サッカーおばかさん!

大河と高校サッカー付け足し


この二つを一緒に語る気か……。


大迫についてのネタ、別口のメモがまだ残ってたので付け足し。
テレビで言ってたんですが、某スポーツカメラマンの談話として
『大迫の写真を撮る時は他の選手より早くシャッターを切る必要がある。でないと撮り逃す。自分がDFになったようなドキドキ感がある』
───だ、そうです(笑)
これ聞いて思わず速攻でメモりました。同じメモに残る走り書きを見る限り、準決勝の時に流れた談話だったかな? ←あやふや
なんかもー、このネタだけでもドキドキくる! こーいうFW、久し振りに出会った気がするなー! 一見、あんなに朴訥そうな青年なのに。ある意味では「そこがまたたまらん!」という話かもしれませんが。少なくとも私の周囲ではそーいうノリ…っぽい(笑)
誤解を恐れず言うと、彼は確かにあの田舎者っぽそうなクソ真面目そうな地味な様子に、あの派手(っつーか豪快)なプレーがついてくるとこが魅力になり得ている、──のか!? いや分からんけど!
ちなみに他にもメモとしては「ヤバい、どんだけ私はチョロいのか。ハーフタイムでの今大会振り返り映像見てるだけで泣けてくる。チョロ過ぎにもほどがある。」とありました。……うんそうだね。



大河、「天地人」。
大河大スキーな私ですから、もちろん見てまーす。しかし今回、同居人Fさんとしみじみ言い合ってたのが「戦国は戦国でも、どーもさっぱり馴染みがないとこなんだよねー」でした。
やー、私は武田贔屓にもほどがある!、ってヒトなので。武田と真田ラヴ!、で戦国を乗り切ってるヒトなので(笑)

「上杉って、家督相続ですげーモメたってくらいしか知らんのだよ」
「うん。なおえかねつぐ、が何をした男なのかもさっぱり分からん」
「私、これでも昔に『天と地と』を映画館で見てんですけどね…」
「ああ、あれはね…。見てたとしても上杉について知れるかって言うとまた微妙なね…」
「ま、ちょーどいいんで」
「一年かけてお勉強させて頂きますかねー」
「自分が知ってるとこをやってくれりゃそれも楽しいけど、自分が知らない歴史についてを一年勉強していく、それもまた『大河ドラマ』の醍醐味っすかねー」
「ですねー」
てな会話が我が家では交わされておりました。そしてFさんが買ってきたNHKムック本なんか眺めて、また「戦国時代ものしり辞典」なんか眺めて(一昨年からリビングの本棚に突っ込みっぱなしだった。初版1988年、4版目で1991年発行。大昔に兄貴から借りて返してない……)、ちまちまと人間関係を確認し直しておりました。

んで先週! 土曜日に「ながらテレビ」で先々週・第2回放送をまた見直してて!
ツマブキくんに主役が交替した時、下に出た字幕に目を止めた私は「アレ?」と首かしげました。
『樋口兼続(のちの直江兼続)』
ひぐち…? この場所に住んでて樋口、しかも「兼」の字が付く樋口とな…!?
慌ててネットと手持ちの本で調べました。そして確認した瞬間、割と遠慮ない大声で叫んたあげく、Fさんの部屋に駆け付けてドアを連打!
「聞いて聞いて聞いてくれーッ」

聞いてくれ!!(笑)
直江兼続こと樋口兼続は、樋口次郎兼光の子孫だったのだ! うっそんー!
あ、樋口次郎兼光(ひぐちじろうかねみつ)ってね、木曽義仲(源義仲/平家物語)の重臣、物語の中では「木曽四天王」の一人として語られる人なんでございます。えーと、「巴御前の実のお兄さん」っつった方がインパクトあるでしょうか。
私、歴史上の人物の中で一位、二位を争って好きなのが木曽義仲なんです。(一位と二位は物凄くせめぎあっている。同率ぐらいの勢いで中大兄王子こと天智天皇がいる)(三位で武田信玄が入るのかな…)
高校の時に授業で習った「平家物語・木曽義仲最期の段」ってのがもう忘れられなくて。うっかりコジケン変換して泣いちゃったぐらいインパクトあって。←すげぇ馬鹿っぽい。しかも比喩でなく授業中に本気で泣いた。マジ泣きだった。

今井四郎兼平との会話がさー。もう「萌え」なんて言葉じゃ語り尽くせないほど私の頭をぶん殴りましたですよ! 当時、私はコジケンに転んだばかりだか転びかけ。(実は当時はケンコジ…だった気配もあったのですが、今思うと妄想はがっつりコジケンでしてたような、ちょっとそこに関しては曖昧な妄想加減)
もしこの段を読んだ事がある方は、ここで一生懸命にエピソードを思い出して下さい(笑) 私は今でも素でコジケン変換かませます。多分、「私のイメージする」コジケンコンビに一番近い歴史上萌えエピソードってこの話なんですよね…。次点で三国志の孫権と周愉が、ってそれはまあいい。

その今井四郎兼平の実の兄に当たるのが樋口次郎兼光。その二人と巴を含めて、三人兄妹で義仲に仕えてたと。本名は「中原」で、義仲の乳母の子供です。中原家の次男が「樋口」に領地を与えられていたので「樋口」を名乗り、また今井に領地があった四男が今井四郎兼平を名乗ってたと。
義仲と兼平が死んだ後、樋口兼光も矢羽根尽き折れ頼朝方に自ら降伏。彼の武勇を惜しんで義経なんかが助命嘆願したんですが聞き届けられず斬首。義仲の首が晒される時に願い出て、烏帽子直垂(正装)の姿で行列に付き従い、そのまま斬首されたそうな……。

今井兼平と義仲のエピソードに比べると地味ではあるんですが、義仲ファンからしたら忘れちゃなんねえ!重要人物の一人です。なんたって兼平の実の兄ちゃんだしなっ!
───とまあ、こういう一巡があってですね(笑)

「Fちゃん聞いて聞いて聞いてーッ 直江兼続は樋口兼光の子孫だったんだよ!!」
「おお!?」
「兼平の子孫は残ってないから諦めてて、巴の子孫は気にして調べてたのに(かつて「巴の息子がその力自慢で切り開いた」と伝わる「朝比奈の切り通し」は、Fさんと二人して運動靴ジーンズの重装備で突撃かましている。やぶ蚊の大軍に襲われて大変な目に合った)、兼光の子孫を調べた事がなかったのは片手落ちもいいとこだったッ! 生きてたんだねえ、家名が続いてたんだねえええ!」
いやっほー!、の勢いで絨毯に転げ回る私。
「すげー、直江兼続は木曽四天王の血筋を引いた男だったのかー!」
「ありゃまー、なんかこう一気に」
「身近な男になって参りました、直江兼続ぅ!」

意味がさっぱり分からん、とお思いの方もおいででしょうが(笑) 私とっては一気に意味と思い入れのあるものになって参りました今年の大河。あわや、もう少しで兄貴に電話するとこだった。思いとどまった。(兄貴の方が断然歴史には詳しいので。樋口家のエピソードについて知ってる事がないか訊こうかと思った。もう少し落ち着いてから訊こうと思います…。←結局訊く。いつか)
ま、子孫たって直系かどうかは実際は微妙だとは思ってる。なんたって間が600年くらい空いてるしね!


ところで第1回目の放送、Fさんも私も互いに実家に居たので一緒には見てませんでした。私だけがチラ見してて、録画した分を後にチェック。
私「なんかね、腐女子的には色んなカップリングがせめぎ合う顔見せ第1回放送だったよ(笑)」
F「なんだそりゃ」
───録画を見た後。
F「うーむ、確かにこれは……」
私「ね!? 好きなとこをお選びなさぁい!、みたいな」
F「まさか狙ってんですか」
私「いやー、どうだろ。イケメン並べてるとこは狙ってるというか最近の風潮だしねというか…。そして人間関係的には基本、戦国ってこういうもんでは」
F「ああ。だね(笑)」


さらに余談ながら、今年の大河については様々な萌えを沸かしておられる皆様もおいでのようです(笑) 喜平次萌え!にはわたくしも参加いたしたいところ。(子役〜、引っ込むの早すぎだよ子役〜) 泣き虫余六を日向年下攻変換の御意見はなかなか斬新だと思いました(笑) が、がんばってみる。
2009年01月19日(月) No.135 (萌えバナシ!)

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