サッカーおばかさん!

家紋にカモーン!


携帯ショップからまだ電話来ない……。

いや一週間も経ってないんでまだだろうとは思ってはいて、でも「基盤をいじる(データが全消し確定になる)場合は、いじる前に連絡をくださる」事になっているので、──ってじゃあ無いほうがいいのか。そうか。今書いてて気付いた(笑) 電話が来ないまま一週間以上経過したら、原因は液晶だったんだなと大船に乗った気で待てばいいのかぁー!
……分かんないですけどもね、連休の後だから単に工場が混んでるだけって気も…。


「オンボロケータイを人様にお預けするのが恥ずかしかった」と前回書いた私ですが、告白するともうひとつ恥ずかしい事がありました。
実は裏面にも「金蒔絵シール」を貼っていたのです。人様にはあんまりお見せしたくはないタイプのが!(じゃあ貼るなよ)


黒一色のとこに貼ってあった四菱家紋シール。パッと見はそんなにおかしくないのがポイントです。
馴染み過ぎてて最初はショップのおにーさんもそれが「シールだ」って気付いてなかったようでした。充電池のトコの蓋を開ける時に「ん?」という顔をされて、慌てた私は「あ、それウチの家紋なんで、その、たまたま見付けて、──シールなんです!」
なまじ単純な図案の四菱なだけに、黙ってりゃバレなかったんじゃないかと後で後悔しました……。そして「シールなんです」より「ウチの家紋なんです!」という法螺が先に出たあたりで自分の保身がまず先に出た感じでした…。そこかよっ!的な。

法螺……厳密に言えば法螺になっちゃうんですよねえ…。正確にはウチの家紋は花菱だからなあ。兄貴に以前そのシール見られた時に「なんで四菱」と突っ込まれて、「ウチの家紋の原型だから! 花菱って、ほらなかなか無いしっ!?」とテンパって答えちゃって、それ以来「そーいう理由だ」と自分でも思い込もうとしていたというかなんというか。

念のため参考として、四菱はコレ。


花菱はコレです。



ああそうさ! 四菱は武田家の家紋さ!!
別名「武田菱」と言うぐらい、武田と言えば四菱、四菱と言えば武田なのさァッ しかもそのシールは躑躅ヶ崎館跡地に建つ甲斐の武田神社の向かいのお土産屋さんで買ったものだったのさーッ!!
※躑躅ヶ崎館=武田晴信様こと武田信玄のお住まいだったところ。武田神社のご祭神は武田信玄ご本人様。場所は山梨。←りんこさん、かつてわざわざ行ったらしいですよ…。

ちなみに花菱も武田の裏紋でして、武田信玄などは本陣の旗に使ってたみたいです。(そーいう合戦絵巻が残っている) 大河・風林火山では、本陣に居る亀ちゃんの背後に花菱の幟り旗と陣幕があって嬉しかったv ウチとおそろいv きゃ♪
※亀ちゃん=現在の市川猿之助/放送当時・市川亀治郎の事。しかし猿之助を襲名した今でも我が家では彼は「亀ちゃん」と呼ばれ愛されている。


とまぁ、このような理由があって、「武田家で花菱を裏紋に使ってんなら、逆に花菱が表紋の私が裏紋(つーかこの場合は控え紋?)に四菱使ったっておかしかあるめぇ!」てな苦しい言い訳を──、…うん苦しいな……。

ケータイをお預けする時には「貼ってあるシールやデコが破損しても文句は言いません」みたいな条項にきっちりサインを求められました。おにーさんは「剥がれるなら先に剥がしておいてやろう」ぐらいの事を思ったのか(?)、カリカリとそのシールを爪で引っかいたりして下さいました。逆に「や、やめてくれ!」とは思いました(笑)(ビニールシールじゃないから綺麗には剥がれない)
あれもなー、出来れば綺麗なまま帰ってくると…いいなー。金蒔絵シール、意外や大層に丈夫で、一カ所の汚れも削れもない状態だったのです。表があんなにボロボロの割には、そこだけ(裏だけ)まっさらに綺麗なままだったのです。
探せばねー、たとえば通販ショップなんかで探したりすれば、新たに「金蒔絵・四菱シール」は見つかるかもとは思うんですが、あれは「武田神社(の道路挟んだ向かいのお土産屋さん)で買った」ってのが更に価値が高かったのになー。※私に
や、ゼータク言い過ぎ。中身が!中身が無事ならもう!(>_<)



ところで今突然に思ったんですが、来年の大河の主役・真田家の家紋の六文銭、あれは真田幸隆(信繁こと幸村のお祖父さま)が使い始めたという事で、その前は真田の家紋は結び雁(むすびかり)だったんですよね。←これもカワイイv 割と好きv 前にイラレで真面目にシールを自分で作っちゃった事があるくらい好き(笑)
───て事は、本来は真田の表紋はそっちで、六文銭は裏紋だったのか?? それとも真田幸隆が「今日からこれにすっから!」的な事を告知した後は正式に六文銭のほうを表にして結び雁や州浜(というのもある)を裏紋に格下げ?したのか??

……わー、なんか考えた事がなかったので今更コレを疑問に思ったのがある意味自分でショック(笑) なんで考えた事なかったんだろう…。そしてこの謎が解ける日は来るのだろうか。たとえば明治期の真田家のお墓でも探したら結論が出るのだろうか。←墓石には表紋入れるだろう、さすがに!
明治ぐらいまで来ればお墓の形もある一定の形式が出来ているだろうし、仙台真田氏や伊予真田氏は明治時代に授爵しているので、帝都にお墓を新たに作った確率が高いかなーと。



そんな……家紋のはなし???


 
2015年07月25日(土) No.521 (その他の呟き)

No. PASS