風の神の子である」の理由

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多摩川の寒三郎さん
最後の日に一郎が風から受けた只ならない思いは又三郎からの通信に違いない。

大松崎さん
理由なし

おっきーさん
先生は又三郎に化かされています。1日の行動にも怪しいところがありますが、12日は変な格好でふらふらしている感じで、三郎の転校先についてもはっきりしないことを言っています。これは又三郎に化かされているのです。

Jijiさん
初めて読んだ時からこう思い込んで来ました。先生もそう説明した記憶があります。

Hi-ro-さん
申し訳ありませんがそうに決まっています。

多摩川の寒三郎さん
三郎が去ったのはあえて二百二十日の日曜日にされたそうですが(風野又三郎から風の又三郎へ・日付の問題)、そうするとやはりその理由はこういうことしかないでしょう。

さん
・嘉助は四日に心の動きを描写され、一郎も十二日に心の中を描写されています。しかし三郎の心の詳しい描写はありません。それは三郎には人間と同じように描写できるような心の動きが存在しないからではないでしょうか。 ・三郎がいま叫んだのはおまえらだちかいと聞いてぶるぶるふるえたのは只の人間の言動としては唐突で過敏すぎる気がします。このような場面では人間ならもっと大雑把な反応で済ましてしまうところでしょう。

ノンタンさん
「嘉助の風の又三郎」(鑑賞の手引き2)に魅せられてしまいました。教室のガラスや石ころの所を読むと、どうしてもそんな気が強くしてきます。

給食委員Cさん
12日のラストシーンの後、あなたは上空の又三郎を感じますか、それともどこかでアカンベーをしている三郎を感じますか。

さん
三郎がただの人間だとしたら描き方、言動が思わせ振りすぎる。賢治はそのようなあざとい方法は取らなかったのではないかと思う。

さん
BJさんの意見と似ているのですがちょっと違います。三郎は宮沢賢治が作って送りこんだ人形なのです。元は風野又三郎なのですが今は自分を人間だと思っている。それがだんだん自分は誰なんだろうと気付きかけて行くのです。

ポポロさん
八日に叫んだ不思議な声は誰の夢でもありませんでした。この場面だけは説明のつかない場面です。ただの人間を描いた話ではない証拠にはならないでしょうか。

アイアイさん
高田三郎という名前に全く現実感がないこと。「谷」、「二人の役人」、「鳥をとるやなぎ」に出て来る藤原慶次郎や「台川」の生徒たちの名前に比べるとはっきりと作り物然としており、本当の名前ではないのを示している。

風紀委員Eさん
最初に読んだ時は三郎と又三郎を分けて考えるということはなく、一人の妖怪の話だと思った。その時の感じ方を大切にしたいと思う。

ちぃんこさん
風の又三郎は風の又三郎だもん!

やる気はあるよさん
先生と又三郎とお父さんはグル(人間でない)と思う。本物の先生は拉致られている(?)[最後の「ごとごと」という音から]

さん
三郎の言動については子供のようなところはありますが、どうも物事を言ったりする上でのあの余裕はとても人間の子供とは思えない落ち着き様だと思うので。

ヌミ郎さん
間違って迷い込んできてしまった大人になりきれない神様っぽいという ただそれだけの理由

絶対さん
空を飛ぶとは、普通の人間ではありえないから。

さん
途中から三郎から又三郎に変わっているから。

又三ろうさん
風だから

とっぽさん
普通の人ならガラスのまんとなど、持っていないから。人間ではない行動をとっ

とっぽさん
(訂正)ガラスのマントをもっているという事はおかしいから。

ヒヨコさん
最初、転校生としていたけど実は、風の又三郎ですっていうオチ?!

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