[ 『べてるの家の「非」援助論』 書評。 ]
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浦河べてるの家 2002 『べてるの家の「非」援助論』医学書院。の書評です。オンライン書店のbk1にアップする予定です。
<人間は弱いものなのだという認識からの出発>
本書は従来の医学系出版社から出たとは思えないような語り口があり、精神病あるいは精神分裂病にかかっている当事者たちとそれを取り巻く人間たちの生の姿を飾ることなく描いている。この点で、精神医学系の専門書とも違うし、当事者の姿を描き出しただけのルポでもない、新しい形での精神病あるいは精神病者との付き合い方を提示している。 本書がすぐれている点は、以下のことであると思われる。 1、精神分裂病あるいは精神病者の当事者からの<言葉>の紡ぎ出し。 本書では、さかんに「言葉」ということが重視される。それは、言葉を奪われてきた、あるいは、精神分裂病当事者の言葉が無かったということを意味している。病気と付き合っていくには、あらたな言葉が必要であるという。そして、その言葉を紡ぎ出すことにより、精神病と共に生きることができると言う。専門家(医師、看護士、ソーシャルワーカー、学者など)から当事者(精神障害者)の語りへの転換である。 2、<関係>の病としての精神分裂病。 本書における視点として、精神分裂病あるいは精神に関わる病気を「関係」の病であると位置付けている。人間と人間との関係の中において発病するものであるし、また乗り越えるためには、関係の中で乗り越えることが必要であるとされる。しかし、本書では乗り越えることや克服といった言葉は使っていない点が注目に値する。 3、弱いものであるとの認識。 精神病であろうが、そうでなかろうが、人間は弱いものであるとの認識を大事にしている。そのことが、べてるの家が、一つの企業として成功してきた点であり、乗り越えるものとしてでなく、弱いまま、ありのままで社会と繋がろうとしているべてるの家の人々の経験と実感からの認識である。 4、働くことの意味の従来の企業精神への問い直し。 べてるの家が実践してきたことは、「いままでの、自分だけの利益を追求するような企業のあり方では、たとえその企業が生き残ったとしても社会は崩壊し、生きるに甲斐のない世界になってしまうことがハッキリしてきたということ」(219)である。 5、精神分裂病文化へのまなざし。 従来の精神分裂病当事者また専門家において、病気とは克服すべきものであった。社会復帰すべきものであった。しかし、べてるの家やそれを取り巻く病院との関係においては、幻覚・幻聴体験を一つの<文化>として捉える視点が存在する。また、幻覚・幻聴などと周囲との関係を一つの文化として捉える視点を持っている。 この本を読み、私は精神分裂病当事者の一人として、追体験するような感覚を得た。それは、私が病気を乗り越えるにあたり、病気のネガティブな部分をポジティブなものとして捉えて利用してきた過程と非常に似ているからである。私は病気であることを新たな人間関係を作るうえでの武器として利用してきたところがある。病気であることが、むしろ豊かな人間関係を持つ上での資源ともなってきた。 また、私も「『強いこと』『正しいこと』に支配された価値の中で『人間とは弱いものなのだ』という事実に向き合い、そのなかで『弱さ』のもつ可能性と底力を用いた生き方を選択する。そんな暮らしの文化を育て上げてきたのだと思う」(196)。本書はそうした私に共感を与えてくれるとともに、読者に精神病あるいは精神分裂病に対する生の見方を提示してくれるものと思う。
2003/12/03(Wed)
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