サッカーおばかさん!

God bless you. -2-(※小説)


「日向の上着はクローゼットの中」
「ああ」
「俺と反町と二人がかりでここまで運んで、こんな状態で一人に出来ないから俺もお付き合い。日向はベッドに転がるなり速攻で撃沈。反町は嫁さんいるから帰ったけどさ、あいつと小池が飲ませまくった主犯だから、部屋代はあいつのカードで先払いさせた。そのへんは御安心を」
 予備動作もなしにいきなり放り投げられたものを慌てて受け取る。見るとペットボトルの水だった。自分の手にもペットボトルを握って、若島津は横のソファに腰を下ろした。
「まさかまだアルコールとは言わないだろ?」
 冷たい水を口に含むと頭がいくらかまともに動き始める。部屋を見渡す余裕も出てくる。
 それなりのランクのホテルの部屋。ビジネスホテルでない証拠に広さもそれなり。数センチだけ開いたぶ厚いカーテンの隙間からは朝焼けの空が見えた。
「───えらくサービスいいな」
「ホテルのグレード? 壮行会でビジネスホテルじゃカッコ付かないだろって、そこは張り込まざるを得なかったよね。あ、全額反町ってんでもないぜ、断っとくと」
「これで餞別代わりにされるんじゃねえだろうな」
「いや充分でしょ。日向の飲み代の分も全部こっちで割勘持ちだよ。何せご本人は潰れてるから払わせようにも無理だったしさ」
「俺があそこ全額払わされたかと思ってた」
 最初の内はそんな持ち上げ方をノリでされて、いいぜと日向も気軽に答えて、そのつもりもあってボトルを入れまくっていた記憶がある。
「そこはさすがにねえ、意識ないやつの財布からカード抜くわけにもいかないし」
「あいつらならやりかねねぇよ。止めたのどうせお前だろ」
「うーん、否定はしない」
 若島津はおどけて飲み終わったペットボトルをテーブルに置いた。
 こんなふうに、こいつと二人きりで話すのはいつ以来だ、と日向は思った。チーム同士の対戦で頻繁に顔は合わせる。代表合宿で寝泊まりが同じホテルのこともある。けれども二人きりになることは滅多にない。卒業してからもう何年になるのか。
 若島津もそう思ったのかもしれない。
「──…これ、今日何度も言った台詞になっちゃうんだけどさ」
 不意に、彼は静かな声で呟くように言った。
「おめでとう。本当に俺は嬉しい」
「……」
「単純に海外に行くってだけじゃなくってね。ずっと、思ってたよ。日向が自分の思う通りに生きられればいいって。お前が望むところに、行きたい場所に走って行ければいいって。叶い始めてる。日向はこれからも行きたい場所にいくらでも行ける。───おめでとう」
 何と答えていいのかとっさに分からず日向は顔を逸らした。なぜここにこいつが居るんだろう、と今さらなことを疑問に思った。ここに。この部屋にという意味ではきっとなかった。その理由なら今聞いた。
 ここに。
 誰のことも真には理解しようとしなかった、誰のことも本気では望んでこなかった自分の傍に。傲慢で思い遣りに欠けた人間の傍に。
 初めて明確に自覚した。孤独ではなかった。寄り添う気配がずっとあった。誰よりも自分は理解を得ていた。
「…あー、日向も風呂入る? 汗かいてるだろ。シャワーだけでも浴びれば?」
 自分から切り出した話題なくせ、その場の雰囲気を誤魔化すように言って若島津が立ち上がる。日向は緩く首を振った。どうしても言葉が出て来なかった。
 開いた両腿に肘を置いて俯く。視線の先には床しかない。それが若島津の目にはどんな態度に映ったのか、
「日向…」
 近寄って来た若島津は日向の足許に膝をそっと着き、母親が子供をいたわるように日向を見上げた。
「そうだね日向。……俺は知ってた」
「知ってた…?」
「……神様はお前に意地悪だった。色んなものを日向から取り上げた。でも、これからは違う。日向が手に入れたいものはきっと全部手に入る。それだけの祝福を受けていい人間だって、もう神様だって分かってくれてる。…大丈夫なんだよ。だって、」
 ───日向は愛されてるから。
 膝に手が置かれる。暖かい。若島津の掌が置かれた場所は暖かい。日向にはそこから何かが溶け出していくような気がした。
 苛立ちや憎しみかもしれない。よく分からない。神様がずっと嫌いだった。頑なな子供のようにただ嫌いだった。それを気安く口にする奴も嫌いだった。不幸や災難は単にそこにあるだけのもので、それに振り回される自分が嫌いだった。
 全部、本当は持っていたのかもしれない。愛情なんて不確かであやふやなもの、祝福なんて目に見えないものも。
「お前は、……」
「うん」
 お前、どうして俺の傍に居るんだ。最初から、まるで当たり前みたいに、当たり前の顔で、どうしてずっと俺の傍に居たんだ。
 若島津はスタンドの薄い明かりの中、小首を傾げて口許だけで笑った。
「どうしてかな…? 俺にもうまく説明は出来ないけど、たとえば運命みたいなものだったのかな。あの明和のちっぽけなグラウンドで、お前に会った瞬間に俺は決めちゃってたんだろうね」
 日向の俯いた頬に、遠慮がちに掌が這わされる。
「俺はこいつの運命に巻き込まれるんだなあって。きっと一生分。そのぐらい、こいつは強烈な相手なんだってのは、子供心にもなんとなく思ったよ。きっと、お前には俺が要るんだって」
 その手首を日向は衝動的に鷲掴んだ。我ながら容赦のない力加減だと思うのに若島津は逆らわなかった。
 けれども日向がそのまま若島津を引き寄せ、顔を近付けた時になって僅かに怯んだ。
「──、え?」
 唇は冷たい。お互いに。水を飲んだばかりのせいだろう。
「ちょっ…と、おい日向!」
 勢いを付けて体勢を入れ換える。若島津の身体をベッドに引きずり上げ、のしかかるように押さえ付ける。髪はまだ湿っていた。掌を這わせた剥き出しの喉やローブの下の素肌も。
「おいッ!」
「───くれたんだ、神様が。お前を俺に」
 真上から低く囁いた日向に、若島津は金縛りにあったように動きを止めた。両目が大きく見開かれる。
「初めて気付いた。今まで気付いてなかった俺が馬鹿だった」
「そ、……れは」
 下着も付けていなかった膝の間に指先を潜り込ませる。閉じようと若島津が慌てるが間に合わない。ひゅ、と小さく息が鳴った。そこで日向は一旦わざと手を止めた。
「イヤか」
「………」
「どうしても嫌なら言え」
 若島津は薄明かりでも分かるほど目尻を紅潮させ、キリ、と下唇を強く噛んだ。
「言えよ」
「ズルいよ、日向…!」
 それが答えなら拒否ではない。罵りにすらなっていない。その証拠に、若島津は震える指先で日向の肩を握りしめた。

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まだ続く。
※後日、小説小部屋に移します
2009年09月04日(金) No.208 ()

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