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1.ファイラン浮遊都市 | |||
(9) | |||
囁いて、ミナミは妙に自分が冷静なのに驚いた。 身体は震えている。でも、妙に頭が冴えている。確か熱が出て…時々そういう状態になって…、苦しくて、でもハルヴァイトの顔を見たらなんだか気が弛んで、熱くて、あの…金属みたいな髪に触りたくて、…でも恐くて…。 ミナミは胡乱な瞳をハルヴァイトからドレイクに移して、それから、その灰色の目が怒りを滾らせ睨んでいる虚空を、つられるようにして見遣る。 円筒形の光。床に描かれ拡張していく、円形の光。それがなんなのかミナミは知らず、ただ本能的に、それ、をここで呼び出させてはいけないのだと思った。 それまで弛緩していた風景が一気に速度を取り戻す。 弾けるように立ち上がったドレイクの足下に、ハルヴァイトに及ばないまでも、相当な速さで電脳陣が描き出され始めたのを見て取ったミナミは、反射的に顔を覆っていた手を下ろし、指先に触れた「何か」をひっつかんだ。 「つうか、俺だろ! ばかか、アンタは!」 と彼は叫ぶなり、いきなりその「何か」を思い切りハルヴァイトに向かって投げつけた。 ガッ! と…、なぜか非常に堅い物が激突する音に続いて、立ち上がりかけていた電脳陣が………ハルヴァイトの足下で瓦解する。 「…………!」 「…………。って…、マジかよ…」 臨界に接触直前だった電脳陣を強制切断された状態のハルヴァイトの全身から、目視できない力場の余波が放射状に吐き出される。突風みたいなそれに、こちらも電脳陣を吹き飛ばされたドレイクが数歩よろめき、どさりとその場に尻餅を衝いて…、唖然とミナミを見つめた。 正直に言う。これは非常に危険なので、マネしてはいけない。 完全に意識を臨界に向けている場合、電脳魔導師自身が、そこに溜まった莫大なエネルギーの出口になっているのだ。今回は幸にもハルヴァイトの集中力が散漫で、ドレイクが本気でなかったからいいようなものの、これでどちらも戦闘態勢だったなら、身体ごと吹っ飛びかねない…。 が、ミナミがそんな事を知る訳はない。 だから彼は、半ば呆然と見つめてくるふたりの電脳魔導師を熱っぽい瞳で睨み、それから、面倒そうに溜め息を吐いた。 「…俺って、どうしようもなく不幸じゃねぇ?」 「ミナミ……………」 一瞬哀しげな顔をしたハルヴァイトにまたも剣呑な視線を突き刺し、ミナミが、ふん、と鼻を鳴らす。 「ゆっくり俺を悲観する間もねぇじゃねぇかよ」 「見た目に見あわねぇな…お前…。悲観とかって」 「うるせぇ、人外ども」 言い捨てられて、二人が同時に、う! と息を飲んだ。 「具合が悪ぃのは俺。判ってる? ちょっと気弱になってみたかったのも俺。それもいいよな? なのになんで、アンタらが部屋散らかしてケンカしてんだよ」 果たして、自分がハルヴァイトに投げつけたのがなんだったのだろうか、と立ち尽くす緋色の足下に冷たい視線を落とし、ミナミはちょっとやり過ぎたかもしれない…と、本当にちょっとだけ反省した。 ミナミがハルヴァイトに投げつけたのは、いつもテレビの近くにただ置かれているだけの、盾のようなもの。それは、二つの円が重なり合いそれをもっと大きな円が囲んで、全てを緻密な模様で飾っているという、ファイラン王室から授与された「電脳魔導師」の証明である銅板だった。 「アンタが…、俺を知ってたなんて俺は聞いてねぇよ。だから、アンタが「間に合わなかった」なんて思ってたのも、知らねぇよ…。そんなの知るか。どうでもいいし…」 「おい! てめー、そんな言い方ねぇんじゃねぇのか!」 割れたガラス片でキズだらけのドレイクが、怒鳴りながら前庭からリビングに踏み込んでくる。その、なんとも鬼気迫る姿に怯えた訳でもないだろうが、でもミナミはますます手足を縮めて震えながらも、果敢にドレイクを睨み返した。 「俺はこれ以上終わった事に怯えて暮らしたくねぇんだよ!」
でも、イヤなのに、その記憶は付きまとう。 だから本当は、ミナミという青年は…………。
か弱くない。
「…………ドレイク…」 首だけを巡らせてミナミを見つめたまま、ハルヴァイトが囁く。それに不満そうな顔を向けたドレイクの直前に、ぱっと小さな電脳陣が浮かび上がり、途端、息を詰まらせたドレイクが腹部を押さえて…その場にばったりと倒れた。 軽重力発生力場。威力は絞ってあるものの、決して対人用の電脳魔術ではない一撃を近距離で鳩尾に食らったドレイクは、呻く暇さえ与えられずに、落ちた。 正直に言う。危険なのでマネしないで欲しい…。余程制御に自身がなければ、絶対にやらない方がいい。何せ、ちょっと力加減を間違えば、全身の骨がばらばらになるかもしれないのだから。 前のめりに床に沈んだドレイクを思わず唖然と見つめてたミナミが、すぐ、目玉だけを回してハルヴァイトに視線を移す。しかしそれは怯えている、というよりも「アンタ…、…そこまでやらなくても…」と言いたげな、呆れたもののように感じられた。 実際、ミナミはハルヴァイトを恐れていない。 殆どの一般人にはこんな風に目の前で見る機会のないだろう電脳魔導師の魔術を披露されても、ミナミは、ハルヴァイトを恐れられなかったのだ。 なぜなのか。 「ウォルには、後でわたしが謝っておきます…」 意味不明の囁きを漏らした後、ハルヴァイトは改めて身体ごとミナミを振り向いた。 「………ミナミ。ひとつだけ、質問させてください」 鉛色の瞳が、微かに頷いたダークブルーを捉える。 「なぜあなたは、わたしに着いてきたのですか?」 「え?」 問われて、なぜかミナミはハルヴァイトから目を逸らそうとし、しかしハルヴァイトの視線に射竦められて、それを諦めるしかなかった。 「…………正直言うと…、判んねぇ…」 ミナミは縮めていた手足をゆっくり伸ばしながら、話し始めた。 「強そうに見えたから…かもしんないけど、本当はどうなのか、俺にも判んねぇよ。ただ、アンタは…あの時、最初に遇ったとき、全然笑いもしねぇでさ、俺に…………その…」 機械に見つめられている気分だった。最初に遇った時も、今も。 「手ぇ貸して欲しいつったろ…」 「言いました。困っているので、手を貸してください、と…。でも…」 それだけが理由なのか? と聞き返そうとしたハルヴァイトの不審げな顔からようやく視線を外し、ミナミはうなだれた。 のろのろと差し上げた自分の掌を見つめ、ミナミが… 「俺、なんて答えたか憶えてる?」 「? ……………確か…、「でも俺、誰にも触れねぇよ」、だったと…」 「そしたらアンタ、ようやく笑ったんだよな」 ふわり、と…微笑んだ。 「なんか少し困ったみてぇに笑って、「それは構いません。ただ、居てくれればいいです」って、溜め息みたいに…、言ったんだよな」 その、穏やかな笑みはすぐに消えてしまう。まるで、太陽に晒された氷細工のように。 「だから」 それだけ。とでも言うように肩を竦めたミナミの俯いた顔を見つめたまま、ハルヴァイトは息を止める。 恋を…した。二度目だった。 「俺にはそれしか出来なくて、それでいいってんだから。って俺は納得する事にしたんだよ…。例えそれがその時だけの嘘でも…、…よかった…」 不意に、ミナミの上半身がぐらりと揺らめいた。 「…だから、もっとしっかりしてくんねぇと、俺が困んじゃ…ねぇかよ…。だって俺には…ここに………アンタの側に…、居ることしか…、出来ねぇんだ…から……」 途切れ途切れに言い終えて、途端、ミナミがその場にどさりと倒れる。額に浮いた汗と、微かに震える長い睫。なんとか保っていたものの本格的に辛くなったのか、ついにミナミは意識を失ってしまった。 「………………あなたを傷つけない、なんて言いながら、今日一番辛い目に合わせたのは、わたしのようですね…」 囁いたハルヴァイトは緋色のマントを外し、それを倒れたままのミナミにかけてやってから、小さい溜め息を吐く。 「反省しています。わたしは…、もうあなたを傷つけたくない」 時間をかけて理解し合うことを許されるのならば、とハルヴァイトは、ミナミの寝顔を見ながら、思った。
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