお終いかい。という突っ込みを寂しくひとりで呟き、グラン・ガンは、いきなり電脳陣を立ち上げた。 「……………イルシュ…。おめー、ちょっと何もすんな」 「え?」 「…俺があのおじさんらをどうにかすっからよ、隙を見て……拘置棟に向かって走れ。陣立ち上げちまったら、すぐには動きが取れねぇからな」 「それじゃぁ…」 「あのふたりは、俺が引き受ける」 言うなり、ドレイクの立体陣も立ち上がる。 その速さは、比べて見てもグランに匹敵した。基本能力で現在の大隊長クラス、と「噂」だけのドレイクは、模擬戦闘でも見せた事のない素早さで「フィンチ」をありったけ臨界から呼び寄せ、人工樹木の囲む広場の上空に配置したのだ。 「うむ。早いな、ミラキ。お前、普段真面目に訓練していないのか?」 「今日のが実戦速度なだけだよ!」 「ふむ。いい物を見られたな、グラン。…これで、我々も安心だ」 つか、うっせぇ! と内心噛み付きつつもドレイクは冷静に八機の「フィンチ」を誘導し、その全てがグランとローエンスを中心にした円形に移動し終わった途端、待機させていた外部ファイルにエンターを書き込んだ。 そこで、イルシュと同じに何もしていなかったローエンスの足下に、平面陣がぼっと燃え上がり、刹那で出現したではないか。 「嘘だろ!」 「いや。わたしも…本気だぞ?」 ドレイクが悲鳴を上げる。 その理由が判らない大半は首を傾げ、アンとスーシェだけがドレイクと同じ悲鳴を飲み込んだ。 「フィンチ」が通常閉じたままでいる嘴をぱっくりと開き、小さな光球を無数に吐き出す。それが雨のように地面に降り注いで、しかし消えずに、隣り合った光同士が腕を伸ばすように連結しながら何か…グランとローエンスの足下に複雑な模様を描き出す。 でも、負ける。しかも、ローエンス「だけ」に。とドレイクは内心…笑いそうになった。 「なるほど。「シャットアウト」など使う魔導師は久しぶりに見たな。ただしこれはあくまで「完全補助系プログラム」だからな、ミラキひとりではどうしようもないだろう」 暢気に解説したローエンスの口元が、ますます笑みを濃くする。 地面には、「フィンチ」の吐いた光が巨大な魔法陣を描き出していた。複雑で緻密。一分の誤りもないその紋様を静謐に見つめ、グランが大きく頷く。 「では、やれ。ローエンス。…我らの「上官」殿に敬意を表し、全力で、な」 「舐めて掛かって余力を残されては迷惑だから、当然だ」 途端、直径二メートル以上あるローエンスの「平面陣」が低い鳴動を伴なって回転し始めた。出現に瞬き一回しか要しなかった電脳陣が目に見える速さで回転する薄気味悪さに、ドレイクが今度こそ本当に…笑い出す。 「まったく…。キャンセルしてぇよ、全部!」 「敵前逃亡は銃殺だぞ、ミラキ」 「撃ってくれ、是非! ああ、悪かったよ、俺が悪かった! 「システム」相手にくだんねぇ意地張った俺が愚かだったよ、ちっくしょうめ! それでも俺は、……せってーやめねぇぞ!」 げらげら笑いながら上空の「フィンチ」を佇むグランの電脳陣に接近させつつ、ドレイクは「シャットアウト」に「エンター」を命令した。 刹那、広場の上空に…数十という蒼い電脳陣が燃え上がるように出現、真白い光を放つ足下の魔法陣が稼動し内部に収めた魔導師の臨界面を遮蔽するまでのコンマ数秒に、そのプログラムに割り込んで、命令の進行方向を逆転させてしまう。 眼に見える変化は、グランとローエンスの足下、ドレイクの張った魔法陣が……いきなり「引っくり返った」だけだったが。 咄嗟に、ドレイクが立体陣の最終ラインを割ってイルシュを突き飛ばした。 が、ドレイクに出来たのはそこまでで、臨界エネルギーを逃がす「アース・プログラム」を書き出す間もなく、バカでかい魔法陣と彼を取り巻く立体陣が、内側から地底に吸い込まれるように消えて行く。 ヴン。とドレイクの陣が断末魔の悲鳴を上げた刹那、上空で回転しているローエンスの陣が赤紫色の炎を吹き出し、次々に爆裂して霧散する。 そして…。 ドレイクがゆっくり俯き、ゆっくり…地面に…………沈んだ。 「!」 「親切だろう? わたしは。ミラキに怪我をされるとちょっと厄介な事になるからな、本当なら身体ごと吹っ飛んでもおかしくないが、一応、エネルギーを逃がしておいてやったぞ?」 完全に意識がないのか、ドレイクは尻餅を突いたイルシュから少し離れた場所に倒れたきりで、ぴくりとも動かない。それを青ざめた顔で見つめ、それからぎくしゃくと…意地悪中年コンビに顔を向けた少年は、目玉が零れ落ちそうになるほど大きく目を見開いていた。 「……何が…あったの? ドレイクに…。それで…………ローエンスおじさまのアレは、なんなのよ!」 地面に転がったドレイクから視線を外さず、アリスが悲鳴を上げる。 「ドレイク副長の内部処理に干渉したんですよ…。一時的に、システムが副長の命令を「逆さま」に受け取ったんです」 答えたのは、制御系寄りに調整されているアン少年だった。 「エスト小隊長は、副長が占有する臨界面に、リバース(逆転)命令を割り込ませたんだ」 溜め息のように呟いて、少年は俯く。 「立体陣でなく平面陣を使ったのは、プログラムを高速処理するため。上空に排出腔を開けたのは、副長のエネルギーを逃がすため。エスト小隊長は多分、副長の陣が稼動したとき既に、バックボーンを使ってこの場にある全部の電脳陣を解析し始め、妙な会話で時間を引き延ばしながら、ドレイク副長の陣だけを臨界から切り離してたんです」 システムは、臨界の動きを監視している。 「…………………じゃぁ、ファイラン階層の制御系システムは…エスト卿?」 呆然と呟いたスーシェに、ローエンスがにっこり笑って見せた。 「そう。ゴッヘルらの動きは感知出来ないが、ね」 「システム…って、なんだね? そりゃ」 「サーバーみたいなものだよ、コルソン。制御・防御系集積回路。必ず経由しなければならない、臨界の親玉だ」 「そんな………。じゃぁ、どうあってもドレイクはローエンスおじさまに勝てないじゃないの!」 「そうだ。その集積回路を通過する命令に干渉する勇気のある「システム」が相手なら、だが」 それが出来ない「システム」はただ監視しているだけ。しかし、干渉して来るようならば敵なしだと、グランがにこりともせずに答える。 ローエンスが「システム」であって、おおよそ干渉してくるだろう事をドレイクは知っていたのだ。それでも…負けが見えていても退かなかったのは、デリラがさっき茶化していたように、彼が地獄のように弟に甘いからなのか…。 「……………………でも、エスト小隊長は、「制御系システム」なんですよね…」 ドレイクに突き飛ばされて地面に尻餅を突いていたイルシュが、ぽつりと呟く。それに思わず「そうだよ」とスーシェが答えた、刹那、少年が跳ね起き、二次立体陣を立ち上がらせた。 それを誰も停めなかった。 イルシュがグランに絶対勝てないと思っても、誰も、グランもローエンスも、少年に「やめろ」とも「無駄」だとも言わない。 「思う存分、やりゃぁいいんじゃねぇかね」 ふと、微かに笑いながらデリラが呟く。 「おれだって好き勝手した訳だしね、ダンナだって判ってて倒れるまでやったし、ぼうやだってさっきので二・三日はまた熱出すんだろうし、ひめだってこれでまた、やっと静まった噂話し蒸し返されんだろうし、スゥだって従兄弟泣かしてまで来たんだからね、ぼくちゃんもさ、気が済むまでやっていいんじゃねぇかね」 キッと唇を噛んだイルシュの頭上に、巨大な臨界接触陣が描き出される。それを待ち、ゆっくりと…まるでイルシュに合わせるかのようにゆっくりと、中空に自らも臨界接触陣を描く、グラン・ガン。 「ギイルも、三十六連隊の連中も………………実は城中がさ…、なんだろね、判ってんのに、判って貰おうって、何も言う訳じゃねんだけどね…」 二つの臨界接触陣から色も形も違う大型の魔導機が、生れるように、ごそりと姿を現した。 臨界階級第一位「ヴリトラ」。全長十三メートル。象牙色の、雄々しく鬣をなびかせた獅子の姿を、金色の臨界式文字で飾った四足歩行タイプ。浮遊する六個の球体を従え、その球体の作り出す力場を使って空中さえのし歩く、神の名を持つ百獣の王。 片や、臨界階級第二位「サラマンドラ」。全長十メートル。真紅の胴体に短い手足を生やし、球形の高温球排出口を周囲に十数個浮遊させた、炎の龍。「noise」騒ぎで顕現した時より幾分フォルムが洗練されて見えるのは、ドレイクがイルシュの訓練を行っているからだろうか。 二機の臨界からの使者は、お互いの気配を探るように空中で間合いを取ったまま、睨み合っていた。これが模擬戦闘だったなら即座にローエンスの「アルバトロス」、臨界階級第六位、全長一メートル八十センチにもなる真っ白い半攻撃系索敵機が飛び出してくるのだろうが、イルシュにサポートがいないからか、ローエンスは相変わらず掴み所のない笑みを浮べたまま、動こうとしない。 「そういう…、何も言わない流儀てやつに則ってね、これ以上おれたちじゃどうしようもねぇって判ってるのに、こんだけやってんスよ………………大将」 データでしかない言葉で話し合う前に、殴った分だけ殴られて来たのだ、誰も彼も。 ハルヴァイトを。 ハルヴァイトに。 それでようやく判って来たのに。 触れもせず、言葉に表す事もなく、傍に居て、たった一年でそのハルヴァイトを手に入れたのは…。 恋人。 睨み合っていた「ヴリトラ」と「サラマンドラ」が、同時に空を蹴って突進。その巨体同士が重い金属音を轟かせ、どちらか、もしくは双方が弾き飛ばされて地面に叩き付けられる幻に、アリスは、ぎゅっと目を閉じてアン少年にしがみつき、悲鳴だけは上げまいと唇を噛んだ。 鉄の爆砕されるような大轟音が拘置棟前広場に反響し、一瞬鼓膜が「音」の全てを拒否する。それで、なのか、続くはずの巨体同士がぶつかり合う音のないのを訝しんだアリスが顔を上げ、彼女は、いいや、その場にいた全てが、それを目にする。 突進する勢いも鮮明な躍動する獅子と、迎え撃つ尾の動きも明らかな炎の龍。しかしそれらは時間の流れから取り残されてしまったかのように、今すぐに動き出しそうに、中空で完全に動きを止めていたのだ。 否。 ぴくりとも動けない重圧に抑え込まれ、全力としか思えない特攻を軽く翳した掌で受け止められ、戦意を消失していたのかもしれない。 「ヴリトラ」と「サラマンドラ」は、いつどうやって顕現したのかさえ判らない「ディアボロ」を間に、静止してしまっていた。今にも動き出しそうな二機とは対照的に、プラズマ翼を展開して滞空している「ディアボロ」は気安く両腕を上げているだけだが、その胴体中央では、何らかの魔法が働いている事を示すあの黒球が高速で回転している。 いつ。 どうやって。 いつの間に。 「…………………………」 特別防電室。完全に臨界との接触が不能になるよう支度された特別あつらえの室内で、ハルヴァイトはどうやって「ディアボロ」を呼び出したのか。 「あ……」 それも、否。 瞬きも忘れたアリスが拘置棟の入り口に目を向けて小さく吐息のような声を漏らし、誰もがつられるようにそれを振り向いた時、そこに、緋色のマントをはためかせたハルヴァイト・ガリューが佇んでいたのだ。 冷ややかに、 ただ冷ややかに、 あの感情の欠片さえない冷え切った鉛色の瞳で、 ファイランというばかげたデータの世界を睥睨し、 有象無象とする煩いデータを見下し、 何も言わず、 ただ冷ややかに、 冷ややかに。 面倒。とでも言いたげに。 ハルヴァイトが、拘置棟の暗がりから柔らかい陽光の射す広場に踏み出す。 刹那、中空で「ヴリトラ」と「サラマンドラ」を抑えていた「ディアボロ」が、軽い動作で左右の腕を振り下ろした。 分別不能で臨界階級さえない、「ディアボロ」。全高三メートルの小型二足歩行タイプながら、空を飛び、自ら魔法を発動し、武器を操る、鋼の悪魔。 如何なる力がそこに働いていたのか、「ディアボロ」の気軽さとはまったくイコールにならないような勢いで「ヴリトラ」と「サラマンドラ」は急激に墜落し、胴体から地面に叩き付けられた。それで一部の命令が崩壊したイルシュは悲鳴を上げ、グランが微かに眉を寄せる。 無言でグランとローエンスの間を通り抜け、蒼白になって震えるイルシュと倒れたままのドレイクを一瞥し、残る部下とスーシェに視線を転じても、ハルヴァイトは口を開こうとしなかったし、歩みを停めようともしなかった。 歩き過ぎる。 どこかへ向かって。 それを見送る事さえ許さないのか、空中に留まっていた「ディアボロ」が左右の腕を交差させて身体に引き寄せ、今度は全身をいっぱいに伸ばしながら、引き寄せたばかりの腕を左右に開いた。露出した内部。その中央。限界まで回転速度を速めた黒球が純白の燐光を放った刹那、握った右の拳を後ろに引いた「ディアボロ」のプラズマ翼が閉じ、悪魔が自由落下を始める。 その右の拳には、青緑と漆黒の燃え盛る炎。 「! お前たち、すぐに臨界の接続を切れっ! 「デリート」だっ!」 消去。 ローエンスの悲鳴に、グランとイルシュは即座に全ての陣を消して魔導機を臨界に帰還させた。 ガッ! と足裏で地面を掴んだ「ディアボロ」が炎を纏った拳を地面に叩き付けようと膝を付くが、既に臨界の接続がないからか、振り上げた腕もそのままに動きを停める。そして、ゆっくり顔を上げ、緊張した面持ちの人間どもを胡乱な眼窩で見回し、悪魔は立ち上がった。 堂々と。 胸を張り。 人のように。 人よりも知性のある生き物のように。 くだらない騒ぎを見下して、ついと翼を広げ、先に消えてしまったハルヴァイトを追いかけ上空に舞い上がる。 「……なんで、「ディアボロ」がいるの? ハルは…歩いてたわ!」 陣を展開すれば、魔導師は身動きが取れない。 「直結開門式。自身の身体に扱う魔導機と同じ臨界式記号を「焼き付け」て契約し得る禁呪だ、ナヴィ。契約条件は厳しい。失敗すれば、身体が吹っ飛ぶ」 淡々と述べるローエンスに愕然とした顔を向け、しかしアリス以下…いいや、ひとりなぜかくすくす笑っているグラン以外の全員が、さも愉快そうに「ディアボロ」を見送る大隊長に薄気味悪そうな視線を向けた。 「わたしの執務室でお茶をどうだ? お前達。そのうちに、ミラキも目を覚ますだろう。ああ、それにしてもなんだな。こうも偶然というのは重なっていいものなのかな? ローエンス」 「何がだ、グラン。ついに狂ったか?」 「かもしれん、ただ頭は正常だぞ。まるで、ガリューの「全て」がミナミくんのためのように都合がいいのは、どうしてなんだろうな」 「……………」 「開門式など、なんのためにあった? 今日まで。ガリューは時折使っていたが、今日ほど有効な使用方法はないと思うぞ」 歩いて、ふたりの悪魔は天使を迎えに行くのだから。 「これを最後に、ふたりを暖かく見守ってやれ。いや、そっとしておいてやれ。じゃない、放っておけ」 「何が言いたいんですか、大隊長!」 ぴ! と、勢いアン少年がグランを指差し…。 「突っ込みかたが違うぞ、ルー」 叱られた。 「…もしかして、「いや、それ訳判んねぇって」…スか?」 「お前に言われると不愉快だな。やはりここは、アイリー次長でないとだめか…」 ふむ。と難しい顔で顎に手を当てたグランが本丸に爪先を向け、勝手に歩き出す。と、その背中に薄笑みを向けたローエンスが、「実は」と、いかにもらしく勿体ぶってこう言った。 「うちの従兄弟、アレでいてミナミくんには眼がないんだ…。命が惜しいから、ガリューにはばらさないでくれよ?」 それでつまり、逃亡兵士だったような気がする第七小隊とスーシェ・ゴッヘル、並びにイルシュ・サーンスは、揃って大隊長執務室でお茶を頂く事になり、舞台はついに、議事堂に……移る。
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