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1.ファイラン浮遊都市 | |||
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ファイラン浮遊都市に置ける男女比は、男性十に対して女性一以下である。具体的に言うならば、王都民約五万人のうち、女性は四千人と少ししか存在していない。 と、言う訳で、どこでも女性は大切な宝のように扱われていたが、それを「まるで珍獣扱いみたいで、胸くそ悪い」などと、はっきり言う女性が存在しているのも事実だった。 アリス・ナヴィ。派手な赤毛に亜麻色の瞳の警備軍一等書記官は、組んだ長い足の爪先をぶらぶら揺らしながら、ぶすくれたドレイクの頬にちょんと人差し指を突きつけ、にやっと笑う。 「過保護ばか」 「うるせぇ…」 「ていうか、君の都合でハルを監視するの、やめれば?」 耳障りのいいハスキーヴォイスにからかわれて、ドレイクは灰色の瞳をアリスに向け、限りなく剣呑な視線を朗らかな笑顔に突き刺した。 「俺はアレか? そんなに自己中心的か? そうとしか思われてないのか?! お前だって判るだろ、アリス。今までハルが「自称恋人」なんてヤツらにどういう目で見られて来たのか…」 「ディアボロでしょ?」 あっさりと言ってのけたアリスは、組んでいた脚を解いてドレイクに向き直り、カフェの小さなテーブルに頬杖を突いた。 ここは王城に隣接した、警備軍の保養施設にあてられている一角の、カフェ。くすんだ深緑色の軍服に身を包んだ男どもしか見当たらない中で、彼女の纏った青い制服は際だって目立つ。 大抵の女性、つまり、自然分娩で重大な問題なく子孫を残してくれる女性は、必要以上に大切にされているのだ。同性同士の細胞から遺伝子を取り出して「精製」される子孫に性別の選択は出来ないが、自然分娩ならば男か女か、生まれる確率は二分の一。ここで女の子が産まれれば、両親は大きな屋敷を与えられて、裕福に暮らすことが出来る。 では、なぜ「女性」にだけその「特権階級的」な扱いと振る舞いが許されているのか、というのは、追々話されるとして、今は触れないでおこう…。 とにかく、女の子を産んだ女性も、結果一生裕福に暮らせる。好きこのんで警備軍になど入る奇特な女性は、殆どいない。 が、アリスは好きこのんで軍に入り、しかも、女系として栄えている家を出て、裕福な生活まで捨てた。 理由は、簡単すぎて泣けるのだが。 まっさらに癖一つない長い赤い髪を撫で、亜麻色の瞳を飾った長い睫で数回瞬きする、アリス。すらりとした手足にスレンダーなボディ、という完璧なスタイルに、きりっと口角の引き締まった面。通り過ぎる男どもが一瞬視線を投げていく惚けた顔を見れば、それだけで彼女の美貌が窺い知れるというものだ。 「確かに、限度を超えて怒らせたりしたらすぐに出てきそうになるあの「悪魔」は恐いし、正直、一緒にベッドに入るたび頭の上で荷電粒子が火花散らせば誰だって驚くし、ハルが悪い訳じゃないって判ってても、彼を怯えた顔で見ちゃうのは仕方ないわよね」 「仕方ない? 仕方ない、でみんなハルを傷つけたのか? 自分が恐い目に会いたくねぇからって、ハルを傷つけてもいいのか?!」 「だぁかぁらぁ!」 アリスはいきなりドレイクの鼻を摘んだ。 「ふっ!」 「ハルヴァイトの「恋人」が今度もハルを傷つける、なんてどうして君に言える訳?」 アリスの手を振り払って真っ赤になった鼻をさすりつつ、ドレイクが眉を吊り上げ言い返す。 「じゃぁ、アリスはあのミナミとか言う「恋人」を無条件で信用してるってのか!」 「ぜーんぜん」 大袈裟に肩を竦めて首を横に振り、アリスは華奢な椅子の背凭れに身体をぶつけた。 「……………つかお前、んじゃ、何?」 アリスの潔い返答にがっくり肩を落として、一瞬で疲労困憊、といった顔をしたドレイクが、冷め切った珈琲に手を伸ばす。その、無骨な指先が白磁の茶器に滑るのを見つめたまま、アリスは溜め息ともなんともつかない吐息を漏らした。 「だから、さっぱり判らないんでしょ。予備警備は二十四時間勤務で、その時はあのお迎えはなし。だけど、通常警備を含む登城勤務の後には必ず迎えに来てる。でも、余程の事があって下城が遅れるとき以外、ハルは自宅に連絡も入れない。あたしは毎日暇を見つけてマーリィに電信を入れるけど…ね」 冷えた珈琲に唇を寄せたアリスが淡々と「報告」する内容を頭の中で反芻しながら、ドレイクが頷く。 「おかしいのよ、確かに。それは認める。あの二人は、恋人だとかそうじゃないとかいう以前に、どうもおかしいの。でも、ハルはそれで満足してるみたいだし、あのコも、別に…」 そこで表情を曇らせて言葉を切ったアリスの顔を見遣り、ドレイクが小首を傾げた。 「…………変に落ち着いてて、どうでもいいような顔してて、あ、綺麗なんだけどね、妙に表情が乏しいというか…。…………ねぇ、ドレイク」 いつの間に見ていたのか、と思われそうな事を言ってのけ、不意にアリスはカップを置いて身を乗り出した。 「なに?」 「君さ、誰かとキスするとき、まず、どうする?」 「はぁ?!」 突然の質問に素っ頓狂な声を上げ周囲の注目を浴びてしまったドレイクが、慌てて口を手で塞ぐ。別にその「誰かの名前」が出た訳ではないのだから、そんなに人目を憚る事もないのだが、習慣というのは恐ろしい…。 「何を急に言い出す…アリス」 「いいから。誰かにいきなりキスしようと思ったら、君はどうする?」 それに何の意味があるのか、しかし、アリスの目は真剣だった。 「………………顔に触る」 非常に言い難そうにぼそりと呟いたドレイクの横顔を見つめたまま、アリスはなぜか「でしょう?」と妙に納得したような事をほざいた。 「あたしなら、手を握るわ」 「あぁ、それもあるかな。肩に手ぇ置くとかよ」 「抱き寄せたりとか?」 「するする」 「それって、普通よね?」 「…普通だろ?」 「普通だわ」 「…だからなんなんだよ、それが」 一瞬盛り上がりかけた気分を強引に戻し、またドレイクが面白く無さそうな顔でアリスを見つめた。 「あの二人、唇以外の場所に触らないのよ、絶対にね」 そう言って、アリスはなぜか得意そうに肩をそびやかし、ふふん、と鼻を鳴らした。
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